【戦闘開始】

先にゲジが構えた。長いを起こして頭部を高く保つ。鞭のように長い腳を広げて狙いを定めた。

対するニートのターン。反応せず。両手で備中鍬を持ち、の前で構えて棒立ちの姿勢を保つ。

ゲジの速攻。構えたら即、抱きつき攻撃。それが黃金パターンの基本戦。長い全を鞭のようにしならせて、目標に向かって振り下ろしていく。

対するニートのターン。反応せず。というかゲジのきが速すぎて反応できない。ゲジの捕食方法を知っている彼はこうなることが最初からわかっていた。わかっていて冒険する覚悟だ。長い腳による抱きつきを無抵抗でけれた。

ゲジの勝利パターンにった。長い腳で捕らえた獲は逃げられない。あとは顎肢(がくし)から毒を注して終わりだ。

対するニートのターン。反応せず。トラウマを植え付けられたあとゲジについて調べていた彼はゲジが人間に効く毒を持っていないと知っていた。あえて噛み付かせてから備中鍬を突き刺して倒せばいいと考えている。

彼は思い違いをしている。サイズが違えば毒も変わるのだ。もしも顎肢を刺されて毒をれられたらジュクジュクのスープにされて頭からバリバリと食われてしまうぞ。

ゲジの噛みつき攻撃。顎肢を大きく広げ、ニートの肩に向けて抱きついた。だが寸前のところで牙が止められる。巨大蛍の鎧が防いだ。ゲジの顎肢より蛍の甲殻のほうが度を上回っていた。ゲジは手探りで隙間を探すも蛍の甲殻に邪魔される。

対するニートのターン。ついにいた。噛み付かれたとじた彼がやっといた。彼のカウンターが始まる。片手でゲジの角をガシッと摑み、部近くで構えた備中鍬をゲジの口にグリグリねじ込んだ。

「しにゃっせえええ！　おらあああああ！」

ゲジは苦しみだして抱きつき攻撃を緩めた。蟲にも痛覚はあるのだ。傷ついた口をめるように顎肢を突っ込み、奧に刺さったままの備中鍬をつつく。

対するニートのターン。抱きつきが緩んだにも関わらず角を摑んだまま出しようとしない。

ここで確実に仕留める覚悟で薄した。ゲジから離れないために備中鍬を下顎に引っかけ、刃を深く刺して全重を農に預ける。ついでとばかりに片手で握っていた角を引っこ抜き、両手で備中鍬を握った。

攻めにつぐ攻めの応酬、妥協をしないノーガード戦法が上手く噛み合った。後先考えずに命懸けの特攻、これがニートの生存戦略。

ゲジはあまりの急事態に撤退を考えた。歩腳を自切して辺り一面にばら撒いた。築いたばかりのテリトリーを失うのは惜しいが、逃避して生き殘ることが最優先。生存本能においてはニートより遙かに合理的で利口だ。

ゲジは苦の策を決行するも、なぜかニートが離れない。他の生は囮に引っかかるのにこの生はずっと食らいついてくる。

口に刺さった異は無くならず、痛みは次第に強まるばかり、さらには角を失ったことで右も左もわからず混する。

こんなに小さくて死にかけの生がとんでもない猛毒を持っていた。死にかけの生が放つ捨ての殺意に、ゲジは生まれて初めて恐怖を抱いた。

もはやゲジに殘された手はない。ゲジに有利な勝負が一転、形勢がニートに傾いてしまった。

追い詰められたゲジは手段を選ばずがむしゃらに暴れ回る。この生に対しては自分も同じくらい捨てで挑まないとダメだと本能でじた。

ニートを倒すだけのために全ての腳を自切する勢いで全を振り回した。

ダンジョンに嵐が起きた。全が筋の塊でできた巨が死ぬ気で暴れまわったとき、単獨で実力以上の力を発揮する奇跡が起きた。局地的に発生した自然災害が自他共に猛烈に襲いかかる。

砂嵐が巻き起こり、千切れたゲジの腳と散した蟲の死骸が部屋の中央に集まっていく。天井の巨大蛍も風に巻き込まれ、渦の中心でミキサーされた。

散々暴れまわったゲジは自が生きていることを実して安堵した。幸せをじた。

ただの巨大な蟲が心を得た瞬間だった。その奇跡的な瞬間は世界の記憶庫に記録される。

もはやゲジは全ての腳を失った。角を片方失い、備中鍬が刺さったままの顎は二度と食事ができないほどボロボロにされた。

けれどもゲジに後悔はない。

このまま衰弱して死ぬかもしれないが今じゃない。

痛みはあれど心は満たされていた。

「殺すぅぅ。殺すぅぅぅ。ゲジゲジぃ」

痛みはあれどゲジの心は満たされていた。あの生が起き上がるまでは。

もう一度、奇跡の嵐を起こしてやる。ゲジは全を起こそうとする。しかし強烈な痛みが頭の先から曳航肢(えいこうし)の先まで走り、筋が痙攣(けいれん)する以上の働きをしてくれなかった。

対するニートのターン。ボロボロの姿にされたものの嵐の中でなんとか生き殘った。

著をボロ切れにしたのはほとんど巨大蛍の爪によるものだが、その巨大蛍に強いストレスを與えたのは紛れもなくゲジだ。ニートが嵐の中を生き延びられたのは、ひとえに巨大蛍の鎧のおかげだから彼は蛍のことを責めはしない。

であればニートが何をするか。彼の脳裏にあるのは蛍への恩返しでもなく、ゲジへの報復でもない。

ニートがするのは一貫して集合恐怖癥克服のための生贄だ。自分のためにゲジを殺したい。ただそれだけの理由で殺す。

ニートのターン。無事だったウエストポーチから包丁りの袋を取り出す。

防刃加工された収納袋のファスナーを開けると、中から牛刀包丁がギラリと鏡面をらせた。１０年もの長い期間を共にした母親のお気にりが今ここにある。ニートのを吸ったばかりというのにもう新しいをしがっている。

ゲジは心の底から恐怖した。これから行われるえげつない行為を全がかせない狀態でけなければならない。

これまでゲジが捕食してきた餌たちでさえ意識を失う最後まで抵抗していた。なのにゲジは抵抗を許してもらえない。生殺與奪の権利を自分より小さい存在に握らせるのがこれほど恐ろしいこととは思わなかった。

いや、まだかせる部分がひとつだけある。これをつかって最後まで抵抗してやる。

ニートのターン。唯一いているゲジの角を包丁で切り落とし、頭部と部の隙間に刃をれて一気に剝がす。ブチィと気持ちのいい音と共に下顎と頭部が分離された。

剝がれた頭部の裏側に脳味噌がひっついてきて汚い。

「は乾くし腹は減るしで仕方がないんよ。団子をおくれ」

ニートはゲジの脳みそに手を突っ込んで奧にある魔石を引っこ抜く。そして味噌まみれの魔石を躊躇(ためら)いもせずに飲み込んだ。

口で何度か咀嚼(そしゃく)するとシリコン狀の魔石が狀化する。

口の中でジュワーと樹の甘みが広がって、パチパチと弾けた泡が口の中で暴れ回った。

食はわらび餅、味はメープルシロップ、ごしは炭酸飲料。

そして、歯に挾まったゲジの脳神経を舌で絡めとって飲み込む。濃厚でクリーミーな口當たりの苦味がニートの食をかき立てた。

彼は軽度の潔癖癥ではなかったのか。集合恐怖癥は克服したのか。

【戦闘終了】

「うめぇーーー。ゴム手袋が無かったら死してたぜ」

彼のは狂ってる。何が汚いか清潔かの基準がブレすぎていて境界線がわからない。

「なかなかやばかったなぁ。蛍がいなきゃ死んでたぜ。あ、そうだ。蛍！」

ヘッドホタルだけがニートの視界を確保してくれた。そのおかげでゲジにトドメを刺せたのだ。

ニートはヘッドホタルを剝がして謝する。手を合わせながら「いただきます」と。

彼は非常に空腹だった。恩義がある蛍の首を跳ね、頭部から魔石を取り出すと丸呑みにした。

しかしまだまだ満たされず、散した蛍の死骸から魔石を剝ぎ取っては食べていく。

空腹で仕方がないのに源がないせいで地面に転がった蛍の死骸を探すのに苦労していた。そこでかろうじて生き殘っていた蛍を二代目ヘッドホタルに任命し、剝ぎ取り作業の効率を上げる。

暗くて地面が見えないのなら初代ヘッドホタルを生かしておけば良かったものを、それを選択肢にれないところが歪んでいる。恩義があろうが気分次第で取り替える、生命を替えの効く部品としか思っていない。モンスターにかける優しさはないようだ。

巨大蛍の死骸はまだまだ殘っているが、飽きたところで剝ぎ取り作業を中斷した。

「アイテムボックスがありゃーなぁ。こんだけあるのに命がもったいない。明日も食えるかなあ。ふぁあ……ねみぃ」

疲労困憊(ひろうこんぱい)のを両手でマッサージして労(いた)わる。

手の屆く所をもみほぐし終える頃、なにかに気づいた。腰を回したり、首をばしたりして全を見回している。

いつのまにか全の傷が消えていることに気づいたのか。いや、どうやらそのことじゃない。ニートが心を持ったのは自然治癒力の向上ではなかった。

彼の全から漂う新鮮な生臭さ、つんとした刺激のある酸っぱい香りがベットリと付著していた。ゴム手袋をしたままマッサージしたせいに違いない。汚れてしまったことに気づいて狂した。

「うわああああああ！　やったー！　やらかしたー！　くっさ！　やべ！　うわ！　くっさー！　どうすんのこれ！」

彼は軽度の潔癖癥だ。ニートになってからは確実に軽度の潔癖癥だった。しかし今の彼が本當に潔癖癥なのか疑いがある。

行の節々から最低限の衛生管理が見られない。環境がニートを変えたのか、それとも軽度の潔癖癥を演じていたのか、定かではないがなくともダンジョンに突してから彼の行は現代人の範疇を外れていた。

ダンジョンにる前の彼は社會人失格ではあったがなくとも現代人だった。しかし今の彼の姿はどうだ。

ほぼ全の狀態でゴム手袋と長靴とウエストポーチをした全蟲のだらけニート。

いまどき田舎でもこんな現代人は存在しない。もはや人かどうかすら怪しい。人語をり、現代の道を使える人型の生と例えたほうが的確だ。ニートに自覚はないが、神構造はもとより構造についても人類とは似て非なるに変わってしまった。

彼はゴム手袋を外し、綺麗な手で全の蟲のを掻き集めて落とそうとする。けれど今度はその手が汚れる。汚れた手で全に蟲のを塗りたくる形になってしまい、またもや泣きんで暴れ回った。

「うわあああああああ！　ティッシュうううううう！」

ニートが不思議な踴りを踴るあいだにも、で魔石の融合が進む。今朝は魔石の適合で死にかけたが、一度適合が功すれば起きている間にも魔石と組の融合が進む。

敵を倒して能力が上がるとなればロールプレイングゲームでいうところのレベルアップと考えがちだが実は異なる。魔石との融合はどちらかといえばランクアップだ。

例えるなら、敵を倒してステータスが上昇するのと同じ覚で指が一本増えるじだ。

指が増えることをステータスの上昇と捉えるかどうかは人によって答えが異なるだろう。けれども一般的にレベルアップでステータスが上昇したとあれば、筋が大化した姿はイメージできても指が一本増えた姿はイメージしないはずだ。

もしも今後レベルアップの概念が可視化されたら、彼の変化とは乖離(かいり)した普遍的な別になるだろう。

魔石を適合させるというのはそれだけ限定的で特殊なのだ。魔石に適合するための條件をクリアし、復活するための手順を踏まなければ確実に死に至る。魔石は蟲も食わない猛毒質なのだ。

ニートが甘くて水々しい団子と表現する魔石。それをほとんどの生は危険な毒と認識して吐き出す。

彼が異常なだけで、祖母が魔石を拒否したのは生きとして當たり前の反応なのだ。

「まぁいっか。このが毒ならが痺れるはずやし、それより寢たい。帰りてえけど眠いぃ」

開き直ったのか自が軽度の潔癖癥であることを一時的に忘れて寢る準備を始めた。

ただし地面には寢ない。巨大ゲジから剝ぎ取った皮を巨大蛍の死骸に被せた。

これで簡易的な寢の出來上がりらしい。翅(はね)をもいだ蛍のらかい部分を枕にして、ったゲジの皮をに巻き付けた。

もはや潔癖癥とは思えないほど野味あふれる就寢方法。現代人が思いついても衛生面を考えて避けたがる手法をニートは平気でやってのけてしまう。そんな彼の豪膽さを目の當たりにして、人が彼から離れていく理由が垣間(かいま)見えた。

ニートの異常とも思える不可解な行から一つの推論が導き出される。それは脳の機能障害。おそらく彼は危険や障害などから回避しようとする機能が壊れている。

過去の事故から前頭葉の一部が損傷し、回復したものの回復期間中にけたいじめのストレスと熱中癥によって畫像検査では検出できない後癥が殘ったものと思われる。

それを裏付ける要素として彼は大學を四年生の夏まで通學したものの、ストレスでうつ病になり卒業単位を満たした狀態で退學した過去がある。神病院に通い、モノアミンを増加させる薬を長期間投與することで生活習慣を元に戻せたものの、彼は現在も社會不適合者である。

ニートが一切の就職活をせず、親のすねをかじりながら平気で暮らしている理由のひとつには脳の機能障害があるかもしれないし、ないかもしれない。

だがしかしこれらの不幸の積み重ねがニートを生かし、人外なる存在へと変化させた。その個は今後のダンジョン騒でプラスに働くのかもしれない。