《やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中》42

滝の音が遠くに聞こえている。それ以外は靜かだ。日の落ちた周囲で、燈りをつける気配もない。

大きくえぐられた岸壁の側にを潛めていたロレンスは、ほっと息を吐き出した。

「……まきました、かね」

「まいたというより、くまのぬいぐるみから逃げてきたというほうが正しい」

冷靜なリステアードの言に、話がそれるとわかりつつ同意してしまった。

「おそらく敵の半數は壊滅しましたね。あの目からの熱線攻撃で……」

「森が吹き飛んだからな。あれで撤退を決めただろう」

「なんなんですか、あれ……ぬいぐるみじゃないですよね、もはや」

「わからんがあんな馬鹿の極みを作るのはハディスしかいない。あの馬鹿……!」

唸るリステアードについ同しそうになるのをこらえて、周囲を確認する。

皆、逃げるのに必死で泥だらけになったり汚れたりしているが、大きな怪我はない。誰ひとり欠けず逃げ出せたのは、最初の竜帝の機転と、あのくまのぬいぐるみが大きいだろう。

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「ソテーがいないな……くそっ」

「さすがにくま陛下もね……さがしにいきたいけど、無事かしら」

「……無事、祈るべきですか?」

「ひとまず人命優先にしろ。あと絶対生きてるだろう。あのヒヨコもどき、ぬいぐるみを振り回していたぞ」

最初は揺が見られたリステアードだが、くまのぬいぐるみが次々兵を毆り倒していく現実に頭が冷え切って冷靜になったらしい。

「今晩はひとまずここで休むとして……今後はどうしますか」

「……姉上が裏切ったのであれば、おそらくもう味方はいないと考えるべきだ。僕達の竜をノイトラールに取りに戻るわけにもいかない……」

「この狀況下をひっくり返すには、竜がしいです。赤竜を殺すことはしないと思うので、呼ぶことが可能ならとは思うんですが……そのあたりはどうですか」

座學ではまだ習っていないところだ。何より竜は、緑竜は無理でも赤竜には可能ということもある。巖壁を背にして腰をおろしたリステアードは、胡に答えた。

「魔力がある人間の気配なら追ってくれる。だが、今までの経験上、呼べばくるのは聲が屆く範囲だった。遠距離となると不可能だろう。そもそも機嫌が悪いと呼んでもこない」

「……意外に主従関係ないですね、竜と人間」

「當然だ。習わなかったか。竜に乗せてもらっているというのを忘れるな、と。竜の加護を失えば人間は竜の背に乗ったところで空気の薄さで死ぬ。それに……ブリュンヒルデは処分されている可能がある」

「赤竜でしょ!? しかも金目よ。貴重なんじゃないの」

驚いたカミラに、苦い顔になったリステアードのかわりにその部下が答える。

「貴重で、賢い。だからこそ手懐けにくいんです。リステアード様以外を乗せない可能も高い。それだけならまだしも、裏切りを知ったら……竜には竜の流儀があるので、他の竜を襲うとは限りませんが、赤竜にほとんどの竜は従いますし、ローザは紫目です」

「ああ……なるほどね。エリンツィア様の竜でもおさえられないならいっそってこと」

「おそらく、処分よりは放逐だと思いますが」

「でも呼んでも屆かない。……あてにするのは愚策だな」

ジークの結論に、ロレンスは答える。

「なら、別案を考えておきます」

「あんのかよ別案」

「竜がいれば楽だという話ですよ。こんな數でやれることは限られてます。それより一番の懸念は、陛下が処刑されるまでの時間と、竜妃殿下の無事ですが――」

しんと周囲が靜まった。

逃げている間は余計なことを考えず走り抜けられても、安全になればじっとりと影になって不安は迫ってくる。

「とりあえず燈りつけようぜ。んで飯だ」

腰にさげた小さな荷袋をジークが地面に置く。そして真顔で言った。

「そしたら隊長、飯の匂いでよってくるかもしんねえだろ」

「そうね、そうだわ」

真面目なリステアードはし眉をよせたが、自分の荷を出す。

「ハディスが作った保存食がまだある。この狀況だ、狩りはしないほうがいいだろう」

「あらやだ気が利く、殿下。じゃあ火をおこすわね。薪はそこら辺にあるし」

「拾ってきますよ」

ロレンスは立ちあがって、警戒しつつ巖から出た。そこで目を見開く。

薄暗い藍闇の中でもる、漆黒の竜が、まっすぐこちらに向かってくる。

「……っ! みなさ――」

「ロレンス! みんな、無事ですか!?」

聞き覚えのある聲に隠れるよう指示しようとしたロレンスは、振り返った。食事の準備に取りかかろうとしていた面々が、慌てて顔を出す。

「ジルちゃん!」

「おい、皇帝の保存食はまだあけてないぞ!?」

「どういう意味ですか。よかった、ジークもカミラも……リステアード殿下も!」

そう言ってジルは、多の風を起こすだけで優雅に地面におりた黒竜から飛び降りた。

「すみません、遅れました」

「な、な、な……なぜお前、黒竜に乗って」

「ちょっと々あって、あとで話します! そうだリステアード殿下、ブリュンヒルデをつれてきました」

「は!?」

驚いたリステアードが空を見ると、今度は赤竜が、緑竜が、次々おりてくる。リステアードが率いる竜騎士団の竜だ。數名から歓聲があがった。

「ブリュンヒルデ、なぜ……!」

駆けよったリステアードに甘えるように赤竜が頭をこすりつけている。ジルがかたわらにいる黒竜を見あげた。

「リステアード殿下のこと話したら、黒竜が呼んでくれたんです」

「禮には及ばぬ」

黒竜から発せられた聲に、全員が一瞬固まった。が、真っ先にリステアードが表を改めて、黒竜に跪く。

謝申し上げる、黒竜殿」

「お前は禮儀をわきまえているようだ」

「しゃべっ……そ、そうよね。黒竜だものね」

カミラがに手を當てて呼吸を整えてから、禮をした。皆がそれにならうと、黒竜は満足したように鼻を鳴らす。

「みんな無事ですね。現狀の報告を」

「いや……それがな、隊長。逃げる途中でソテーとハディスぐまが……」

やはり犠牲扱いなのかジークが報告しようとしたところへ、あっとジルが聲をあげた。

「ソテー! くま陛下も!」

妙に可い聲をあげて、ヒヨコもどきの鶏がぼろぼろになったくまのぬいぐるみを背負って、しげみから顔を出した。

「お前、怪我は……ないな、よかった。くま陛下を救い出してくれたのか、よくやった!」

「ピヨッ」

「くま陛下も、こんなにぼろぼろになるまで戦ってくれたんだな……」

「もっとぼろぼろにされてたの敵だけどな……」

ジークの聲が聞こえているのかいないのか、くまのぬいぐるみとヒヨコもどきを抱いて、ジルは立ちあがる。

「陛下に直してもらわないと」

ぎゅっとそのぬいぐるみを抱いて前を見據える凜とした姿が、大人のに見えて、ロレンスはまばたく。まばたけば、一瞬でその姿は消えた。

「必ず陛下を助け出しましょう。ロレンス、策を」

「わかった」

頷き返してから、當然のように答えた自分に驚いた。つい、笑い出したくなる。

(面白い)

このが戻ってきた。それだけで、先ほどの薄暗い不安が消えてしまっている。

本當にもったいないと思った。クレイトスに殘っていれば、ジェラルドと婚約してくれれば、軍神令嬢なんて呼ばれて戦場を自分と駆けてくれただろうに。

「まかせてくれ。この數で、竜帝を奪い返してみせよう」

未練を斷ち切るためにも勝たせよう。

いつか敵になる、その日のために。

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