《高校生男子による怪異探訪》19.悪魔

薄暗く靜かな校舎を進む。人気の引けた校舎ってのは晝間とはまた違った顔を見せるとはよくよく使われる表現だ。

実際、晝間は人が切れることなくそこかしこに屯してるもんだから、こうも全く人の気配がじられない景ってのは違和と共に酷いギャップなんてける。學校が怪談の舞臺としてよく用いられるのも納得いく雰囲気が放課後の校舎には満ちているように思えた。

で、そんな不気味な校舎で現在ストーキング真っ只中。いや、とっとと二岡と合流して謝るつもりではあるのだ。そのために追ってきたんだし、三人を振り切ってもきた。

でもいざ目の前にすると踏ん切り著かないというか、冷靜になれば警戒與えないかとか迷いが生じてしまった訳で。パッと駆け寄ることも、かと言って踵返すことも出來ずに黙ってあとを追う形になってしまっている。

二岡も足を止める様子がないのがなんとも。てっきり忘れを取りにでも來たのだと思っていたんだが、二岡は一階廊下をそのまま進んで階段を上る気配もない。

教室に用があったんじゃない? だとしたら部室か? 奴は確かテニス部所屬で、部室棟にテニス部の部室もあったはずだ。じゃあ目的は部室か。こちらの読みが當たったみたいで二岡は真っ直ぐと部室棟に向かっていった。

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目的地は分かったけど、ここからどう接すべきか。いや、帰宅部である俺が部室棟にいるのっておかしくない? 本校舎での遭遇だったら俺も忘れしてーとか適當に言い訳も使えたのだが、流石に部室棟でともなると忘れする道理も通らない。

オカ研からの帰りだとかで誤魔化すか? それはそれで樹本いないのかとか突っ込まれたらどうしよう。

うんうん悩んで、そのに足も重くなって部室棟り口で立ち止まる。これはもう今日は退散した方がいいのかもしれない。弱気が顔を覗かせてついついとそんな逃げ腰が心ので頭を擡げた、所で。部室棟奧まで進んでいた二岡が急に壁に向かって折れた。壁、じゃない。恐らくは階段に向かったんだ。

部室棟は運部と文化部で階を別けている。一階が運部、二階は文化部の部室が並んでいる。二岡はテニス部なので部室は一階なはずなのだが。

そこまで考えて急激に嫌な予を過ぎった。奧の階段の踴り場、そこに鏡はある。まさか、という思いはあれど何かに急かされるように階段へと向かった。

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足音は立てないように気を付けながら迅速に廊下を進む。奧の階段、その前まで來ると話し聲が僅かに聞こえてきた。壁に隠れながらそっと上を見上げると踴り場に二岡の姿が見えた。誰かに向かって一方的に話し掛けているようだが。

「……から、……う関わるのは止めて!」

ピシャリと叩き付けるような鋭い聲が階段に響く。どうやら、誰かに文句をぶつけているらしい。

怒気を孕んだ聲にああ、ひょっとして人間関係でトラブルがあったのか?と察した。こんな場所にいるのも、人目を忍んで話し合う必要があったのかもしれない。

途切れ途切れ聞こえる二岡の怒りに満ちた聲からも穏やかに話し合いが進んでいるとはとても思えないし、喧嘩腰になるのが目に見えてるなら最初から場所は選んで正解だったろう。場所が場所だけに焦りもしたが、蓋を開けてみれば単なる杞憂に終わって良かった。

極々プライベートな話だろうし、このまま聞いているのも憚られる。ここは大人しく退散した方がいい。

そう思って踵を返そうとして、そこで頭上で行われるやり取りに変化が生じた。聞こえる二岡の聲が酷く戸いを帯びたものに変わり出したのだ。

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「……は、それは……。違っ……、止めて。そんなことない、止めて!」

酷く慌てて、それから苦しげに悲鳴染みた聲で必死に抗っている。尋常じゃない様子に帰ろうとしていた足がピタリと止まった。これ、喧嘩としてもちょっと放っておくのは拙いのでは……? 不安が頭を過ぎる。

見上げる先で二岡はその場からかず聲だけで抵抗を見せていた。相手の姿はここからじゃ窺えない。場所が場所だし、取っ組み合いになったりしたら最悪の事態だって起こる可能がある。

気になり、だから仕方ないと自分に言い聞かせてそっと階段を上がっていった。もし白熱しそうならお節介だとは思うが仲裁するべきだ。そう思って気付かれないように踴り場まで來た、のだが。

薄暗い踴り場、そこにあった景は想像とは全くと異なったものであった。てっきり二岡と誰かが対峙しているんだと思い込んでいたそこには、二岡一人しか人間はいない。二岡は踴り場に飾られているあの鏡に向かい合って立っている。

一瞬呆気に取られ、直ぐにあ、電話口で口論しているのかと自を納得させたがそれも違うと気付いた。

二岡が対峙している鏡、一見ではただの古い姿見にしか見えないそれの鏡面に、二岡以外のものが映っている。

鏡には暗い踴り場と、そして立ち竦む二岡だけが映っているはずなのだが、二岡の不安そうに歪む顔が映るその隣、現実には何もいない空間であるそこに黒い靄みたいなものが浮いてある。

渦を描くように丸く黒くあって、そして細く吊り上がる目と異様に割けた真っ赤な口がポンと乗せたように付いていた。

下手くそな似顔絵のように歪んでいて対比もクソもなく、一応は顔と認識出來る程度の造形である顔が噓みたいに笑って二岡を見つめ返している。ただでさえ細い目を更に三日月までに愉快げに狹めて、真っ赤な口を郭一杯まで割けさせて聲なく笑っていた。

鏡の中でしか起こっていない異常な景。唖然とその様を見返して、気付けば自然と目をっていた。

暗闇の中だから何かと見間違えたんだ。そんな気持ちで視界を閉ざして、そして次に目を見開いた先で、鏡の中だけにいるそいつは俺の方を真っ直ぐに見つめていた。細く割ける目の中で、爬蟲類染みた縦の瞳孔がこちらをしっかりと捉えている。

「……えっ!?」

驚きに聲がれる前にパッと二岡が振り向いた。階段を上ったそこで立ち盡くす俺を見て驚愕に目を見開く。そんな二岡に、鏡の中の異形は更にとその顔に刻む笑みを深めていった。

「……なんで、あんたがここに……」

呆然と呟く。驚きに染まっていたのは一瞬で、瞬きをする間にその顔はどんどんと青冷めていった。まるで見られちゃいけない場面を見られたような反応。いや、正にそうなのかもしれない。

鏡に映る異形。驚きがでかくて頭も碌に回ってないが、それでも奴がどんな存在なのかはすでに察していた。

「……っ、なんで、ここにいるの!? 早く帰って! 帰ってよ!」

先に我を取り戻したのは二岡の方が早かった。俺を認めて瞬時に追い返すべく聲を張り上げる。本気で拒絶しているようで、強くぶつけられる言葉の圧に僅かに後退ってしまった。

「ま、待て、落ち著け。お前、その鏡の奴は」

「なんでもない! なんでもないから、いいから早くどっか行って!」

會話を試みるもなしの礫で拒まれる。半ば恐慌狀態に陥っているのか聞く耳も持たない。

そう言われてもここで引き返す、なんて選択は取れるはずもない。だって、あの鏡の奴は俺たちが散々に接を試みたそれなんだ。

「……悪いけど、それは聞けねぇよ。お前が対峙していたあれ、あれはこの鏡に憑いてる奴なんだろ?」

「……!?」

ぐっと腹に力れて訊ねれば、はっと息を呑まれる。明確な答えではないがそれだけで確信は持てた。二岡はあれがどんなものなのかを理解してここにいる。

「……ここ數日の俺と朝日の不可解過ぎる偶然の出會い。いくらなんでもおかしいって調べたら、どうにもこの鏡が怪しいってなった。こいつは『悪魔の映る鏡』。鏡に宿る悪魔が願いを葉えてくれるってれ込みだ。お前も、それ知ってるよな? 何せ一緒に七不思議巡った訳だし」

「……っ」

「……俺と朝日がくっつくようにって、お前が願ったのか?」

信じ難い。だって二岡が願うことではないはずなんだ。奴は以前に俺に誠実であれとも求めてきた。の子の告白云々と説教までかましてきたあいつが、こんな悪魔を使って男の仲の進展なんざむとは思えない。

そもそもが機はなんだ。なんだって赤の他人の路にそうまでして関わろうとする。俺と朝日がくっついて、それでこいつにどんな見返りがあるっていうのか。

分からない。まさかと思う。でも、狀況は二岡が願った當人だと示していた。

「! ちが、違う……っ!」

驚愕の表から一転して泣きそうな顔で否定される。首をブンブン振り、必死に言い募る様は噓を吐いているようには見えない。

……狀況は疑わしい限りだが、もしかしたら本當に二岡は関係ない可能もある、か……?

何が正解なのか、突発的に出會してしまった疑の數々にぐるぐると頭の中が捩れていく心地の中で、不意に甲高い笑い聲が耳を貫いた、気がした。

聲は聞こえない。視線だけをかせば鏡の中にいる悪魔らしき歪んだ顔がゲラゲラと大口開けて笑っている。笑い聲の一つだって聞こえてきやしないが、奴がこちらを指して笑っていることはなんとなく理解した。俺か二岡か、恐らくはこの疑心暗鬼に染まったやり取り自を心底面白いと眺めて笑っているんだ。

悪魔。世間一般には悪辣で人のを煽って不幸へと貶める存在だとイメージされる。諍いを前にしてそれを娯楽のように眺めて喜ぶなんて実に悪魔らしいだと、そう冷めた覚で観察もしていたのだが。

不意にニタリと顔を歪ませた悪魔は、いきなり鏡面上から姿を消してしまった。

パッと、何事もなかったように黒い顔がいなくなる。あとにはアンティーク然とした鏡の中に薄暗い踴り場が映るだけ……、いや、鏡がおかしい。

僅かに夕日が差し込む踴り場、それを映してるはずの鏡が徐々に黒く染まっていく。まるで夜のような暗さが鏡の中だけで踴り場を染め上げていき、そしてやがて夜の闇でもなくなる。黒い。墨やマジックで塗った食ったような真っ黒なが鏡面全部を覆ってしまった。

ぽっかりとが空いたような本當の黒。木枠の中に現れたその黒を、唖然と眺めていればぽつぽつと白い粒がその黒に生まれていく。

小さな気泡が湧き上がったような、水に反発して浮いた油のような、そんなじに次々と生まれた點は、それが集合して明確な形を作り出した所で漸く文字を表しているんだと気付けた。

黒い鏡面に浮かぶ白い文字。文字は端的に一つの文章を著している。

“シンジツヲオシエテヤル”

“真実を教えてやる”……? どういうことだと問い返す間もなく隣から劈くようなびが上がった。

「止めて!! こいつにだけは言わないで!!!」

金切り聲にも近い決死の訴え。悲痛なそのびに思わずと視線が吸い寄せられた。二岡はもう俺なんて見ていない。今にも縋り付きそうなほどに鏡へと必死に懇願していた。

普通ならば躊躇いが生まれそうなほどの懇願、だが、悪魔はそれを一顧だにせずただ笑いに空気を震わせて黒い鏡面を波紋のように揺らした。

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