《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》27話 シーバート
アナン達はすぐ追いかけて來るだろうが、暗闇の中では手間取るだろう。その點、ユゼフは暗闇に慣れていた。
ヴァルタン家に十二歳で迎えれられた時、何度か実家へ逃げ帰ったことがある。その度に連れ戻され、罰としての全くらない地下室に閉じ込められた。
そこは據えた臭いと下水の流れる音がするだけで、あとは何もない真っ暗闇だったのである。
その暗闇に丸一日、長い時は三日もユゼフは閉じ込められた。食事はドア下の隠し戸から差しれられ、用便の為のバケツが一つ置いてあるだけ。
カビと糞尿、下水を流れるヘドロの臭い。吐き気を催す臭いも半日経てば慣れてくる。固くて味気ないパンだって平気でかぶりつけるようになる。
腹は減らないが、食事を差しれられる時、僅かにる明かりが命綱となった。
闇の中では悪い夢に苛まれる。
一筋のは現実と唯一繋がれる細い糸のような。ユゼフは夢中で手をばした。
しかし、それはほんの一瞬でまた深い闇に閉ざされる。絶と希の間を往復するだけだ。
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最初は泣きもした。本當に最初だけ。次第にの中からが消えていき、何もじなくなった。自己主張をしても全てが無駄なのだと、で理解したのだ。
十六で王立學院に王の監視役という名目で學した頃には寂しさや恐怖、悲しみ、そういったはほとんど無くなっていた。
階段を降りた所に松明が置いてあったので、それを持って屋へる。蟲は追って來ない。
ロビーに続く廊下を走る途中、人の気配をじユゼフは立ち止まった。
「誰だ?」
「……僕です。レーベです」
松明をかざすと、左目を腫らし痛々しい姿のレーベが浮かびあがった。小憎たらしいレーベであっても、今は會えた事に安堵の溜め息を吐く。
「どこからった?」
「今は使われていない下水管を通って。排出は崖側にあるんですが、上手く足を引っかけて數キュビット移すれば、飛び移れたんです」
城の周りは到著してから隈無く調べたはずだったが。古い城に通常下水管はないから、崖側までよく見ていなかった。盜賊達も同じ方法でり込んだのだろう。
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「その怪我はどうした?」
「盜賊達にやられました……油斷してたんですよ。影から戦いの様子を窺っていたら、見つかって。そうそう、塔が崩れた時でしたか……くそっ、あの髭親父め……あいつらにこちらの人數を知られてしまいました。早く逃げなくては。シーバート様と王様はどちらに?」
「シーバート様は王様をお連れして地下の通路から逃げている」
「では急ぎましょう」
ユゼフとレーベはロビーを抜け談話室にった。談話室にはテーブルが三臺。テーブルの周りに椅子は數腳しかなく、あとは壁際に並べられていた。
松明の火が埃と蜘蛛の巣に燃え移らないよう注意しながら移する。
ユゼフは松明をレーベに預け、一番奧のテーブル下に屈みこんだ。ここに地下室へ通ずる戸がある。
僅かな出っ張りを頼りに力をれる。ちゃんと閉まってなかったのだろう。留め金の金屬音は聞こえなかった。
その時、邪悪な気配はピークに達した。
戸は予想に反して軽く、勢いよく跳ね上がる。下の暗闇をユゼフが覗きこもうとすると、黒い影の集合のような塊が飛び出してきた。
……と同時に聞こえたのはディアナの悲鳴だ。
「ディアナ様!」
それは幾つもの人影が明な球の中をグルグル暴れ回っているように見えた。
ユゼフが慌てて松明をかざしたところ、影の集合は変形した。螺旋を描いて小さな竜巻のごとくクルクル回る。その後、あっという間に消えてしまった。ディアナの気配まで一緒に。
「ディアナ様! ……今、確かにディアナ様の聲が……」
ユゼフは我を失い、松明をかざして部屋中探し回った。
「下からき聲が聞こえました。地下に誰か居るかもしれません。行きましょう」
レーベが言う。
部屋の中にはもう誰もいなかった。
レーベの言う通り地下を探した方がいいかもしれない。
地下に通ずる階段を降りた先はバソリーが設えた拷問室になっている。
松明の燈りに照らされた室は意外に広く、上の談話室と同じくらいの広さがあった。
壁には金槌や杭、ニッパー、金切り鋏、ペンチなどの道に加え、余り見たことのない紐付きのフォークだとか、針金付きの鞭、貞帯のようながぶら下がっている。奧の方には拷問だろうか、一見寢臺のように見えるが幾つか……それと樽もある。
數年前までこの場所で、ここにある道を使って、拷問が常時行われていたのだ。
不気味だったが、恐ろしさはじなかった。
邪悪な気配は消え去っており、恐ろしさをじる余裕の無いほど狼狽していた。
き聲が近くで聞こえる。
壁にもたれかかり、苦しそうに息をするシーバートの姿が見えた。
「シーバート様!」
レーベが駆け寄る。
「怪我をされたのですか? 今、手當てします」
シーバートは傷を確認しようとするレーベを手で靜止した。
「……傷は深い。わしはもう助からんじゃろう……レーベ、顔をどうした? 毆られたのか?」
「僕は大丈夫です。それよりを止めないと……」
レーベは肩がけのポーチから包帯を取り出した。手にはベットリ黒いが付いている。
「いいんじゃ、もう……顔がそんなに腫れて痛かったろうに……ユゼフ殿、申し訳ない。ディアナ王は攫(さら)われてしまった。わしの力不足だ。面目ない……」
ユゼフは茫然と立ち盡くした。
頭の中ではディアナの「行かないで」とぶ聲がこだましている。そしてシーマとの誓いや「王を守れ」と命令された時の景が頭の中をグルグル駆け巡った。
「何をぼんやりしてるんだ! 手伝えよ!」
レーベが怒鳴る。
シーバートの腹の辺りからは流れており、ユゼフの足元まで溜まりが広がっていた。包帯が足りず、レーベは手で圧迫して止をしようとしている。
ユゼフはレーベの手を退けて傷の合を確認した。
落ちにプルーンぐらいの楕円形のがぽっかり空いている。左右の脇腹と臍の上、下腹部にも……
シーバートの腹はだらけで、そこから大量のが吹き出し続けていた。
「……もう、無理だ」
ユゼフは抑揚のない聲で呟いた。今度はレーベがユゼフを後ろに押し退けた。
「シーバート様、必ずお助けします。お願いだから死なないで……」
「もういいんじゃ、もう……レーベ、わしの持っていた書や杖は全てお前に譲ろう。國に帰ったらわしの自宅の書斎にある書、魔に使う道、薬品を全てお前に譲る。もしもの時の為に言書を妻が預かっているから……それとユゼフ……」
レーベは聲を上げて泣き始めた。シーバートはユゼフに近くへ寄るよう促し、元から分厚い本を取り出した。
「これはあなたの母上からお預かりしたものです」
「義母《はは》が?」
思いもよらない言葉にユゼフは素っ頓狂な聲を出した。
両手にすっぽりるほどの小さな本には「歴史書」を意味する古代語が金文字で刻み込まれている。
シーバートは頷いた。
ユゼフは冷たく厳しい義母の橫顔を思い出したが、どういう魂膽でシーバートに本を預けたのか、全く見えてこなかった。
「レーベ、わしのすぐ隣にの出り口がある。そこから逃げなさい。わしはユゼフ殿に話さなくてはならないことがある」
シーバートはやっと聞き取れるぐらいの掠れ聲で言った。
レーベは首を橫に振り続けた。
だが、シーバートが「行きなさい」と芯の通った聲で繰り返すと、泣きながらその場を離れた。
シーバートが居る所から數歩歩いた所に鉄の処は置いてある。鉄製乙の中は空になっていて側には沢山の釘が突き出ている。乙の顔は無機質で冷たくもしく、ディアナを思い起こさせた。
人形の中へって奧を押した所が扉だ。
ユゼフは泣いているレーベをそこに押し込み、松明を渡した。
すぐにシーバートの所へ戻る。
シーバートは眠るように意識を失っていた。
「シーバート様、シーバート様……」
何度か呼びかけ、ようやくシーバートは目を開けた。
口をかしているが、言葉を聞き取るのは至難の業だ。ユゼフはシーバートの口元に耳を寄せた。
「……あなたは……ない……」
その後は何を言っているか聞き取れなかった。
ストンと落ちた言葉は無。
消化できない言葉は、取れないシコリとなってユゼフのに殘った。
全てを否定する、それまでの自分を消し去ろうとする殘酷な言葉──
ユゼフが驚いているに、シーバートの息は止まった。
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