《【書籍化作品】離婚屆を出す朝に…》17、紫奈、父親の真実を知る
「じゃあ三日ほど由人を連れて実家に帰るけど、那人さんあまり無理をしないでね」
那人さんは連日真夜中に帰ってきてるようだ。
この週末も休日返上で仕事らしい。
「うん。俺よりも紫奈は大丈夫?
何かあったら電話してくれていいから」
昨晩、実家に帰る話をして、お母さんと康介が脳死狀態だった私の橫で自分達に謝料をよこせと請求してきた話を聞いて衝撃をけた。
あの二人は目覚めた私には、そんな話は一言も言わなかった。
那人さんに申し訳なくてがあったらりたかった。
「いや、お母さんの方は脳死と言われて何でもいいから俺を責めたかったんだと思うよ。仕方がないよ。
こんな話をしない方がいいかと思ったんだけど、今の紫奈になら知ってる事は全部話した方がいいような気がしたんだ」
那人さんは謝る私にそう言ってくれた。
「紫奈、康介くんのことだけど……」
那人さんは何かを躊躇《ちゅうちょ》するように言いよどんだ。
「康介?」
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「いや……。なんか以前より荒《すさ》んだじに見えたから、ちょっと心配だと思ったけど……。
俺がとやかく言う事じゃないな。
ごめん、余計なお世話だった」
病院で會った時は、お母さんと喧嘩のようになってしまって、康介の事はあまり覚えてない。
「私が家を出てからは、息子のようにお母さんの話し相手になってくれてるみたいだけど」
私よりも親子らしい時もある。
「そうか……。紫奈にとって家族みたいなものなんだな。
だったらいいんだ」
那人さんは納得したように微笑んだ。
そして朝、心配そうに玄関まで見送ってくれた。
「紫奈!」
出ようとする私を、那人さんが呼び止めた。
「え?」
「もし俺が……」
言いかけて思い直したように口を噤《つぐ》んだ。
「いや、やっぱりいい。ごめん」
「那人さん?」
誤魔化すように私の頭をポンポンとぜてから、橫に立つ由人に目線を合わせた。
「由人。お母さんの事頼んだぞ。
ほら、お母さんはちょっとドジな所があるからさ。
心配なんだ」
由人は頼りにされて鼻を膨らませた。
「うん、知ってるよ。僕がいるから大丈夫だよ」
「そっか。頼りにしてるぞ」
那人さんは、ははっと嬉しそうに笑った。
「もう! 二人共、どーゆー意味よ!」
◆ ◆
「ただいま」
久しぶりの実家のドアを開けて中を覗いた。
電車で一時間ほどのベッドタウンにあるマンションだ。
駅から15分ほど歩くが、由人は私の手荷を一つ持って歩いてくれた。
那人さんに頼りにされて、応えなければと思ってるようだ。
「ただいま!」
いつもならお母さんが飛んで出てくるのに、その気配がない。
休日だから家にいるはずなのにと首を傾げていると、珍しくお父さんが出て來た。
「紫奈! どうしたんだ?
來るなら言ってくれればよかったのに」
お父さんは掃除でもしてたのか、腕まくりをしていた。
「うん。急に思い立ったし、それに……」
喧嘩別れしたままのお母さんに電話しても切られるような気がした。
「とにかくりなさい。由人もよく來たね」
由人は嬉しそうに微笑んだ。
由人は昔からなぜかお父さんに懐いていた。
それは実家に來るたび由人用に買っておいてくれる絵本や小説が、由人の好みにタイムリーらしく、その部分で尊敬していたからだろうと思う。
「お茶でもれよう。
散らかってるけど、その辺に座ってくれ」
散らかってるというのは謙遜ではなく、本當に散らかっていた。
私が結婚して家を出てからは、パートの仕事も減らしたお母さんの役割になってたはずだが、おそらく何日も掃除をしてないだろう事はすぐに分かった。
「お母さんは?」
「うん。奧の部屋で眠ってる」
お父さんは由人にジュースとお菓子を出しながら答えた。
「眠ってる?」
もう晝前だ。
こんな時間まで眠っているお母さんを見た事がない。
「ちょっと鬱《うつ》気味というか……、塞《ふさ》ぎこんでる」
「塞ぎこむ?」
知らなかった。
「退院の時は行けなくて悪かったな。
出張を切り上げて急いで戻ってきたんだが、病院に行った時は退院した後だった」
「來てくれてたんだ。知らなくてごめんね」
「え?」
お父さんは一瞬耳を疑うように、私を見つめた。
そういえば私はお父さんに、ごめんねなんて言葉をずいぶん言った事がなかった。
「康介くんが紫奈は人が変わってしまったと言ってたが、本當だったんだな」
お父さんはし目を丸くしている。
「人が変わったというか……。
ちょっと世界が違って見えるようになったというか……」
「……そうか……」
お父さんは穏やかに微笑んだ。
なぜだかそれだけで、すべてが通じた気がした。
「母さんと康介くんが、那人さんにずいぶん失禮な事を言ったようだな。
すまなかったな」
「う、ううん。那人さんは全部分かってくれてるから」
「そうだな。彼は賢い人だ。そして優しい人だ」
「うん」
噓のようだ。
あれほど何を考えてるのか分からない人だと思っていたのに。
僅かの會話で、すべてが伝わった気がする。
そして私も、お父さんの言わんとしてる事が理解出來た。
「お母さんが寢込んでしまったのって、やっぱり私が原因?」
「病院から帰ってから、しばらく放心したようになって、寢込んでしまった。
だが、紫奈のせいではない。
もういい加減、子離れしなければならなかった。
むしろ今まで縛り付けて、紫奈にも苦しい思いをさせたな。
何も出來なくて悪かった」
「そんなことは……」
ああ……。
お父さんには、とうの昔に私の今見えている世界が見えていた。
この家庭の何が問題で、何を改善しなければならないのか。
そして何とか改善しようとして、無力を知った。
どれほど言葉を盡くそうと、間違ってるんだと言っても、私もお母さんも聞こえなかった。
言葉は聞こえているのに、心に伝わらなかった。
そして諦めたのだ。
諦めて、靜かに靜かに私達が気付くのを待ち続けていた。
お父さんは長い長い課題に、一人黙々と取り組み続けていたのだ。
「紫奈、お母さんを許してやってしい。
お母さんは、あまりに一途で、何かに囚われたら他の事が見えなくなってしまう。
紫奈を息苦しくさせてしまったが、大切に想っている事には偽りはなかった」
まるで以前の私のようだ。
私は、知らないうちに似てしまっていた。
ほんのし肩の荷を下ろして、広い視野で世界を見ればずっと楽なのに。
きっとお父さんも、お母さんにそう言ってきたはずだ。
でも最後の扉だけは自分で開かないとダメなのだ。
周りがいくら必死にこじ開けようとしても、どうにも出來ない。
最後の扉だけは自分で開けるしかないのだ。
次話タイトルは「紫奈、自分の無力を知る」です
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