《婚約破棄された崖っぷち令嬢は、帝國の皇弟殿下と結ばれる【書籍化&コミカライズ】》2.東翼の執事

まじまじと自分を凝視する守衛たちを、ミネルバは複雑な思いで見返した。

(お茶會の日には好意的な態度を見せてくれていたけれど……。私を見たとたん、彼らの顔に衝撃が走ったということは……)

守衛たちがひざまずき、ルーファスに向かって深々と頭を下げる。一団がき出したので、ミネルバはすぐに反応した。

よけいなことを考えている暇はない。己に言い聞かせながら頭を低くして、飛ぶように地面を駆けていく。

王族が何世代にもわたって守ってきた王宮は、議會や舞踏會などが開かれる『本宮殿』を中心に建が広がっている。増改築が繰り返されてきたが、最も古いのが國王夫妻が暮らす『東翼』だ。

馬を走らせ続けて東翼の前まで來ると、一行はすばやく馬から降りた。

ミネルバは馬の首を軽くでた。エディが嬉しそうに鼻を鳴らす。

扉前の警護役の青年と、彼とおしゃべりをしていたらしい下働きの娘が、巣に逃げ込む兎のように建っていった。ほどなくして、大慌てでばたばたと駆けてくるいくつもの足音が聞こえた。

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「こ、皇弟殿下……っ! ようこそお越しくださいました」

両開きの扉が開いて、國王夫妻に一番古くから仕える執事が姿を現した。以前よりもかなり老けたように見える。

主人のためなら火の中水の中という忠義者は、畏敬と驚きの混じった目をルーファスに向けた。彼は臣従の禮を取るためにひざまずき、頭を下げた。他の使用人たちも後に続く。

ミネルバと兄たちは、筋骨たくましいルーファスの部下たちの後ろに立ってその景を眺めていた。

「立ってよろしい。キーナン王、オリヴィア王妃に會いに來たのだ。グレンヴィルの息子ルーファスが訪ねてきたと伝えてくれ」

ルーファスがらかな聲で言う。

グレンヴィルというのは、國王夫妻と親が深かった先代皇帝だ。つまりミネルバにとっては未來の義父ということになる。彼は國王夫妻より若いが、何年か前に帝位を長男トリスタンに譲った後は気ままな隠居暮らしを楽しんでいるらしい。

「そ、それが……王様も王妃様も、以前ほどお元気ではないのです。失禮ながら、ご伝言をお預かりする以上のことはできかねます……。申し訳ありません、どうかお気を悪くなさらずに……」

執事がとまどいの表を浮かべ、ためらいがちに答えた。

「彼らの健康狀態がよくないことは知っている。だから前回は西翼のみを訪れ、東翼には伝言のみを殘した。だが今日は必ず會わねばならない。先代皇帝である我が父グレンヴィルが、己のために並々ならぬ働きをしてくれた2人のために、わざわざ醫者を遣わしたのだ」

ルーファスは左橫を向いた。彼の目線の先には、背が高くほっそりした中年男のジェムと年若いロアンがいる。

「彼はグレイリングでも指折りの名醫だ。奇跡を起こす醫者だと評判でね。我が父からの好意だ、ありがたくけ取るがいい」

「し、しかしながら……どのような人であっても、來客はすべてお斷りするようにと王太子様が……」

執事が口元をこわばらせた。

「先代皇帝陛下のご配慮、王様も王妃様もお喜びになるに違いありません。しかし國王陛下の代理人であらせられる王太子様がご不在なのです。大事な用件でグレイリング大使館に向かわれたのですが、れ違いになってしまわれたのでしょうか……」

執事の態度や口調から怯えが伝わってくる。きっとフィルバートからの叱責を恐れているのだろう。

「せっかくのお申し出ですが……私めにできることは、ご伝言をうけたまわることだけなのです。どうか、ご容赦いただきたく存じます」

ルーファスが訳知り顔でうなずいた。

「案ずるには及ばない。フィルバートは王太子の座に就いたとき、グレイリング帝國に従うという誓文をしたためている。私の申し出をけても、お前たちが叱責をけることはない。ここで我が父からの好意を無下にすれば、かえって主人を危険にさらすことになってしまうぞ」

執事がうっと息をのんだ。黙り込んだ彼の目が宙をさまよい、ルーファスの部下たちの隙間からのぞくミネルバの姿を捕えた。

「そ、その娘は……っ!」

ぼんやりしていた執事の表が突然変わった。まさかというような疑い、信じられないという驚きを顔に浮かべ、執事はミネルバを凝視した。

「それに三兄弟も……淺はかで勝手な反逆者たちが、なぜここに……?」

ミネルバはなるほどと思った。グレイリング大使館に駆け込んだ自分たちは『反逆者』にされてしまったらしい。ならば守衛たちの態度も納得がいく。

いろんな意味で歓迎されざる客を大勢迎えてしまった執事は、軽蔑を隠そうともせずにミネルバを眺めて眉をつりあげた。

ルーファスが一歩前に進み出た。そしてきっぱりした聲を出した。

「ひとつ言っておく。お前たちアシュラン人は今後、ミネルバ・バートネット公爵令嬢をおとしめるような言葉を口にしてはならない」

ルーファスから冷たいまなざしを向けられたのだろう、執事が小さく仰け反った。

「私とミネルバは、厳粛な婚約の誓いを立てた。彼は皇族に準ずる立場になったのだ。お前たちはこれ以後、ミネルバとその家族に対して最高のもてなしをしなくてはならない。もう一度でも私の婚約者を侮辱することがあったら、ただではおかない」

執事とその後ろにいる使用人たちが、ほとんど同時にぽかんと口を開けた。ルーファスが宣言したことがすぐには理解できなかったらしい。

いち早く我に返った執事が、ミネルバを見ながら慌ててひざを折って黙従の意を示した。他の使用人たちも、くずおれるように膝をついた。

ルーファスがミネルバを振り返ってうなずく。

ミネルバもうなずき返した。そして前に進み出て、使用人たちに向かって「お立ちなさい」と威厳のある聲を出した。

使用人のひとりがよろよろと立ち上がりながら、小聲で「とんでもない騒ぎになるぞ」とつぶやくのが聞こえた。

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