《やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中》軍神令嬢は逆行中
雪まじりの強風が頬を叩く。
頬についたと髪も吹き飛ばす、凍てついた夜だった。
どうにか階段をのぼりきり、城壁の上までたどり著いたジルは、片膝をつく。ちらりと見た城壁の向こう側は、底の見えない暗闇しかなかった。
押さえた右肩から広がり続ける出は止まりそうもない。魔力で治癒をしようとしても、うまくいかない。誰かが邪魔をしている。だがその原因を突き止める時間などない。
それにその魔力も、たったひとり、ここまで逃げるために底を突きかけている。
ここから飛び降りて助かるとはとても思えない。
「いたぞ、ジル・サーヴェルだ!」
それでも敵の聲を聞けば、は反のようにく。十歳の頃から六年間、初のひとのためにと戦場を駆けてきた、習慣だろう。
腰にさげた細剣を振りかぶって石畳を蹴ったジルに、追いかけてきた城の兵士達がひるむ。
大きく踏みこんで一振り、回転して橫薙ぎに、舞のように斬りつけて路を開こうとするジルに気迫負けして兵達はうしろにさがっていくが、數が違いすぎた。
徐々にジルは囲まれ、追い詰められていく。
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何より、つい昨日までジルにとっては仲間、守るべき國民だった。どうして、という思いが失も手伝って剣さばきをにぶくする。
ついにジルは餅をついて、兵達の槍に、剣先に囲まれた。
「そこまでだ、ジル」
何より、その聲がジルのを震わせる。
兵の奧から、城壁に立つには不似合いな出で立ちの青年が現れた。吹雪く強風にはためくマントのは群青。クレイトス王國の王族のみに許された、神のだ。
「……ジェラルド様」
名前を呼ばれたこの國の王太子は、魔力を制するためにかけているという眼鏡の鼻當てを軽く持ちあげた。
「私の妃になるはずだったが罪を認めず逃げ出すなど、恥を知れ。……フェイリスがどれだけを痛めているかと思うと、俺もつらい」
「――相変わらず、妹思いなのですね」
戦場で無駄口は叩かない。
だが思わず嫌みを口にしてしまったジルを、ジェラルドは冷靜に見返した。
「當然だ。我が妹にまさるものなど、この世にはない」
(黙れこの腐れシスコンが!!)
そうばなかったのは、不敬罪が怖かったからではなく、ただおぞましかったからだ。
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罪名が多追加されても、処刑が決まっているだ。しかも冤罪ばかりで――いや、に覚えがある罪狀ならある。
そう、『私の世界一可い妹との仲を理解しなかった罪』だ。
この目の前の金髪の王子はジルの婚約者だった。十歳のとき、故郷であるサーヴェル辺境領から初めて出て、王都で第一王子ジェラルド・デア・クレイトスの十五歳の誕生日パーティーに出席したその日、初対面で求婚された。
サーヴェル辺境領と接するラーヴェ帝國との爭いを見越して、縁者を取りこんでおこうという、政略的な意味もあっただろう。それくらいならジルも了解していた。でもジェラルドは他人にも自分にも厳しく、真面目で、責任のある、尊敬できる人だった。
何より、化けじみたジルの魔力を認め、必要だと言ってくれたのだ。
だから堂々と魔力を使い、戦場を駆けることにもまったく苦にならなかった。普通のの子とは違う青春でも、化けだ戦場でしか笑わぬ冷だ男だと嘲笑されても、ジェラルドという王子様が自分にいると思えば、引け目をじなかった。
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戦功をたて軍神令嬢とよばれ、年頃の男子より子に文をもらう十六歳になっても、まあいいかですませてこられたのだ。
なのにジェラルドの正は、妹と斷のに勵む変態だった。
ジェラルドの溺する妹、フェイリス・デア・クレイトス第一王はこれまでの人生をほとんど寢臺ですごしている、病弱なだ。外にもほとんど出られず、ジルも指で數えるほどしか會ったことがない。
だが一目見れば誰しもが魅了される、天使のようなだった。
ジェラルドの溺ぶりもしかたがないと頷いたものだ。妹の合が悪いと聞けばジェラルドはジルの誕生日パーティーも婚約記念日もすべてすっぽかした。冗談じりで不満をもらそうものなら、城中の人間に白い目で見られ、ジェラルド本人には手厳しく糾弾され、挨拶すらできないまま戦場に送り出される。優しい部下にめられつつ、自分の狹量さを反省したものだった。
だって思わないではないか、普通――婚約者の浮気相手が、実の妹だなんて。
いや、厳には浮気相手は自分のほうだった。
自分との婚約は、最初から妹との斷のをカモフラージュするためだったのだ。ジルは完全な道化だった。百年のも一気に冷める。もはや悲しみや怒りを通りこして笑うしかない。
(妹思いの、いい兄だとばかり……しすぎたところがあるだけで……)
ジルがそうと知ったあとのジェラルドは、非だった。
まず、婚約を破棄された。願ったり葉ったりだったが、それだけですまなかった。
その翌日にはなぜかに覚えのない罪で拘束され、その次の日には牢に放りこまれ、その次の日には裁判が終わっていて、その次の日には処刑が決まって、今日になっていた。ちなみに処刑は明日である。
王太子とその妹の名譽を守るための、迅速かつ完璧な口封じだった。
世間ではジルがフェイリス王に醜い嫉妬を起こし、毒殺を目論んでいたことになっているらしい。ジェラルドの指示なのかなんなのか、フェイリス王が涙ながらにそう告発したそうだ。
こうなったときを前々から想定して備えていたとしか思えない。
ジェラルドの優秀さに妙にしてしまった。か弱いとばかり思っていたフェイリスにも服した。正直、侮っていたと反省している。子力皆無と言われる自分にはできない蕓當だ。
これだけ手を回されると、故郷の皆も、つかの間の休日をすごしている自分の部下も、反対する暇さえないだろう。ジルの処刑が決まったことが伝わっているかもあやしい。いや、そもそも故郷や自分の部下が無事かどうか――。
「しかし、どうやって牢から出たのだか。君が飼っている狂犬共は始末したはずだ」
覚悟はしていたが、部下のほうにも既に手は回っていたようだ。最悪だ。ジルを追い詰めるように、ジェラルドの分析は続く。
「サーヴェル家も今はけない。……通者を見つけなければな」
「ご心配なさらずとも、通者などおりません。魔力でたたき壊して出て參りました」
「……。まったく、サーヴェル家の人間はこれだから」
呆れた顔を懐かしいなどと思ったことが、むなしかった。
「君が聡明な判斷をしたならば、私たちの子どもを育てる名譽くらいは與えてもよかったんだが……まあ、これでよかったのかもしれないな。フェイリスの子を、魔力の強い筋馬鹿にされてはたまらない」
なるほど、ジェラルドを許せば、そういう未來が待ちけていたわけか。
これはもう、更生の余地も理解の必要もない。心が完なきまでに砕された。自嘲がにじむ。ありがたい話だ。
(……我ながら、節すぎた。こんな男を強いと、尊敬していたなんて)
がん、と石畳の隙間に剣を突き立てて、ジルは立ちあがる。生きなければ、と思った。
戦場を駆けてきたのだ。いずれ人間は死ぬものだと知っている。
けれど、死ぬとしても、せめてこの男が笑えない死に方をしなければ、腹の蟲がおさまらない。
「ただ私を盲信し続けていれば、幸せになれただろうに」
「――どけ」
奔らせたジルの剣先を、ジェラルドがよけた。
さすが、王都の守護神を名乗る自分の元婚約者だ。
眼鏡の奧の瞳がわずかにり、ジェラルドが持っている黒い槍に魔力が奔る。
クレイトス王家に伝わる神の聖槍だ。まともに撃ち合っても、武のほうがもたない。
だが、こちらは年季が違う。この男のために戦場を駆けた軍神令嬢だ。
(なめるな!)
一點に魔力をこめて、王子様の槍を弾き飛ばした。舌打ちしたジェラルドが一歩引いた分あいた歩廊を走り抜け、城壁の一番高い壁にのぼり、暗い足元を見おろした。 真下は暗闇、底の見えない崖だ。
だが、もみの木が生い茂る森が広がっているはずだった。雪もこれだけ降っている。うまくいけば助かるかもしれない。生き延びられても凍死するかもしれないが、それでも。
「ジル! 何を」
「勘違いしないでください、殿下。あなたがわたしを捨てたんじゃない」
なくともこのままよりは、可能があるだけずっといい。
「わたしがお前を捨てるんだ」
ジェラルドの婚約者として失ってはいけないらしさのためにはいていた、ヒールの高い軍靴で、床を蹴った。
「矢をろ! 逃がすな! 銃はどうした!?」
矢の嵐が降ってきた。
肩をかすめていった矢に毒が仕込まれているのがわかった。しびれた指先に眉をしかめたが、笑い返す。城壁の上からいくつもの銃口が火を噴く。それらも全部殘りない魔力で弾き返してやる。
だが魔力の壁を突き破り、ジルをめがけて一投されたものがあった。
黒い槍。
神の聖槍だ――ジェラルドが投げたのだろうか。悲しむ暇などない、に突き刺さる直前でそれを握り止めたジルは、不敵に笑う。
(負けるものか)
手のひらが魔力で焼けていく匂いがする。風が吹き荒れる。凍える風も魔力も、涙も蒸発していく。
負けるものか、負けるものか。
歯を食いしばって、そう前を見據えたいけれど、視界がかすんでいくのがわかった。魔力が消えていく。それは命の燈火だ。
ゆっくりと手から力が抜け、黒い槍の切っ先が心臓に向かう。
(もし、あの男の婚約者にならなかったなら)
ああ、これは走馬燈だ、いけない――そう思うが、止まらなかった。
だって、たとえば、十歳の、あのときに求婚されなければ、自分は故郷で戦場に立つことはあっても、先陣切って駆けずにいただろう。素樸でも優しそうな強い男とをして、普通のの子らしい出來事を味わえたかもしれない。
そして大好きなお菓子やご飯をたくさん食べて――いや、そこはし違うか。
でも、あの日、あのとき、求婚さえけなかったならば、人生は違ったはずだ。
(誰かを好きだったことを失敗のまま、終わらせたくないのに)
――次。次さえあれば、利用されたままで終わらないのに。
「……ジル、どうしたんだ。ジル?」
「え?」
はっとジルはまばたいた。
真っ暗な空も、も塗りつぶす雪の白さもなかった。それとは真反対の世界があった。
「なんだ、張しているのか?」
「いくらジルでも気後れしますよ。初めての王都で、こんな賑やかなパーティーに出席するなんて! 私も目がくらむわ。まるで夢のよう」
「ジェラルド王子の十五歳の誕生祝いだからな。しかも、このパーティーで婚約者を選ぶともっぱらの噂だ。國王様も力をれているのだろう」
頭上から降る會話をジルは呆然と聞いていた。
(……お父様とお母様だ)
とっくに死んでいるはずの彼らが、なぜ。
だが夢だと思うにはいささか強い力で、母がその手を引く。
「ジルが選ばれたりしてね?」
「え……な、何に、ですか」
「ジェラルド王子の婚約者にだよ。お前は刺繍も歌も料理もてんでだめだが人になるだろうし、まだまだ気より食い気だが、しっかり者で優しいからなあ」
両親はきっと冗談のつもりで、笑っていた。
そう、笑っていた――覚えがある。
さあ行こうとうながされた先で、天井近くまである両開きの扉が開く。サーヴェル侯爵ご夫婦とそのご令嬢ご到著というかけ聲。案の先にある世界は。
(……噓だ)
吹き抜けの天井から吊されたいくつものシャンデリアと、そのきらめきが映りこむ大理石のダンスフロア。
二階に向かう差した真っ赤な天鵞絨の階段。
オーケストラの奏でる華やかな音楽。
真っ白なクロステーブルに銀の食が並べられ、瑞々しく果が盃にのっている。
ぐるりと周囲を囲む金の燭臺に燈る火が意味をなさないほど、明るいのドレスで花のように踴る令嬢達。
――自分は、この夢みたいな世界を前に見たことがある。
(そんな、馬鹿な)
ふと、橫にある窓が目にった。
曇りひとつなく磨きあげられた硝子は、鏡のように自分の姿を映し出してくれる。
そこには腰まである髪を大きな花飾りで結いあげ、薄桃のドレスを著たの子の姿があった。
まん丸に見開いている紫の瞳。年の頃は十歳くらいだろうか。
いや、多分十歳だ。まだ、も知らなかった頃の。
「ジェラルド・デア・クレイトス王太子殿下、ご場!」
ファンファーレと一緒に最奧から堂々とした足取りで降りてくるその姿を、よく覚えていた。
生まれて初めて見る本の王子様というものを、食いるように見つめていたのだ――その眼鏡の奧の瞳と視線が差するまで、あのときの、十歳の、自分は。
「!」
そうしてまた目が合う。
さきほど真夜中を告げたはずのクレイトス王城の時計塔が、再び鐘を鳴らした。
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