《【電子書籍化】神託のせいで修道やめて嫁ぐことになりました〜聡明なる王子様は実のところ超溺してくるお方です〜》最終話 この世でもっとも私が安心できる場所。

世界は思ったよりも隨分と忘れっぽく、歴史は塗り重ねられて真相を闇に葬る。

私の故郷はどこだっただろう。もう忘れてしまった。母がいたことはうすぼんやりと憶えている、だがそれだけだ。私がエレーニ・アサナシア・シプニモとなる前のことは、私を含めて皆がすっかり忘れてしまった。私は突如ステュクス王國の歴史に現れ、アサナシオスという不世出の鬼才の王の妃となった。それからのことは、神託に関わることで幾許か公的な記録に殘っているだろうが、私という人間がどのような存在だったかは、後世の人間は誰も知ることができないだろう。王妃であるにもかかわらず城下町の食堂(タベルナ)にカラマラキア・ティガニタを買いにやってきたり、レテ神殿騎士団とともに困っている人を助けにあちこち走り回ったり、神域アルケ・ト・アペイロンで晝寢をしたり。そういうことは、その時代の人々の記憶には殘るかもしれないけど、きっと記録には殘らない。

今日も私は、書斎のソファでサナシスと並んでおしゃべりをする。眠くなるとベッドへ連れていってもらえる。そんなとき、彼はこう言うのだ。

「お前はまだ太っていないんだな。もっと食べないと、膝枕どころじゃないぞ」

私はそのたび思う。いい加減私を淑として扱ってほしい、と。

サナシスにとっては、私はいつまでも育てているなのだろう。もちろん妻ではあるし、すでに子供も三人いる。それでも、サナシスは態度を変えようとしない。艶の出てきた金の髪をで、しはり心地のよくなった背中に手を回し、化粧を覚えた顔にキスをする。

が沈み込むほどふんわりとしたベッドと羽布団の中で、私は隣で寢るサナシスにひっついて、丸くなって眠る。

この世でもっとも私が安心できる場所。何もかもを忘れて、それでいいのだと思える。

だって——。

「エレーニ、神託降すから來て!」

「エレーニ、今度の供は甘いお菓子がいいんだけど」

割といつも、騒々しい神々が私の頭に直接聲を屆けてくるからだ。夜は空気を読むけど晝間は大問答無用で聲が響く。私みたいな不信心者にばかり言ってこないで、熱心な信徒にでも言えばいいのにな、と思わなくもない。

それに、私はあれ以來、一度も祈っていない。その必要があるように思えなくなったのだ。

多分、その理由は分かっている。

主神ステュクスも忘卻の神レテも、私を——友達か何かだと思っている。友達に祈るのはおかしい、そういう距離になってしまっているのだ。

あとはそう、私は主神ステュクスに何かを願った気がする。何だっただろう。義兄ヘリオスに関することで祈ったことはあるけど、それ以外に何かあっただろうか。

分からない。でも、私は特に問題ないと思う。

どうせ、大したことではない。

私はサナシスの腕の中で、今日も眠りに落ちていった。

(了)

あとで外伝みたいなの書こうかなーって思ったりしてます。予定は未定だけど!

一旦完結にはしますが、もしかすると外すかも。別のやつにするかも。

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