《高校生男子による怪異探訪》9.雨雲の下の男
俺は嵩原を追っている。そしてその嵩原は樹本を追っている。
傍から見たら間の抜けた景にでも映るのだろうか。それでも今更止める気にはならない。車の行き來さえなく、人もいなくてただ雨音だけがする通りを行く。
更に激しくなる雨の中をえっちら進んでいたのだが、ふと顔を上げて空を軽く仰ぐことで気が付いた。俺は今、雨雲の中心に向かっている。
雨雲の中心ってなんぞやという話である。臺風の目なら分かるが雨雲なんて渦巻いているものではなく、厚い雲が席巻する様を眺めてどこが中心、なんて見分けが付くはずもない。
普通ならそうだ。頭上に居座る雲は切れ間もなくそれこそ平坦に続いている。薄いも濃いもないのだから今見ている箇所が端なのか真ん中なのか、気象學もよく知らない俺が判別出來るはずもない。
それでも、なんとなくあそこが中心なのだと理解する。説明が難しい。明確な違いを察知した訳ではない。ただ、パッと見たその印象で「あ、中心だ」と勝手に頭が理解したのだ。
なんぞこれ凄く不思議。意味が分からないながらもとりあえず進む先は雨雲の中心だ。証拠に雨の降りも激しくなり気持ち気溫も低くなっていっている。
嵩原を確認するがやはり真っ直ぐに中心に向かっていた。となると、樹本もそちらへと進んでいることになるよな。
雨雲の中心と言えば連想されるのは當然元兇らしき男だろう。樹本は知っていて向かっている? それとも偶然か?
足をかしながらもコンビニから見た樹本の険しい表を思い出す。今思い返せばあれは追い詰められた顔だったかもしれない。
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嵩原が何かするんじゃないかとそちらばかりが気になっていたが、ここに來て樹本自の危うさも気掛かりになってきた。
これは絶対このまま進めば厄介事に巻き込まれるよなぁ。分かっていて足は止めない。俺も雨雲の下の男には用がある。接が果たせるというならこれほどの好機もないだろう。
男は実在するのか、しないのか。それがあとしで判明する。この機會を逃せばもうチャンスはないのではないか。そんな逸る気持ちを抑えて雨雲の中心へ向かった。
市街地を行き幾つか道を曲がり、そしてやって來たのは街中にある公園だ。雨が降りしきる中、ぼんやりと浮かんで見える遊は閑散とした雰囲気と相俟ってどこか悲しい。
嵩原がその公園にっていったのでこそっと遠巻きに観察する。空を見上げれば正しくここが雨雲の中心だ。つまりはここに樹本と男がいるはずなのだが。
公園を縁取る生け垣越しに中を覗く。どこにいるかなと視線を彷徨わせたが當人はあっさり見付かった。
公園の真ん中に立ち盡くす小柄な制服姿は樹本に間違いないだろう。こちらには背を向けているので表は窺えないが、怪我などは負ってないように思える。
良かった、健在かと安心する暇もなく、樹本の周辺の様子が目に飛び込んできて々頭が混した。
樹本は一人ではなかった。嵩原がいたとか男がいたとかそういうことではない。樹本の前にずぶ濡れになりながら誰かを抱えているこれまた制服姿の男子がいたのだ。
傘は脇に放られていて、代わりと言ったように大事そうに腕の中にいる人を抱えている。え、どういう狀況?
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「檜山! 大丈夫!?」
雨音に紛れて樹本のびが聞こえる。聲を掛けた相手はびしょ濡れの男子生徒で、ああ、あいつが檜山なのか。遠いし雨も降ってるしでその顔はよく見えないな。
「來んな! 危ねぇから!」
慌てて駆け寄る樹本に今度は檜山がんだ。危ない? こんな公園の中にそんな危険なんかないだろう。
なんだと思って観察したら檜山は樹本の方なんて見向きもしていない。じっと前方だけを見つめているようなのだが、そこには誰も何もないはず。
そう思って目を凝らしていればぼやっとした灰が突如薄暗闇の中に浮かんだ。
驚く間もなく灰は徐々に上へとびていき、足から、から腕、そして頭へと人影が雨の中に浮かび上がっていった。
人影はスーツらしきものを著た男だ。傘も差さず、ただぼうっと雨の中に佇んでいる。
そこまで認識してはっと空を見上げた。雲はあの男の頭上で中心となっている。雨雲の下の男。そいつだと直で理解した。
驚きに立ち竦んでいる間にも事態はく。結局、檜山の制止を振り切った樹本は傍まで寄ると男と対峙した。華奢な軀がぼんやりと、雨の中不審な男の前に立つ。
「……お前……『雨……下の男』……?」
強い雨音に遮られ樹本の聲は途切れ途切れにしか聞こえない。それでも、腹を括って男の前に立っているのはピンとばした背中から察せられる。
いよいよのご対面となった訳だが、樹本の方は思うほど冷靜に対応しているように見える。下手すれば対峙した直後に激昂して襲い掛かる可能も僅かにはあったと思うが、そこはきちんと距離を取って聲を掛けていた。そこは流石だと思う。
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「……」
対して男からは返事らしきものはない。俺の方まで聞こえて來ないだけかと思ったが、樹本が一歩踏み込んだ所を見るにあまり芳しい反応は得られなかったみたいだ。
「……えろ。……くこの街に……降らせ…………に大き……を來したの……前か?」
「……」
男からはやはりなんの反応も返らない。そもそも男は樹本を認識しているのか? は正面を向いているようだが、顔の部分がぼんやりと影が掛かっているのでどこを向いているのかは分からない。仕方ないんだが、この距離がとうにももどかしい。
「……答えろよ! お前が謎の病気の元兇なのか!? お前の所為で僕の姉さんは倒れたのか!?」
じっと目を凝らして様子を見ていた最中、焦れたらしい樹本が吠えるようにんだ。樹本がこうも聲を荒げる所なんて始めて見た。冷靜だな、なんて評価は俺の思い違いだったようだ。
樹本はきっと必死に己の激を抑え込もうとしていたんだろう。あいつは嫌がらせしてくる相手を真面に相手にしなかった。それは相手取ることで更に過熱化するのを恐れてもいたんだろうが、恐らくは自分は不當なことは何もしていないと周囲に示すことの方が意味合いは重かったと思う。
冷靜に堅実に、己に取って有利となる立ち回りを取ることが出來る。多分樹本はそういう人間だ。
あの嵩原相手に見せた激昂だって、言葉自は辛辣なものであったがここまでに振り回されてはいなかった。ここに來てこれほど荒々しく詰め寄るなんて、相當な怒りを抱え込んでいたに違いない。
「ばっ! 止めとけ樹本!」
一歩前へと踏み出した樹本に檜山が慌てて聲を掛ける。今にも倉を摑みそうな勢いがあるが、それは良い手とは思えない。
男は未だ反応を見せずその場に立ち盡くしている。これまで無言で通しているのが不気味で仕方ない。激発している人間を目の當たりにして、とうして平然とその場に立ち止まっているんだろうか。
不穏な空気が高まりつつある中、そこで視界の端から真っ直ぐ突っ込んでくる男がいた。檜山の制止も振り切り、更に近付こうとした樹本のその肩を現れた男が背後から摑む。
嵩原だ。あいつどこに行っていたのかと思ったらこのタイミングで出て來やがった。
「落ち著いて。あいつが噂の當人っていうなら安易に近付かない方がいいよ。それこそ君が倒れることになるかもしれない」
ばっと振り返った樹本があんぐりと口を開けているのが分かる。まぁ、驚くだろうな。だって平常時にもまず顔を合わせたくない奴がいた訳だし。
「なんで、君が……!?」
驚きからなのか批難からなのか裏返った聲が聞こえて來た。今にも口喧嘩が始まりそうだが、それは嵩原の方であっさりと流される。
「今は些細なことを言い合っている暇はないと思うよ。いいかな、よーくあの男を観察してみて」
年下に言い聞かせるようならかな口調だが互いに同い年だ。案の定、樹本は馬鹿にされたと思ったらしく顔真っ赤にして怒りもわとなる。
「こんな狀況でもふざけたことを……!」
「ふざけてなんかないよ。寧ろ凄く真面目」
その言い方がさぁ。そういうとこやぞとツッコミたい衝が湧いてくるが、それを止めたのは檜山の短い聲だった。
「あ」
何かを見付けたと言わんばかりの聲に樹本と嵩原が檜山の方を向く。
と言うか先程からいやに聲が鮮明に聞こえてくるな。はてと周囲に目をやれば雨は変わらず降り注いでいる。ただ、音だけがどこか遠くになっているような……?
「ひ……っ!?」
あれ?と首を傾げていると何やら短い悲鳴が聞こえてきた。パッと視線を戻せば樹本が嵩原にしがみついて今にも倒れそうになっている。え、何が起こった?
公園の外縁部に當たるここからじゃ、流石に中程にいる樹本たちの詳細な様子は窺えない。まぁ、樹本の視線が男に一直線に向けられている所から察するに、男の何かにそれほどの恐怖をじたのだろう。それが何かはここからじゃちょっと分からないけど。
「な、なん……、ど、どういう……っ!」
「ああ、やっぱりこうだったか」
揺に震える樹本に対して、嵩原はさもありなんと納得した風でうんうん頷いている。何この溫度差。
疑問ばかりが積み上がる俺に対し、答えを提示してくれたのは檜山だった。
「あ! 首が明後日向いてる!」
はい? 全く訳の分からないびだが檜山は真面目っぽい。指なんか指して男を凝視しているのだが、首が、明後日?
なんのこっちゃと俺もよくよく目を凝らして男を観察するが、相変わらず雨が邪魔だし男そのものもはっきりしない。樹本たちの方は雨に濡れた姿が判別出來る一方で、ぼうっとスクリーンに映し出されたようにぼんやりとした像の男は、実在といったものが欠如しているように思える。
あれ? それっておかしくね?
ふとそう思ったのがフラグだったか、それまでただ灰のスーツを來た男としか認識出來なかったのに、急にピントが合ったように像がはっきりとし出した。
靴は革靴。同のスラックスも上著もシワが目立って全的に草臥れた印象がある。中に著ているワイシャツもシワシワで汚れているようだ。首元には黒っぽいネクタイが引っ掛かっているが、明らかに結び目が緩くて下の位置に來ている。
上背はそこそこ。ひょろりと細長く嵩原と同じくらいかし低めか? やや貓背でその分背丈が低く見える。肩が々前に出ていて姿勢悪く立つ様は、それこそ仕事疲れのサラリーマンといった風であり、そこに違和などは特にじない。その點は、であるのだが。
視線を上に上げて男の頭部を確認する。これまで影が掛かっていたようにぼんやりとした像であったのが、今でははっきりと郭も見える。その丸い形の頭部なのだが、なんでだかの類が一切見えない。
草臥れたスーツの上に見えたのは後頭部。そう、男の首はまるで梟のように完全に真後ろへと回っていた。
どういうことなの。もう一回全像を確認する。男のの正面は樹本たちの方に向いている。間違いない。
足下に視線を移せば爪先もしっかり正面だ。服を前後反対に著こなすという、変態的行を取っている訳ではないらしい。
もう一度男の頭を見る。やはりどう見てもそれは後頭部だ。短めのボサボサの黒髪が丸い形で男の頭部に乗っかっている。
ひょっとしてあれは奇矯な仮面か何かか……? 常識に依った可能を弾き出すも、それは當の男本人によってあっさりと否定された。
ぐるり。見ていた男の頭が突如半回転して正面を向く。振り返るような仕草で現れたそこには、しっかりと人間の顔があった。
「ひいぃーーっ!」
樹本の劈くような悲鳴が鼓を打った。
無理もない。手品や奇であっても、真正面から人の首があんな回転する様を見せ付けられたら普通に悲鳴ものだ。それが種も仕掛けもなく行われたようにしか見えないのだから尚更。
あれはなんだ? あの男は生きているものじゃない?
すっと浮かんだ想にまさかと否定する気持ちが湧く。しかしそれ以外にどう説明を付けたらいいのか。
「落ち著いて。相手は雨をって謎の病気だってばらまくようなものだ。そもそも生きた人間である方が道理に合わないでしょ」
混するこちらを落ち著かせようと嵩原の奴が努めて冷靜に言い聞かせてくる。立つこともままならない様子の樹本の背中を、存外優しい手付きででてやってるな。
思えば、奴は実に冷靜に男の様子を観察していた。まるで始めから理解していたように。
「なぁ、あれって幽霊って奴?」
聲も出せない樹本の代わり、という訳でもないだろうが檜山の奴が嵩原に質問を飛ばす。こっちはこっちで凄く泰然としている。大か?
「多分? もしくは妖怪って話もあったけど該當するものが見付けられなかったんでなんとも。でもスーツ著た妖怪はいないよねぇ」
「妖怪!? マジで!? 俺初めて見た!」
和やか。初験だと喜ぶ檜山の所為で和やかな空気が一瞬辺りに漂う。目の前に明らかに常軌を逸した存在がいるというのに呑気だな。
これには嵩原も気が抜けたようだ。わざとらしく肩なんて竦めてやがるが、お前も大概だからな。超常の存在と理解していてどうしてそうも余裕綽々としていられるんだ。
「君、面白いね。まぁ、そんな余裕があるなら樹本君のこと頼んだよ。俺も彼には用があるから」
かと思えばそう言って一歩前に出る。縋り付く樹本を檜山にそっと託す姿は、前日の暴言が霞むほどに気遣わし気に見える。やはりあれは本心ではなかったんだろうか。
「え?」
「あとこれ。男は比較的どうでもいいんだけど、の子が雨に打たれたままっていうのはちょっと看過出來ないから」
「あ、ちょっ」
ついでと檜山に持っていた傘まで差し出して雨の中前に出る。の子、と言うのは檜山が抱えている人間のことか。
庇うようにして前に出た嵩原は男の前で仁王立ちになる。そしてあっという間に全が激しい雨に濡れそぼっていく。
そこではっと気付くものがあった。男は全く濡れていない。灰のスーツは濡れればその跡がよく分かる。それなのに男のスーツは斑も何もない真っ新な狀態だ。
もう既に全が濡れている? いや、中のワイシャツはに張り付いているようには見えない。それは短い髪も同様だ。この豪雨の中で、男は一滴でさえ雨に打たれていないのだ。
正に噂通り。驚きで麻痺していたが急にいてが粟立つ。
「……さて、『雨雲の下の男』さん」
雨に打たれながら嵩原はゆっくりと男に聲を掛けた。男の方にこれといった反応はない。一歩もかず首を捩ったままで嵩原を見つめている。
「あなたがこの雨を降らせて奇っ怪な病気を流行らせている本人? そうなのかな?」
訊ねるが答えは返らない。そもそも會話は立するのだろうか。嵩原は普通に話し掛けたが、男の見た目はとても理的な會話がり立つようには見えなかった。むしろ、今直ぐ逃げ出すのが最適解てはないかと思える。それだと、ここまで追ってきた意味もなくなるが。
「だんまり? 皆噂しているよ。あなたがこの雨を降らせているって。謎の病気は雨が降り出してから広まっている。あなたが雨を降らせているなら病気とも関係があると言えると思うんだけど、それについて何か言いたいことはないのかな?」
問い詰めるがやはり男は無言だ。も表もピクリともかない。ぼうっと立ったまま、虛ろな表を向けている。
ふぅと唐突に嵩原が息を吐いた。張を逃がすため? それとも沸き上がる気持ちを抑えるため?
男に食って掛かる樹本を見ていたからか、俺には嵩原までも深い怒りを湛えているように思えた。
「答える気はないと。ならこちらから指摘させてもらうけど、あなた、『春』を嫌っているよね? この雨も病気も、全ては『春』を遠ざけるためにあるんだよね?」
語気を強めて問い掛ける。嵩原が確信を持って口にしていた推論だ。男の、この雨の狙いはそうだと、あいつは斷言していた訳だが。
「そうなんでしょ?」
果たして答えは。
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