《やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中》35

遠く、町の方で火の手があがった。夜の闇を焦がす赤い炎だ。

軍港の城壁から見える火に、カミラは驚くより呆れてしまう。ジークも無言で頭をかいて、つぶやく。

「隊長の読み通りってことだな」

「……ほんと、何者なのかしらあのお嬢ちゃん」

主君と決めた相手にそんな疑問を持つのは不敬だが、そう思うのはしかたないと思う。

夕刻ごろ、何がなんだかわからない妙な槍に襲われた主君は、脅えるでも護衛を増やすでもなく、まずカミラとジークに質問をした。

「水上都市を火の海にするために火をつけるとしたら、どこからか、か……まさか実はジルちゃんが主謀者じゃないでしょうね」

「それなら、皇帝陛下に黙って俺達を走らせたりしない」

「よう、そこの化けおチビちゃんの騎士ども」

気楽な聲をあげながら城壁の梯子を昇ってきたのは、賊の頭目――今はちゃっかり北方師団の軍人ですという顔をしているヒューゴだ。

「ご心配の放火だが、犯人はつかまえといたぞ。約束通り、手柄はこっちな」

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「何が手柄よ、燃えてんじゃないのよ」

「そう言うなって。一斉につけられたんだぞ。ほとんど止めたことをほめろ。でも俺らがベイル侯爵に指示されてた襲撃案の別案とほぼ一致した火のつけ方なのは、ぞっとしたねさすがに。こりゃ、あのチビちゃんの言うとおり、生きてるかもなぁ」

ベイル侯爵が火をつける計畫をたてていたかもしれない、それをヒューゴが知っているかもしれない――と言ったのもジルだ。

「一カ所だけ初が遅れた。しかもこの風だろ、火の回りが早い。消火はできると思うが、パニクって暴起こしかけてる住民のほうが厄介でさ」

ヒューゴの説明に、カミラは神妙に頷く。火事は確かに厄介だ。

だがこの火事は、あからさまに皇帝への恐怖や不満をあおり立てるためにつけられた火種だった。

「扇者は見つけられた?」

「ああ。約束通り泳がせた。黒いフードをかぶってる連中だ、こっちに逃げこむよう導させてる。これで北方師団としては上々の働き――と言いたいが、斧だの包丁だの持って、住民共が城に向かってやがる。俺はそっちで皇帝陛下をお守りしないといけねぇわけだ」

「やけに落ち著いているが、裏切る気じゃないだろうな?」

ジークにすごまれて、ヒューゴは軽く肩をすくめる。

「褒め言葉としてけ取っとくよ。こっちは綱渡りにも修羅場にも慣れてるもんでね。それに一応、皇帝陛下に助けていただいたっつー認識はあるわけよ、俺らにも。ほんとに北方師団に任命されたときは、この皇帝アホかって思ったぞ。いくら俺らしかいねぇっても、なぁ」

それはカミラも心、驚いていた。高貴な方々というものは、すぐ約束を反故にする。特に下々の者との約束など、記憶にすらとどめない者がほとんどだろう。

なのに、この國で一番尊い方がきちんと約束を守ったのだ。

「給料分は仕事するさ。それに、皇帝陛下だけならまだしも、あのチビちゃんには刃向かわないほうがいいと俺の勘が言っている。だってなぁ、あの嬢ちゃんが指示しなきゃ、本當に暴が起きて町が火の海になるところだったんだぜ。怖すぎるだろ、未來でも見えるのかよ」

「でもまだ、ふせげたわけじゃないわ」

まだ暴は起きたところだし、火は消えていない。カミラの言葉に、ヒューゴは頷く。

「そうだ。そして暴を止めて町が無事で終わりってわけじゃない。暴の対処によっちゃあの皇帝は呪われた皇帝じゃなく暴君になる。いやぁ楽しみだなー」

「あなたねェ……北方師団なんでしょ。皇帝陛下を信じなさいよ」

「それより、例のクレイトスの王太子様はどうした」

ジークの質問に、ヒューゴは表を改めた。

いてない。黒い槍を持ってるかどうかも確証は取れずじまいだ。ただ看守やら何やら、ベイル侯爵の死に関する証言者の柄は全員、確保した」

「わかったわ。ここからは竜妃殿下の命令をけたアタシ達が請け負う。北方師団は町を守ってちょうだい」

「了解した。襲うはずだった俺らが消火とか、面白いよなぁ人生は」

「裏切るなよ」

ジークの念押しに、ふとヒューゴが視線をかした。

そこには燃え広がろうとする火と、それを消し止める人々と、目の前の火事よりも恐怖をぬぐうために武を持って城までの大通りへと集まろうとする住民がいる。

「皇帝陛下もむくわれないよな。町、守ろうとしてんのに、全部裏目に出てやがる」

「……そうね。呪いだのなんだのがせめてなければねェ……」

「でも、もしこっから逆転させられたら、意外と名君になるかもしれない。ひょっとしたら、今が歴史が変わる瞬間ってやつかもしれないんだ。だから死なない程度には見守るよ」

言いたいだけ言って、部下に呼ばれたヒューゴは戻っていく。

黙って見送ったあと、先に口を開いたのはジークだった。

「確かにあの皇帝陛下は々底が知れないが。歴史が変わる瞬間なんて、そうないだろ」

「そんなもの、あとから結果を見た人間が勝手に決めることでしょ」

それもそうかとジークはあっさり頷き返す。その目が鋭くなったのを見て、カミラも立ちあがった。

カミラとジークが見張っているのは軍港の向こう側、クレイトス王國の王太子が停泊している船だ。

そこへ暴を扇した輩がきっと逃げこむ。それを追って、カミラ達は船の中までる。他國の、王太子の乗ってきた船に。

綱渡りのとんでもない作戦だ。だが、向こうも町の扇と王太子の護衛とで手をさかれて、手薄になっているはず。だからその間に船を制圧するのだ。他國の、王太子が逃げる船を。

「おいでなすったぞ。隊長の狙い通りだ」

「あらやだ。ほんと、なんなのかしらねージルちゃん」

何人か、町から走ってくる影がある。ヒューゴの言うとおり、フードをかぶって姿を見せないようにしているあやしげな一団だ。

さあさがせ、竜妃殿下のむ者を。一度その姿は見ている。見逃さないはずだ。

「――いたわ。ベイル侯爵」

「隊長が言うこと信じてなかったわけじゃあないが……本當に生きてるとは」

カミラは弓をつがえて、さらに聲をひそめた。

「しかも王太子も一緒にいらっしゃるんだけど? やだー最悪じゃない、これ」

「意外と働き者なんだろう、あの王子様は。――火をつける気だな、港に」

一団は油やらたいまつやらを用意し始めていた。住民を港から逃がさないためだ。そしてその間に自分達は逃げる、という算段か。

「王太子がいてもやることは同じだ。何せ、竜妃殿下のおみは死んだベイル侯爵を生き返らせることだからな」

ジークが大剣を抜いてつぶやく。楽しそうな口調にカミラは呆れた。

「王太子に怪我させちゃだめよ。アタシたちはあくまで、町を扇する輩とその主謀者であるベイル侯爵を捕縛しにきた。王太子殿下はだまされてます、お守りしますって裁でいくんだからね。むやみに敵視しないで」

「いくぞ、あいつらが火をつけたら決まりだ」

「聞きなさいよ」

文句を言いながらも、カミラは目を離さない。

ここで火をつけたら、町に火をつけた賊を竜妃殿下の騎士が止めにきたという構図ができあがる。現行犯逮捕だ。それでも他國の王太子にふっかける以上、問題はさけられない。だがこれを命じたということは、責任を請け負う覚悟があのにはあるのだろう。

最高だ。

「あの王太子は敵だろう。俺の勘がそう言ってる」

「珍しいわね、あんたが勘とか」

「前世で殺されでもしたのかもしれんな」

何を馬鹿なと思ったが、カミラも王太子を見逃す気はまったくない。

弓を引き絞ると、が弧を描いた。

「奇遇ね。アタシもよ」

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