《星の海で遊ばせて》寄り添う二羽(8)

二人は遊歩道沿いに敷設された、木造の背もたれのあるベンチに隣り合って座った。ほうと息をつき、そうして詩乃は、座った時にふんわり香ってくる柚子の香りに、またドキドキしてしまった。

まるで、本當にデートをしているようだと、詩乃は思った。

「新見さんは、優しくていいんだよ」

詩乃は、自分の膝あたりに視線を落としたままそう言った。柚子は、詩乃の橫顔を見ながら言った。

「でも私は、怖がってばっかり……」

「臆病じゃない人はいないよ。出てくる行が違うだけで」

「でも……水上君はすごく強いと思う」

柚子に言われて、詩乃は微かに笑いながら首を振った。それから詩乃は、ふと空を見上げた。柚子もそれに倣う。所々に薄い雲のとんだ水の空には、満月より微かに傾いた、寢待の月が、白くぼんやり浮かんでいた。

「そういえば水上君、お見舞いに來てくれた時、和歌送ってくれたよね」

月を見て、柚子は思い出した。

秋風に たなびく雲の絶え間より もれいづる月の 影のさやけさ――。

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その和歌にどんな意味が籠っていたのか、柚子はまだわからないでいた。一どんな想いを込めて、水上君はそれを私に送ってくれたのだろう。百人一首の説明本にも、ネットにある和歌の解説ページにも、答えは載っていなかった。

詩乃は、きまり悪そうに笑った。し、キザに映っただろうかと思った。

あの和歌、どういう意味があるの――柚子はそう聞こうとした。しかし、それを聞くのはもったいないような気もして、柚子は開きかけた口を閉じた。

しかし詩乃は、柚子の質問の気配はじ取っていた。

いつもはそういう時、詩乃は面倒くさがって、言葉の真意を他人に説明したりはしない。しかし柚子になら、話せるような気がした。それは詩乃自、不思議な覚だった。

「日本人は、昔から月が好きなんだって」

詩乃はそう言った。それから、月の々な異名を口にして、柚子を心させた。古典の神原教諭が授業で扱うような話に、柚子は目を輝かせた。

「――水上君、なんか月に住んでるみたい」

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詩乃は笑った。

詩乃からすれば、それは柚子の方だった。何となく柚子は、兎のようだと詩乃は思っていた。ふわふわしてらかそう、というのもある。楽しそうに飛び跳ねているじも、新見さんのイメージにぴったりだ。でも決定的なのはその目だ。潤んで、どこか頼りなさげで、優しい瞳。真ん丸で、水晶のように自分を映し返す黒目。

「月にはまた違う空が広がってるんだろうね」

詩乃が言った。

柚子は、空を見上げる詩乃の目に、詩乃の生きている世界のスケールをじて息を呑んだ。水上君にはきっと、月の景が見えるんだ。

見てみたい、と柚子は思った。

「月の世界って、どんな風なんだろうね」

柚子がそう言った。それを聞いて、詩乃は笑った。

あれ、どうして笑うのと、柚子も、恥ずかしそう乃微笑みながら、詩乃を見た。

「いや、そんな様な歌詞があったなぁと思って。――きっと、綺麗な天の川が見えるんだと思う。〈星の海〉みたいな」

「見てみたいなぁ」

柚子が言った。

詩乃は、思わず息を吸い込んだ。もう自分が、どうしようもなく柚子に惹かれているのを、詩乃ははっきりと自覚した。

「水上君といたら、見られるかな?」

「え、何を?」

詩乃は、裏返った聲で聞き返した。

「星の海」

詩乃はけほけほと咳き込みながら、かぶりを振った。

「自分は……せいぜい見せてあげれても、ビー玉の海くらいかもしれないよ。新見さんは、自分の事を買ってくれてるみたいだけど……小説の方だって、自分はダイヤじゃなくて、ガラス玉くらいなものかもしれないし」

「そんなことないよ」

柚子の聲は溫かく、詩乃はその聲で、心ごと包まれたような気がした。柚子も、自分がこんなにも素直にいられるのが不思議だった。水上君の前だと、何も考えず、心のままに振る舞える。全部、その広い世界にけ止めてもらえるような気がした。海のように深く、穏やかなその世界に。

「――中學の時にね、友達の彼氏が、私に告白してきたの」

ぽつり、と柚子が、罪の告白のような調子で話し始めた。

詩乃は、小さく頷いて、柚子の話しに耳を傾けた。

「それが原因で、その子たち、別れちゃったんだ。他にも、同じようなことがあって……」

柚子が言うと、詩乃は、うん、うんと、大仰な相槌をうった。それから、詩乃にしては聲を上げて、大きな聲をあげて笑った。

「あー、なるほど、そういうことか」

詩乃はそう言って笑いながら一人頷く。新見さんが兎だと思う理由が分かったぞと、詩乃は思った。

柚子は、詩乃のそんな反応は予想外だったので、どういうを持てば良いかわからなくなってしまった。なくとも、馬鹿にされたじではないが、笑うというのは、どういうことだろうか。しかし柚子は、詩乃の反応に安心する自分がいるのにも気づいた。

人も辛いね」

詩乃は、そう言って柚子を見やり、それから、深い共を示すような、優しく靜かな聲で言った。

「誰かに相談もできなかったでしょ」

詩乃の言葉は、柚子の心にじんわりと染み渡った。

言葉にすれば短いそのエピソードは、しかし柚子が長い間一人で抱えていた悩みだった。もう終わった事でも、それは、柚子の心の深い傷になっていた。柚子は、自分が友達にも、どうしても一線を敷いてしまうとのを自覚していた。また、中學の時のようなことが起こるのではないかという不安は、他人と深く付き合うほどに強くなる。

しかしそのことを、柚子は他人には、とても話せなかった。

それなのに水上君は、私のたった一言で、全部理解してしまったみたいだ。あんなに悩んで、ずっと心の中にしまっていたことなのに。もうずっと、誰にも言えないことだと思っていたなのに。

「――笑い事じゃないよ、本當に私、悩んでたんだから」

柚子は、詩乃の笑いに釣られながら言った。いつの間にか、涙が出ていた。泣き笑いのまま、詩乃の肩を、貓の様に小さくパンチする。

「でも新見さん、賢明だと思うよ」

「けんめい?」

「新見さんなら、その、中學であったことと同じようなことが、どこでも起きると思う」

「そんなこと言わないでよぅ」

茶目っ気たっぷりの詩乃の目に、柚子は不満をこぼす。その聲音に、柚子は自分でも驚いてしまった。自分が、こんなに甘えた聲を出すなんて思ってもみなかったのだ。

「いっそ振り切ってさ、悪として生きるってのもあるよ」

「嫌だよ!」

あっけらかんと詩乃は笑う。

柚子も、釣られて笑った。

「インコの雛って、狹い場所にりたがるんだよ」

「え?」

「昔ね、うちセキセイインコを飼ってたんだ。その時に。とにかく、もぐらかと思うくらい、に隠れて、狹い所狹い所にっていく」

「そうなの?」

「うん。なんでだと思う?」

柚子は考えた。それから、おずおずと答えた。

「怖いから?」

「そうそう! 恥ずかしがり屋だからって説もあるけど、基本的には、どのも、怖いからを隠すんだよ。キーウィは知ってる?」

「鳥?」

「そう。絶滅危懼種でしょ? あの鳥はね、怖がらないんだよ。天敵がいても、好奇心が強いから、近づいちゃう。島に天敵がいない時は良かったんだけど、天敵が來てからは、捕食者に平気で近づいちゃうから、どんどん食べられちゃって、それで今、絶滅危懼種なんだよ」

「そうなの!?」

「うん。だからね、新見さんの臆病っていうのは、正當があるんだよ」

一瞬柚子はぽかんとしてしまった。それから、話の筋を理解して、どっと笑いが押し寄せてきた。まさか、キーウィの話をされるなんて思ってもみなかった。柚子があまりにも笑うものだから、詩乃は付け加えた。

「――本當だよ。人間だって、社會生の生だから、捕食者がいない代わりに、天敵は人間なんだよ。だからいじめも起こるし、仲間外れにされるのを怖いと思う。自分のいるコミュニティーを壊さないっていうのは、人間の種としての防衛反応なんだよ。新見さんがもし優しくなかったら、大変なことになるんだよ? だから新見さんは、ある意味で、臆病でいいんだよ」

柚子は、笑いながら、涙を拭いた。

最初に二人で、森の中で話した時に、予はしていた。この人だったら、私の々なことを、け止めてくれるのではないか。その予は正しかったと、柚子は確信した。水上君と話していると、自分の世界の狹さ、自分の抱えていることのちっぽけさに気づかされる。

「水上君、私、どうしたらいいと思う?」

今度は私が楽しむ番だと、柚子は詩乃に質問する。

「どうっていうのは……」

「臆病なままでいいとして、でもそれじゃあ、私は辛いままでしょ」

「まぁ、そうだよね……」

「だからやっぱり、懺悔室みたいな場所は必要だと思うんだけど、どう思う?」

じっと、柚子は詩乃を見つめる。

泣いた後の、しうるんだ瞳。それに見つめられると、詩乃はそれだけでたじたじになってしまう。

「う、うん、困った問題だね……」

「そう、困った問題でしょ。水上君、どうしよう?」

詩乃の頭は混した。

どう、と言われてもどうすることもできない。今は自分が、その〈懺悔室〉とやらになれば良いが、自分なんて、新見さんの人生のワンシーンにしか出てこない通りすがりだ。だから無責任に、自分に相談して、なんてことは、とてもじゃないが言えない。どうしたら良いか……。

「ごめん、わからないよ」

「わからないかぁー、そっかー。水上君にもわからないことあるんだねぇ」

「ごめん……」

相談をけたのにちゃんとアドバイスができなかったことに詩乃は落ち込んでしまった。折角新見さんが、自分を頼って話をしてくれたのに、何も有用なことを言ってあげられない。自分はやっぱりけない男だなぁと思ってしまう。そんな落ち込み方をするものだから、柚子は慌ててしまった。

「なんで水上君がそんなに落ち込むの! ちょっとからかっただけだから! 私もう、全然大丈夫だよ」

「いや、でも――」

柚子は、自分のために本気で落ち込んでくれる詩乃をおしく思った。思わずその左手を、ぎゅっと両手で包んで握った。

「本當に大丈夫。水上君に話して良かった」

詩乃は、複雑な表で、自分の手を握る柚子の白い手を見下ろした。これにはどういう意味があるのだろうかと考えてしまう。野球年の掛け聲も、ボールがバットにぶつかる金屬音も、通り過ぎる自転車の車の音も、詩乃には全く聞こえていなかった。

柚子の言葉とその手の意味を考える詩乃と、詩乃の手の溫かさにうっとりする柚子と、二人は長いことそのまま、靜かな時間を過ごした。

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