《星の海で遊ばせて》白い海へ(4)
奈は、莉玖の言う、局の柚子に対する冷たい思は知っていた。今回の柚子のゴシップは、番組を謹慎や降板させるほどのものではない。しかし、かといって、柚子のイメージダウンは事実なので、できるだけ番組からは遠ざけたい。それが、プロデューサーはじめ、編局部の人間達の本音だ。
休んでくれてラッキーだったよと、辻木の下で働いているプロデューサーがそう言うのを、奈は耳にしていた。制作スタッフだけではない。メッセージやファンメールなどを管理する総務の人間も、仕事増やすなよと、柚子の悪口を言っていた。
それを聞いた時には奈は思わず、「お仕事大変ですね」と、得意の笑顔とともに皮を言った。テレビ局の男社會では、が――特に子アナが男にそういう態度を取るのは危険だが、奈は、どうしても我慢できなかった。
総合編局総務部が今回の件でやったことといえば、柚子に屆くメッセ―ジやファンメールを柚子が観覧できないようにしたことくらいである。それくらいの設定、今時クリック一つ、パネルタッチ一つでできる。元気になるようなメッセージだけは選り分けて、新見さんがけ取れるようにしてやればいいものを、それは労力だと、総務部はそういった作業の一切を放棄した。それで仕事が「増えた」らしい。
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「――ホント笑っちゃいますよね。子アナを矢面に立たせて、自分たちはその影で甘いだけ吸って。オミさんにこんなこと言っても仕方ないですけど」
奈が、こんなにストレートな悪口を言うのを、莉玖は初めて聞いた。莉玖は、奈が人並外れた利己心と、それからくる腹黒さを持っていることは知っていた。しかし奈は、それを直接言葉や、わかりやすい態度で示すことはほとんどない。奈はこの業界での〈立ち振る舞い〉を知っている。新卒からこの世界にった子アナとはモノが違う。思春期をアイドルとしてこの世界で過ごしてきただ。
それが――向きになって本音をしゃべるのは、池奈らしくない。らしくはないが、奈の言うことは、その通りだと莉玖も思っていたので、苦笑いを浮かべるしかなかった。
若いアナウンサーは〈子アナ〉として、アイドルの様に売り出される。それで數字を取る、スポンサーを得るというやり方は、すでにテレビ業界の一つのシステムになってしまった。若手はつまるところ、男もも、そのシステムに巻かれるしかない。奈の様に賢いは、その〈子アナ〉システムをうまく利用していくが、心、「男社會のくだらない産」と思っている事だろう。
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「新見には戻ってきてほしいの?」
「……オミさんはどうなんですか」
「どっちにしても、やるしかない」
「私は、戻ってきてほしいです」
「番組が上手くいってるのは、池奈の力なのに?」
「私だけで上手くいくわけないじゃないですか!」
莉玖はそう言われて、面食らった。
まさかあの池奈の口から、そんな言葉が出てくるとは思っていなかった。
「まぁ……新見の復帰を待つって言うのは、辻木さんもそういう風に考えてるから――」
「やっぱり辻木さんだったんですか、代役れない決定したの。――何か思があるんですかね? それとも何か、新見さんに弱みを握られてるとか」
莉玖は苦い顔でカフェオレを啜った。
これは何か知っているなと、奈は莉玖に質問を続けた。
「前から何か、辻木さんと新見さんって、なんか変な関係じゃないですか? オミさん、何か知ってます?」
こうなっては仕方が無いと、莉玖は口を開いた。
「不倫してんだよ」
「え!?」
「……噓だよ」
奈は、ぱしんと莉玖の腕を叩いた。
莉玖は紙コップに口をつけて、こぼれそうになったカフェオレを口で拾った。
「娘さんが大ファンなんだよ、新見の」
「娘って、辻木さんのですか?」
「そう」
「え、じゃあ、娘のために、新見さんをキャスティングしたんですか?」
「まぁ、それに近いかな。家じゃ、辻木さん権力持ってないみたいだから」
ぶふっと、奈は拍子抜けして笑ってしまった。
「おかげでディレクター陣は大忙しだ」
そう言って、莉玖も笑った。
「俺も一つ、聞きたいことがあるんだけど」
莉玖は、一息ついてから奈に言った。
「何ですか?」
「新見の事でね。――週刊誌が出た次の日の會議で、新見は、相手に婚約者がいるのを知ってたって発言したんだけど、その辺の所は、聞いてない?」
奈は、じとっとした目で莉玖を見た。
「そういう詮索、オミさんもするんですね」
「まぁ、必要な範囲ではね。それで、何か知ってる?」
「……何とも言えないです。新見さんがそういう、會議の場で噓を言うとも思えないし、でも、人の彼氏を奪うっていうのも、新見さんの格からして、全然結びつかないというか。私との話の中では、新見さん、彼氏に婚約者がいるなんてことは、言ってませんでした」
「じゃあ、振られたって言うのは」
「誰が、誰にですか」
「新見が、カリスマ社長に」
「それ、誰が言ってたんですか!?」
「新見本人だよ。會議の時に」
「それはたぶん噓です!」
ほぉと、莉玖は相槌を打った。
「だって新見さん、食事した時言ってましたよ。相手から迫られてて、返事をどうしようか迷ってるって。その返事をしたのが、誕生日ですよ。だから、振られるとしたら逆です」
「なるほどな」
莉玖は深く頷いた。
奈も、青を飲みながら考えた。
――どうして新見さんは、そんな噓をついたのだろう。
「新見さんに、私の図太さ分けてあげたいですね……」
奈は、滲んでくる悔し涙を指で払った。
莉玖は奈に背を向けてテーブルに腰かけ、カフェオレを飲みながら天井を仰いだ。
「――ごめんね、ちょっと、聲が聞きたくなって。うん、大丈夫だよ」
自宅療養から一週間と數日が経った頃、柚子は紗枝に電話をかけた。明との記事の事や柚子の仕事、調のことなど、紗枝は柚子を心配した。柚子から電話がかかってくるなんて、ただ事ではないと、紗枝は直的にそう思ったのだ。
二人は、高校時代の思い出話に花を咲かせた。紗枝は同窓會に出られなかったので、その時の話をえて、あの子こんな風になってたよ、だとか、あの人こんなこと言ってたよ、だとか、そういった話題で盛り上がった。
柚子は、自分から詩乃の話を紗枝にした。実はあの時、こんなことがあった、という詩乃とのエピソードを楽しそうに語った。その聲があまりに幸せそうなので、紗枝は柚子の話に耳を傾け、笑いながらそれを聞いた。
やがて柚子は、思い出に浸りすぎた傷で押し黙り、そこで、紗枝との電話を終える決心をした。近いうちにおいで、という紗枝の言葉に、柚子は「そうだね」と曖昧に応えた。本當にいつでもおいで、休みのうちにさ、と念を押す紗枝に、笑った。
またね、という言葉の代わりに、柚子は最後、紗枝に言った。
「ありがとね、紗枝ちゃん。聲聞けて良かった」
柚子は電話を切り、ダイニングのソファーに座った。
もう部屋はすっかり綺麗に片付いている。
発作のあったあの日から、人と話そうとすると言葉が詰まって、涙が出てくるようになってしまった。家に居て、ただ座っているだけでも、突然涙が出てきてしまう。そんな狀態のため、家からは出られない。家にいる分には、他人に迷をかけることはない。
自宅療養の間、柚子は部屋の片づけをして過ごしていた。
そうして夜は、ワインを飲みながら、高校時代のアルバムや、詩乃との思い出の寫真を見て過ごした。十二月三日、明のキスを拒んでしまったあの夜――冷え切ったタクシーの後部座席で、柚子は、ずっと自分が押し込めていたものを自覚した。頭は他のをけれても、心とは、詩乃を覚えている。
あの時、明さんのキスは、嫌じゃなかった。
付き合おうと思っていた。
結婚までも、考えていた。
それなのに、が勝手にいてしまった。
十年の歳月なんて、関係なかった。
やっぱり私には、詩乃君しかいない――。
一度自分の中のその気持ちを見つけてしまうと、あとはただ、詩乃へのが溢れてくるばかりだった。
この十年間、ずっと詩乃君は、私の心の中にいた。いつも、何かがあると、詩乃君ならどう言うだろうか、詩乃君ならどう考えるだろうかと、心の中の彼に聞いていた。
あの人に恥ずかしくないように、次に會った時、「私ちゃんと頑張ってたよ」と言えるように、ここまでやってきたのだ。イギリスに留學して英語をしっかり話せるようになって、イギリスの文學にもれて、ミスキャンパスにも応募した。
いつだか詩乃君が言っていた。『飛べる鳥は飛ばなきゃだめだよ』と。
だけど、どんなに飛んでも貴方はいない。
「ねぇ、生きてるの? それとも、もうこっちの世界にはいないの?」
スノードームのペンギンに話し掛ける。
私はまだ、詩乃君を好きでいることを忘れられない。
あと十年、二十年、待っていたら詩乃君は來てくれる?
「ねぇ、詩乃君……」
このまま私は、噓のをして、自分を騙して生きていけばいいの?
でも、そんなのは辛すぎる。
もう耐えられない。
柚子は、大學を出る時に書き上げた一編の詞を、スノードームの前に置いた。
スノードームの隣には、餞別のオルゴール。
その〈月の〉も、もう私をめてはくれないけれど――柚子はオルゴールのネジを巻いた。
私は鳥だから
空を飛んでゆかないといけない
翼を持たない貴方を殘して
終わりの見えない
遙か彼方まで
飛んでゆかないといけない
私の心は陸(おか)の上
貴方にれて
それだけで満たされていたのに
この翼が誇らしいのは
貴方にこの翼を
綺麗だねと 褒められたから
貴方は知っていた
初めから 私が飛び立つ定めと
貴方と離れるくらいなら
この綺麗な翼を真っ黒にして
全部 むしり取ってしまいたい
あの空には
貴方の溫もりはない
冷たく澄んだ空気の中を
孤獨に飛んでゆくしかない
飛び立つ定め 翼を持った者の定め
貴方を殘してゆく定め
貴方の褒めてくれた翼だから
私は その言葉だけで
飛び立ちましょう
この陸(おか)を離れて
はるか遠くの空の果て
海の上を行くときも
雲の中を飛ぶ時も
雨に打たれて凍える時も
貴方の言葉を忘れない
貴方の溫もりを忘れない
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