《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》11話 臣従の誓い
「噓だ」
「噓ではない。シャルドンの実の息子とれ替わったのだ。俺は十二歳まで農家の十人兄弟の一番下だった」
ユゼフはシーマがいつものように自分をからかっているのかと思った。しかし、シーマの顔から笑みは完全に消えている。
「おまえがヴァルタン家に來たのも同じ時期だったな。俺が來て一年もたたぬに本のシーマ・シャルドンは亡くなった」
ユゼフはまだ信じた訳ではなかったが、息を呑んで次に言う言葉を待った。
シーマ・シャルドンは四キュビット(二メートル)の高長に加え、き通るような白いをしている。細く長い指、高い鼻、薄い、素の薄い灰の瞳、白く長い睫……繊細な外見だけでなく立ち居振舞いも良家の子息としか思えなかった。
「農家の十人目とは、おまえの魚売りよりひどい。でも俺は今、ここにいる」
一息飲んで、
「俺は今、ここにいる。シーマ・シャルドンとして」
シーマは繰り返した。
「さて、おまえの前にいる五十二人は多いか、ないか?」
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シーマの顔はいつもの薄笑いに戻っている。ユゼフは言い淀んだ。
「……それは多くもなくもない。人數より質の問題だと思う」
「ほう、質とは?」
「賢さだ」
「その五十二人の中におまえより賢い者はいるのかな?」
「さあ……でも王になろうとする者はいる」
それを聞くとシーマは満足そうに頷いた。
「クロノス・ガーデンブルグは王として相応(ふさわ)しいか? 三百年前までここを統治していたのは不老不死と言われたエゼキエル王だった。大陸は魔の國を除いて全て鳥の王國。海の向こうからガーデンブルグの一族がやって來るまでは三千年もの間、この國は平和だったんだ」
その通り。
この三百年、貴族達が富を専有し戦爭の絶えない狀態はずっと続いている。
「更におぞましいことがもう一つ。俺には亜人の汚れたも混じっているようだ。この白過ぎるや黒く染めて目立たなくしている銀髪はその影響だと思われる」
シーマはユゼフの耳元で囁いた。
「知っている。ペペ、おまえも同じだってことを」
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ユゼフはビクッとを震わせた。
「おまえも髪を染めているだろう。それに瞳のも目立たないが濃い藍をしている。普通の人間が持つ瞳のではない。だからすぐ目を反らす。それに俺もおまえも不思議な力を持っているようだ」
シーマはワインを注ぎれた。
「返事を聞こうか」
ユゼフはしばらく黙っていたが、もう心は決まっていた。
「従う。シーマ、君のむ通り」
シーマから華やいだ笑みがこぼれる。
「では、臣従の誓いをしなくてはな。聖典を使うか、剣を使うのか……おまえはどんなやり方がいい?」
「どんなやり方でもいいよ」
シーマはそう言われるのを最初から分かっていたようだった。
「ならば、魔族のやり方でやろう。これはユゼフ、おまえと俺の間だけで取りわすやり方だ。今後、誰かに誓いを立てさせることがあっても、同じようにはしないと約束する」
シーマはワインの杯(さかずき)を空にし、一降りのダガーを取り出した。
きらめく刃を前に儀禮の言葉が紡がれ始める。
「地の神の子ユゼフ・ヴァルタンよ、サタンの名のもとに我シーマシャルドンの右手になり、左手になり、目になり、口になることを誓え。我む時に命と心を捧げ、盡くして仕えよ。敵を退け我に道を開けよ。月が上る夜も上らぬ夜も、死しても尚我に仕えよ……」
シーマは腕を切った。
ほとばしる真っ赤なは真鍮の杯を並々と満たす。
その間、ユゼフは以前魔書で読んだやり方を懸命に思い出していた。
まず、シーマの前に跪(ひざまず)いて頭を垂れる。
「サタンの名のもとに地の神の子ユゼフ・ヴァルタンはシーマ・シャルドンの右手になり、左手になり、目になり、口になることを誓います。日が落ちぬ日も雨が大地を覆い盡くしても、死しても尚この心、このをシーマ・シャルドンに捧げます……」
ユゼフも同じように腕を切って、流れ落ちるを杯でけ止めた。
その後の手順はこう──
杯を換する。先にユゼフのをシーマが飲んでから、ユゼフがシーマのを飲む。
直前になって、ユゼフは後悔した。を飲むのには抵抗がある。魚は食べれるが、は食べれないのである。生きを飲むなどもってのほかだ。
シーマはし口を付けただけだった。次はユゼフの番。早く飲めと目で促してくる。
ユゼフは目をつむり、息を止めてから口に含んだ。
「!」
それは思いのほか味しかった。
父に無理矢理、牛を食べさせられた時とは違う。牛はとても生臭かったのである。嘔吐の止まらないユゼフに父は蔑みの眼差しを向けたものだ。あの時もこれぐらい味しければ……
シーマのは甘く、優しく……何というか、扇的な味がした。不思議と虜にさせるような。
獣のごとくを鳴らし、夢中で啜(すす)る。気付くとユゼフは全部飲み干していた。
手で口を拭う所、視線がわった。シーマは珍しく怪訝な顔をしている。ユゼフは無意識の、貪るようにを飲んでいたのだ。
気を取り直して、
「ユゼフ、おまえに最初の任務を與える」
シーマは厳かに口を開いた。
「ディアナ王を守れ」
「……それだけ?」
ユゼフはシーマの前にひざまずいたままだった。
「これから第一王のディアナは各方面から狙われることとなる。生きた狀態のディアナ王をある場所へ時間通りに連れて行ってしいのだ。しい顔と子供を産む機能さえ無事であれば、傷になってようが構わない。しいのは王家の名とだ」
「計畫の容をある程度教えてくれないと……うまく立ち回れるか分からない。」
「計畫の全容を教える訳にはいかない。誰よりもおまえのことを信用していようが、教えられないんだ」
「では、王を守る理由だけでも教えてしい」
「ペペ、おまえは俺の嫌いなものを知っているだろう?」
「……」
「それは愚か者だ。なぜ王を守るのか、それぐらいは慮(おもんぱか)ってほしい」
それ以上、ユゼフは何も聞けなかった。
シーマは続けた。
「王が婚約儀禮を済ませて帰路に立とうとする時、「時間(とき)の壁」が現れる。そうしたらまず、モズのソラン山脈へ向かう。詳しい場所はあとで教えるが、ここには「蟲食い」がある。蟲食いはグリンデル王國に繋がっている。蟲食いを通り、グリンデル王國に著いたら今から言う場所へ向かえ。グリンデル王國と魔の國、そして鳥の王國、この三つの國を隔てる境界がわる所、そこに王を立たせよ」
「蟲食い」というのは、このアニュラス大陸の所々に點在する異空間トンネルのことである。
この蟲食いを使えば、數十萬スタディオン(數萬キロ以上)離れた場所に瞬間移することができる。
シーマが言葉を切ると、間髪れずにユゼフは口を挾んだ。
「……ま、待った。々と質問がある」
「質問は一つだけけ付ける」
ユゼフは溜め息を吐いた。
先程飲んだかワインのせいか、頭がぼんやりしてうまく働かない。それに加えて話の進みが急過ぎてついていくことができなかった。
「王を守る護衛隊長は兄のダニエルだ。俺はただの従者で何の指導権も発言権も持たない。どうやって王を導すればいい?」
「先程、五十二人の話をしたばかりじゃないか」
シーマは人差し指を顎に當てた。
「理的に無理な部分は上手く事が運ぶよう、こちらからある程度手を回しておく。おまえの兄は無能な堅だ。おまえのことなど視界にもってないし、恐らく早死するだろう。隊は國外の王を狙う者達に襲われるだろうから。もし、ヤバい狀況に陥ったら王だけ連れ出して逃げればいい。王の一番近くにいるのはおまえなのだから、どうにでもなる」
ユゼフはシーマの言っていることがよく分からなかった。
『従者として王を守る、そして指定の場所に導する。導についてはある程度手を回してあるというが……』
「不安なのだな」
シーマはユゼフの両肩に手を載せた。
「力を抜くといい。息を深く吸って吐く」
シーマにれられると、再び心の中をでられているような奇妙な覚に陥った。
「ペペ、おまえには出來る。これはおまえにしか出來ないことだ。俺はおまえを誰よりも信じている……」
シーマの言葉は強い暗示となって心に直接刻み込まれていった。
「王をその場所に連れて行く日時が大事だ。薔薇の月八日の正午、太が真上に昇りきった時、その場所に立たせなくてはいけない」
「壁を抜けて無事帰還する方法は?」
「王を連れて行けば分かる」
答えてからシーマは額に手を當て、
「質問は一つだけと言ったはずだぞ。今日は飲もう。俺は命の次に大切な腹心と當分離れ離れになるのだから」
笑いながら杯(さかずき)をかざした。
ユゼフがシャルドン城を出た時は夜が明け始めていた。
帰り際、シーマは意味深な言葉を殘した。
「そうそう。できたらでいいが、カワウ國のフェルナンド王子を始末しておいてくれ」
「冗談はもういい」
「冗談ではないさ。俺の右側はおまえのためだけに空けておく。次會う時は陛下と呼ばせてやるよ。間違っても、シーちゃんなどとはもう言わないように」
†† †† ††
小鳥のさえずりが聞こえる。
思い出しているにウトウトしていた。いつの間にか寢てしまったようだ。
カーテンの隙間から差し込む朝日が涙を滲ませる。ユゼフは大きな欠(あくび)をした。危うくびをしそうになり気付く。目の端に映る煌めく金髪と、肩にじるズッシリとした重みに──ディアナは昨晩と同じ狀態のまま、睡していた。
の辺りにった吐息がかかる。
実を結ぶ前の可憐な花の香り。
何より心を奪われるのは、微かに聞こえる花の囁き──彼の寢息だ。
──ああ、可らしいな
夢より現実の方が素晴らしいなんてことは、稀(まれ)だ。しばらくこのままでいたい。難しいことをあれやこれや考えるより、今はこの幸せを充分に味わうべきだ。
──結局、思い出したところで、何も邪悪な気配と結びつかなかったな
シーマが國で何か起こしたのか。
壁に遮られ、報が得られない狀況では何も分からない。
ユゼフに出來るのは王(ディアナ)を守ることだけだ。
ここまでお読み下さりありがとうございました。お気に召されましたら、ブクマ、評価してくださると幸いです。
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