《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》20話 暗號②
お引き取りくださいと言っても、ディアナは出て行こうとしなかった。
「何を調べているの?」
問いには答えず、ユゼフは棚の端から埃(ほこり)だらけの本を調べ始めた。ディアナのことは全く目にっていない。
「あった!」
一冊の本を見つけ、パラパラとページをめくっていく。何年もの間、誰の手にも取られなかった本は派手に埃を舞い上がらせた。當然、傍にいたディアナは激しく咳き込む。
「もう、いいわ。おまえの気持ちはよく分かった」
ディアナの顔は淡い紅から怒りの赤へと変わった。
「國に帰って、もしも、お父様がおまえと結婚するようにと仰(おっしゃ)ったとしても私は斷固拒否する。おまえはちゃんとした貴族ではなくて平民のが流れているのだから、私には相応(ふさわ)しくないわ」
ユゼフの指は紙上の文字を端から順に移していた。ディアナの聲はあまり屆いていない。さっきまで脳を縛り付けていた暗號が……謎がようやく解けようとしている。
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「私は私生児ですからそんな話にはならないでしょう」
上の空でユゼフは答えた。
ディアナは足音も荒々しく、ドアが壊れるのではないかと思うくらい大きな音を立てて出て行った。
そんな騒々しい音もユゼフは耳半分で聞いている。何をそこまで夢中になっているのか? 自分でも分からない。
複雑に絡まり合った糸が綺麗に解けていくのだ。中に一本だけの違う糸が混じっている。その糸が指し示すのは、これから進むべき道である。
友人と従兄弟が汚れた行いをし、父と兄を一度に失った。
憤りやら悲しみよりもまず、自分がどこへ向かうべきか分からない。決められた道を進むだけの人生が突然深い霧に覆われてしまったのだ。前も後ろも、右も左も何も見えない。手をばした先が消えてしまうほどの深い深い霧に──
だが、霧は晴れた。
行くべき道は決まったのである。
「カモミールの月、十八日、十五時五十二分」
やはり日付の後に記された時間がキーワード。
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五十二分(・)、五十二人(・)……
シーマは最後に會った時、この“五十二”をいやに強調していた。
そして同じ時、シーマと臣従の誓いをした。それも普通のやり方ではない。魔族のやり方だ。
ユゼフが手に取った本は魔族語の辭書だった。
十五時五十二分……
魔族語は五十二音からなり、母音は十五音である。
今はカモミールの月の二十九日だから、文の日付の十八日は十日も前にさかのぼる。々不自然な気がした。王城が占拠されたのが十七日。その翌日書いたにしては、記載されている報量が多い。
記された時間だけでなく、この日付にもきっと意味があるはずだ。
まず、文を託されたマリクは、シーマのいるシャルドン領からグリンデルと魔國に隣接するローズ領へ向かった。そう、シーマがディアナ王を連れて行けと指定した場所のローズ領側だ。
それから、マリクは時間の壁を渡ってグリンデルへ行き、蟲食いを通ってこのソラン山脈にたどり著く。
シーマがグリンデルとローズ、魔國の境目へ行くよう指示を出すのは、そこへ行けば何らかの方法で時間(とき)の壁を渡れるからだと思われる。現にマリクは時間の影響を全くけていない。
そして、蟲食いをを利用すれば、文を書いてから屆くまで一週間もかからないはず。國外に蟲食いはないが、鳥の王國には沢山ある。
ユゼフは文(ふみ)をもう一度見直した。
文はヴィナス王が姉ディアナに宛てて書いた、という裁をとっている。とは言っても、姉妹同士の個人的な文ではない。學匠シーバートに託す、と最初に記されてある通り、これは政治的な意図を含む文なのである。
カモミールの月、十八日──
十八行目を見ると、王連合軍の約半數がイアン・ローズに降服し、殘りの四分の一が逃走、殘った軍と、王家に忠誠を誓ったシャルドン家の軍勢がヴィナス王を守っていると書いてあった。この文は暗號とは関係ない。
今度は文章を縦に割ってみる。
ユゼフは十八列目を指でなぞった。
シーマの字はしく的でありながら、軍隊のごとく整列していた。格子の枠にピッチリはまっているかのように、縦から見ても綺麗に並んでいる。まるで縦書きかと見紛うほどに。
が、よく見ると文字を確実に合わせようとしているのか、左右の字がびていたり空白が目立たない程度にっている箇所がある。
『間違いない』
ユゼフは辭書を片手に縦十八列目の文字を魔族語に當てはめていった。
違う……
ただ文字を當てはめるだけだと意味の分からない言葉の羅列になってしまった。
……ではこれならどうか。
手紙の日付にあるカモミールの月は年が明けてから三番目の月である。それにちなんで魔族語に當てはめた文字を三字ごとに読んでみる。
ようやく浮かび上がった言葉は……
「ダガー、三……」
その時、ドアがノックされシーバートの聲が聞こえた。
機の端に置いた懐中時計が、制限時間の終わりを告げている。
「お待ちください。今、ただ今、開けます……」
ユゼフはシーマとの誓いの後、賜ったダガーを腰から抜いて眺めた。誓いを立てる時にこのダガーでシーマは右腕、ユゼフは左腕に傷を付けたのだ。
よく見るとダガーの柄部分には縦に五つ、様々な寶石が埋め込まれている。三番目に埋まっているのは、グリンデル鉱石だ。
虹に輝くアニュラスの奇跡──グリンデル鉱石はグリンデル王國と海の一部でしか採掘出來ない。
ドアが再度ノックされた。
ユゼフは慌ててダガーをしまい、ドアを開けた。
「何かありましたかな?」
シーバートは不審げにユゼフを見る。
「……いえ。本を見ていたら埃だらけになってしまい、著替えようかと……」
「怪我の合はどうですか?」
「もうほとんど痛みはありません。シーバート様の薬草が効いたのです」
ユゼフは傷の治癒が驚異的に早かった。
「痛みはないと言っても、まだ骨がくっついてないだろうから無理はしないように」
「あ、お預かりしていた文を返します。遅くなってすみませんでした」
ユゼフはヴィナス王の文を差し出した。シーバートはそれを注意深くけ取る。
「それで……何か分かりましたか?」
「いいえ。何も。私の思い違いでした」
噓をついている時の聲は、いつもより増して無になる。高揚していても、進むべき道がしっかりあることは気持ちを落ち著かせていた。
ユゼフはもう吃(ども)らなかった。
シーバートの乾いた目は子供を心配する親の目のようだ。
「何か、隠し事はしてませぬか?」
ユゼフは首を橫に振った。
「困っていることがあるなら、わしに話して頂けないだろうか?」
「大丈夫です」
「先程、ディアナ様が怒り狂って、貴殿とはもう口も聞きたくないと、一緒に連れて行くのは嫌だと喚き散らされておりました」
「……ああ」
ユゼフは苦笑いした。
「何か思い當たる節(ふし)はおありですかな?」
「ええ。本に夢中で無禮な態度をとってしまったかも知れません。後で謝りに行きます」
シーバートが去った後、ユゼフは思案に耽(ふけ)り、部屋の中をぐるぐると歩き回った。
『グリンデル王國に何かあるのだろうか……』
回りくどいやり方はいかにもシーマらしい。しかし、こんなやり方でメッセージを送るのは、困っているからだろう。
裏で煽し、イアンに謀叛を起こさせたはいいが、思い通りにことが運ばないのかもしれない。
狀況を整理すると……
王城を占拠したイアンの反軍と、亡くなった國王とヴィナス王を保護したシーマの王連合軍が対立する構図となる。
イアン 対 シーマ──
王城を占拠されているものの、イアンとの兵力差は五分だと文には書いてあった。王城の周りを王連合軍で取り囲んでいるため、イアンは城からけない狀況との話だが……
ユゼフは戦況を懸命に推察する。
北のローズ城は処刑されたイアンの義父に代わってカオル・ヴァレリアンが守っている。
シーマの父ジェラルド・シャルドンと王妃はイアンの捕虜になっている。
王家とつながりの深いヴァルタン家、クレマンティ家、シャルドン家は國王側だが、ヴァルタン家の男子は全滅。謀叛の最初に城と屋敷を奇襲され反軍に占拠されているし、宰相クレマンティも王城が攻められた時に戦死している。
イアン・ローズに連なる諸侯は意外にも多い。
その理由として長引いた戦爭の存在が大きいだろう。戦爭中、海の諸侯には重稅を課し、大陸の諸侯と王家は富を散財した。徴兵に関しても、大陸の選択制に対し海では強制だ。
クロノス國王に対する不満は平民だけではなく、海の諸侯の間にも溜まっていたのである。
イアンは海の諸侯達に協力を要請した。
小領主であっても塵も積もれば山となる。獨自の兵を持ってなかろうが、不満を持つ領民を駆り立てれば軍隊は簡単に作り上げられる。
海の諸侯の數は三百くらい、その、半分がイアンにつき、四分の一がクロノス國王側についた。その他の諸侯は戦況を靜観している。今(・)の(・)所(・)は(・)。
海の小領主などの數ではないと文には書いてあったが、そんなことはないだろう。
國王の逝去が外にれれば、イアンが間違いなく有利になる。
そう言えば、この文の表向きの送り主であるヴィナス王。彼は今、シーマの城に匿われているわけだが……後妻の子供である。しかも、あろうことか母親はローズ家の人間──対してディアナの亡くなった母はグリンデル王ナスターシャの妹だった。
「グリンデル……」
グリンデル王國から援軍が來れば、戦況は一変する。そして、それが出來るのはディアナ王だけだ。
設定集ありますので、良かったらご覧ください。
地図、人紹介、相関図、時系列など。
「ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる~設定集」
https://ncode.syosetu.com/N8221GW/
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