《やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中》34

「何がっ、妻にはひざまずくだ、あの馬鹿夫!! 話をする気すらないくせに……!」

ひとり、寢臺の上でジルはらかい枕を振り上げてはおろす。八つ當たりだとはわかっていても、腹の蟲がおさまらない。

時刻は深夜だ。ハディスはあれきり、夕食時も姿を現さなかった。

城の皆は住民の保護だと深夜にもかかわらず忙しく走り回っている。それらの作業に、ジルは一切関わらせてもらえなかった。

スフィアも結局、ハディスのいうところの『保護先』につれていかれてしまった。

(……嫌な予がする。っていうか嫌な予しかしない)

枕を抱いたまま、橫に転がった。何かあったときのため、寢間著は著ていない。

呪いだか神だか黒い槍だか、ともかく今、何かがこちらを攻めてきている。ハディスの言葉を信じるならば、十四歳以上のにとりつける――要はれるらしい。

それ故に、ハディスの策は単純明快だ。ひとまず目につくを全員、城に閉じこめて、監視するというのである。

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(……でも黒い槍の姿でもいてたよな? つまりあれは魔力の塊で、人にも取りつくが、意思があるんじゃないのか)

意思を持っている武なんて、どう考えても神クレイトスの聖槍ではないだろうか。だとすれば、自分こそが竜帝の妻だなどと言い放ったことも頷けるものがある。

神クレイトスと竜帝ラーヴェは夫婦神になるはずだった、というあの俗説は正解だったわけか……つまり、わたしはそれにまきこまれているわけか?」

勘弁してほしい。長いため息が出た。

だが、ハディスにまとわりつくあれを追い払ったのはジルなのだ。手を出してしまった以上、確実に敵として認識されただろう。

(早まった、気がする……)

――僕をしてもいないくせに。

そのとおりだ。なのにどうして手を出した。

ただスフィアを助けるだけで、ハディスがあの黒い何かを追い払うのを見ていればよかったのだ。

それなのに――そこから導かれる結論なんてひとつしかないではないか。

(ちょっと冷靜になろう、自分。あれの一どこがいいんだ。正直、シスコンがすべてを臺無しにするとはいえ、ジェラルド王子のほうがまだ男としてましだぞ。を吐いてたおれないし、常識あるし……)

でも、一度だってジェラルドはジルの願いを葉えてくれたことはなかった。願いを葉えようと引いてくれたこともなかった。

いつだって、ジルの『したい』も『したくない』も、ジェラルドに勘案されることも譲歩されることもなかった。

でもハディスは、一度はジルをクレイトスに帰そうとしてくれたし、ベイル侯爵の一件もジルの希を通してくれた。

(……つまり、わたしは、期待しているのか)

今度こそ、利用されたままで終わらずに、お互いに助け合い支え合うような、をできるのかもしれないと。

「……そういえば、助けてもらったお禮を陛下に言い損ねたな……」

手の怪我は大丈夫だろうか。ちゃんと手當てしたのだろうか。そう考えると落ち著かなくなってきた。

まず話をするべきだ。それが無理でもせめて、禮くらいはしよう。

そう思ってジルは起き上がる。ハディスがもう休んでいたら、引き下がればいい。

何より、自分の気持ちを確かめたい。でなければ結論が出せない。

いつもの上著を羽織り、寢室の大きな扉を押し開いたら、その先に人影があった。

「陛下?」

目を丸くしたジルと同じくらい驚いた顔で、ハディスが息を呑んで固まっている。どうも寢室の扉の前に突っ立っていたらしい。

「……どうしたんですか」

「……き、君こそ」

「だー何やってんだよ、よかったじゃねぇか嬢ちゃん起きてて! ほらいけ謝れ!」

いきなりハディスの背後から飛び出たラーヴェが、その後頭部をべしっと尾で叩いた。

「謝れって……僕の判斷は間違ってない。だから僕は悪くない」

「いいから謝るんだよ、こういうときはなんでもいいから謝っとくんだよ! お前顔はいいんだから雰囲気でごまかせ!」

それを本人の前で言ってどうすると思ったが、ハディスはふんとそっぽを向いた。

「そういうの、どうかと思うな僕は。心しない」

「お前、いいところは顔だけのくせに今更まともぶるな!」

「失禮な、僕は常にまともだ。だから僕は悪くない」

「……で、つまり何をしにいらっしゃったんですか」

ジルの一言にハディスがひるんだ顔をした。ハディスの肩の上でラーヴェが嘆息する。

「俺には強気で言い返すくせになー……嬢ちゃんを前にするとこれだよ」

「うるさいラーヴェ。……僕は、悪くない絶対に。間違ったことは言ってない。でも」

皇帝らしい冷たい目をしていたハディスのまなじりが、いきなりさがった。

「……君に、嫌われるのは…………………………。……だったら君はどうなんだ!?」

「今度は逆ギレかよ……」

「……。陛下、手を見せてください」

埒があかないと、ジルはひとりで百面相しているハディスの左手を取った。

ジルを守るために黒い槍をつかんだ手のひらには、赤みはないもののやけどのあとがあった。

「手當てはなさったんですか?」

「べ、別に痛くないし……」

「痛くないわけないでしょう。――綺麗な手なのに」

低く告げたジルに、どこかそわそわしていたハディスがぴたりときを止めた。

「……。お、怒ってる……の、かな?」

「せめて膏を塗りましょう。あと、包帯も一応……中にってください」

扉をあけて、部屋の中へと手をひく。だがハディスはかなかった。

「……今は、優しくしないでくれ。どうしていいか、わからなくなる」

あげく、ハディスが弱ったように言うものだから、かちんときた。

「でしたら陛下も軽々しく謝りになんてこないでください」

「あ、謝りにきたわけじゃない。ただ……」

「ただなんですか、皇帝なら皇帝らしく貫いてください。……大陛下は、わたしに嫌われたくないとか、わすようなことばかり……!」

「ま、わす? 君を? ちょっと待て、話がよくわからな――」

「何が僕を好きになってくれですか、ふざけないでください。わたしが気づいてないとでも思っているんですか。――お前は、わたしの名前を呼んだこともないじゃないか!」

ハディスが金の両目を見開いた。肩で息をしたジルは舌打ちしたくなる。

形だけの夫婦。その一線をどちらが破りたがっているのか、これではわからない。視線を落としたジルには、ハディスの顔もラーヴェの姿も見えない。

沈黙を破って頭上から聞こえた聲はラーヴェだった。

「嬢ちゃん、それは――」

「ラーヴェ、やめろ。いいんだ」

その悟った言いにジルはかっとなって顔をあげる。けれど、ハディスの顔を見て、勢いをなくした。

「……君は正しい。僕なんて、好きになるな。僕だって君を好きになんてならない。――そんなもの、地獄の始まりだ」

「皇帝陛下! そこにおられたのですね」

廊下に飛びこんできた兵士の聲と複數の足音に、ハディスがごと向きを変えた。

「どうした、こんな時間に」

「ベイルブルグの町から火があがっております。風の勢いもあって火の周りが早く、しかも一部の住民が皇帝陛下の呪いだと、暴を起こしたようで」

「北方師団を消火にあたらせろ。だが、城門はおろしたままだ」

遅れて顔をあげたジルは、兵士の顔に見覚えがないことに気づく。

いやそれ以前に、ここの階の巡回はミハリだ。なぜ、彼より先に――と思ったそのとき、ひとりが後ろ手に隠し持っている短剣に気づいた。

「陛下! そいつらは」

「ラーヴェ、僕の妻を頼む」

ジルがばした手の先に、見えない壁が立ちはだかった。同時に、ジルの目でもとらえきれない速さで、ハディスが腰の剣を抜く。

気づいたときには三人、斬られて石畳の床に転がった。

「ひっ……の、呪いだ、やっぱり皇帝の呪いだ!」

「い、いいから逃げろ、達をさがすのが先だ……!」

おののいた殘りが逃げ出す。ハディスは追わずに、剣を持ったままつぶやく。

「まだ生きているのだから、一緒につれて逃げてやればいいだろうに。……なんでもかんでも呪いと言えば、便利だな」

「……帰せ」

ハディスの足を、たおれた一人がつかんだ。ハディスは無表でそれを見おろす。

「妻を……生け贄になど……させな……」

「保護だと説明したはずだが。まあ、呪われた皇帝の言葉など信じるわけがないか」

素っ気なく言って、ハディスはその手を振り払う。そのあとで、ミハリが廊下の曲がり角から飛び出てきた。

「こ、皇帝陛下、今、悲鳴が……っこ、これは賊ですか!?」

「町の住民だ。達を取り戻しに忍びこんできたんだろう――町に火がついているというのは本當か?」

「えっあ、はい! あと……その、住民が城に向かってきておりまして……陛下はジル様をつれて避難されたほうがよいのではと」

「そういうわけにはいかないだろう。彼らの狙いは僕の首だ」

薄く笑ったハディスに、ミハリが言葉をつまらせる。

皇帝の顔だ。見る者すべてを陶酔させ、畏怖させ、跪かせる姿。

「妻は安全な場所に逃がした。暴を止めるのは僕の仕事だ」

「と、止めるとは……それは……」

ハディスは答えない。で汚れた廊下を踏みつけ、歩いて行く。

青ざめたジルはんだ。

「陛下! ――ミハリ、カミラとジークは!? 陛下を止めてください、このままだと陛下は……ミハリ?」

ぎゅっとを引き結んだミハリは、ジルの聲など聞こえないかのように、たおれた三人の出合を確かめ、武を取りあげて廊下の端に縛る。

そして、そのままハディスを追って行ってしまった。

「聞こえねぇよ、嬢ちゃん。だってここは竜神ラーヴェ様の結界の中だ」

背後から聞こえた聲に、ジルは振り向く。

空中にふわりと浮き上がるり輝く竜神は、困り顔で言った。

「ごめんな。俺達は、嬢ちゃんを失うわけにはいかないんだ」

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