神の気配をじて転移した場所は、しかび臭い地下牢だった。人の気配はない。

ただ煌々と、要所に掲げられたたいまつが燃えている。

影をゆっくりとばして、スフィアがぎこちない笑みを浮かべた。

「クレイトス、まで、き、てくれた。わたしを、ころしに。うれし、かったわ」

「そのわりには滯在中にはおでましになられずに殘念だった。逃げ回られて、結局槍の姿も拝めず終わってしまったよ」

「だって、さがし、て、ほしかったの」

スフィアのがなじんできたのか、神の口調がしずつなめらかになっていく。

「って、そういう、ものよ？」

神の実はここにはない。クレイトス王家に保管されている聖槍の中に封じられたままになっている。を見つけるまで神はそこから出られない。

だが、神はの神である。

権能に目覚めた十四歳以上のならば、誰もが神の支配下だ。神のの持ち主以外は。

（だが、チャンスだ）

人間のの中にっている神を天剣で突き刺せば、神は神格を落とし力が弱まる。逆に神が消滅しないことも神話が証明しているが、當分けないようにはできるだろう――それこそ、を見つけて復活するまで。

ラーヴェからも不満はあがらなかった。

ためらいも、なかった。

スフィアひとりであと六年が保証されるなら、そのほうが犠牲はない。それが理に葉った現実というものだ。

「今回は何をしにきた？」

だが同じことを神も警戒しているだろう、間合いにってこない相手を逃がさないよう、ハディスは聲をかける。それが神の思通りで、喜ばせるとわかりながら。

「あなたに、會いに」

「彼たちを殺したのか。スフィア嬢のを使って」

今更、嫌悪もわかず、淡々とハディスは事実確認に乗り出す。

達が地下牢にいるのは――おそらく、ハディスから不興を買ったことでベイル侯爵に放りこまれたのだろう。そして意味もわからないまま、神に殺されてしまったに違いない。

子ども達を哀れには思う。だが、それだけだ。

一瞬でもそれで弱さを見せれば、高笑いして神はハディスにつけこんでくるだろう。

わかっているでしょう？　わかったでしょう？

あなたをしてあげられるのは私だけ。

いつだって神が言いたいのはそれだけだ。

「今更死をいくつ積み上げられたところで、お前への嫌悪しかない」

天剣を向けたハディスに、スフィアが――神が、顔をゆがめて笑い出す。哄笑だった。

「ああ、ああ、しい私のあなた。なんて純粋なあなた！　私が殺した？　いいえいいえ、違うわ私はなあんにもしてない」

「スフィアが殺したとでも？　ふざけるな、お前じゃあるまいし、そんなじゃない」

「そう！　そうよ、だからね、私ね、おしおきしようと思ったのよ。皇帝になったからって、私を忘れるのはいけない。でもクレイトスにきてくれたから、ちょっと脅かすだけのつもりだったの、この子を使ってね。でも、でもなんておかしい！」

げらげらと笑ったあとで、かくんとスフィアの首が不自然に倒れた。

その首にある縄のような痕に気づいて、ハディスは目を細める。

「この子ねえ、もう死んでるのよ」

息を呑んだ。

「首を絞められてね、ぎゅうっとね。怖かったでしょうねえ、実の父親に」

「……実の、父親？　ベイル侯爵が？」

「可哀想に。父親が八つ當たりまがいに、い達を折檻しているのを見ちゃったのね、この子。そのうちひとり死んじゃって、逃げ出そうとされたからふたり死んで。この子、けなかったのよ、一歩も。震えて」

聞くな、とラーヴェが言った気がした。

だがいつだって神の言葉は、ハディスのに毒のようにしみこんでいく。

「ちょうどいい、って言われたのよね。お前が殺したことにしようって」

皇帝陛下に気にられたからと、何様のつもりだ。

何か隠しているだろう、お前。

だがそれもすべてこれで終わりだ。

いやそもそも。

「自分の親に絞殺される子どもって、どんな気持ちになるのかしら」

最初から、お前など生まれてこなければ。

「可哀想。可哀想だわ。だからね、あなたが気にかけるこの子の最後を、ちゃあんと伝えてあげなきゃって思ってね。首つり死にしようとしていたのを、かしたの。あの男ったら、悲鳴をあげて逃げていったわ」

何も見えていないスフィアの瞳から涙がこぼれ落ちる。

ハディスは天剣をにぎった。

「そうしたら、あなたがきたのよ。謝して。でないとあなたは、真相を知らないままだったでしょう？　私はの神だもの。彼のに応えてあげなきゃと思ったの。復讐させてあげなきゃ」

「……黙れ」

「可哀想に、ほんのしあなたに心を傾けただけだったのに。こんな目に遭わせるなんて、ひどい奴ら。ねえ、そう思うでしょう？　あなたが守ってあげる価値なんて、なあんにもない。わかるでしょう？　あなたがするのはただひとり、私だけでいい！」

「黙れえぇぇぇぇぇ！！」

哄笑を振り払うようにハディスは天剣を振るう。

だが高笑いした神は、スフィアの影からするりと抜け出た。がくりと膝をついたスフィアがそのまま倒れ、ハディスの足元に転がった。

神が抜け出ても、瞳孔は開きっぱなしだ。もう彼は喋らない。

おいしいですね、とお茶を飲んで笑うこともない。

「あっははははは！　可哀想なあなた、安心して。私が助けてあげる！　私だけがあなたを救ってあげられる！」

ハディスの回りに靄のようなものがつきまとう。それを握り直した天剣で振り払った。

だが神の高笑いは止まらない。

「あなたを苦しめた罰を、私が與えるわ。この町を火の海にしてあげるから、泣かないで」

「ハディス！　このままじゃ」

「……わかっている」

変化をといたラーヴェの呼びかけに、ハディスはスフィアの死から目をそらす。

ラーヴェも一瞬だけスフィアに目を向けたが、それ以上は何も言わなかった。

外に転移すると、ものすごい勢いで火が回り始めていた。

風の強さもあるだろう。あちこちに燃え広がって、町が上空まで赤く染まりつつある。

住民達が必死で消火しようとしているが、焼け石に水だ。

神の火は、神の魔力そのものだ。魔力も持たないただの人間に消火できるわけがない。

「どうする」

「お前の火で打ち消すしかないだろう」

竜の吐く炎は魔力をも燃やす。それが竜神からであれば、神の魔力でさえ浄化する神の裁きになる。

上空に浮かんで全を見回したハディスは、ラーヴェにれる。

だがラーヴェは、ハディスの意向がわかっているだろうに、すぐには姿形を変えなかった。

「いいのか」

「何がだ？」

「お前が町を燃やしたと思われるぞ」

今からハディスが振るうのは、浄化の炎だ。燃える炎と浄化の炎。普通の人間に見分けはつくまい。

だがそんなことは些細なことだ。

「スフィア嬢が今からかぶる汚名にくらべたら、ましだ」

「……そう、だな」

悲痛な顔をして、ラーヴェが同意する。

同時にするりと形を変えた。

『無理すんなよ』

金の両眼を見開く。輝きを増した天剣の刀がびて、変型する。を通わせたように赤くり、一振りするだけで鞭のようなうなりをみせ、そこから煙が舞い上がった。

頭上からの攻撃に気づいた住民達が悲鳴をあげて逃げう。

「あ、あれはなんだ」

「まさか呪われた皇帝」

「皇帝が、町を燃やそうと……！」

かまわずにハディスは背を向け、城に向けて剣を振るう。ハディスから放たれた炎が、神の炎を浄化し、打ち消していく。だが消火に気づいている者はいないだろう。

大混を起こした住民達が逃げう姿が見える。

きっと生き殘った彼らは竜帝が町を燃やしたのだと、口々に言い立てるのだろう。

だが、それも些細なことだ。

死んでしまったスフィアや、ただの誤解で呼び出されて殺されてしまった達や、今まさに焼け死のうとしている人間達に比べたら――本當に？

『……ハディス？』

「ラーヴェ、さっさと片づけよう」

大丈夫だ、まだ自分は笑える。

「僕は竜帝だ。皆を救わねば」

穏やかな聲でそう言ったハディスに、ラーヴェはほっとしたようにそうだなと告げた。