《【書籍化】追放された公爵令嬢、ヴィルヘルミーナが幸せになるまで。》第95話:王太子らと猊下

「ナマドリウスⅣ世猊下のにございます!」

謁見の間、門の前で兵たちが聲を上げる。余とイーナは並んで頭を下げる。父王も玉座に座って待つのではない。立ち上がり、壇上より降りて同じ高さで待たねばならないのだ。

ゆっくりと、片手をしき侍者の年に取られ、もう片手で白銀の聖杖をついて歩く老爺。

青と白に金糸の刺繍がなされた教皇のローブをに纏い、頭上の寶冠にはパトリカイネンの王家に伝わる寶冠とは比べにならないほどの大きさの寶石が輝いている。

その寶冠の下に輝くのは深く深い青の瞳。心を見す心眼。

「……ひっ」

見た瞬間に魂を摑まれたかと思った。

汗が噴き出る。イーナが心配そうにちらりとこちらを見た。

「ようこそお越しくださいました。ナマドリウスⅣ世猊下」

「おお、ヴァイナモⅢ世陛下、愚禿を歓迎いただき謝いたします。しかし、どうも大変な折にきてしまったようですな」

父が挨拶をし、猊下がそれに応じる。

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側にいるヨハンネス樞機卿のがびくりと揺れた。

口さがない貴族や平民たちからは昨日の落雷を天罰などと言うものもいるが、流石にそんな風説が猊下の耳にはっておるまい。

だが樞機卿にとっては自らの大聖堂で猊下を招いて執り行うはずの儀式が別の教會となって憤懣やる方ないだろう。

そして一通りの儀式的な挨拶を終えた後だった。

「ところで……」

椅子へと座った猊下がふと思いついたように口を開く。

「愚禿はペルトラ夫妻に會うのを楽しみにしておったのですが、こちらにはいらっしゃらないのですかな?」

誰もが空気が凍ったのをじた。

猊下は好々爺然として笑っている。だがその瞳は冷徹に余らを観察しているかのようであった。

父が掠れた聲で言う。

「か、彼らは平民ゆえ、この場にはおりません」

「ああ、なるほど。それは失敬」

「あ、あの。教皇猊下。彼らとご面識が、おありで?」

ヨハンネス樞機卿も詰まったような聲を出す。

「うむ。一度會ったことがあるが、とても興味深い若者たちであった。そう言えば……」

猊下の視線がこちらに向く。

「ペルトラ夫人は元々エリアス殿下の婚約者であったとか」

「は、はい」

「數年前、ペルトラ夫人、いや當時はヴィルヘルミーナ嬢でしたか。彼は市井にて悪との噂が流れていたそうですが、なかなか噂など當てにならぬものですな」

「そう、でしょうか?」

これを肯定するわけにはいかぬ。あれが悪でなかったとなると余がヴィルヘルミーナを追放したのに正當がなくなる。

「なるほど、さもなくばアレクシ・ペルトラ氏が彼を良き方向に導かれたのでしょう」

「……それは、幸いなことですね」

くそっ、なんたる屈辱か。

教皇猊下は余よりもあの平民を有徳の人であると言う、それを余が認めなくてはならないと言うのか!

余は怒りを隠して頷く。

「そう言えば、愚禿は王都にる前にくだらない噂を聞きましてな」

そう言いつつ指で斜め上を指す。大聖堂の方角を。

「王都の外からも見えました昨日の落雷、何やら天罰であると?」

……知って、いるのか。まるで心に亀裂でもったかのようにピシリという音が響いた気がした。

「そのような……ことは。げ、下賤の者どもの世迷言に過ぎません」

「いけませんよ、陛下。あなたの大切な民を下賤の者などと呼んでは。ただ、そうですな。世迷言というのは一理ありますな」

蒼白となっていた父の顔に僅かばかりの喜が浮かぶ。

「そ、そうでしょう! 天罰などとんでもない」

「ええ、天にまします神は地上で起こる瑣事に、直接介して罰を下さることなどはありません」

そう言いながら教皇は片手で聖印を象った。

こくこくと余らの首が縦に振られる。

「……問題は、なぜ天罰という噂が流れているかですな」

そして固まった。

「ペルトラ夫妻はご健勝なのでしょうな?」

「は、はい!」

猊下はため息を吐かれた。

「これでも教皇ですからな。よもや噓ではないでしょう。愚禿が彼らの屋敷にお邪魔させて貰うか、ここに呼び出してもらうかどちらが良いですかな」

こうして謁見の間での公的な會談は短時間で中座し、貴族たちは帰された。

そして慌てて使者が走ることとなる。

この場で會わせるのも恐ろしいが、見ていない場で會われるのはもっと恐ろしい。そういう覚。

目眩がするような気分でいると、余の手がそっと握られた。

「イーナ……」

のチョコレートブラウンの瞳がじっとこちらを見つめ、余の正気を繋ぎ止める。

の手もまた震えている。逆の手にもつ扇で口元を隠すと、顔を寄せて囁いた。

「わたしの幸せはエリアス様と共に」

何の的な解決策にも繋がらない言葉だった。

思わず激昂しかけ、猊下の前と思い口を噤む。

イーナはすっと顔を離した。手を握ったまま。

そうではない。余は……そうだ……余はそこで的な獻策をするヴィルヘルミーナを五月蝿いと遠ざけたのではなかったか。ただ心を休めてくれるイーナを求めたのではなかったか。

慮されますよう。

そう言ったのは誰だった。

過去を見つめ直し、今を大切に、未來を慮されますよう。

ヴィルヘルミーナしかいない。あの後、彼は何と言っていた?

「ペルトラ夫人ヴィルヘルミーナ様がご到著されました!」

従者の聲が謁見の間に響く。破滅が、しい貌をしてやってきた。

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