ルーファスが到著したのは翌日の晝過ぎだった。

ミネルバとシーリアは食後の休憩を兼ねて、図書室の二階で読書をしていた。

侍のリーザが持ってきた知らせに、シーリアが目を丸くする。ミネルバも慌てて本を閉じた。

（こんなに早くいらしてくださるなんて。馬を取り換えながら、ほぼ不眠不休で移なさったに違いないわ）

シーリアを気遣いながら螺旋階段を降りると、厚手の黒いマントをはおったルーファスが図書室にってきた。

ひざまずこうとしたミネルバを、ルーファスが右手を上げて制する。

「ひざまずかなくていい。ミネルバに大切な話があるんだ。シーリア、君はここにいてくれないか。婚約前のには付き添い役が必要だ。重の君に迷をかけてしまうが──」

「迷だなんてとんでもない。私が下におりますから、殿下とミネルバさんは上でお話しなさったらいいわ。同じ部屋にいることに変わりはないですし、この位置からなら上が見えますから。リーザ、そこの椅子を持ってきてくれる？」

シーリアが茶目っ気のある表で指示を出す。

彼が椅子に座ったのを見屆けると、ルーファスはマントをいでリーザに預けた。黒で統一した裝いは、強行軍のせいかし著崩れている。それでも派手なと裝飾品で著飾っているフィルバートとは比べにならないほど力強く、立派だった。

端整な顔は疲労のが濃かった。いつもはきっちり整えられている黒髪も、掻きむしったようにれている。

忙しい人のはずなのに、ミネルバを助けるために飛んできてくれたのだ。それを思うとがいっぱいになった。

「ではミネルバ、上に行こうか」

「は、はい」

ルーファスの後に続いて螺旋階段をのぼり、彼の向かいの椅子に座る。

「フィルバートをびしびしとやり込めたそうだな。報告書を読んでいて、気分爽快だった」

そう言ったルーファスの顔に笑みが浮かんだ。その優しい笑顔に、ミネルバは改めて心を打たれた。

「フィルバートに常識のかけらでもあったら、ミネルバを愚弄するような提案はできないはずだ。やはりあの男は頭がおかしくなっているらしい。ミネルバを取るに足りない人間のように扱った埋め合わせは、必ずさせるつもりだ」

ルーファスの顔が険しくなった。聲にも抑えた怒りがこもっている。まずは彼の話をすべて聞くべきだと思ったから、ミネルバはうなずくことで応じた。

「だが、そのためには……ミネルバ、君の立ち位置をはっきりさせておく必要がある」

ルーファスはひどく張しているようだった。黒髪をかき上げて深呼吸をし、ミネルバを真っすぐ見つめる。

「つまり、私と結婚してくれるかどうかの返事がすぐにしいんだ。それによってやり方が変わってくるから……。すまない、私の気持ちが本だと確信できるまで、ミネルバに時間をあげたかったんだが……」

すでに険しかったルーファスの顔がもっと険しくなった。

「私たちが初めて出會ってから、まだ１か月もたっていない。人生をゆだねる決斷をするのは怖いだろう。でも私は、君が傷つけられる恐れがあれば必ず阻止したいんだ。ミネルバからあの男の脅威を、永遠に排除したい」

そう言ってルーファスは立ち上がった。驚くミネルバの足元に、彼はためらいもなくひざをついた。

「ミネルバ、どうか私と結婚してもらえないだろうか。君を必ず幸せにすると、名譽にかけて約束する」

「ルーファス様……」

ミネルバは顔が赤くなるのをじた。すぐに返事をしたいのに、ルーファスの目を見返すのが一杯だった。

本當は、喜んで妻になりますと答えたいのに。ミネルバを心からして、こうして守ろうとしてくれる人がいることが嬉しいのに。

そんなミネルバの様子を見て、ルーファスが悲し気な表になった。

「好きでもない男と結婚するのはつらいだろう。でも、すぐに私を好きになる必要はないんだ。結婚する理由はフィルバートに復讐するため、奴の鼻をへし折るためだけで構わない。ミネルバのの安全を高めるために、私を利用するのだと思ってくれれば──」

「ち、違うんです。違うんですルーファス様！」

ミネルバは慌てて言った。

「ルーファス様のお言葉、本當に嬉しく思っております。あなた様のような方の妻にしていただけるなんて、とても名譽なことです。わ、私だって、あんな男の言いなりになるのはごめんですし──」

ああ、本當に伝えたいのはこんなことじゃないのに。ミネルバが上手く回らない己の舌を心で罵っていると、ルーファスがぐっとを乗り出してきた。

「それは、承諾してもらえたと思っていいのだろうか？」

「は、はい」

「よかった。フィルバートに思い知らせてやりたいという點では、私たちの気持ちはひとつだな」

安堵したように息をらすルーファスの顔は、やっぱりし寂しそうだ。ミネルバはうめき聲を上げたくなった。

（ああ、そうだけどそうじゃないのに！　私、あれだけいろいろ學んできたのに。心惹かれている人に素直な気持ちを伝えるのが、こんなに難しいだなんて……っ！）

７歳でフィルバートと婚約して、無慘に踏みつけられるまでの１０年間、ミネルバは異に対する『』や『』という言葉を心の片隅に押しやっていた。

いざそれを引っ張り出してみると、このうえもなく優しくらしい気持ちになれたが、うまく伝えるがわからない。

「あの、あのルーファス様、あの、私、どうしても聞いていただきたいことが……」

ミネルバは震える聲を出した。ルーファスが先をうながすような表になったのに、やはりミネルバの舌は回らなかった。図書室の二階に気まずい靜寂が漂う。

そのとき、螺旋階段を上ってきたシーリアがひょっこり顔を出した。

「ルーファス殿下のプロポーズはひとまず功したようですし、もう付き添いはいりませんわよね？　邪魔者は退散することにしますわ。あとはミネルバさん、あなたがしっかり頑張るのよ！」

シーリアはそう言って、慈に満ちた笑みを浮かべた。