《星の海で遊ばせて》海月のクオーツ(6)

十年ぶりの二時間半は、多くの元生徒にとっては短かった。

しかし、閉會の時間はやってきた。

柚子はマイクを持ってステージに上がった。

「――さて皆さん、宴もたけなわではございますが、お開きの時間となりました。大変名殘惜しいですが、締めの挨拶をさせていただきます。本日はこのようにたくさんの同窓生、そして先生方にもお集まりいただき、ありがとうございました。學校を卒業し、社會に出て、私も、辛い時に思い出すのはこの頃の、茶ノ原高校に通っていた日々です。

……またそのうち、このような會を開けたらと思います。そしてまた、生演奏のロック・アラウンド・ザ・クロックで踴りましょう。――病める時も健やかなる時も、この寶褪せないことでしょう。それでは、一本締めを、長江君にお願いします」

柚子の挨拶の後、長江匠が登壇する。

匠はマイクを手に持ち、全を見渡した。

柚子のユニークなあいさつで、皆の表らかい。

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「それでは皆さん、お手を拝借」

一瞬會場が、シンと靜まる。

行事好きの茶ノ高生たちは、こういう時、振る舞い方を良く知っている。匠は嬉しい笑いをかみ殺し、息を吸った。最後は吸ったその息を一気に吐き出しながら、地響きのような「ヨー」の大きな聲をかけた。

そして、パチンと、拍手が一つに揃う。

スパッと、抜刀のような潔さで、同窓會が閉まった。

その後は、ぱちぱちぱちと大きな拍手が沸き起こった。

柚子は二次會の案を全にアナウンスした。

先生方を見送った後、柚子は一人、更室に戻った。ドレスから、ジーンズと長袖ニットに著替える。二次會の會場は、ホテルの上階、ダイニングバーを貸切った。二次會の幹事は匠が引きけたので、柚子は一つ、肩の荷を下ろした気分だった。

もしかしたら、飛びりで詩乃君が現れるかもしれないと、そんな淡い期待も葉わず、張が緩んだのもあり、柚子は更室の椅子に座り、蹲るようにため息をついた。

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私、疲れてるのかな、と柚子は思った。

そんなに、無理をしているという自覚は無かった。しかしが勝手に、ため息をついたり、目やこめかみをほぐしたりする。

攜帯端末にメッセージがった。

千代からだった。

『幹事お疲れ様。上で待ってるよ』

柚子は、ほっと笑みを浮かべた。

室を出て、柚子が二次會會場のダイニングバーにると、り口近くに千代が待っていた。千代は柚子を、バーの隅のカウンター席に連れて行き、壁際に柚子を座らせた。千代は、柚子の隣に坐った。椅子にちょこんと座って、きょろきょろとあたりを見渡す柚子は、さっきまで二百人を超える人たちの前に立って、進行をしていた人間と同一人とは思えない。

「とりあえず、一杯飲もう。柚子、何飲む?」

「え、えっと……うーん……」

「私が決める?」

「うん! あ、でも、ちーちゃん、まだ大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫」

千代は笑って答えた。

三島で、まだ紗枝が一人暮らしを始めたばかりの頃、柚子と千代は紗枝の家を訪れ、お泊り會をしたことがあった。その日の夜は、三人で酒も飲んだが、千代だけ隨分酔っぱらって、二人より先に寢てしまった。柚子も千代も、その時のことは昨日のことのようによく覚えていた。

「私今日まだ、乾杯の時の一杯しか飲んでないから」

「え、そうなの?」

「うん。柚子とここで飲みたかったんだよね」

柚子は、照れくさそうな笑みを浮かべた。

千代は、近くにいたバースタッフに聲をかけて、カンパリオレンジを二人分頼んだ。「初」を意味するというそのロングカクテルはすぐに完して、カウンター越しに二人はグラスをけ取った。

「同窓會の大功に乾杯!」

千代の音頭で、カチンとグラスを合わせ、柚子はぐいっと一気に半分ほどを飲みした。

「おぉ。良い飲みっぷり!」

千代に言われ、柚子はまた、くすぐったそうに笑った。

柚子はそれから、千代の結婚生活について聞いた。

柚子も一度だけ、結婚式の時に千代の旦那――二宮勝と會ったことがある。恰幅が良い、というほどの格ではないが、その雰囲気から、「巖のような人だ」と柚子は思った。口數はなく、結婚式の時は張もあってか、表かった。そんな彼のような人が、自分のために転職をしたとなれば、千代が惚れるのも、柚子にはよくわかった。言葉が巧みで面白いのも魅力かもしれないが、言葉がなく、日ごろ自己主張をしない人の、ごくたまに見せる豪快さや思い切り、それに気づこうとしなければ気づかないような小さな優しさというのは、心には堪らないものがある。

「――地味な人だからさ、勝手に髪型変えたりして楽しんでるよ」

千代は、「つまらない人」、「地味な人」と勝のことを評しながら、楽しそうに、勝や勝との生活のことを柚子に話した。いいなぁと、柚子はしみじみ、千代の話に相槌をうった。

話は、千代から紗枝に移った。

先月紗枝の家に行った時の寫真を千代は柚子に見せた。紗枝の長男、実と、それを抱く紗枝を見るとまた柚子は、「いいなぁ」と言葉をらした。結婚したら、自分もこういう顔ができるのだろうかと、柚子は考えた。

「――柚子は、良い人見つかった?」

千代は、柚子が自分や紗枝を羨む様子がに痛くなって、柚子に訊ねた。

柚子は、「うん」と小さく応えた後、続けて言った。

「何度かデートして、付き合おうかなって思ってる人はいるよ」

「えっ! ホントに!?」

柚子が驚いて聲を上げる。

「野球選手? 社長? あ、蕓能人!?」

矢継ぎ早に千代は質問する。

「社長は、ちょっと近いかも」

柚子はそう応えてから、明のことを千代に話した。千代にとって、柚子の話しを聞くのは、ジェットコースターのようなアトラクションに乗るのと同じようなものだった。CEOという明の肩書から始まり、デートの容も、全てが別世界のような気がした。

しかし千代は、柚子の彼がそのような社會的地位にある人だということについては、そりゃそうだよね、と納得できた。全國ネットの看板アナウンサーともなれば、知名度に比例して、その悩みのスケールも一般人のそれとは全く違うだろう。それを理解できるのは、やっぱり、一般人とは違うスケールの中で生きている人しかいないのではないだろうか。

「――じゃあ、もしかすると、そのままゴールイン?」

千代の問いに、柚子は顔を曇らせた。

柚子は、自分でもどうしてそんな表をしてしまうのかわからなかった。

自分と同じような悩みを持っていて、私の寂しさをわかってくれる。そんな男の人はそういない。柚子も高校を卒業した後は、大學時代も、テレビ局に勤め始めてからも、その中で々な男を見てきた。見て來ただけでなく、かなり親しくなることもあった。

しかし、どんなに親しくなっても、自分の不安を解ってくれて、不安なのを不安と打ち明けられる人というのはいなかった。

明は、そのに自分をけ止めて、人の溫もりで溫めてくれる。

それなのに私は、何を躊躇っているのだろう。

「たぶん、そうなると思う」

柚子は、靜かな聲で、千代に言った。

千代は、グラスにかけた手を引っ込め、腕を組み、そして柚子の顔を覗き込んだ。

「え、どうしたの?」

柚子はしばかり千代からを引いた。

千代はじいっと柚子の目の奧を見つめ、それから、再びカンパリオレンジをぐいっと飲んだ。

「柚子には、話を聞いてくれる人が必要なんじゃないかな」

千代はそう言った。

柚子は、「そうかな」と中途半端な言葉をとりあえず返そうと口を開いたが、言葉は出てこなかった。代わりに柚子は、両手で空のグラスを握り、俯いた。俯いた瞬間、柚子の目から、どこかでずっとせき止めていた涙があふれ出した。

聲を殺して泣き出した柚子の震える肩と背中を、千代は優しくった。

柚子の涙の理由を理解するのに、千代には言葉は必要なかった。グラスを握り締める柚子の手に、千代はそっとれた。柚子は、コップの代わりに、千代の手をぎゅっと握った。

「大丈夫、大丈夫だからね」

千代はそう言いながら、柚子の肩を引き寄せた。柚子を抱きしめながら、BGMの〈Piano Man〉に、千代は顔をしかめた。次は加藤登紀子かカーペンターズか。

――私も柚子も、傷に浸るにはまだ早すぎる。

でももし、十年前のあの日々を、思い出にして呑み込んでしまえたら、柚子は楽になるのだろうか。だとしたら、柚子の気持ちを楽にしてあげたい。

「ねぇ柚子、私は……今の彼に支えてもらっても、いいと思うよ」

涙が落ち著き始めたのをじながら、千代は諭すように柚子に聲をかけた。

「私も、みっくんとの思い出は、ずっと心の中だよ。別れてからはもう會ってないし、今後會うこともあるかどうかわからないけど」

千代がそう言うと、柚子は顔を上げた。

まだ涙の殘る赤い目のまま、柚子は恥ずかしそうに、千代に笑いかけた。

「――なんてね、柚子だって、わかってるよね」

ぽんぽん、と千代は柚子の肩を叩いた。

「はぁ……本當に、大好きだったんだ。ずっと、たぶんこれからもずっと、大好きだと思う。詩乃君は、絶対忘れられないよ」

千代にそう打ち明けた柚子の表は、すっきりしていた。

「いいんだよそれで! きっと、心の中に誰かいる人って、案外いるのかもしれないよ。紗枝みたいに、馴染で、初がそのまま就するって人は珍しいんだよ」

「うん、そうだよね」

ぐすんと鼻をすすり、柚子は笑顔で相槌を打った。

千代はバックから柚子への誕生日プレゼントを取り出して、柚子のテーブルの前に置いた。四角い小さな箱――中は兎のイヤリング。千代と紗枝で資金を出し合い、買ったものだった。柚子は箱を開けて中のイヤリングを見ると、またで、目を潤ませた。

「――紗枝と一緒に選んだんだ。ペンギングッズにしようか迷ったんだけど、なんかこの兎、柚子っぽいかなって思って」

柚子は早速、そのイヤリングを耳につけた。

赤いルビーの目が、きらりとる。

「実は詩乃君にも、兎みたいって言われてたんだ」

にこにこと、柚子は笑って言った。

それから、柚子は、自分に言い聞かせるように言った。

「もし告白されたら、私、けようと思う」

千代は、うんうんと深く頷いた。

「うん、いいと思うよ。柚子はさ、普通よりんなストレスに曬されるんだから、やっぱり、んな面で、頼れる男の人がいた方が良いよ」

「うん」

と、柚子も深く頷き、笑みを浮かべて涙を払う。

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