《星の海で遊ばせて》かさね目の炎(5)

高校を出た後は、紗枝も千代も全く別の道を歩んできたが、紗枝は、千代の生活と自分の生活は、本的には大きく違わないような気がしていた。高校時代の様に、毎日連絡を取り合うようなことはもうなく、生活様式の違いと距離によって、何となく連絡の頻度は、今は隨分減ってしまったけれど、それは疎遠になったからではなく、むしろ、同じ場所にいるという確固たる絆があるためのような気が、紗枝にはしていた。

食費や家賃のこと、旦那の電気やエアコンやテレビの〈點けっぱなし〉の癖に小言を言ったり、季節外れの服を段ボールにしまいながら、いらない服をどう処分するかの算段をしたり――明日や今月を生きていくための生活に追われる日々を過ごしている。自分も千代も、時間と金と、生活スペースと、そして旦那と、私の場合はそれに加えて子供と、ある意味ではそれらに縛られ、しかしある意味ではそれらに固められて、決して裕福ではないながらも、堅実な生活を送っている。自分も千代も、この生活の中にいる。この価値観の中で生きている。

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でも、柚子は違う。

スポットライトを浴びるきらびやかな世界に生き、年収は、一千萬か二千萬か、もっと上なのか、それすらもよくわからない。服を著れば、そのファッションが世代のトレンドになる。東京の、都會の中心にいて、どんな場所に住んでいるのか、想像もできない。

高校生の頃は、柚子と同じ空気を吸って、たぶん自分と千代は一番柚子と距離も近い親友だった。でも思い返せば、その頃から踏み込めない世界が柚子にはあった。柚子が何を考えていたのか、自分はたぶん、わかっていなかった。わかっていたのは、柚子の格だけだ。あの時は、「天然」だとか、「柚子っぽい」とか、柚子のユニークな言をそんな言葉で笑って片付けていたけれど、その裏にあるはずのものには目を向けなかった。

テレビの中、〈紅葉狩りデートスポット特集〉に、ちょこん、ちょこんと報を挾む柚子の笑顔を見ていると、無が痛む。それを誤魔化すために、私も千代もたぶん、笑っている。笑うことでしか、この痛みは誤魔化せないから。

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「柚子も連れてきたかったんだけどね」

千代が言った。

本當はここへは、自分と柚子の二人で來ようと千代は思っていた。しかし結局時間が合わず、自分一人で紗枝に會いに來てしまった。今月末に茶ノ原高校の同窓會があるが、紗枝はそこには出席できない。そこで、三人で小さな同窓會をしようと、千代は柚子に持ち掛けていた。

「まぁ、忙しいんだろうね、柚子も」

今まさにテレビに出ている柚子を眺めながら、紗枝が言った。

「テレビ業界って、激務って言うしね」

千代は、淹れ直したコーヒーの溫かいカップを両手で包み、紗枝に同意した。

「柚子、同窓會の幹事なんだよね?」

「うん。なんか、參加率すごく高いみたいだよ」

「柚子パワーだね」

「ホントそう。司會進行も柚子がやることになってるから」

紗枝も、同窓會の招待狀は屆いているので、會場やスケジュールのことは知っていた。品川のホテルの宴會場を貸し切って、立食スタイルで開催される。

「千代、々聞いてきてよ。彼氏とか、出來てるかもしれないし」

「うん、掘り葉掘りね」

「あ、そういえば、王子は來るの?」

「王子って――あ、橘王子!?」

「そうそう」

そんなニックネームあったねぇと、二人は笑いあった。

「コンサートツアー中で、難しいみたい。――橘君、ジャズピアニストだもんね。すごいよね」

「あぁ、來られないんだ。でも橘、本當に大になったよねぇ。見た? 柚子のインタビュー」

「うん、見た見た! 生放送じゃないのに、なんか、手に汗握ったよね」

千代の言葉に、紗枝は笑った。

昴と柚子を巡る、ワンシーズンの思い出話に花を咲かせる。

やがて実が起き出した。

最初は千代を見て泣き出し、紗枝に抱き著いてそのに顔を隠してしまったが、しすると、実は千代にも警戒心を解いて、千代に笑顔を見せるようになった。

「あぁもう、可いなぁ! 持って帰りたい」

千代は実を膝の上に抱き、その小さい背中に頬ずりしながらそう言った。

紗枝の頬に、はにかむような笑みがこぼれた。

「ふぅー……」

柚子は白い布マスクを外し、息をついた。

「ごめんごめん、うっかりしてた」

車を運転しながら、明が言った。

柚子は、膝にハンバーガーの紙袋を抱えて、袋の中をごそごそと覗いた。明の頼んだダブルミートバーガーを探す。

「大丈夫、たぶん気づいてなかったから」

明は、自分の配慮の無さにため息をつき、メロンソーダの紙コップを取り、ストローでその甘い炭酸を飲んだ。左ハンドル車なので、ドライブスルーでは柚子が店員と窓際でやり取りすることになる。自分の顔と名前なんて誰も知らないが、柚子は違う。柚子にマスクをさせるくらいだったら、一度車を降りて、自分が買いにいけば良かったと明は後悔していた。

柚子は明のハンバーガーを探し當て、袋から取り出した。

「今食べる?」

「あぁ……、うん。腹減ってて」

柚子は、ハンバーガーの包み紙をあけて、ちらりと、運転している明を見た。その目配せの意味を理解し、明は思わずにやけてしまった。

「はい」

柚子は、明の口元に両手で持ったハンバーガーを差し出した。

明はそれに、かぶっと噛みついた。

小さなレタスのかけらが落っこちた。柚子は、「あっ」と言ってレタスがシートの下に落ちて行ってしまったのを見送った。明は、柚子の子供の様な反応に笑い、柚子も、釣られて笑った。

「うーん、旨いね。一味違う」

「ホント?」

「うん。――おかわり」

「はい」

明は柚子に食べさせてもらったハンバーガーを、もぐもぐと満足そうに、顎をかしながら食べた。自分より年上で、社會的には〈カリスマ〉で通っているビジネスマンが、自分の隣で、子供の様にハンバーガーを食べている。その姿に、柚子は母をくすぐられた。その時不意に、柚子は紗枝からの年賀狀の寫真を思い出した。――実君、まだ生まれてひと月くらいの寫真。紗枝ちゃんに抱かれて、眠そうにしていた。

柚子は、くしゃくしゃと包み紙を丸めて紙袋の中にれた。

「まだ食べる?」

「うん。いや、でも、ちょっとしたらでいいよ」

明はそう言って、テッシュで口元を拭いた。

柚子は、自分の飲み――オレンジジュースの紙コップを手に取り、ストローを口にした。ちゅっと、柚子が吸い始めた時、明が言った。

「それ、スクリュードライバー?」

柚子は、吹きこぼさないようにふふっと笑い、ジュースを飲んだ。

「〈カクテル・コレクション〉全部観ちゃったよ、新見ちゃんの出てるの」

「え、ホントに? ちょっと恥ずかしい」

「いや、すごいよあのパフォーマンス。資格も持ってるらしいじゃない」

「うん、まぁ……お酒強いのを生かそうと思って」

「あぁ、やっぱり強いんだ。いや、強そうだなとは思ってたんだよね。食事の時、ワイン飲んでも日本酒飲んでも、新見ちゃん全然顔変わらないし、シラフっぽかったからさ」

柚子は、笑みを浮かべたままオレンジジュースを飲んだ。

「テキーラとか、全然飲めるじ?」

味しいテキーラは本當に味しいんだよ。なんか、キツいだけってイメージあるけど。――オレンジジュースとだったら、テキーラサンライズが飲みやすいかな」

「ははっ、これじゃ、付け焼刃でカクテル勉強したって、新見ちゃん相手じゃ、カッコつけられないや」

し殘念に思いながら、明はアクセルを踏んだ。

目的地は〈もみじロード〉。房総半島の西側にある紅葉の名所である。森に囲まれた公園で一度休憩し、それから約二十分ほど、明は車を走らせた。坂を上りながら、ぐるりと山道らしいカーブを曲がると、づいた木々が、わっと、フロントガラスの向こうに現れた。

「うわぁっ!」

柚子は思わず聲を上げた。

一瞬、本當に山火事かと思ってしまった。

「おぉ、すごいね!」

明は、している柚子の様子を見て笑った。

車は速度を落としながら、燃えるような紅葉の木々のトンネルにっていった。

「窓、開けていい?」

「あぁ、いいよ」

柚子は明の許可を得て、車の窓を開けた。

冷たい秋の風が、車の窓から窓へと吹き抜ける。

明は、道なりに車を走らせて、道の中ほど、展臺のある休憩エリアの駐車スペースで車を止めた。ツーリングのバイク仲間のグループが何組かと、車が十臺ほど停まっている。開けたスペースには焼き鳥やホットドックなどの屋臺も出ている。

車から降りた後、柚子と明は、展臺に向かった。紅葉の森の中を進む、舗裝もされていない小道。小さな階段を何度か上り、途中、道祖神を祭った小さな祠で頭を下げ、そうして、貓の額ほどの展臺についた。

「展臺って割には、なんか、森の中だな」

臺というので、明は、眼下に紅葉を一できる、そういう景を期待していた。階段も結構上ったのに、著いてみれば、森の中の、ちょっとした小山の上程度の場所で、見通しも良くない。

「いいねぇ、ここ」

柚子は、風の音に耳を傾けながら言った。

明は、柚子の側に寄り、ここを「いいね」と言った柚子に同意を示すために言った。

「森林浴には最高だね」

うん、と柚子は頷いた。

「この紅葉も、人間の事なんて知るかってじで気ままにづいて、気ままに――」

と、柚子はそう言いかけて、途中でを結んだ。

どうしたのかと、明は柚子の見ていた紅葉の木から柚子へと視線を戻した。

泣きそうな気配の柚子に、明は自然と両腕を小さく広げた。

柚子は、明のそのに顔をうずめた。明はそっと、柚子の背中に腕を回した。

「暖かい……」

柚子は明の腕の中で呟いた。

ウッディ系のコロンの香りがする。

柚子は明に回した手を緩め、顔を上げた。はにかんだような表を浮かべ、柚子は、再び木製の柵の手前まで歩み出すと、その柵に手をついて、紅葉を見上げた。明も、その隣に並んで顔を上げた。

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