《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》2話 宦になった従兄弟の末路
ユゼフはブルブルッと震いした。外の冷気はにしみる。
王ディアナの命により、彼の天幕を見張っていた。星空は高く、まだまだ夜は明けそうもない。
カワウ國からモズ國へつながるこの土漠。
晝間は鉄板で焼かれる焼の気分が味わえる煉獄の暑さ、夜は夜で冷凍室の冷凍になった気分で、どちらにせよ地獄には変わりなかった。
天幕の前で見張りをしていた兵士二人に代わることを伝えると、大喜びで去って行った。
鼻水を啜りつつユゼフは思う。
旅に出てから連日見る夢は一何なのかと。
夢は未來を暗示する。
この大きなの空いた大陸(その形狀を表現する古代語でアニュラス大陸と呼ばれている)では、そのように信じられていた。
夢に見る未來。
それは數時間後、或いは何千年も先の暗示だと。
──それに、この不気味な空気はなんなのだ??
誰かに見られているような、いやーなじが続いていた。邪悪な空気が悪寒を運んでくる。人在らざる者……悪魔的な何かがジッとこちらを窺っている。そんな気がしてならないのだ。
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ちょうど二日前から。
そう二日前──
「壁」が出現したのは二日前だ。
カワウ王國の王城にて。
ユゼフが帰國の準備をしている時だった。
鳥の王國ディアナ王とカワウ王國フェルナンド王子の婚約儀式が執り行われたのがその前日。
王命により長逗留(ながとうりゅう)はせず、即座に帰國することとなった。
ノックもせずにユゼフの部屋へってきたのは、王護衛隊の責任者である英雄ダニエル・ヴァルタン、ユゼフの兄……ではなくて、その従者のベイルだった。
「壁が現れた! すぐ発つことになったぞ! とっとと用意しろ!」
ぞんざいな言いである。
ユゼフより十も年上だし、子供の頃から知っているから、主(あるじ)の弟だろうが遠慮はない。ユゼフが私生児で十二になるまで、庶民として生活していたせいもあるだろう。
ユゼフは時々見下してくるこの貓背が嫌いだった。
ベイルはギスギスに痩せているせいか、貓背気味であった。加えて常に顔が悪い。兄の前では過度に低姿勢。いつもご機嫌取りをし、召し使い達の前では高圧的、意地悪な態度を取る、そんな男だった。
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実家は地方の小領主。裕福ではなく、三男だったためにベイルは外へ出された。騎士になって戦地へ赴く勇気もなく、以前から親好のあったヴァルタン家に仕えたのだという──と、ベイルの話はここまで。
本當にどうでもいい男なのだ。
つまらぬ、どこにでもいるような俗。それがベイル。
ベイルの話だと、城門の前に學匠シーバート宛ての文を持った老人がやってきたのだという。文には時間の壁が出現したことと、壁を抜けられる通り道がモズ共和國にあると記されていた。
「それが、聞いて驚くなよ??」
いやに勿ぶった話し方をする。
ユゼフにとっては正直うざったい。
ベイルはユゼフが驚くのを見越してか、険な笑みを浮かべた。
──うわぁ……醜悪だ
さっさと言えよと思いつつ、生意気な態度を取って、兄に告げ口でもされたら大変だ。ユゼフはベイルの醜悪な面を辛抱強く見つめた。
乾いた紫のがく。
カサカサ……
「その老人、アダム・ローズだったんだ」
「は!?」
ユゼフは顔のというを丸くし、呆然とベイルの醜い面を眺めた。この反応に気を良くしたベイルは得意げに話を続ける。
「いや、噓じゃないし! 本當だって! 文に王家の家紋だって捺されてたし! だから、シーバート様も出発を早めるよう、ダニエル様に進言したんだ」
アダム・ローズというのはユゼフの家系図上の従兄弟だ。とは言っても、義母方なのでは繋がっていない。年齢は二つ下か。私生児だ。
ユゼフが第一王ディアナに仕えるのと同じく、アダムは第二王ヴィナスの侍従になることで、ローズ姓を名乗ることが許されていた。
ヴィナス王はディアナ王の妹。
王家と深い繋がりのあるヴァルタン家、ローズ家、シャルドン家の三家は外に子供が出來た場合、通常の貴族とは異なり、放っておかないこともあった。
何故ならこの三家は王家の親族であり、高貴なが流れている、とされていたからだ。そのため、貴族でも平民でもない私生児が王候の侍従にされることは珍しくなかったのである。
勿論、當の本人に選択権はなく、子供の頃から王子や王の傍に仕えさせられる。そして、男子が王に仕える場合、宦にされた。
因みにユゼフはまだ去勢されていない。今回の外遊に伴い、臣従禮と去勢を済ましてしまおうという話もでたが、時間がないため見送られたのである。
『鳥の王國にいるヴィナス王の侍従のアダムがこんな所にいるはずはないのだが……』
「それがさ、アダム・ローズとは似ても似つかぬ老人だよ? 門番に毆られても蹴られてもその場をこうとはしなかったんだ」
侍従として仕えるため、宦にされたアダムがヴィナス王から離れることは有り得ない。侍従というものは常に主のそばに寄り添っているものだ。
尚且つ、時間(とき)の壁が現れている狀態──
離れるとしたら、急事態。
恐らく重要な文をどうしても屆けたいがため、主の元を離れたのだ。
必死に優位を誇示しようとするベイルがカラクリを話す前に、ユゼフは口を開いた。
「に重石をつけて、時間(とき)の壁を渡ったのだな。時間の波に流されないで済んだが、へ時間の粒子が流れ込んだ。結果、老いてしまったというわけだ」
「……む、まあそうだが……」
冷靜にカラクリを言い當てられては、裁が悪い。途端にベイルは不機嫌になった。
鳥の王國の建國と同時に出現した「時間(とき)の壁」というのは……
壁の概容を理解するには、この大陸アニュラスが型ということをイメージせねばならない。
アニュラス大陸の側、の縁が鳥の王國。その周りを六つの國が囲んでいる。
時間の壁は國境をなぞってグルリ一周、王國を囲っているのである。まるで他國の脅威から鳥の王國を守るかのごとく五~十年に一度出現するのだ。出現期間はちょうど一年。
壁の高さは六十キュビット(三十メートル)※ほどで天辺は波打つような波形、常にく。遠くからだと、真っ黒な津波が押し寄せているようにも、邪悪で巨大な化けが口を開けて迫っているようにも見える。
この壁を象る黒いツブツブが時間の粒子だ。った人はこの粒子に運ばれる。
通り抜けようとすれば、千年先の未來に飛ばされることもあり、數分前の過去へ戻ることもあった。
「壁」の中の時間は常にいているため、ける影響は位置からだけでは予測出來ないのだ。
興を削がれたベイルが立ち直るまで時間はかからなかった。髭の剃り跡が疎らな凹凸を殘す。不健康な頬にベイルは卑しい笑みを浮かべた。
「城一の男子と言われても、老人になっちゃあ、おしまいだな。シーバート様に文を渡した直後に息絶えたとさ」
ユゼフは絶句した。
アダムもユゼフも大人しいから、互いによく話すということはなかった。それでも家系図上は親戚だし、子供時代はよく遊んだのだ。
近な者が亡くなった。それも普通の死に方ではない。
人の死を愉快そうに話す。ベイルには嫌悪しかじなかった。兄の従者でなければ、蹴り飛ばしてやる所だ。
それが出來ないのは、英雄と稱えられるほどの兄が意外にも単純だからだ。
口下手なユゼフより、ゴマスリ上手のベイルの言い分を兄は信じるだろう。こういう時、ご機嫌取りは有利である。
不快なことを思い出してしまった。ユゼフは拳を固く握り締めていた。
闇が非な冷気を運んでくる。
皮を刺す空気が無力な自分を罰しているようで心地良い。拳を元通り開くのには時間がかかった。指先は冷たく、カチコチだ。
空高く瞬く星々がユゼフをめる。
仕方のないことなのだよ。
アダムには気の毒だったけど、これは前へ進むためのきっかけだったんだ。
事を進ませるためには犠牲を払わなければいけない。犠牲のない変革など有り得ないのだ。
一人分の命と引き換えに千人の命が救われるのだとしたら? それなら、五十人死ねば、五萬人が助かる計算になる。
人の命は數じゃない?
だったら救えばいい。
価値のある命だけを。
アダムはそのための生け贄だったのだよ──
星の甘言にを委ねれば、々気が楽になる。
……と、人の気配をじ、ユゼフは振り返った。
※キュビット……約五十センチ。肘から中指の先までの長さ。
別視點もあります↓
二話シーバート視點
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