《やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中》

たった一閃だった。

白銀の剣が蛇のようにうねってび、一帯をなぎ払っていく。まるで空と大地を食い散らかす獣のようだ。山が砕かれ、地面がわれ、補給線を分斷された。戦線が崩れ、もはや陣形を整えることもかなわない。闇夜を照らす戦火が、あっという間に広がっていく。

空からの容赦のない攻撃に、もはやこちらの敗北は決定的だった。

「ひとり殘らず殺せ」

赤く燃える夜空からこちらを見おろして、敵國の皇帝がのない聲で命じた。

「子どもも、も、赤ん坊も関係ない。あのの眷屬など生かす価値もない。ゴミだ。蟲けらだ。生きていること、それ自が罪だ」

その聲は真冬の吹雪よりも無慈悲に、周囲を凍りつかせる。

「だが簡単には殺すな。母親の前で赤ん坊の目をえぐれ。夫の前で妻を犯せ。兄弟で殺し合わせろ。生まれてきたことを詫びさせろ、死なせてくれとばせろ。希も夢も絆も、すべて躙しろ。何ひとつ殘すな――俺がそうされたようにだ!」

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それは殺だ。

信じられない命令に、両眼を見開いたジルは頭上をあおぐ。

敵國の皇帝は金の瞳を見開き、狂ったように哄笑していた。

悪逆非道の、呪われた皇帝。人を人とも思わず、踏みつけ、なぶり、その様を楽しむ、狂気の王。自分の目で確かめるまでは信じるまいとした現実が、そこにあった。

(――止める!)

剣をにぎり、ありったけの魔力をこめて地面を蹴り、はるか高みにいる皇帝のもとを目指す。

戦爭とはいえ一般人を巻きこんでの殺など、許せるはずもない。けれどそれ以上に、許せないものがあった。

こんな敵ではなかった。

の魔力が民を守るためだけに夜空に翔る様は、本當にうつくしかった。敵ながら見惚れるほどに鮮やかに勝敗を決め、犠牲を最小限にとどめ、余裕の微笑を浮かべながら撤退を促すその姿は高潔ですらあった。

なのに、この皇帝はいつからこんなふうになったのだろう。

ふと顔をあげた皇帝が、つっこんでくるジルへ向けて蟲を振り払うような仕草で魔力の塊を叩きこんた。それをジルは両腕を広げて正面からけ止めて、歯を食いしばる。両腕に力をこめて、気合いと一緒に腕の中で風船を割るように霧散させた。

その派手な破裂音に、地上も空も我に返ったように靜まりかえる。慘劇を命じた皇帝自も驚いた顔をして、振り向いていた。

振り向かせてやった。そのことに勢いを得たジルは、あやうく死ぬところだったのも忘れてんだ。

「うちの負けだ、認める! だからそちらは早々に兵を引き上げろ!」

皇帝が端麗な眉を、わずかにひそめた。

「負けているのに、なぜお前が命じる」

話ができるじゃないかと、その人並み外れた貌に向かってジルはをはる。

「どうしても誰かをいたぶりたいなら、わたしだけにしろ。捕虜になってやる。――だから他には手を出すな」

奇妙な生きでもみるように上から下までジルをながめた皇帝は軍神令嬢とつぶやき、薄いに嘲りを浮かべる。

「ご立派なことだ。だがどうせ、最後はどうして自分がと醜く泣きぶ」

「誰が泣かされるか、お前のような弱い男に」

「弱いだと? 竜帝に向かってよく言った。もういい、殺してやる」

「では、お前はわたしより強い男か?」

口端をあげて笑い損ねた皇帝が、こちらを初めてまともに見た。

の獰猛な瞳に、まっすぐ、ジルは剣先をつきつける。

「そうやって憂さ晴らしをするお前は、本當にわたしより強いか!?」

の瞳が一瞬だけ、何かを訴えるように輝き――そして消える。

「興が削がれた。全軍、引け」

抑揚のない聲が、突然の命令をくだした。まさか本當に兵を引くと思わなかったジルは、思わず聲をかける。

「いいのか。――おい答えろ、わたしをとらえなくていいのか!?」

「お前では気がない」

ぽかんとしたジルを殘して、蜃気樓のように皇帝の姿がかき消えた。

あとには魔力の殘滓が蝶の羽ばたきのように舞うだけ。あれだけいたはずのラーヴェ帝國兵の姿も消えていた。あっけない終わりだった。

だが、ジルの心中がそれでおさまるはずがない。

「わ、わた、わたしに気がないだと!?」

一拍おいてぶち切れたジルを、部下達が全員でなだめにかかってくれた――それはジェラルドに冤罪をかけられるし前、つい先日のこと。

そして、おそらく今から六年後のことでもある。

(ああ、昨日でも六年後でもいい。やっぱり全部夢だ。夢に違いない……)

目がさめたら生きているといいな、と思った。

できれば、奇跡的に木の枝に引っかかって落ちたとかで、気絶していた展開をみたい。実は無事だった優秀な副が手を回して、運んでくれていたとかだと、なおいい。

だって今寢ている場所はこんなにもあたたかくらかい――

はっと目がさめた。同時に起床宜しく飛び起きる。

髪に飾ってあった大きな生花が落ち、結っていた髪がほどけて肩からこぼれ落ちる。にぎって開いてみた手の平は、やはり記憶より小さい。

金糸の刺繍で意匠を施してある深紅の羽布団に埋まっている足も、短い。

ふと風をじて、足で寢臺からおりた。分厚いカーテンの隙間から日が差し込む窓の外を、背びをしてのぞく。見覚えのある中庭だった。

「……ここは王城……の、客間か?」

「ああ、よかった。目がさめたのか」

続きの奧の部屋からってきたのは、先ほど夢に出てきた相手だった。

ハディス・テオス・ラーヴェ――夢よりも若い。だが見間違うことなどありえない、隣國ラーヴェ帝國のしき皇帝。

思わず両手で拳をにぎった。

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