《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》19話 暗號①

(ユゼフ)

シーマが書いて、ヴィナス王がサインした文(ふみ)──

に手を當て、大切な文がそこにあることをユゼフは何度も確認した。

広い五首城の城にて。

手頃な部屋を探す。

広間からそんなに離れていない執務室あたりが良さそうだ。仕事部屋ならや涙で汚れてないかもしれないから──

安易な考えでユゼフは適當な部屋へった。頭の中はグチャグチャで、良い部屋を考する余裕はない。頼りはインスピレーションだけである。それが思いのほかアタリだった。

ユゼフがったのは、バソリーが事務仕事に使っていた部屋と思われた。

石壁で囲まれた部屋には埃だらけの本棚が十臺ほどと、これまた埃と蜘蛛の巣で覆われたソファと暖爐、それに機と椅子があった。

理想的に質素。

壁や床の傷みもない。

椅子と機の埃を拭えば、銘木のツルリとした斷面が覗く。

ホッとしたユゼフは力し、椅子になだれ込んだ。

弛緩すること、時。

すぐに背筋をピッとばし、元から二通の文を取り出した。

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制限時間は一時間。

それまでにシーマが文に紛れ込ませた暗號を解読せねば。

一番気になるのは二通目。右上に記された日付の後の時間。

「カモミールの月、十八日、十五時五十二分」

日付を書いても、普通は時間まで書かない。それと、整然過ぎる文字に違和じた。元々、シーマは流麗な字を書くが、いつもよりじがする。

ユゼフは文(ふみ)を逆さにしたり、かして見たり、文字を指でなぞったり……傍目から見たら同じきを何度も繰り返した。

手帳に何か書きつけたりしては溜息を吐き、歩き回る。何かつかめそうで、なかなかつかめない。

スリングから抜け出た亀のアルメニオがユゼフの足を掻いた。

し寒いのかもしれない。

ユゼフの足は冷たくなっていた。

夜になると春とはいえ、石造りの城は冷え込む。暖爐に火をくべたいぐらいだ。

不意にドアをノックする音がし、ユゼフは慌てて文を元にしまった。隠された暗號のことで頭が一杯だったから、気配に気付かなかったのだ。

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るわ」

中にって來たのはディアナだった。

は全て盜賊に奪われてしまった為、相変わらず下の裝いである。地味な服は彼しさを一層際立たせていた。

まず、椅子から立ち上がろうとするユゼフをディアナは靜止した。

「そのままでいいわ」

次に機をぐるりと回り、ユゼフの前に立つ。ユゼフは椅子から降り、ひざまずかねばならなかった。

「そのままでいいと言ったでしょ? 座って。あの不潔な亀はどこにいる?」

ユゼフは言う通りに座った。

アルメニオはディアナの気配をじ、機の下で息を潛めている。ディアナはユゼフの亀を嫌悪していた。

「亀は別の部屋にいます」

噓も方便。

アルメニオ×ディアナ。

これは敵対する両者を守るための優しい噓である。

安堵したディアナは一息吐(つ)いてから話し始めた。

「この気味の悪い城にいつまでいないといけないのかしら? 教えて?」

「ここは安全です。ヴィナス様がシーバート様と連絡を取り合っているので、もうしばらくはここにいるかと……」

「そのことだけど、アダムが屆けた妹からの文、確かにサインは妹のもので間違いなかった。でも筆跡は別人だったわ。誰かに書かされている可能はない?」

それはユゼフが誰よりも分かっていることだった。つい、無意識に服の上から臣従禮の傷痕をってしまう。平靜を裝い答えた。

「ヴィナス様はショックで、筆も握れないほど意気消沈されておられると文には書いてありましたが」

「そうだけど……何か気になるのよ……まあいいわ」

會話が途切れると、ディアナは目を伏せて髪をったり、手を後ろ手に組んでみたり、落ち著きのないきをした。

──一、何をしに來たのか……

「お話は以上でしょうか?」

「……あの子と仲がいいのね?」

「??……あの子とは?」

「エリザに決まっているじゃない。あの子の前で服をいだりして」

「傷の手當てをしてもらっていたのです」

「他にもあるわ。二人でこそこそ話したり、脇腹を突っつきあって楽しそうに笑っていた」

ユゼフにはディアナの言わんとすることがよく分からなかった。

エリザは気取らなく、男のようにさっぱりしているから気を使う必要がなかった。

裁を整える必要がないのは楽だ。彼といる時は確かに自然だったかもしれない。

「ああいう子が好きなのね。彼の前だと楽しそうに聲を立てて笑ったりする。私の前ではいつもしかめっ面なくせして。子供の頃、意地悪して顔にパイを押し付けたこと、まだに持っているのかしら?」

『パイを押し付ける意外にも々されたが……』

ディアナは潤んだエメラルドの瞳で睨んでくる。

「エリザをとして好きだと思ったことはありません」

ユゼフは抑揚のない聲で答えた。

ただ変な誤解を解きたかっただけだ。々、ムッとはした。だが、いつも通りを押し込める。

すると、途端にディアナの膨れっ面がしぼんだ。し顔が赤らんでいるようにも見える。前に組んだ両手の親指をせわしなくかしつつ、彼は口を開いた。

「あのう、シーバートから貴方(あなた)への態度を改めるよう進言があったわ」

ディアナがユゼフのことを「おまえ」ではなくて「貴方」と言うのは初めてのことだ。

そういえば、再會したシーバートはユゼフに対して敬語を使っていた。

理由として考えられるのは、長兄ダニエルだけでなく、父エステルと次兄サムエルまで命を落としていたからだろう。

これでヴァルタン家のを引く者は一人だけになった。

國王の前で爵位継承が正式に行われれば、ユゼフは侯爵として鳥の王國南西部全域を治めることになる。

大陸部の領地は大きく分けて三つ。南西がヴァルタン家、東がシャルドン家、北をローズ家が統治していた。

王城のある王都スイマーはシャルドン家の領地とヴァルタン家の領地に挾まれている。

國王議會の一員であった父エステルは屋敷を王都スイマーに置き、居城に次兄サムエルを住まわせ統治を任せていた。

ユゼフがヴァルタンの城に行ったのは二回だけだ。今は城もスイマーにある屋敷もイアン・ローズに占拠されている。

無論、急なことで実は沸かない。宦にならないで済むのは有り難いとしても、家を継ぐことについてはまだ考えられなかった。今一番気になっているのは、シーマが何を伝えんとしているかだ。

「それでね、シーバートの話だと國が今大変な狀態なので、カワウのフェルナンド王子との婚約は白紙に戻るそうよ」

ディアナは頬を桃に染めながら続けた。

「私の兄や弟たち、甥が皆亡くなったから、父が亡くなった時は第一王である私が王國を継がなくてはいけない。だから、國外からではなくて國の王族に近しい家と縁談を結ぶ事になるだろうって。そんなこと言われても、私が次期王位継承者だなんて、あまりに唐突過ぎて実も湧かないのだけど……」

「ご家族のことはとても殘念でした」

ユゼフは事務的に弔意を表した。

國王が亡くなったことはまだ知らせるなと、シーバートに口止めされている。

「私が王になった時、王配※が誰になるかって話……王家と縁のある家はローズ家とヴァルタン家、シャルドン家……謀叛を起こしたローズ家は外されるから、のつながりが深い順でいくとヴァルタン家が先頭になる」

ディアナの瞳が俄然、熱を帯びてくる。潤んだ瞳でじっと見つめられ、ユゼフは居心地悪くなった。

『王家と近しい家と縁談……ヴァルタン家が先頭……』

そんなこと、考えもしなかった。

『でも、國王が亡くなった今、縁談は誰が決めるのだろう? 言でも殘してあるのだろうか? だとしても諸侯が納得する容でないと……』

ユゼフは王位継承順位五十三番目。しかし、ユゼフは私生児。正嫡子であるシーマ・シャルドンがそれより後に來るか、前に來るかは分からなかった。

──王族に近い順番に並べるとおまえは何番目だっけ?

──前に五十二人いれば殺せばいい

──戦地で五十二人のは數のらないよな?

──これは考え方なのだよ、ユゼフ・ヴァルタン?

──前に居る五十二人を多いとじるようだとおまえは役にたてない

シーマの言葉が耳の奧でこだまする。

「五十二人……」

思わず口に出して、ユゼフはハッとした。

「どうしたの?」

ディアナが訝(いぶか)しげに顔を覗きこむ。

「王様、お話の途中で申し訳ないのですが、至急調べたい事があるのです。話は後でお聞きします。とりあえず今はどうぞお引き取りください」

ユゼフは立ち上がり、埃まみれの本棚を調べ始めた。

※王配……王の夫。

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