《高校生男子による怪異探訪》20.信じるということ
「何……?」
「二岡先輩が……?」
驚きの聲が二人から上がる。頓著せずにそのまま話を続けた。
「よく考えればおかしかったんだ。二岡は噂の當事者の一人だ。俺との間に噂で囁かれていたようなトラブルなんてないと誰より理解していたはずなのにあいつはそれをおくびにも出さなかった。普段のあいつなら誤解を誤解のままに放置しておくはずもない。あいつ曰く、どうしてか俺への嫌悪が後から後から湧いて來て俺について語ることもままならなくなっていたらしい」
呆気に取られている先輩の顔を見返して俺の知った真実を教える。真相を知っている二岡が噂を理由に俺を嫌う理由もなく、また本人も自分のの変化を否定していたと。
「真実を理解して噂だって信じちゃいない。それなのに何故か勝手に俺を嫌って全ての責任を俺に押し付けようとしてしまう。意味が分からないな。俺も何を言われたのか理解が出來なかった。でも、一番理解出來なくて苦しんでいたのは二岡だった」
「待て……っ、待ってくれ! 一旦止まってくれ、永野君!」
酷く狼狽した様子で先輩がストップを掛けた。額に手を當てていて目なんか魚のように泳いでいる。先輩も混しているようだな。
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「……それは、なんだ。つまり二岡さんは本來の自の心の働きとは別に、強制的に君への悪を芽生えさせられていると、そう言いたいのか?」
暫くの長考のあとに先輩はるようにして訊ねてきた。俺はただ頷いて返す。先輩は信じ難いものを目の當たりにしたように目を見開いた。
「……そんな個人のに指向を持たせるなど」
「じゃあ先輩は二岡が噓吐いてると思うのか? なんだって俺にそんな噓を吐く必要がある。俺を貶めるためか? 本音では嫌ってないと、そう信じ込ませてから地獄に叩き落とすとか、そんな下衆極まりないことを二岡がやると言いたいのか?」
「……っ」
畳み掛けて問えば先輩はぐっと反論の言葉を飲み込んだ。そうだな。二岡はそんなことをする人間じゃない。先輩だって安易にそんな酷い容を肯定出來るはずもない。
「……君が噓を吐いているとは」
「こんな噓を吐いてまで自己保に走る人間だと思われるのは心外だ。二岡に訊ねれば一発で真実かどうかも分かる噓だぞ。どうしてそんな意味のないことを俺がしなくちゃならない。追い詰められてはいるが、そこまで俺の頭は沸いてないぞ」
じろりと睨み返せば先輩は黙った。実にらしくなく先輩の目は左右にぶれて心の混狀態をわにしている。俺への反証も思い浮かばないのか。
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「二岡から打ち明けられた事実から、俺は本當に人の心をって俺を孤立させようと企む誰かがいるんじゃないかと疑っている。そして話の流れからも、可能としても『願いを葉える神様』が一番怪しい。誰かが俺が嫌われるように願ったんじゃないかと思っている」
「……そんな、そんな荒唐無稽な話があると、君は本気で思い込んでいるのか?」
苦し紛れの一言か。先輩は俺への反論として隨分と中のないことを言ってきた。
とても蘆屋先輩が口に出したとは思えない稚拙な意見だ。苦笑が小さく口の端に浮く。らしくない、らしくないですよ、先輩。
「先輩からそんな指摘が來るとは思いもしませんでしたよ。普段は先輩の方がよっぽど信じられない話を追ってるでしょうに」
「……」
普段の調子に戻して軽く反論する。それにだって先輩からはこれといった答えも返らない。本當にらしくない。
二岡が教えてくれた真実はそれほどまでの衝撃を伴っていたのか。これならば、俺ももうし踏み込めるかもしれないな。
「……先輩。俺、ずっと先輩に聞きたかったことがあるんです」
「……え……?」
聲を掛ければ先輩は呆けた様子でこちらを見てきた。
その円く開いた目を見返し、訊ねる。
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「どうして俺ではなく噂を信じたんですか?」
真正面から直球で質問を投げた。先輩の目が更に見開かれていく。隣からは息を呑む気配もじた。こんな場面に付き合わせてしまい、朝日には申し訳ないなと思いもするけどだからって吐いた言葉を撤回するつもりはない。
「樹本や檜山、嵩原なんかと比べれば俺との付き合いなんて淺くて、信頼を勝ち取るほどの関係も築けてないとそう理解は出來るんです。でも、信じる拠がないのは噂だって一緒で、それなのにどうして先輩はそちらをあっさりと信じたんですか? 噂で語られるような酷い姿を真実だと思われるほど、俺は碌でもない人間ですか? 先輩にはそんな最低な人間に俺は見えていましたか?」
「……ぁ……」
苦笑したまま質問を重ねていく。先輩はまるで言葉をなくしたように口をパクパクとかすだけで答えを返してはくれない。小さく聲がれ出ているが、それだけで明瞭な言葉を発することもない。
ずっと聞きたくて、でも怖くて訊ねられなかった問いだ。どうして噂を信じる。なんで現実の俺を見てくれないと。ずっと、ずっと言いたかったんだ。
先輩に、クラスの奴らに、遠巻きにしている奴らに、それにあいつらに。訊ねて、それで信じられるかとまた拒絶されるのが怖くて、聞くに聞けなくて口に出せなかった。
それがやっと聞けた。二岡が本心を明かしてくれたから。俺を嫌うのは本音ではないと教えてくれたから。本心は別にあるとそう思えたからやっと口に出せた。吐き出すにも勇気は要ったが、それでも口にすれば隨分とのはすっきりした。これまでずっとこんがらがって詰まっていた何かがするりと胃の底にり落ちていったじだ。
「……」
のが軽くなったこちらと違い、先輩は彫像のように固まって全くかない。返す言葉が見付からないのか、今まで泳ぎに泳いでいた目も今はひたりとテーブルに注がれている。
そこまで答えに窮する問いだったか。俺としては素気なく返されることも覚悟はしていたんだが。嫌悪を見せるでもなく怒りをわにするでもなく、ただ混の余りに停止してしまった様子の先輩に急激に居たたまれない気持ちがを一杯にした。
追い詰めたい訳じゃなかった。抱えていた憤りを発散したいがための問いだったために、こうも困った様子を見せられると罪悪も出て來る。仕方ない。
「これ、ありがとうございました。テスト期間にも関わらずここまで詳細に調べてもらえるとは思いもしませんでした。もらっても良いですよね?」
「……」
プリントを示すも答えは返らない。でもわざわざ俺たちのために刷ってくれていたんだ、持ち帰るのは前提だとそう思うことにしよう。
「俺のために骨を折ってくれたこと、それについては間違いなく謝していますから。……それでは、失禮します。朝日、行こう」
「え、あ、は、はい!」
朝日を促して退室する。先輩は最後まで何かを返してくれることはなかった。靜まり返った部室をそのままあとにして、朝日と二人廊下を歩く。
「……」
「……」
気まずい沈黙が続く。朝日の前でとんだ場面を見せてしまったものだ。いや、後悔なんざしていないけど、それでも朝日がいるのに始める話ではなかったな。
「……ああ、その。悪いな、変な場面に巻き込んじまって」
一先ず謝罪はしておくべきだろう。隣の朝日にそう切り出せば、パッと跳ねるようにこちらを見上げた。
「あ、いえ。謝ってもらう必要はありません。その、私は気にしてませんから」
戸った様子はあれど、朝日は仄かな笑みなんて浮かべて最後は優しく言ってくれた。
気を遣われてるな。まぁ、朝日が気を遣ってくれるのなんてこれが始めてでもないけど。醜態ばっか曬してるな、俺。
「……その、先輩」
己のけなさに改めて意気消沈としていれば、朝日が話し掛けてきた。なんだと目を向ければ朝日は真剣そうに、でも目はらかく俺を見上げている。
「私も、願いを葉える神様の所為で皆意識が歪んでしまったんだと思います。二岡先輩も蘆屋先輩も、檜山先輩たちだって皆本心では先輩のことを嫌ってないって、そう信じていますから」
力強く、目なんか逸らさずに朝日は言い切った。気を遣っての発言でもないのは真っ直ぐと向けられる目を見れば分かる。朝日は俺の言葉を信じて一緒に抗ってくれると、そう決意表明してくれているようだった。
なんだろう、この男前。いや子に男前とか失禮か。でも、こんなにも明瞭に信を寄せてくれることってあるか? 周囲の人間から敵意しか向けられなくなった現狀には涙が出そうなまでに心に染みる。
「あ、ありがとう。でも、なんで朝日だけは影響けてないんだろうな? 不思議だよな」
目に熱が集まってしまったので顔逸らしつつ話題を変えた。実際に気になる。軒並み俺を嫌ったのにどうして朝日はそんな素振りすら見せないのか。
なんでだろ? 朝日だけは願い事かられたとかそういう事か?
「私が先輩を嫌うことだけは例え神様が関わっていたって有り得ません」
「え? いやいや……」
即座にきっぱり言い返されて思わずと素で返してしまった。見たら真顔でこっち見てる。目が、大きな形の良い目が「有り得ん」とばかりに訴えてくるけど、そんなはずはない、よな。
「む、無理矢理の強制力があるんじゃないかって話で」
「それでもってお話です」
言い淀めばきっぱりと言い返される。無言の圧力が。いい加減認めろと無言の催促が。神相手にだってまったく退く様子も見せないこの後輩。
「い、いやいや……」
「……むぅ。でも不思議ではありますよね」
脂汗掻きながら視線逸らしていると、やがて折れてくれたらしい朝日が退いた。基本朝日は優しいから本當に困ってるのが伝わったんで収めてくれたんだろう。
ヘタレだなーと頭のどこかで囁く聲があるが、そう簡単に己の考えを変えられるはずもない。
「相手はもしかしたら神様……。でも先輩にとっては厄をもたらすような存在で……。あ、もしかして」
そのまま小さく呟いていた朝日は何か思い付いたらしい。自分の鞄から何かを取り外して俺にと見せてきた。それは手の平に収まるサイズの小さなガラスのキーホルダーで。
「……ん? あれ、それ」
「先輩から頂いた水晶のお守りです」
そう、朝日が見せたのはいつぞや蘆屋先輩からもらったあのお守りだ。そういえばその場凌ぎにパスしてたっけ。
「もしかしたら、これが私を守ってくれていたのかもしれません」
ふふと小さく笑ってそんなこと言ってくる。水晶は破邪の効果があるとかなんとか。悪魔祓いの意味合いだったけど、神様まで払うこと出來んのかね?
つか、嬉しそうに笑うのな。確かにちょっとした飾りも付いてて水晶だって曇りのない綺麗なもんだけど、子高生がに付けるには々味気ないデザインであるだろうに。
俺から渡されてずっと鞄に付けていたのか? そこまで有り難がるなんて本當予想外。
そんなに悪魔が怖かった、いや、ちゃんと真面目にけ取らんと。お守りとして付けていたのは確かだろうけど、最たる理由はそこじゃない。緩く頬も赤らめる朝日は、それが俺からのプレゼントだから喜んで大切にしてくれたんだろうな。
なんだかな。何度も思うがそこまで括る理由が俺にあるとは思えない。俺なんてそこらにうんざりするほどいるモブの一人に過ぎなくて、誰かに直向きな想いなんか向けられる謂われもない。そんな、特に価値もない人間だろうに。
卑屈かな? まぁ、卑屈だろう。でもそれが事実だ。俺に流れた噂がでまかせであるくらいには確かなことだ。
「……なぁ、朝日」
呼び掛ければキーホルダーを眺めていた目がこちらを振り仰ぐ。綺麗な目だわ。手に持ってる水晶と並ぶくらい、曇りもない澄んだ目を朝日は俺に向けてくる。
俺は朝日の気持ちに応えるつもりも向き合うつもりもない不実な人間だ。ついさっき先輩に啖呵を切ったんだろうに、舌のも乾かないに自分を不実と稱するのはそれこそが否定しようもないどうしようもない人間の証拠であるように思える。自覚はあって、でもこれについてだけは改める気もないのだから終わってる。
終わってる、そう理解もしていて応える訳にも行かなくて、でもだ。朝日の優しさを讃えるくらいのことはしても許されるかな。いや、それくらいはしろよという話か。
「そのな、いつもけない姿ばっか見せて悪いと思ってるんだ。さっきだってそうだし、俺の様子を見に教室まで來てくれた時だってそうだ。でも朝日が隣にいてくれたからこれでもいろいろ踏ん張ってるつもりではあるんだよ。朝日には本當に謝してる。俺一人だったら先輩にだってああも真正面から訊ねることは出來なかったと思うし」
「え……、そんな……。私なんてなんのお役にも……」
「いや、凄く助けられてるよ。ありがとうな、朝日。お前が俺を信じてくれて本當に嬉しく思ってるんだよ。お前が傍にいてくれて、本當に良かった」
日頃の謝を口に出して伝える。お世辭でも虛言でもなく、真実朝日が俺に寄り添ってくれたから多分今日まで來られたんだと思うんだ。
朝日が信じてくれてなかったら俺は周囲が敵のままにずっと一人でいたと思う。多分、いや、きっと潰れていたんじゃないかな。朝日が來てくれた月曜日、あの時にはもう、俺は自分の気持ちだってどこか他人事のように捉えていたんだからな。
おかしいと聲を上げてずっと寄り添ってくれた。それでどれだけ助けられたか。朝日には謝してもし足りない。この想いがちゃんと伝わるように、朝日の目をしっかりと見返して口にした。
朝日は照れたように頬なんて染めていたが、最後には真っ赤になって俯いてしまった。気持ちは伝わっただろうか。何を返せる訳でもないが、せめて謝していることだけでも朝日に知ってもらえたらいいな。
ここまで一緒に抗ってくれた朝日のためにも自分のに降り掛かった災難を絶対に晴らさねば。とりあえず先輩の調査報告書をよくよく読ませてもらおう。もう自分じゃ話も聞いてもらえないとか甘えたことを言っている場合ではない。折良くテスト期間も終了したんだ。これからは俺も積極的に調査に臨もう。
そう決意を新たに、暗くなり出した廊下を力一杯踏み締めた。
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