何時間たったろうか。

日はもう高くまで昇っているに違いなかった。

何回かうとうとしたが、ユゼフは完全に眠らなかった。

いつの間にかディアナ王はユゼフの肩にもたれかかり、小さな寢息をたてている。

荒れ果てた土漠を抜けた馬車は森の中を走っていた。

もうモズには著いたようだ。

頭の中ではアナンという男の言葉がぐるぐると回っている。

『コルモラン』

確かにそう聞こえた。

このコルモランという人にこの盜賊達は雇われたようだ。そして盜賊達の頭領のアナンという男も興味深かった。

あの男の貴族的な立ち居振舞いは野蠻な盜賊達と一線を畫していた。率いているのは盜賊でも戦い方は計算高く、力任せに剣を振るうのとは違う。恐らく最初に水と食料品の荷馬車を奪ったのも彼らだろう。

ユゼフと同じく貴族の私生児か、沒落した名家の出なのかもしれない。

考えを巡らせていると、馬車は止まった。

幌のから外を見ても木しか見えない。が、ここで彼らは休息を取るようだ。

「姫様、ディアナ様、起きてください」

ユゼフは囁き、もたれかかっているディアナを揺さぶった。

「馬車が止まりました。今のに逃げるしかありません」

ディアナは細い目のまま思いっきり鼻に皺を寄せ、口をへの字に曲げた。

彼のこんな顔は初めて見る。

寢起きは特に機嫌が悪そうだ。

でも、そんなことを気にしている場合ではない。

ユゼフは深呼吸して神経を研ぎ澄ました。

すると、外でく人間達の様子がありありと脳裏に浮かび上がってくる。

馬車の周りには者が一人と見張りが四人、馬車の両側に一人ずつ、後ろに二人いる。他の賊共はし離れた所で火を焚いて食事をとっているようだ。

ユゼフは人の気をじ取ることができた。

人間のでは流に沿って気が駆けめぐっている。その気の源はを送り出す心臓である。そのイメージが視覚を通してではなく脳に直接浮かんでくる。

これは的本能のようなもので生まれつき備わっているものだった。

「まず、前にいる者を仕留めます。その後、綱を切って馬を逃がし、見張りの何人かが気を取られている隙に逃げるのです」

計畫通りに行く可能は低い。だが、今しか逃げるチャンスはない。

まず一番の問題點。ユゼフは人どころか、も殺した事がなかった。當たり前と言えば當たり前。だが、狩猟は貴族の嗜(たしな)みの一つであり、命を奪うことに対して普通は抵抗などじない。

ユゼフのような格は勇猛な武蕓者揃いの家系に生まれれば致命的であった。父がユゼフを王の侍従にしようと思った所以(ゆえん)である。

ユゼフは剣指南役から教わったことを懸命に思い出した。

ヴァルタン家の剣指南役は長く細めの長剣を使うようユゼフに指導した。

というのも、長は高めでも格が兄達のようにがっちりとしていない。痩せ型のユゼフに大剣は向いてなかったからだ。

短剣の使い方も教わっていた。首の頸脈の位置と切りつけ方だ。指南役は犬を使って手本を見せた。

しかし犬を練習に使うよう指導されても、ユゼフは殺す事が出來なかった。

臆病者と幾ら罵られようがユゼフには出來なかったのである。

何故なら犬の言葉やを理解する事が出來たから。

これも生まれつきだった。

蟲や魚とは話せないが、ある程度の知能を持った達とは話すことができる。

一部の亜人(デミ・ヒューマン)は不思議な能力を持っていた。舊國民──鳥の王國建國以前からいた原住民の中にはこの亜人のを引く者がなからずいる。更に前の原住民である鳥人の呪いにより、彼らは水に浮かぶ事が出來なかった。

母からユゼフにもそのがけ継がれている。

──馬が言う通りにいてくれればいいのだが……

逃がした馬を後で呼び寄せ、乗って逃げる。能力を使えば出來るはずだ。

「かないで。じっとしていてください」

ユゼフはディアナの首をった。

の辺りに強く拍をじる箇所がある。

熱く強い気をじる。

そのは甘で能的だった。

──ここだ

「何なの？」

怪訝な表のディアナを目にユゼフは短剣を鞘から抜いた。

張はしていた。

犬を殺せないのに人を殺せる人間はいるのだろうか。

だが、やるしかない。

頭の中で「彼」の言葉が魔法のように響く。

「前に五十二人いれば殺せばいい。戦地へ行けば五十二人の命など軽いものさ」