「あ、もうちょっと右！　うん、そこでいいわ！」

「では、ここで固定します」

魔道を使って壁に金をつけていく。黒くシャープな線を描いたツタ狀の金屬には楕円形の鉄板がぶら下げられた。

よく見かけるような店舗の軒先で揺れている看板だ。鉄板の縁もツタ模様で飾り彫りして、雑貨店のような雰囲気に仕上げた。

『魔道屋ロザリー　オーダーも承ります』

アレスの手を離れた黒い看板がゆらゆらと揺れている。

ラクテウスの街に來てから一ヶ月で、やっと魔道屋の開店に漕ぎ著けた。

「アレス、完よ！　ついに魔道屋ロザリーの開店よ！」

「お嬢様、おめでとうございます。準備を頑張った甲斐がありましたね」

一週間前には市場で買いしながら、初回オーダー時には割引すると宣伝もしたから気合がる。

謝料はまだまだ殘っているけれど、魔道作の材料費は高額なものもあるから商売が軌道に乗るまでは油斷できない。

「ええ、これからガンガン稼ぐわっ！」

「あまり無理はしないでください」

「無理はしないけど、アレスに味しいもの食べさせてあげたいのよ」

「お嬢様は本當に……ありがとうございます」

アレスが頬をほんのり染めて見つめてくるのを余裕でけ止める。この一ヶ月でしは免疫ができてきた。

何より私は専屬執事のアレスが食いっぱぐれないように、しっかりと稼がないといけないのだ。いくらアレスが稼いでくると言っても、そんなのは雇用者として容認できない。

離縁もされて貴族籍も抜けたような狀態ではあるけれど、矜持だけは失いたくなかった。

そしてそれが私の新しい生きる目標になっている。

格的なものだと思うけど、庇護する対象があった方が頑張れるのかもしれない。私ひとりだったら、ここまでできてないと斷言できる。

魔道を作り始めた機もそうだ。

屋敷のメイドがお湯が冷めたら沸かし直しに行っていたのを見て、お湯が冷めなければいいのにと思ったのがきっかけだ。

ポットの溫度を保つ魔道を開発して使っていたら、父の目に止まったのだ。

私の魔道でみんなが楽になって、笑顔になるのが嬉しかった。私の大切な人たちに笑顔でいてほしかったのだ。

私が作りたいのはそういう魔道だったと、今更思い出した。

「お嬢様、しばらくは私が付や雑務を擔當致します。お嬢様は魔道の作に専念していただけますか？」

「そんなことまで頼んでいいの？」

「屋敷の管理と言っても二階部分だけですし、むしろ暇なくらいです。お越しいただくお客様のためにも、魔道の種類は多い方がよろしいでしょう」

アレスの言う通り、店頭に並べている魔道はまだ五種類ほどで選べるというほど陳列できていない。それでも開店したのはオーダーも注できるからだ。多の融通はきくしオーダーメイドなら単価も高い。

「ありがとう。それならタイプの違うものを作っていくわ」

「當然のことです。しいお嬢様を笑顔にするために私は存在するのです」

「……っ、素材を取ってくるわ」

突然の表現で戸ったのを隠すように、素材庫へ向かった。簡素なブラウスに男が履くようなスリムパンツをにつけ、長めの黒いエプロンが魔道作の定番スタイルだ。

実家にいた時はよくこの格好で、お父様と魔道について相談していたのが懐かしい。王太子妃になってからは設計ばかりだったし、こんな格好していたら淑らしくないと笑い者になっていただろう。

アステル王國を出てから、どんどん本來の自分らしさを取り戻していた。そんな私をアレスはただ微笑んでけれてくれる。

「しかも毎日を囁いてくるし……もう心臓が持たないわ……」

「そうですか、ではもっとを囁きましょう」

突然耳元でアレスの艶のある聲が聞こえてきてビクリと肩を震わせた。目の前の棚とアレスに挾まれて咄嗟にけない。

「アッ、アレス!?」

「心臓が壊れるほどにを囁けば、私の妻になってくださいますか？」

「待って、その前に死んじゃうわっ!!」

スルリと後ろから抱きしめられて、逃げることができない。耳元からゾワゾワとしたものが全に広がって、首まで赤くなっているのがわかる。

もう瀕死の狀態であるといって過言ではなかった。

「ふむ、それは困りました。全っっっ然、伝え足りないのですが」

「噓でしょ……」

これ以上があるの!?　これでもまだ足りないの!?

「お嬢様、どれだけ貴だけを想ってきたとお思いですか？　し理解していただいた方がよろしいでしょうか？」

腕の力が緩んだので振り返れば、今度は両腕を棚について囲われる。心臓が耳元にあるのではないかというくらい、バクバクとうるさい。

「お嬢様だけをお慕いしてます。お許しをいただけるなら、すぐにでも私のものにしてしまいたい」

甘く熱くを囁くアレスのが耳から首筋へと移していった。れるかれないかのギリギリのところで吐息をじる。頭の中はパニック寸前なのに、覚だけが研ぎ澄まされていく。

「お嬢様、私の伴になってください」

もう幾度目のプロポーズなのか。この一ヶ月で毎日毎日繰り返し囁かれてきた。時に甘く、時に熱的に、時に穏やかに。

「返事はキスですよ？」

狂を孕んだ夜空の瞳は扇的で、鼻先がれるほどの距離では熱を逃すことすらできない。

クラクラする頭で考えられるのはこの熱から逃れたい。この夜空の瞳に囚われて————

カランカラン。

「すみませーん、注文のお品を屆けに來ましたー！」

店舗の扉につけたベルの音にハッと我に返る。

昨日頼んでおいた素材の配達だ。今、私何を考えた？

あの熱に流されそうになって、危うくアレスにキスするところだった……！

「はい、今伺います」

そう言って何もなかったような顔で、アレスが店舗の方へと出ていった。取り殘された私は、深い深いため息を吐く。

「はぁぁぁ〜〜……危なかった……」

ダメよ、ちゃんと自分の気持ちを確かめてからでないと。あの空気に流されたらダメなのよっ!!

「ちゃんと、しっかりして、稼がないと……！」

そんな私の決意も虛しく、開店から二週間経ってもお客様はひとりも來なかった。