《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》4話 馬車

上の命令であれば、しぶしぶ従うしかない。王の裝いをしたレーベはシーバート老人のテントへ向かうことになった。

取りあえず今は別々に逃げる。

ユゼフは後にシーバート老人と合流するつもりだった。學匠は本隊との連絡手段を持っている。生きていたらの話だが。

去り際、ユゼフはレーベの背中に聲をかけた。

「亀を頼む。バソリーの廃城へ行くとシーバート様に伝えてくれ」

亀というのはユゼフが十年前からずっと飼育しているアルメニオという名前のミドリガメである。旅に同行させた事をユゼフは後悔していた。レーベがちゃんと亀を連れて來るかは分からず、永遠の別れになるかもしれない。

「この借りは絶対に返して貰いますからね」

捨て臺詞を吐き、王のガウンとマントをまとったレーベはミリヤではなく別の侍を連れて去って行った。

ユゼフ達は軽く支度を整え、天幕の裏手から外へと。ディアナとミリヤは真っ黒なマントにを包んでいる。

外はすっかり火の海だった。

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「急ぎましょう」

しかし、すぐ後ろで剣撃の音やび聲が聞こえているのにディアナ達の歩みは遅かった。何度も振り返りつつ、ユゼフは眉を寄せた。ミリヤがディアナ王の腕を支えているのは何故だろうかと。

「どうしたのです? 足でも捻りましたか?」

「……いえ」

代わりに答えたミリヤが、ユゼフの耳に口を近付ける。

『ディアナ様は腰が抜けてしまってうまく歩けないの』

見ると、王の顔は恐怖で蒼白になり、が小刻みに震えている。

「では、お乗りください」

ユゼフは腰を屈め、背中を差し出した。

ディアナ王し躊躇した後、しがみつくようにして覆い被さった。

背中に乗られると、溫かい溫と激しく脈打つ鼓がじんわり伝わって來る。

立ち上がったユゼフはミリヤの方を見た。

は口を真一文字に結び、厳しい表をしていた。いつもの気弱でおっとりした様子とは違い、ユゼフを見る瞳には固い決意が浮かんでいる。

「大丈夫か?」

問いかければ、しっかりと頷いた。

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獣の聲に怯えていたのは演技だったのだろうか。今の彼は勇敢で逞しい戦士に見える。

燃え盛るテントの中をくぐり抜け、ユゼフ達は北方向へ走り出した。安全を確保してから目的地のある西へ方向転換すればいい。

敵軍は計畫的に王を狙っている。ただの野盜ではないだろう。

火のが飛んで來る度にディアナ王は小さな悲鳴をあげた。

ユゼフにはそれを気遣ってやるほどの余裕がない。背負った狀態で火のが舞う中を走り抜けるのだから。

足腰には自信があった。

ヴァルタン家では禮儀作法だけでなく剣の指南もけていたし、い頃から魚を荷車に載せて売り歩いていた。

母は病弱。父は酒にり浸り働かなかったのである。

ヴァルタン卿が強引に母を我がとした挙げ句、子供(ユゼフ)まで孕ましたために義父は変わってしまったのだという。

経営していた魚屋は潰れ、以前の伝手(つて)から仕れた僅かな魚を荷車で売る。それで生計を立てるしかなかった。

ユゼフがヴァルタン家に行ってからは、二人の妹達が代わりに荷車を押している。

『母さん達は無事だろうか……』

壁が出現してから一番の気がかりは家族のことだった。

ユゼフは學校へ行くようになってからも隠れて働き、その金を実家へ送っていた。ユゼフがいなければ実家の生活は苦しくなる。

今は早く家に帰りたかった。

寢る場所がヴァルタン家であっても。

をおぶった狀態にもかかわらず、ユゼフは全速力に近い速度で走っていた。たまに後ろを振り返って確認はする。ミリヤは必死に付いて來ていた。

『大したものだ』

もユゼフと同じくい頃から王家に仕えるべく、厳しい教育をけてきたに違いなかった。弱々しく可らしい普段の仕草は本來の彼ではないのかもしれない。

奧のテントから次々と兵士が出てきて火の燃える方へ走り去っていく。ユゼフ達を気に留める者は誰もいなかった。王とミリヤは闇に溶け込むようなマントを羽織り、フードで顔を隠している。

冷たい風が頬に當たるのは、の乾きを忘れるぐらい気持ちが良かった。

あとしで宿営地を出れるという時──

突然、進行方向からワーッとび聲が聞こえ、シュッシュッと闇を切って矢が飛んできた。

咄嗟にユゼフはを屈めた。

後ろまでは注意を払えない。

を屈めてから振り向き、ミリヤが同じ様に伏せている姿を確認してホッとするも……

すでにこの宿営地は敵に取り囲まれていた。

前にも後ろにも進めなくなったユゼフ達は、近くにあった幌馬車にを潛めるしかなかった。

その幌馬車には大量の裝やカワウの國王から送られた寶飾品などが詰め込まれている。目的が王だとしても金目のに火を點ける可能は低い。

長方形の幌馬車の中は両端に裝が吊るされており、さながらクローゼットのようであった。

三人は裝が吊るされている奧の三十ディジット(約三十センチ)ほどの狹い空間にり込んだ。橫並びとなって息を潛める。

「ねえ、ここも火を放たれたらどうするの?」

聲を震わせ、ディアナが尋ねた。

「大丈夫です。金目のは燃やしません」

確実に安全という訳ではない。しかし、今はここに隠れるより他ない。

「ああ、何でこんなことに……ミリヤ、手を握って頂戴」

暗い中、ディアナは全を震わせていた。カチカチ鳴る奧歯が不安を一層掻き立てる。

ディアナ王を挾み、ユゼフとミリヤはを寄せ合った。通常では有り得ないほど著している。それも気にならないぐらいの張狀態である。

ミリヤの手がユゼフの腕に當たった。ディアナを抱き締めているのだろう。

「大丈夫ですよ。ディアナ様。ご安心ください。大丈夫です」

──彼らがこの馬車の中をすぐに味しないといいのだが

居心地の悪い荒野に長くは留まらないだろう。奪ったを運び、まずは基地へ帰るはずだ。その間、休憩を何度かれる。折を見て逃げられればの字だ。

どれくらいの時間が過ぎただろうか。

外では火のパチパチ(は)ぜる音や剣撃の音、び聲などが続いていたが、やがて靜かになった。

ユゼフは馬車を覆っている幌のし破れた所から外を伺った。

どうやら戦いは終わったようだ。

敵兵が捕虜を連れて馬車の近くを通る。

敵兵は上下バラバラの甲冑と膝鎧をに付けており、防に刻み込まれた刻印も様々だった。戦利品をに付けているからだろう。野で野蠻なじがする。

彼らは正規の兵士ではなかった。

盜賊が謝禮金目當てで領主に雇われる話を聞いたことがある。そういった傭兵の類いかもしれなかった。それにしては戦い方が戦略的であったが。

「王はどこにいる!?」

熊のように大きく、むくじゃらの男が宿営地中に響き渡る大聲で怒鳴った。

いつの間にか、幌馬車の前に敵兵達が集まってきている。その中心にいるのは捕虜と熊のような大男だ。

捕えられた王國兵士は震えながらも、毅然とした態度で首を橫に降った。

即座に大男は鉄製のグローブで兵士を毆りつける。兵士の顔は塗れになり、目も當てられぬ有り様に。それでも大男は容赦せず捕虜を立て続けに毆り続けた。

「さあ、言え。王の居場所を!」

彼らの中には耳の尖った者や尾のある者、角や牙の生えている者など亜人も混ざっていた。顔に傷のある者、刺青だらけの者、目や腕のない者も。まださの漂う年のような者、中にはもいる。

格の大きい者は大剣や鉄槌を、小柄な者はサーベルやレイピアなどの片手剣を腰に差していた。彼らはならず者と不良年の寄せ集めのように見えた。

──意外だな。戦略的だったからもっとちゃんとした兵士だと思っていた

だが、彼らは拷問のやり方を知らないようだ。

無論、ユゼフも本で読んだ知識しかないが。軍人が捕虜の口を割らす場合、ありとあらゆる手段を使って苦痛、恐怖、恥を與える。

ただ毆り続けて問うだけで、彼らにはそういった経験がないように見えた。

凄慘な場面に見えても拷問と違い、相手は案外耐えられるものだ。運が良ければ意識を失うだろうし……

ユゼフが興味深く観察していたところ、不意打ちは突然やって來た。

あれやこれや思いを巡らせている余裕などなかったのだ。荒々しい音と共に數人の男達が馬車の中へって來たのである。

「この中は見たか?」

ランプ片手に一人の男が裝をかき分け始めた。馬車の中は幌で覆われているため、真っ暗だ。

大丈夫、ユゼフは自分に言い聞かせる。裝の中に紛れ混んで居れば、ランプの明かりは屆かないから気付かれないはず。

「ひっ!」

だが、ディアナ王が小さな悲鳴を上げた。

間を置いて男は仲間に尋ねる。

「聞いたか?」

「ああ」

ユゼフはがっくりと肩を落とした。

『終わった』

思っていたより早くやって來たチェックメイト。

この後、どういうことになるか大想像はつく。殺される確率は八割以上。運良く生き殘れても、王を奪われおめおめと帰れる訳がない。世間は厳しいのだ。

乞いか、盜賊(彼ら)の仲間になるか、野垂れ死ぬしか選択肢はなかった。

どちらにせよ、これから死ぬほど痛い思いをするのは間違いない。ユゼフは吸い込んだ息を止め、覚悟を決めた。

──と、次の瞬間、信じられないことが起こった。

服の間からミリヤが恐る恐る外へ出たのである。

「お助けください。暴はしないで。お願い…」

泣き震えながら、ミリヤは訴えた。

的にユゼフはディアナの口を手で塞いだ。更に後ろから抱きかかえるようにして押さえつける。男達にはまだミリヤしか認識されていない。

「ここに居るのはお前だけか?」

「……ええ。お願いです。暴しないでください。何でも言う通りにいたしますから」

男達はミリヤの顔をランプで照らし出した。

次に聞こえたのは嘆の溜め息だ。

「こいつはすげえべっぴんさんだ」

「さっき捕まえた共の中で一番かもしれねえ」

ミリヤは小さな悲鳴を上げた。

男達がミリヤの腕を摑むなり、外へ引き摺り出そうとしたのだ。

「あの、痛くしないでください。何でも話しますから」

「何か知っているのか?」

「王様の居場所をお教えします」

腕の中、ディアナがビクッとくのをユゼフはじた。

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