《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》8話 姫を妹設定にする
「あたしはエリザだ。あんたは?」
「ユゼフだ」
男にしては甲高い聲だったが、まさかとは思わなかった。
「初めてにしてはまあまあの戦いぶりだった……あたしも最初は酷かったものさ。気にするな」
エリザは不揃いな歯を見せて笑った。
「ここで何を?」
「その臺詞(セリフ)、まんまあんたに返すよ。何で道じゃない所を通ってる?」
ユゼフは上から下までじっくり見られた。
怪しまれるのは當然。
貴族のようななりの癖に従者も連れていない。その上、弱そうである。魑魅魍魎(ちみもうりょう)蠢く森には不釣り合い過ぎる。
こうなったら、思い付いたでまかせを言うしかなかった。兄妹で旅をしている途中、盜賊に襲われた。故(ゆえ)に「魔法使いの道」から外れて町へ向かっていたのだと。
幸いエリザはユゼフの話に興味を持たなかった。
「あたしは元々鳥の王國に居たんだが、両親との折り合いが悪く家出した。もう一年近くこの森で騎士になるための修行をしている。カワウとの戦爭で上手いこと武功を上げて親に認めてもらう予定だったのさ。それなのに戦爭が終わり、しかも壁が出現した」
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エリザはそこで大きな溜め息を吐いた。
「國へ帰ろうにも帰れなくなり、実家からくすねた金は底を盡きかけている。ユゼフ、あんたなりはいいが、金は持っているか?」
「大して持っていない」
「金をくれるならいいをやるよ」
エリザは肩に掛けていた袋から小さな瓶を取り出した。
一見何の変哲もない小瓶のようだが、よく見るとガラスの表面が七にり、緩やかにいている。
「魔瓶だ。魔を封じ込める事が出來る……とは言っても、五十年くらい修行しないと魔獣使いにはなれないから、使えないと思うけど。モズの町の魔法使いから買ったんだ。お値打ちもんだと騙されてな。あんたに初めての記念にやるよ」
エリザはそれをポイとユゼフの方へ投げた。
先程の巨蟲はまだ完全に息絶えていない。斬られたところから白いを流し、ピクピクと痙攣していた。
『痛い、痛い、助けて……』
ユゼフの心の中に巨蟲の聲が流れ込んでくる。
汚れた者を封じ込める祈りの言葉は神學校で習っていた。使う者の能力によって祈りの効力は変する。
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ユゼフは唐突に祈り始めた。
的に何かしたいと思った訳ではない。そこにいる息も絶え絶えの生命が哀れだっただけ。ただの戯れのつもりだったのだ。
「地に墮ちし哀れな汚れ者よ。霊の名において我に仕えよ。我呼び出せばそれに応え、我の為に勤めよ。しからば許しは得られずとも艱苦から逃れられ一時の安寧を得ることができよう……」
古代の言葉で祈り始めると、巨蟲は発し始めた。そして、祈りが終わる頃にはの玉となって、すうっと瓶に吸いとられていったのである。
「すごい! あんた、魔獣を扱えるんだ。初めて見たよ」
エリザは目を丸くした。驚いたのはユゼフ本人である。魔獣を封じるなど、相當の練者でないと出來ないはず。それこそグランドマイスターのシーバートほどの老練でなければ。
ユゼフは両掌を呆然と眺めた。
どこも変わった所はない。
そこには、いつも通りの薄っぺらい掌があった。
「で、謝禮は?」
エリザに言われ、現実に引き戻される。すぐに言葉は出てこない。
怪訝な顔で見下ろすエリザを前に、ユゼフはゆっくりと口を開いた。
「い……今から妹の元へ連れて行く。謝禮は主國へ戻ってからだ」
大で歩き出したユゼフを見て、エリザは木から飛び降りた。
「おい、待てって。妹はどこにいるんだ?」
追いかけながら質問を浴びせてくる。すぐに答えられないユゼフを気にも止めず、次から次へと。
「主國って? まさかあんたも鳥の王國の人なの?」
歩幅が違うため、エリザは小走りだ。
「壁があるのにどうやって帰るのさ? 何か方法があるのか?」
「學匠なら通る方法を知っているかもしれない」
「學匠!?」
「あ、いや……知り合いにいて、だな」
話しているにディアナの元へ著いた。ディアナは木のうろの中でずっと震えていたようだ。
「妹のダイだ」
ユゼフはエリザに紹介してから、ディアナに耳打ちした。
『話を合わせて下さい。私と殿下は兄妹ということで……』
ディアナは眉間に皺を寄せ、エリザを一瞥(いちべつ)しただけだった。
「悪いな。妹は人見知りが激しくて」
何も言わない方がいい。話せばボロが出るから。ディアナが不機嫌なのは逆に好都合だ。
「……妹さん、似てないんだな……」
と、エリザは一言だけ。その後は何も聞いてこなかった。
逃げる際、ディアナは下の服に著替えていた。更にマントでを覆い隠し、フードを深く被って艶やかな金髪を隠している。だが、真っ白なや濃緑の瞳は隠せない。エリザが不信を抱くのは當然だった。
空気を読んで何も聞いてこないのは有り難いにせよ、後々余計な詮索をされても困る。
闘いの後の興から次第にユゼフはいつもの冷靜さを取り戻していた。よって、普段の無口に加え、より無想になる。
エリザは一年ほど、この森で武者修行を兼ねた魔退治を行い、森を出てすぐの村から報酬をけ取っていた。戦爭も終わりそろそろ國へ帰ろうとした矢先、壁が出現したのである。
鳥の王國へ帰るとは、余計な話をしてしまったとユゼフは後悔した。初めて戦闘を経験し、どうかしていたのだ。軽い酩酊狀態に近かったのだろう。異様な高揚に煽られ、いらんことを話した。そのせいで帰國したがっていたエリザは俄然興味を持ってしまったのである。
エリザは村までの道案を買って出た。
ここまではいい。
しかし、こちらのやんごとなき理由までづいてしまいそうなのだ。とりあえず、安全な場所まで案してもらえたら、上手く撒いてやろうとユゼフは思った。
魔法使いの森では磁石が狂う。ユゼフ達は太の位置を見て方角を判斷した。
木々には外界へ出る最短の道を標す印があり、それを辿って二時間程度で森の外へ出ることが出來た。
日は沈みかけていた。
エリザの話では近くの村に泊まれる場所があるとのこと。旅人が訪れない辺鄙(へんぴ)な村では、村人の善意を頼りに泊めてもらうほかない。
エリザが一年前から世話になっているという村長の家に宿泊することとなった。
貸して貰えたのは埃だらけでカビ臭い上に狹い一部屋。部屋に案されると、ディアナはしかめ面で回れ右をした。
「堪えてください。野宿よりはマシです」
ユゼフは耳元で囁く。
ずっと膨れてはいたが、ディアナは不思議なくらい素直に従った。
恐ろしい目に會い続け、酷く疲れていたからかもしれない。
食事は固いパンと豆のシチュー。
ディアナにとっては生まれて初めて見る末な食事だったろうが、この三日間干しや乾果類しか口にしてなかったせいか殘さず食べた。
部屋は狹く、ベッドは一臺だけだ。
ディアナとエリザがベッドで休み、ユゼフはドア近くの壁際にもたれ掛かかった。
本來は王と同室で休むなどとんでもない話だ。しかし、エリザを完全には信用出來ないから仕方がない。
エリザはベッドにるなり、すぐにイビキをかき始めた。
ユゼフは疲れていたためウトウトしたが、寢息を立てるほど深くは眠れなかった。
朦朧とする意識の中に殺した盜賊の顔がチラつき、ビクつく。睡は出來なくても、しは休みたい。明日もあるのだから……だが、眠ろうと思えば余計に眠れなくなった。
ふと、気配をじ顔を上げる。目の前にいたのはディアナだった。
ディアナは何も言わず、ユゼフの橫に腰掛けた。
黙ったまま前を向くこと時。
窓から差し込む月明かりの中、二人の呼吸とエリザのイビキの音だけが聞こえている。
穏やかな時間がゆるりと流れていった。
「これから、どうなるの?」
最初に口火を切ったのはディアナだった。
「レーベにはシーバート様とバソリー家の廃城へ向かうよう言ってあります。途中、ナフトという町があるので旅裝を整えます。シーバート様なら壁が突然出現した理由も分かるかもしれません。それからのことはシーバート様が……」
「そんなことを聞いているのではないの!」
ディアナは聲を荒げて言葉を遮った。
エリザのイビキがしの間止まったので、ユゼフは人差し指を口に當てる。
イビキが再び始まり、二人はまた小聲で話し始めた。
「そんなことではないのよ。私が言っているのは。私達本當に無事帰れるの?」
「お守りいたします」
ディアナは溜め息を吐いてから尋ねた。
「お前の兄、ヴァルタン卿はどうしたの?」
「亡くなりました」
「ミリヤは?」
「死んではないと思います」
確証はなかったが、そう答えるしかなかった。
「私にはもうお前しかいない。お前の兄が出來なかったことをお前はやり遂げることが出來るのかしら」
「最善は盡くします」
「信じていいのね?」
ユゼフは頷いた。
「ペペ、お前に禮を言うわ」
ペペというのはユゼフの稱である。このように呼ばれるのは子供の頃以來だった。
「盜賊が襲って來た時、二百人も兵士はいたのに誰も私を守れなかった。お前と一緒に逃げていなければ、今頃私は捕まっていたわ」
ユゼフは驚いて彼を見つめた。
ディアナが自分に禮を言うなんて信じられないことだ。
青白い月明かりがディアナのしい顔を照らしている。き通るような白いにらしい。キラキラ輝く濃緑の瞳。
ハッと気付き、ユゼフは目を伏せた。王の顔をじっくり見るなど無禮な行為だ。
ユゼフの心中をよそに、ディアナは何も言わず近寄った。
甘い香りが鼻孔を満たす。
ディアナは小さな頭をユゼフの肩に乗せた。もたれかかった彼のらかな金髪がユゼフの頬をくすぐる。
優しい言葉をかけられたのは初めてだ。ディアナはユゼフに対していつもキツイ態度をとっていた。
顔が火照(ほて)るのをじて、ユゼフは靜かに目を閉じた。脇腹がジクジクと痛む。
これまで邪険にされてきたとはいえ、罪悪をじずにはいられなかった。
──彼を守るのは忠義からじゃない
心が騒ぐ原因は他にもある。
宿営地のテントで悪夢から目覚めた時から……いや、カワウの王城を出てからだ。ちょうど、時間の壁が現れた時期と重なる──ずっと嫌なじがしていた。何者かに遠くから見られているような、そんな覚だ。
盜賊達とは違い、もっと邪悪でおぞましい気配……
──嫌な予がする
それは盜賊でも森の怪でもない。もっと他の何かだ。
思い當たることは…………
………………ない。
だが、自分は何かを知っているような気がする。きっと記憶の斷片の中にヒントがあるはずだ。
ユゼフは必死に記憶の糸を手繰った。そもそもの始まりはなんだったのか?
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