《婚約破棄された崖っぷち令嬢は、帝國の皇弟殿下と結ばれる【書籍化&コミカライズ】》7.錯

ジャスティンの濡れそぼった頬から落ちた涙が、フィルバートの顔やを濡らしている。

ミネルバはこれまで、発させるジャスティンを一度として目にしたことがなかった。心からの悲しみに暮れる長兄の姿に、がかきむしられる。

フィルバートは言葉を失い、かつての最側近の顔を見上げるばかりだった。床に橫たわる彼の全張しているのがわかる。まるで自分の面と必死に闘っているかのようだ。

「お前は……」

フィルバートが息を切らしながら言った。

「お前はいころから、じい様とばあ様の期待を背負っていた……。お前はどこに行っても、私から決して目を離さなかった……」

フィルバートが戸いの表を浮かべている。ジャスティンの涙は、思わぬ強さで彼の心を揺さぶったらしい。

「お前は……お前は私を弱くするんだ……。私は無価値で、愚かで、頭が鈍い……世間並みの才能では、お前には勝てない……」

フィルバートの青い瞳がどんよりと曇っていく。

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「そうだ、お前が悪いんだ。じい様とばあ様も悪い。私に罪はない、私は悪くない……」

ざらついた聲を出し、フィルバートは両手で顔を覆った。

「すべて上手くいっているんだ。アダムの言う通りにしていれば順調なんだ。私はセリカと結ばれて、毎日を楽しんでいればそれでいいんだ」

「フィルバート様……?」

敬稱付きで呼びかけたジャスティンの聲には、かつての主人を心配する気持ちがにじんでいる。

ミネルバから見ても、フィルバートの様子は明らかにおかしくなってきていた。

「私は……お前の助けを借りずに生きていけることを証明するんだ。そのために王宮から追い出したんだ。そうだ、お前は私を破滅させようとしている。孤立無援の私を助けてくれたのはアダムだ」

フィルバートが顔から手を離し、敵意のこもった目でジャスティンを睨みつけた。

ジャスティンの顔にショックが浮かび、表が凍りつく。

「フィルバート様、いったい何を──」

「うるさいうるさい! お前のような男こそ、最も警戒が必要なんだっ!」

フィルバートは異常に興し、狂気に囚われたような聲を出した。

「私への忠誠を行で示すふりをして、影ではあざ笑っていただろう! 無能で軽薄で愚かな主人だと、じい様とばあ様をがっかりさせてばかりだとっ! 優しく笑いながら、腹の中では私を馬鹿にして──」

「どうしてそうなるんです! レノックス男爵にどんな言葉を吹き込まれたんですかっ!」

ジャスティンが噛みつくように言った。

フィルバートはほんの一瞬、ジャスティンの強い口調に驚かされたような顔をした。しかしすぐに目を細くして、理不盡なほど激しい怒りをぶつける。

「お前だけじゃない、マーカスもコリンも、ミネルバもだ! どいつもこいつも人を馬鹿にして。たしかに私は、お前みたいな勇敢さも、マーカスみたいな腕力もない。コリンのような明晰な頭脳も持たない。ばあ様や使用人にされているミネルバは、王宮で縦橫無盡の活躍を見せていた。お前たちと比べて何が足りないか、私だって知ってたさっ!」

の脇でこぶしを握りしめ、フィルバートは小さな笑い聲をらした。

「お前たちの才能、お前たちの能力、何もかもが私を傷つけるんだ。私のため? たゆまぬ努力のたまもの? そんなことわかっていたさ。お前たちにしでも追いつきたくて、私だって努力した。でもそれはむなしい悪あがきで終わってしまった。にすら勝てないと悟ったときの恥ずかしさと悔しさは、今でもはっきりと覚えている」

ジャスティンを睨みつけるフィルバートの瞳が、さらに鋭くった。

「おみ通り、質問に正直に答えてやるよ。そうだよ、私がセリカを召喚したんだ!」

心が壊れたかのように、フィルバートはけらけらと笑い聲を上げた。

「アダムは私に言ったんだ。聖がいれば、何でも私の思う通りになると。奴は長年、異世界人について獨自の研究をしていてな。それでも聖召喚はいちかばちかの賭けだった。でも悲慘な將來から抜け出せるなら何だってよかった。お前たちに笑われながら暮らすのだけはごめんだったっ!」

「フィルバート様……」

二の句が継げなくなったジャスティンを見上げ、フィルバートはうっとりとした表になった。

「セリカは私を理解してくれる。別の世界で生まれながら、私と同じ苦しみを持っているんだ。あいつは私がこれまで出會った中で、一番優しいだ。セリカはこれからさらに強くなる。私はお前たち以上の存在になるんだ……そしてセリカと一緒にこの世界を支配する……」

フィルバートのまなざしがうつろになる。

ミネルバは背筋がぞくりとした。

「子どものころから私は……お前たちに勝つ自分の姿ばかり空想していた。私は何としても力を手にれる……宗主國が……グレイリングがどうあろうと……」

「フィルバート様、そんなことを考えてはいけません! レノックス男爵の言葉はまったく拠がない言いがかり──」

「うるさいうるさいうるさいっ!!」

フィルバートのび聲が空気を震わせる。

「お前たちの誰ひとり……じい様とばあ様でさえも信じてはいけないんだ! そうだ、セリカとアダム以外、誰も信じてはならないっ!」

フィルバートが絶する。その聲は、もはや普通の人間のものとは思えなかった。

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