《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》24話 襲撃
(ユゼフ)
「鷹が文を持って、やって來ました」
突然現れたミリヤの第一聲はそれだった。
「文はシーバート様の弟子のレーベが書いたものです……盜賊達がこの城へやって來ると……」
ミリヤはクシャクシャになった便箋をディアナに差し出した。ディアナは驚いて目を見張ったまま、け取ろうとはしない。
「どういうことなの?」
「間もなく盜賊達がやって來ます。私は一度逃げてから、また彼等の元に戻り、こっそり尾行していたのです」
ディアナは青ざめて、ユゼフに倒れかかった。まさか、安全だと思っていたこの場所まで襲撃されるとは思ってなかったのだろう。
そこで初めてミリヤはユゼフの存在に気付いたようだった。
死人でも見るかのようにユゼフをまじまじと注視した後、ディアナの前にひざまずいた。
「王様、ご無事で良かったです……」
そのままディアナの足元に泣き崩れる。
ミリヤは気もへったくれもない男裝姿である。それなのにしさが際立つのは不思議だ。普段の可らしい侍の裝いより、鉄製の防とブーツ姿が妙に似合っていた。
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「お話ししたいことは山ほどあるのですが、今は時間がありません。直(ただ)ちににここを離れなければ……」
ミリヤは涙を拭って立ち上がった。
時間がない──その通りだ。
ユゼフは倒れかかったディアナの肩をつかみ、起き上がらせた。
「お気をしっかりとお持ちください。まだ連中は到著していません。ここは私に任せてディアナ様はミリヤと共にグリンデルへ向かうのです。この城の地下に隠し通路があります。そこからグリンデルへつながる蟲食いに行けますので。道は今から教えます」
上のポケットから手帳を取り出した。手早く簡単なメモを書きつける。ユゼフは冷靜だった。
隠し通路のことはアダムが運んだ最初の文に書いてあったのだ。
「ミリヤ、よく聞いてくれ。城の地下には拷問部屋があり、隠し扉から地下通路へ出ることができる。隠し扉は拷問部屋の右手奧、鉄の処の中にある。裝置が閉じると、仕込まれた沢山の釘に全を貫かれてしまうので気をつけてくれ。地下通路に出たら……」
「ごめんなさい。もっとゆっくり説明して」
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ユゼフは説明を諦め、書き付けたメモをミリヤに渡した。
愚鈍な印象は変わらないが、ミリヤは數秒前、泣き崩れていたのが噓みたいに毅然としている。背筋をピッとばし、茶の瞳は強いを放っていた。
彼から怖れは全くじられない。宿営地を逃れた時と同じく、勇敢であった。
自ら囮となって盜賊にを捧げたことから、ミリヤにならディアナを任せられるとユゼフは判斷したのである。
「ミリヤ、盜賊達はあとどれくらいで著く?」
「十分もかからないはずよ。私が城へる所、彼らに見られてるかもしれない」
ディアナがユゼフとミリヤの間に割ってった。
「ねえ、ミリヤだけでは不安だわ」
……と、廊下をバタバタと走る音が聞こえた。不安を煽る足音は高鳴る鼓に連する。
──まさか?? たった今、著くのは十分と言ったばかりじゃないか。早い、早すぎる。
現れたのはエリザだった。
「盜賊達が攻めてきた! ユゼフ、応戦を頼む!」
一瞬だけ頭が真っ白になった。
が、即座に気を取り直し、ユゼフはディアナに向き直った。
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「ディアナ様、援軍の件はナスターシャ王に直接お話しください」
こんな時でも真っ先に心配するのは、與えられた指示のこと。グリンデルへの援軍依頼。主國にいるシーマのために──
「ユゼフ! 早くしてくれ! もう城壁の真下にいるんだ!」
エリザが足踏みする。
「人數は?」
「百人はいそうだ」
「シーバート様は?」
「今、弓で応戦している」
「では、俺がシーバート様と代する……ディアナ様、シーバート様も一緒であれば大丈夫ですね?」
ディアナは首を橫に振った。
「……いや。行きたくない……あなたが一緒でなければ……」
ディアナはユゼフの腕を強く摑んだ。
が昂(たかぶ)った時、人は思考する前に行する。こういった時の行というのは極めて素樸で何の思も孕(はら)んでいない。
咄嗟(とっさ)にユゼフは首から下げていたお守りをディアナに差し出した。
母の形見と言ってもいい。
とても、大切なお守りを。
太の周りをシャリンバイの葉と花が囲んでいる。その意味は……永遠の──
ヴァルタン家に迎えれられる前、実家の母がくれた真鍮のお守りだ。母の祖先から代々伝わり、大切にするようにと渡された。
古びたお守りをけ取ったディアナはギュッと両手で握り締めた。それが大切なだと直的にじ取ったのである。
だが次の瞬間、ユゼフは冷酷にディアナの手を振り払わなければならなかった。
「……とにかく逃げてください」
くるりと背を向け、エリザと共に部屋の外へ出る。その後はもう、心を鬼にした。
「行かないで」と泣きぶ聲を振り払い、回廊を走り、階段を駆け下りる。ユゼフは一度も振り返らなかった。
「早く! こっちだ!」
エリザの案で東の塔へ。
もうユゼフの意識は別方向へ向いていた。
盜賊側の裝備は? 使えそうな武は? 陣形は?……
考えているに目的地へ到著した。
五首城の東側、小さな塔の屋上に弓矢を構えたシーバートがいた。
盜賊達が壁の松明(たいまつ)を目指して登って來るのが見える。
石積みの城壁を暗がりから次々によじ登ってくる。相當な人數だ。暗くても分かる。百人以上かもしれない……
「私が代わります。シーバート様はディアナ様とお逃げください」
「そういう訳にはいきませぬ」
ユゼフは凜とした視線を真っ直ぐにシーバートへ向けた。
「お願い致します。ディアナ様を誰かがお守りせねばなりません。ここは私に任せて下さい。死ぬつもりはありません」
ユゼフの固い決心は揺らがない。
シーバートは頭を振りながら降參するしかなかった。懐から札を數枚出してユゼフに渡す。
「これはフォスというの魔法を封じた札です。どこかにると魔が発し、発するようになっています。ランタンの代わりにお使いください」
夜目の利くユゼフには必要ないだが、一応け取った。
「絶対に死んではいけませんぞ? 命乞いをしてでも!」
心配しつつも、腹を決めたのだろう。老人は重い一言だけ殘して去ったのだった。
あいにく、シーバートの殘した言葉にじる余裕も、真の意味を考える時間もユゼフにはない。
弓をけ取ったユゼフは早速エリザと始めた。狩りで役立ったことはなくとも、弓は得意だ。
気持ち良いくらいよく當たった。
人數は多くても、上から狙い撃ちするので當てやすい。
剣で初めて人を刺した時のような気持ち悪さはもうなかった。慣れてしまったのか、遠隔攻撃だからなのか。
松明の燈りは崖の下まで屆かないから、登ってくる盜賊達の顔形はぼやけていた。人間に當てているというよりか、く的に當てているといった覚だ。
狙うのは頭。打ち抜かれた者は大きな口を開けた闇へと墜ちていく。まるで吸い込まれるように。
ユゼフは何矢も放った。
恐ろしいのは十割方的中し、疲労がほとんどないこと。張が疲労を上回っている。
問題は矢の數だけだった。
「やばい。あと三本だ。そっちは?」
エリザから返ってきた一言は……
「……これで最後だ」
二人で顔を見合わせる。
ふと足元に気配をじ、亀のアルメニオがこちらを見ているのにユゼフは気づいた。いつの間にか部屋から抜け出し、ユゼフを探していたようだ。
「ごめん。部屋が寒かったんだな?」
「おい、亀なんか構ってる場合じゃないぞ。どうすんだよ?」
エリザが最後の弓を引きながら舌打ちする。
「南側の壁に石砲があっただろう?」
「あるにはあるけど、使えるか分かんないし、第一、ここに殘っている石弾はでかすぎて二人で運ぶには時間がかかる。こっちの外壁までどうやって運ぶ?」
「火薬は殘ってなかったか?」
「分からない。でも石弾にはタールが塗ってある」
「石なら何でもいい。石でなくても、とにかく飛ばせるを探そう」
石砲はローズ城で遊んでいる時、城の武師範に使い方を教えてもらった。使えるはずだ。
ユゼフは足下のアルメニオを抱き上げた。
死ぬつもりはないとシーバートに言ったばかりだ。だが、助かる方法ではなく、どうやって時間稼ぎをすればいいかに思考は切り替わっている。
──気付かれる前に安全な所まで逃げてくれればいいんだが
「エリザ、君は逃げてくれ」
「あんたは?」
「俺は逃げる訳にはいかない」
エリザは青灰の目でキッとユゼフを睨み付けると、思いっきり平手打ちをくらわせてきた。
「馬鹿なこと言うなよ! 何を背負ってるつもりかは知らないけど、一人で全部抱え込もうとするんじゃない!」
ユゼフは痛む頬を抑え、反対の手でアルメニオを落とさないようにしっかりと抱いた。アルメニオは放置していたことを恨んでか、ユゼフの指を強めに噛んでくる。
怒りも悲しみもなかった。
ただ──痛い。
心が疲弊している時は痛みに弱くなるものだ。
『ごめんな……アルメニオ(おまえ)が大きかったらいいのに……』
ユゼフは祈りたい気持ちだった。
神でも悪魔でも何でもいい。
助けてくれるのなら。
絶の中、藁(わら)にも縋りたいと思った。
自然と口をついて出てきたのは、神學校で習った古代語である。
「萬の創世主よ、力を授けたまえ。アニュラス王エゼキエルの名のもとに、この四つ足の生命に力を與えよ。大地の霊達よ、我が心魂に集まれ、火よ水よ我がになりて風を起こせ……」
唱え終わると、アルメニオの甲羅が一瞬ったように見えた。
「何をぶつくさ言ってるんだ。もう逃げるか、投降するか……」
文句を言うエリザの表が変わった。
アルメニオのがユゼフの手からするりと抜け、膨らみ始めたのである。インクの染みが広がるのと同じくらい速く、ムクムクと……
「ヤバい! 逃げるぞ」
驚きの余りけないでいるユゼフをエリザが引きずるも、手遅れだった。凄まじい衝撃に全を毆打される。二人は巨大化したアルメニオに撥ね飛ばされた。
外階段まで飛ばされ、そのまま転がるように駆け降りる。
それでもアルメニオの膨張は止まらない。
階段を駆け下りる途中、ユゼフは「ビキピキッ」と不快な音を聞いた気がした。
たちまち音は吹き付けられる突風へと変換する。気付いた時はもうは宙に浮いていた。
空中へ投げ出されたのである。
あえなく塔は崩れ落ちた。
主殿の屋上にユゼフ達は叩きつけられた。
どれくらいの高さからか、なんて知る由もない。前しか見てなかったのだから。
寸前にユゼフはエリザを抱きかかえ、屋上に転がった。全が痺れ、起こったことをすぐには把握出來ない。
だが、幸い何とかけた。
『良かった。骨は折れてない』
「……っ」
「無事か?」
エリザの頬にはが付いていた。塔が崩れる時、飛んできた石片に傷つけられたようだ。
「……何とか……それよりあれ、」
エリザは巨大化したアルメニオを見上げた。
アルメニオの長は十五キュビット(七メートル)はありそうだ。高は六キュビットぐらいだろうか……
耳をつんざく咆哮は外壁の外まで響き渡っているだろう。
「ユゼフ……あれ、あんたがやったの?」
「分からない。でもアルメニオと話すことはできる」
「さっき、あんたの目がったような気がした……魔獣使いがを大きくさせるなんて、聞いたことない」
驚きを隠せないエリザを目にユゼフはアルメニオの傍へ行った。前足に手を置き、
「頼む。力を貸してくれ」と。
アルメニオは「グオーーーー」と答える。
口をあんぐり開けたままのエリザにユゼフは呼び掛けた。
「よし、これで投石用の石弾を運ぶことができる。エリザ、手伝ってくれ」
どうして冷靜でいられるのか、ユゼフにも分からなかった。この逃走劇が始まるまで危機という危機に瀕した経験はない。
病弱な母とい妹を支えるため、い頃から労働していたことがプラスに働いたのか?
否。他者から見れば過酷な子供時代でも、ユゼフにとっては過酷でもなんでもなかった。する家族と過ごした日常は尊い以外の何でもない。
ヴァルタン家での厳しい躾が過剰なストレスにも耐えうる心を作ったのか? これも否。ヴァルタン家で得たのは忍耐力だけである。
ただ、これだけは言える。
今かなければ、殺される。
義務を果たすことができない。
全ての恐怖を置き去りに、ユゼフをかしているのはこの思いだけだった。
我に返ったエリザの言葉がをえぐる。
「あんた、ホントに人間かよ」
答える代わりにユゼフは懇願した。
「このことは誰にも話さないでくれ」
これまで押し殺そうとしてきた自らの個。アイデンティティ。他者と違うことが唯一の助けとなっている。それは一抹の後ろめたさと、押さえきれないほどの高揚を生み出した。
ユゼフは走り出す。
巨大なアルメニオがユゼフの後を亀とは思えない早さで追いかけていった。
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