《やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中》33
「戻ってきてたのね、スフィアちゃん。お疲れ様」
スフィアを出迎えたカミラが優しく微笑む。
「……はい」
ふらりとカミラの真橫を通り過ぎたスフィアに、ジークが眉をひそめた。
「もう休んだらどうだ。疲れただろう」
「……でも、ご挨拶を、しないと」
ふらふらと左右にゆれながらスフィアがまっすぐジルのほうへと歩いてくる。
ジルはスフィアの足取りに眉をひそめ、視線をあげて、瞠目した。
見開かれたままのスフィアの目が真っ黒になっている。そしてスフィアの全から靄のように立ちのぼっているのは――ひょっとして魔力ではないのか。
「危ない!」
カミラのび聲よりも早く、スフィアの右手に集約した魔力が黒い槍に変わった。その切っ先をさけて、ジルは距離を取る。
だがものすごい速さでスフィアが追いついてきた。
「カミラ、ジーク、気をつけろ! 何かがスフィア様の中にいる!」
いつも転ぶ鈍いの子のきではない。黒い槍を振り下ろす作も、踏み出す一歩も歴戦の武人のそれだ。
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瞳孔が開きっぱなしのスフィアがぎこちない作で、口をかした。
「ちょロちょろ、と、小娘が」
「――誰だ」
ジルのつぶやきににたりと口端だけを持ち上げて、スフィアが振り向いた。
そのきでさえおかしい。り人形のようだ。
「わたシは、私は……私こそが、竜帝の、妻。お前は――偽者だ」
スフィアの服の裾だけを綺麗にカミラが貫き、家にい止めようとする。だがそれを引きちぎり、腕をつかんだジークも振り払い、スフィアがまっすぐ突進してきた。
宙返りしたジルは、スフィアを背中から羽い締めにする。だがスフィアの手から落ちた黒い槍がぐるりと反転してその切っ先をジルに定める。
(くそ、この槍だけ自立してくのか!)
スフィアを突き飛ばし、ジルはまっすぐ飛んできた槍を間一髪でよける。
だが、いつの間にかもうひとつ部屋に増えていた影に、目を瞠った。
「陛下!」
床に転がったスフィアに、ハディスが剣を振り下ろそうとしている。
黒い槍の存在をかすませるり輝く白銀の剣――六年後の戦場で見た、一閃で大地をわった武だ。
それがためらいもなくスフィアの心臓を狙う。床を蹴ったジルはスフィアを抱いてハディスの剣をよけ、床に転がった。
「陛下、スフィア様は何かにられて――」
「それごと殺す」
はっきりわかるハディスの殺意に、ジルは説得の言葉を呑む。
同時に、腕の中のスフィアが笑い出した。
「殺ス? 私を? あなたヲしテあげられルのは私だケなのに!」
「おい隊長、うしろ!」
振り向いたときは先ほどよけた槍がこちらに飛んできていた。だがそれがジルの背中に突き刺さる前に、ハディスがつかむ。皮が焼けるような嫌なにおいと煙があがった。
「陛下……!」
「――ふふ、わかっているくセに」
スフィアのつぶやきと一緒に、ハディスの手から腕へとつきまとうように槍が絡みついていく。融解した黒い靄は、やがてジルの目の前での形になって、ハディスの頬に手をばした。
まるで人にすりよるように。
「あなたには、わたししかいない」
背後からジルはその黒いの首をつかんだ。
目も何も判別できないそれと、はっきり視線をかわす。告げるのはひとことだけだ。
「うせろ」
魔力をこめる。
ぱんと派手な音と一緒に黒いが破裂し、床に黒い染みを落とした。だがその染みもすぐに蒸発するようにしてかき消える。
「いなくなった?」
矢をかまえたままカミラに尋ねられ、ジルは頷く。
「気配は消えました。……陛下、手に怪我を」
「どうして助けた? 君がかばわなければ殺せた」
ハディスの冷たい聲と目に、ジルは気絶したスフィアを抱く腕に力をこめる。
「……スフィア様は何者かにられていました。本人に罪はありません」
「そういう問題じゃない。あれは狡猾なだ。今だって彼の中に潛んでいるかもしれない」
「スフィア様を傷つけずとも対処する方法をまず考えるべきです!」
「それを判斷するのは僕だ、君ではない」
「ならせめて事を説明してください! さっきのはなんですか。あの黒い槍は? 神クレイトスの聖槍ですか」
「いいからスフィア嬢を離せ、皇帝命令だ。苦しませはしない」
「では、さっきの者が竜帝の妻だと名乗ったのはどういうことですか? わたしを偽だとも言いました。あなたの妻は、竜妃は、わたしのはずです」
ハディスは眉ひとつかさなかった。それどころか、ジルを見てすらいない。
憎々しげにただ、あの槍が消えた跡を睨めつけている。だからジルは大聲を出した。
「わたしは聞く権利があるはずです、陛下!」
「……まさか浮気をとがめるようなことを言われるとは思わなかった。僕をしてもいない君から」
返答につまったジルに気づいているのかいないのか、ハディスは一歩離れた。
「まあいい。あれのきを封じるのが先決だ。カミラ、ジーク。君達は引き続き竜妃の警護だ。ミハリ、いるか」
呼びかけに扉の向こうからミハリが姿を現す。
「北方師団に命令だ。ベイルブルグのをすべて城に連行しろ、今すぐに」
「は、はい?」
「ふれを出せ。にとりつく化けがりこんだ。特に十四歳以上のに気をつけろ。もし暴れたら即座に殺せ。……神のに適合するなど、そうそういるわけがないが」
小さなハディスのつぶやきに、ジルは息を呑む。
本來の姿に戻れなくなった神クレイトス。その神が目覚めたのは十四歳だ。神話が事実をなぞっていたとして、もし竜神と同じように神も生まれ変わるのだとしたら、ラーヴェにハディスがいるように、必ず神にもがいる。
(竜神が実在するんだ。なら、神だって実在してもおかしくない)
狡猾な。ハディスはそう言った。それは存在を認めている言葉だ。
(つまり、十四歳未満というあの條件は……)
――神のに選ばれない、まだ神にならない。神をはじくための條件だ。
「は全員、城に連行しろ。例外は一切認めない。拒めば反逆罪とみなす。名目は保護だ。僕の結界で監視する。スフィア嬢もそこへ」
「陛下、そんなことをしたら住民の反発を招きます! ただでさえ今、呪いだなんて言われているこんなときに!」
「だからなんだ。殺さなければ文句はないだろう。これでも君に譲歩したつもりだよ。僕は妻にはひざまずくと決めているからな」
反論を許さない聲で言い切って、ハディスは踵を返す。
あの殺を命じた戦場と同じだ。
金の瞳はもう、ジルなど映していない。
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