《やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中》

なだらかな平原が海から流れ込む川で一度途切れ、今度は急な斜面に変わる。高木が並ぶ森がしずつ消えていき、雲が流れる緑の殘る高原が現れた。

高度のせいだろうか。空気が変わった。クレイトス王國の王都にもじた、靜謐さと神聖さだ。神の加護を一けているような。

やがて、雲が霧のように晴れて、天の頂に広がる都市が見えた。

「あれが、帝都ラーエルム……」

ラーヴェ帝國の中樞。ラーヴェ帝國の最北部に位置するその都市は、高度もあって、空気がし冷たい。

だが、青空にそびえ立つ帝都は、天空都市と呼ばれるにふさわしい威厳を兼ね備えていた。

雲が流れる高原と都市を仕切る城壁は斷崖絶壁まで続いており、竜でも使わなければとても跳び越えられない高さだ。

その壁の向こう、斜め上から見おろす街並みは、整然としてしかった。白い歩道に中央に向かっていくつもびる階段。鮮やかな屋と煙突から、煙がいくつもあがっている。街の真ん中には、鐘樓がついた時計臺がある。そのうしろ、さらに高い位置には、三つの尖塔を持つ白亜の城は天高く鎮座していた。

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「あれが、……陛下のお城ですか」

「うん」

城壁へ向かう高原の道と平行に飛びながら、ハディスが頷く。その聲は張しているようにも聞こえた。

そう、なくとも今、あの街も城もハディスにとって居心地のいい家ではない。戦場だ。

ぎゅっとジルは、竜をる綱を握るハディスの手に、手を重ねる。何も言わず、ハディスがジルの小さな手にさらに手を重ねる――そのときだった。

「!? 陛下、城壁の上……魔障壁じゃないですか!?」

「ジル、口をとじて!」

クレイトスの城壁にもかけてある仕掛けだ。外壁の敵を討つためのものである。

城壁の上に幾何學模様をにじませた明な壁が浮かびあがり、そのまま一直線に線がいくつも放たれた。姿勢を低くした竜が、凝した魔力の熱線を紙一重でかわし、上空に旋回しながらよけて逃げる。

「何だ、なんで攻撃されてるんだ!?」

「ラーヴェ、そのふたりと竜を安全なところへ! 狙いは僕だ!」

「なんでよ、陛下ってばそんなんでも皇帝でしょ!?」

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「陛下、わたし行きます! 陛下もジークたちと安全なところへ!」

「ジル!」

ハディスが慌てる聲が聞こえたが、逃げ回っても埒があかない。鞍を蹴ったジルは、飛んでくる線をよけて障壁へ向かってまっすぐ飛ぶ。ハディスの言うとおり、狙いはハディスらしい。正確にはハディスの乗っている竜だろうか。

(帝都から迎えによこされた竜ってそういうことか!)

敵だと識別する印でもしかけてあるのだろう。あの障壁から放たれる線は、自でハディスの乗る竜を狙っている。その証拠に、まっすぐ向かってくるジルには攻撃してこない。

腰にさげておいた長剣を抜き、その切っ先に魔力を集中させて、障壁に突き刺す。手応えがあった。ふやけるように、障壁がほどかれていく。

ほっとしたその瞬間、ざわっと背筋が粟立った。上だ。

「ジル!」

よけようとしたが、一歩遅かった。ふせごうとした長剣がなぎ払われ、右腕に熱と鋭い痛みが走る。その一瞬で、相手との力量を悟った――正確には、武の力量と、そこにしかけられた罠を。

「陛下! だめです、魔力封じの武です!」

そのままジルの右腕を切り落とそうとしたその剣を、間に割りこんだハディスが天剣でけ止める。だが勢いをけ流せず、ジルをかばうように抱いて勢を崩したハディスの背中に、一撃が振り下ろされた。

「陛下!」

んだときには、ハディスごと地面に叩きつけられていた。

橫向きにり、地面をえぐる。やっと止まってからジルは目を開いた。衝撃はあったが、痛みも怪我もなかった――ジルを抱きこんで、ハディスがかばってくれたのだ。

「陛下、陛下……! 大丈夫、ですか」

右腕は傷んだが、出はないようだ。急いで起き上がったジルは息を呑んだ。

ハディスは肩から肩甲骨までざっくりと斬られていた。ジルの右腕と同じく、魔力で焼き切られているのか、は流れていない。だが、地面に落ちたときに頭を打ったのか、起き上がったハディスのこめかみに一筋、が流れた。

「陛下。わたしを、かばって」

「大した怪我じゃない。……ラーヴェ」

『わかってる』

天剣に転した竜神ラーヴェの聲が固い。だがそれ以上に、その天剣が薄くすけていくことに、ジルは慌てた。

「陛下、ラーヴェ様が……」

「よけたか。しかも、まだ魔力が使えるとは」

低い、しゃがれた聲が上空から吐き捨てられた。

「この剣でもまだ魔力を封じきれぬとは、化けめ」

地面に落ちたハディスとジルを見おろしているのは、たったひとりだった。

年齢は五十すぎだろうか。白髪がじった髪と髭が年齢をじさせるが、びた姿勢と立派な格はまだ十分に若々しい。

そして風になびくマントは、ラーヴェ皇族以外には許されない深紅だった。

「……叔父上」

ジルを片腕に抱いて、膝をついたまま、ハディスがつぶやく。素早くジルは記憶の片隅から報を引っ張り出した。

(前皇帝の弟、ゲオルグ・テオス・ラーヴェ!)

ジルが知る歴史どおりならば、ハディスの治世に真っ先に反旗を翻した人。ラーデルという特別な領地を治めていた彼は、ハディスの手で焼き払われたベイルブルグの慘狀を糾弾し、ベイル侯爵家への苛烈な粛清に脅える諸侯をとりまとめ、ハディスを偽帝だと斷じて挙兵する。

のちに、ラーデル公の偽帝爭と呼ばれたラーヴェ帝國の紛――。

(でも挙兵はもっと先のはずだし、今の陛下はベイルブルグを救った! ベイル侯爵家への粛清もない。陛下を糾弾する理由は表立ってはないはずなのに――)

「そのまま帰ってこず、姿を消せば、見逃すことも考えてやったものを」

「……叔父上、その剣は?」

「天剣だ。本のな」

片頬をあげて答えたゲオルグにハディスは眉ひとつかさなかった。

「お前の持っているそれは、偽だ。そうだろう?」

「……」

「お前が竜帝だといわれ、皇帝の地位にいられるのは、天剣があるからだ。それも、お前がたくらんだ皇太子の連続死に脅えた兄上が、偽を本だと勝手に思い込んだからだろう」

「陛下は本の竜帝で、この天剣はまぎれもなく――っ」

立ちあがろうとしたジルを、ハディスがゲオルグから隠すように抱きこむ。そしてささやいた。

「逃げるぞ、ラーヴェ。まだいけるな」

『一回なら』

「逃げるって、陛下」

「傷から魔力封じの魔が侵蝕してきている。君もだろう。このままだと、ふたりとも魔力が使えなくなる」

ジルは指先まで魔力を集中させてみる。だがハディスの指摘通り、いつものような力がらない。

「転移はあと一回が限界だ。しかも大した距離は飛べない。でも今なら、護衛のふたりも荷もあわせて転移させられる。戦うよりも逃げることに殘りの魔力を使うべきだ」

そう言ってハディスが右手に持った天剣に目を落とす。それを見たジルは、頷き返した。

魔力の高い人間にのみ見えるラーヴェの姿。だが転し、天剣の姿をとれば誰にだって見えるはずなのに――その神が、薄く薄く消えかかっている。

ハディスのにある、魔力が封じられていくせいだ。

「既にふれを出した。お前は偽帝。ラーヴェ皇帝を騙る、まがいだ。斷じて、竜帝などではない!」

ゲオルグが手を挙げる。それが合図に、城壁の向こうから竜騎士が、あいた城門から軍旗を掲げた軍が雪崩を打ったように出てきた。

再び城壁の上の魔障壁がり出す。自修復機能があるらしい。それらが放った一斉攻撃を、ハディスが半分消えた天剣でなぎ払う。

まとめて吹き飛ばされたゲオルグが舌打ちし、剣をかまえる。

「まだ魔力が使えるのか! だがもう長くはもつまい」

「ジル、つかまって」

「はい!」

「ラーヴェ!」

んだハディスに答えるように、ジルとハディスのが一瞬浮く。同時に、どこか魔力の渦に呑みこまれるようにが引っ張られる。

ハディスの魔力が不安定なせいだろうか。ぐるぐると悪酔いしそうな揺さぶりをかけられて、気持ち悪い。それでも必死にハディスにつかまって、耐える。

『嬢ちゃん、俺はしばらくけない』

ラーヴェの聲が聞こえたが、歯を食いしばったままでは何も答えられない。

『ハディスを頼む』

竜神の聲がそれきり、遠くなっていく。

はっと目を開くとそこは、夕暮れ間近の靜かな森の中。

ところどころ崩れた石垣にかこまれ、うらぶれた一軒家の前に、ジル達は倒れていた。

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