《高校生男子による怪異探訪》15.正見たり
すっかり泣き腫らした能井さんは、それでも最後はすっきりとした様子であった。
落ち著く頃には日も暮れてしまっていたので途中まで送ることにした。一人で帰らせるのは心配があったからな。
自分がしてしまったこと、しようとしたことにショックを隠し切れていなかったが、しかし最後は笑顔で「また明日」と挨拶もしてくれたのだ、暫くは元気がないかもしれないが、きっと大丈夫だと思う。
実際、翌日には學校にもちゃんと來た。
二岡辺りが元気のなさに気付いて々訊ねまくっていたようだが、能井さんはそれをどうにかかわして詳細は語らずにいるらしい。
それは彼の自由にすればいいと思う。俺からすれば未遂だ。墓まで持ってった所で誰が困る訳でなし。
こちらはこちらで昨日は能井さんの向を見張るため、樹本を先に帰したその余波で朝から追及されて困っている。
急いでいたから々雑だったんだよなー。最終的には腹壊したから先行っててとか小學生かよって言い訳口にしてたし。
それで樹本が先に帰ってくれたのは信じたからとかじゃなくて泳がせておこうとかそんなじなんだろ、きっと。檜山じゃあるまいし。
「本當に何もなかったの?」
一日終わりの下校時にまで追及され続けてるからもう、ねぇ。お前いつまでその話引っ張るんだ。今日一日ずっとそれしか言ってなくないか?
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「何もない。ちょっと用事があっただけなんだよ。何もないからこうして元気でいるんじゃねぇか」
樹本、檜山のいつもの三人で夕日が差す中を帰る。まだ俺の護衛は続いているようだが、正直もう必要なくね?
「永野がああも頑なに否定するの珍しいからね。よっぽど大切な用事があるのかなってそう思ったんだけど」
じっとこちらを注視してくる。
前から思ってたけど、俺の傾向把握し過ぎじゃないか、お前。それとも俺が分かり易いだけか? とりあえずちゃんと前を見て歩いた方がいいと思うぞ。
「ゴールデンウィークも近いよな。なあ、打ち上げってどうするんだ?」
こちらはこちらで心のドキワクを抑えられずにいる檜山。目なんかキラキラさせちゃって、そんなに打ち上げが楽しみか?
「うーん、まぁ、だんだん騒ぎも治まってきたし、もうちょっと靜かになったら騒沈靜と見て問題ない、かな? 一時と比べたら過激派もいなくなったし、恐らく小康狀態には向かっているはずなんだよね」
悩みながらも樹本は狀況が改善に向かっていると評価を下す。
ここ最近は縁切りの呪いの方にリソースを割いていたが、元々の學校全に及ぶ一種のお祭り騒ぎは徐々に落ち著きを見せ始めているのは俺も察していた。未だ向けられる視線は多いものの、騒の始めの頃のような狂態振りは流石になりを潛めている。わざわざ教室に俺の顔を見にやって來る奴とかいたからな。
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「永野からはどう? 辺はしは落ち著いた?」
「まぁ、そうだな。こっちを見てくる人間も減ってきたようには思う。通り過ぎる人間皆振り返ってまで見て來た頃との比較だけど」
「改めて異常だったよね、本當」
しみじみと真顔で言われてしまった。
漸く飽き始めたと見ていいのかね? 騒開始より二週間近く経過しているし、學生っていう興味の対象がコロコロ変わる年頃の人間ならば、そろそろ別の話題に移った所で何もおかしくはない。元々一學生の惚れた腫れたにここまで騒ぐのがおかしくはあったのだが。
「あとは手紙の差出人、か」
ぽつりと樹本は呟く。剃刀レターのおかわりは今の所ない。
それというのもどうやったのかは知らないが、件の掲示板を閲覧不可に持っていってしまったらしい。単に削除申請でもしただけなのかもしれないが、嵩原、樹本の協力で一先ずもう掲示板からは報は得られないと今日言われた。仕事が早いな、お前ら。
恐らくは新たな差出人は登場しないのではというのが二人の見解だ。だからこそ、まだ判明していないあとの一人が気に掛かる。
「永野が見た不審者だって手掛かりなしだし……。ねぇ、大丈夫なの、永野?」
「お? 俺途中まで送ろうか?」
差出人から不審者にまで意識が向かったか、樹本は不安そうにこちらを見る。
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檜山の奴も思い出したように過保護なことを口にする。直前まで連休に思いを馳せていたとは思えない切り換えだな。
「大丈夫だ。多分な」
何に対しての大丈夫なのか。問う方の意味も曖昧なら答える俺の方もふわふわしている。
確信を持ったことなど何も言えない。それでも、まぁ、取っ掛かりは見付けはした。誰かを頼る前にまずは己で見極めないと駄目だろう。だから、二人の手助けは今日の所は遠慮する。
「本當? 言っておくけど、現在君の大丈夫の信用度はかなり下がっているからね。もし次痩せ我慢したらもう永野の意見は參考にしないから」
「ツーアウト! 永野ツーアウトだ!」
えらい念を押されたけど大丈夫、のはず。まずい、俺自が俺を信用出來なくなってるんだけど。
要らない不安に苛まれながら二人と別れて一人帰路に著く。何度も見て來た黃い風景が辺りに広がっている。
いつもの住宅地だ。塀と電柱ばかりが続き長い一本道が先の方まである。遠くから子供のはしゃぐ聲が聞こえてくるが、それ以外は本當に靜かだ。
空は綺麗な黃昏、今日は雲もないからな。空にまで黃が移り視界一杯が一に染まっている。
道路には俺の影が細くびてゆらゆら左右に揺れている。強い西日だから影も濃い、真っ黒な影が俺の足下、前、そして左右の電柱の後ろに黃を裂くようにある。
その電柱の影に、見付けた。まだ遠い。五メートルは距離があるか。
電柱の濃い影のそこに、薄く郭が浮かんでいるのが目にる。じっとこちらをから窺う斜めに傾いだ人間の頭。それが前方の電柱の影に見えた。
三度目か。二度目からはそこそこ間隔が空いた邂逅にさてと足を止める。
奴をしっかり視界に捉えたまま、それ以上は進まない。確認をしたいことがある。それには奴を影から引っ張り出さないといけない。だから近付かずに道路のど真ん中で立ち止まった。
奴はこちらを見ている。じっと影にを潛めて一瞬も逸らさずにこちらを凝視している。
影の中にいて郭くらいしか判別出來ないというのに、どうしてか向けられる視線は分かるのだから不思議だ。顔のパーツの中でも一番當人の意思が顕著に表れるのは目だと個人的には思っている。だからその視線だけでも粘著くような意思をじ取ってしまうのか。
暫し睨み合いだ。夕日が真っ直ぐに通り抜ける道で互いに互いの出方を窺う。
日が沈んでは俺も確認が出來なくなる。出來るなら日のあるに奴には出て來てもらいたいのだが、どうだろうか。
気付けば誰の聲も聞こえず辺りは靜かだ。ただ黃い道が続いている。その景に、銀のがぬっと注意を引くように割り込んで來た。
それはあの大きな鋏だ。今日もまた濡れたように表面はよく磨かれている。ユラユラく度チカチカとを反してくる。
ぴったり閉じた刃はやがてゆっくりと左右に分かれて行き、刀部分が現れた。そこまで太のに黃く染まっているのが見える。
ここからだ。逃げずにじっと向こうの出方を窺う。それは奴も一緒なようで、開いた鋏を太に曬したままこうとしない。
濃い影の中に奴は未だすっぽりとを浸したまま。鋏だけが扉の外にあるように日の下に飛び出ていた。
一分、十分。どれだけ睨み合っていたのか。先に痺れを切らしたのは向こうだった。ゆらゆら揺らしていた鋏をピタリと宙に止め、そして電柱の影からゆっくり本が歩み出て來た。
郭だけしか見えない姿がゆっくり、ゆっくり影から道路の方へ移する。
まずは鋏を持つ腕。次いで足。濃い黒から黃へと移って行くそれは、なのに黒いままだった。強い日差しが差し込む道路で、それは日差しを真正面から浴びているはずなのに黒い影のままだった。
黒塗りの人間、あるいは全真っ黒な服を來た人間という訳ではない。言わばそれは影だ。道路に映されている俺の影と同じようなもの。
まるで霞を黒く塗ったような薄ぼんやりとした黒い人型が俺を襲った不審者の正。そいつが今、全を曬して眼前に立っていた。
日の下に引き摺り出したことでなるほどなと納得する。前回じた違和は奴の手にあった。
鋏を注視していたから、こちらに迫ろうと影から飛び出たその手の部分を、無意識ながら視界に納めていたんだ。
生きている人間があんな影のように真っ黒なはずがない。それが引っ掛かっていてあの一年坊主と対峙した際に違和として表出したと。
カッターと一緒に夕日に照らされた一年の手は、當然ながら人の手としてちゃんと日差しの中にを曬していた。
それがこの影は変わらず黒い影のままだった。引っ掛かりが解明出來てなんともすっきりした気持ちになる。
で、だ。改めて影を視界に納める。人の郭をして巨大な鋏を攜えている。
今にも俺を切り離してやろうと広げられた鋏の刀部分はこちらに向けられ、し離れたその先で影はじっと俺の行く手を遮っていた。
これは一なんだろう。なくとも敵対したものではあるはず。俺を恨んでいる人間? もしくは手紙の差出人?
手紙、というワードにふと嵩原が溢した一言が脳裏に蘇った。『呪いをけた者の前に縁切りの神が直々にやってくる』、だったか。
一年も似たようなことを言っていたし、もしかしてと再度目をやり有り得ないなとそれを否定する。
だってその影はあまりに薄い。黒い靄は対流でもしているのか、所々薄くなったり濃くなったりを繰り返して常に流している。
その薄くなる際、向こうの景がけて見えるほど希薄になるのだ。こんな存在も不安定で不確定で、散らせばそれだけで空気に溶け込みそうな薄いものが神?
「ないな」
聲に出して否定する。ゆらりと影がいた。
黒い影は不気味だ。巨大な鋏も恐ろしい。刃はただその切っ先を向けられただけで、害意をじ取れるくらいに危険なだ。
だが、同時にそれははったりにもなる。刃というだけで恐れる人間を押さえ付ける効力がある。
あの一年がカッターを持ち出したように。持ち出した途端意気揚々とこちらを脅し付けてきたように。
こいつのこの有り得ないほどにでかい鋏。これが俺を怖がらせるためのブラフでない証拠なんて、どこにもないのだ。
「襲い掛かるもない癖に」
ポツリ、呟きを落とす。聞こえるとは思えないが奴は迅速に反応した。ゆらりと揺れて鋏を構える。日のを浴びた金屬の表面が濡れたようにを反する。
――まるで態とらしく。
「単なる脅しなだけの癖に」
続く呟きに奴は一歩踏み出した。なんの音も立てず、なのに隨分と重々しく。
――己が最大の脅威と見せ付けるように。
「実すら伴わない癖に」
一歩、一歩とこちらに近付く。黒い霞のような影は、自のきにをゆらゆら、踏み出す度に薄くなったり濃くなったりを繰り返して俺の前まで歩いてくる。
――それが一杯のきと証明しているようで。
目の前までやって來た影は両手で持った鋏を俺に向け、そして挾んで閉じた。
「ただの影が生きた人間を害せると本気で思っているのか?」
鋏は、俺のにれてそこで止まった。服に刀がれているが一ミリだって切れていない。當然俺のは無傷なままだ。
目の前の影は鋏を閉じようとしている。実のない、そこには筋も骨もない薄い影の腕で必死に、懸命に金屬の沢の鋏をっている。
見た目は切れ味が鋭そうだ。だが、こうして実際に試してみれば、この鋏はただの布地すら一斷ちだってならない。
見た目だけ立派な脅威以下の何か。影と鋏、共にそんな薄っぺらなものでしかなかったのだ。
挾まれたまま一歩前に出る。ギラギラを反する鋏にが埋まる。切れたわけじゃない。ホログラムと重なるように鋏とが重なっただけだ。
また一歩進む。鋏の持ち手までが埋まった。影とは至近距離に顔を合わせることになる。
極近距離で見ても影は影でしかない。表も、顔も、目ですら黒い霞の中には見出せない。
こんな不実のものに恐れて皆を巻き込んだのか。自分と相手への怒りがのに渦巻く中、また一歩踏み出した。
影とはぶつかることもなくり抜けるというよりは過して前に出る。視界が途端開けた。夕日に照らされたいつもの帰り道が目の前には広がっている。
「れられもしない癖に害なんか與えられる訳がないだろ」
ぽつりと呟く。背後からはなんの音もしない。暫くして振り返ってみた。そこにはもう、影の一つも見當たらなかった。
そこかしこに影が落ちる帰り道を歩いて行く。空は暮れて遠くの方は黒が見え始めている。夕飯の匂いが通りの家から漂ってきて、それと共にはしゃぐ子供の聲も微かに聞こえる。
「直接対峙する勇気もない奴なんて恐れたって仕方ないんだよなぁ……」
今回の騒で學んだ結論を口に出しつつ、一人帰路を行く。思うのは、ひょっしたらあれが始めで、そして最後の奴だったのかなと、そんなどうでもいいことだった。
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