《高校生男子による怪異探訪》24.ハヤツリ

絵馬をどうにかすれば。懸命に辿り著いた推測により、そんな結論を出した朝日に従って背後へと振り返る。黒く染まった絵馬はそのまま掛けられた狀態にあって……。

「……ん?」

絵馬は予想通りに黒く染まったままだ。幾つもの面が正面を向いて真っ黒になった面をこちらに向けてある。

その黒い面にうっすらとる白い文字が浮いているのに気付いた。まるでチョークで書き込んだようにつらつらと文章が絵馬の中にある。文字自はぼんやりと掠れているが、でも読めないほどじゃない。

「……『お母さんの病気が治りますように』……?」

目にった一つの文章を読み上げた。すると白くる文字は輝きを強め、絵馬を飲み込んだかと思えば次の瞬間にはパッと散るように黒が剝がれる。あとには元の木目を取り戻した絵馬に、読み上げた文章がそのままに書き殘されていた。

「え……」

「これ……」

朝日と一緒に今起こった現象に思わず見る。すると響き渡る葉りの音が激しくなった。祭神を刺激したか!?と慌てて振り返ると黒の囲いの向こうで大きく枝葉が揺れている。その様は怒っているようにも、また苦しんでいるようにも見えた。

「なん……」

「……もしかして、今のは願いを元に戻せたということでしょうか? 書かれてある願いは病気の回復を求めるものです。葉様の影響をけたのなら、これもきっと不幸な結果を招く形に変えられてるはずですよね?」

狀況が全くと把握出來ない中で朝日の冷靜な分析が耳に刺さる。

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願いを元に。葉は捧げられた願いをより不幸な形に貶めることで厄としてばらまく。ならその願いを元の形に戻したら? 葉が厄としてばらまく前に戻せたら、それは葉のやったことをなかったことに出來るのでは。

葉を揺らす巨木を見上げる。怒りにを震わせているようにも見えるが、でもこれがもし苦しんでいるのだとしたら。

「……願いを戻せば、葉を弱らせることが出來るかもしれない」

「え?」

「神ってのは人からの信仰を得ることで力が増すとか言うだろ。葉の信仰の要は『願いを葉える』ってことだ。変えられた願いがそのまま葉によって葉えられたものであるなら……」

「……! それを元に、なかったことにすれば、信仰もなくなって弱らせられる……?」

問われて頷きを返す。単なる思い付きだ。信仰云々もそんな話を聞いた程度、絵馬が元に戻ったことにも多分に想像がっている。葉の挙だって都合良く解釈しているだけかもしれなかった。

的観測に塗れただらけの論法だろう。それでも、これ以外にこの場から逃げ出せる方法は思い付かない。

「先輩……」

い聲で朝日が呼ぶ。朝日も分かってるんだろうな。俺の推測が拠に乏しいこと、また分の悪い賭けをしなけりゃ現狀助からないってことも。

「これ以外に方法は思い付かない。もし違っていたら、それは祟り神をただ怒らせるだけの結果にしかならないかもしれない。それでもこの場を打開するにはこの手しかないと思ってる。……付き合ってくれるか?」

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問えば一瞬目を丸くしたあとに、朝日はどうにか笑顔を浮かべて頷いた。

「はい。……一人にはさせないって決めてますから」

ニコリと気丈に応えてくれる。怖いだろうに、でも俺の腕を摑む手からは一切力を抜こうとはしないんだ。最後まで付き合う、その意思表示なんだと思う。

俺を信じて付き添ってくれるか。朝日だけは絶対に助けないと。それこそどんな手を使ってだって。

「ありがとう」

信頼に応えるべく絵馬に向き直る。黒い面には幾つもの白くる文章、元の願いが読み上げられるのを待つようにあった。一つ深呼吸をして片っ端から願いを正す。

「『今度高校験をします。どうか志校に合格しますように』――」

「『好きな人と同じクラスになれました。接點が持てますように』――」

読み上げる度に黒く染まった絵馬が元に戻り葉の支配から逃れられたと言わんばかりに震えも止まる。同時に境中に響く葉れの音もどんどんと激しくなっていくが、今の所妨害の類はない。

「先輩!」

かと思えば朝日が鋭く呼んできた。何か介でもされたか!?

「どうした!?」

「私が読み上げても変化しません! 元に戻せないんです!」

「え!?」

朝日は証明だと一つの絵馬を指差してそこに浮かぶ文章を口にする。だが絵馬に変化は起きない。黒く塗り潰されたままだ。

「なっ……」

「ごめんなさい……! 私だとお役に立てません……!」

どうして。何故朝日だと変化しない、いや、この場合は何故俺は元に戻せるのかという話か。嫌な考えが頭を過ぎり心臓が大きく跳ねるが、それも朝日の謝罪で以て一先ず腹の底に押し込んだ。

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今はこの事態の打開を目指すべきだ。ぐっと唾を飲み込んで絵馬を睨み付ける。

「……なら、任せろ! 朝日は神木に大きな変化がないか気に掛けていてくれ!」

「は、はい!」

朝日に任せてひたすら俺は願いを口にしていった。些細な願い、必死な願い、幸福をむもの、不幸をむものと様々な願掛けを口に出して黒を払う。その度に周囲にはまるで咆哮のような葉りの音が轟いた。同時に視界の端に幾つもの文字が割り込む。

《止めて》 《どうして》 《願いを》 《葉える》 《だから》

こちらを止める文字を無視して次々に元に戻していく。願いを正していく度に周囲を飛びう文字列もどうやら減っているようだ。元が改変された願いなんだから當然と言えばそうか。今も目の前を橫切っていた一文が、呟いたそのあとに葉を散らすようにして文字が瓦解して空気に溶けて消える。

絵馬から黒が払われて元の木目が段々と黒を凌駕していった。もう半分は戻したのか。周囲を回る文章だって大分減った。

そんな中、薄く歪な紙の願いに目が止まる。書かれてあるのは俺を対象とした願いだ。

「……」

目の前を改変された子の願いが流れていく。俺にとっての全ての元兇。迫り上がる複雑なを抑え付けて、出來るだけ無心であるようにとそれを読み上げた。

「――『形グループの中に混じっている永野真人が邪魔です。グループからいなくなりますように』……」

最後まで口に出せば、それまで同様が溢れて黒が散り落ちる。あとには絵馬とは似付かわしくもない撚れたシワだらけの紙が殘った。

複雑な心地だ。でも、葉の力が加えられて葉った願いはこれでなかったことにされたはず。俺に向けられた悪も、俺から離れていった人間も、皆元に戻ったと思おう。そう信じよう。

「先輩……」

聞こえたらしい朝日に軽く苦笑いして大丈夫だと示し、また絵馬に向き直る。願いを元に戻すことで明らかに葉の力は弱まっていた。俺たちを閉じ込める文字列もなくなり聞こえる葉れの音だって勢いをなくしているようにじる。

このまま全ての絵馬を正せば、いや、なくとも囲う文字列さえどうにか出來ればこの場から逃げ出すことだって可能なんじゃないか。

見えてきた勝機の道に俄然とやる気も漲ってくる。次だ、と捲し立てるように読み上げていった。

次第に表に見える絵馬もなくなってきたので恐れつつ重なる絵馬に腕を突っ込んで願いを詠み上げていた、ら。そのの一つの、古ぼけた絵馬に目が止まった。

『鏡の占いをしたら先輩は振り向いてくれませんでした。だからフラれました。最悪です。あの鏡をどうにかしてください』

呪詛の込められた文章だが、それ以上に気になるのが最初の一文だ。どうにも、聞き覚えのある話だ。鏡の占い。振り向かない。

まさか、と奇妙な一致に驚いていれば視界の端を流れる文に目が止まる。數が減ったから右から左に流れる文も簡単に読めるようになっていた。

『鏡の占いをしたら先輩は振り向いてくれませんでした。だからフラれました。最悪です。あの鏡を“悪”にしてください』

出だしが一緒だ。恐らくは改変後の願いのはず。そして悪。まさか、おい。あの鏡の悪魔もここの祭神が生み出したものだったりするのか?

嫌な予に突きかされて更に絵馬を漁る。そうしたら出て來た。

比較的真新しい絵馬には『今度上蔵高校の蔵出祭が開催されます。たくさんの人が集まりますように』。

同じくらいの綺麗な絵馬には『部の中に調子が悪いのにレギュラーに居座ってる人間がいます。大會も近いから、の程を知って自分から辭退しますように』。

更に若干草臥れているように見える絵馬には『これから肝試ししに池に行ってきます!本でも河でもいいので栄えな畫が撮れますように!頼むよ、神様!』。

そして奧の方に追いやられるようにしてあった絵馬には『これから妻の元に旅立とうと思います。どうかまた、春になったら一緒に散歩が出來ますように』。

ぞわぞわと、ぞわぞわと背筋に怖気が走る。どれもなんとなくの覚えのあることばかりだ。

周囲を回る文字列に目をやった。追えば、これらの願いの改変だろう葉によって歪められたそのれの果ての願いが確認出來る。

『今度上蔵高校の蔵出祭が開催されます。たくさんの“魔”が集まりますように』――。

『部の中に調子が悪いのにレギュラーに居座ってる人間がいます。大會も近いから、の程を知って“人”から辭退しますように』――。

『これから肝試ししに池に行ってきます!“本の河”の畫が撮れますように!頼むよ、神様!』――。

『これから妻の元に旅立とうと思います。どうかまた、春になったら一緒に“なれません”ように』――。

どれも、これも。全てに心當たりがある。文化祭の黒い影に鬼、古戸池の河に最後は凍雨。全部、全部俺たちが遭遇してきた不可解な噂のそれだ。

全部葉が元兇だったってのか。葉が厄をばらまくものとして改変した願いが、異常現象になって古戸萩の地に祟りを振りまいたって、そういうことなのか? ……もしかして、噂が現実のものになるというのも……。

察して、ここを逃げ出せればいいという考えを捨てた。正そう。元に戻そう。ここに願われた全部をなかったことにする。俺たちが遭遇してきた以上にこの土地であんな異常な現象が起こされたっていうなら、それを放っておく訳にもいかないと思った。

次から次に読み上げる。黒が落ちてただの絵馬に戻っていく。その度に葉のざわめきが聞こえ視界の端に被さる文字が靜止を求めてくる。でも頓著せずに続けた。

そしてやがて、掛けられた絵馬の全てが元の狀態を取り戻した頃、気付けば辺りは靜寂に満ちていた。

「せ、先輩」

しんと葉がれる音もしない境に遅蒔きながら顔を上げれば、橫合いから戸ったような聲を掛けられる。見れば朝日が困ったように眉なんて寄せていて、すっと指をどこぞに向けた。

そちらの方を見ればそこには神木があって、でもあの雄大な姿は見る影もない。漣にも似た音を上げていた葉っぱのほぼ全てをなくした黒い木だけがそこにあった。

「え、これは……」

「……先輩が願いを元に戻す度に葉っぱがどんどんと散っていったんです。周りを飛び回っていた文字が散るのと同じようにして。……言の“葉”、ということなんでしょうか?」

靜かな境に朝日の呟きがポツリと落ちる。葉は言葉をる。実際に自在にってみせたあの文字は全て願いの文言から引っ張ってきたものだ。出所は絵馬。ならその絵馬を元に戻す、言えば葉の支配下から解放させたらどうなるか。れる言葉がなくなる、つまりはそういうことなのか。

あれだけ茂らせていたたくさんの葉は、全て自に捧げられた願いの言の“葉“だったという訳か……。

もう辺りを飛びう文字はない。俺たちにと『願い』を迫る言葉もない。葉の力は、完全に削ぐことが出來たのだろうか。

「……ん?」

ふと、白くるものが見えた気がして目が神木から逸れる。神木の橫、手前側には葉について説明された立て札があった。のだが。

その半ば焦げて読めなくなってしまっていた立て札に、白くる文字が浮かび上がっていた。

「……」

「……あ、これ……」

元々の書かれていた文章に被さるようにしてる文字はある。焦げや掠れて読めなかった部分も補完しているかのように文字は綴られていた。

「……これは、誰かの願い、という訳でもないですよね……?」

「……葉の、その由縁だな」

長い年月の経過と焼失により読めなくなっていた文が今、俺たちの前で完全な形で現れている。

「……『こちらの葉様は、古來より古戸萩の守護神へ捧げる供たる葉を獻上なされる由緒正しきご神木です』」

文字をなぞるように、ゆっくりと読み上げていく。は強まることも弱まることもなく立て札の表面に留まったままでいた。まるで読まれることをんでいるようだ。この文章を書いた人間の思いを想像しながら更に続ける。

「『長きに渡り大切なお役目を擔った葉様はに神威を宿らされ、あらゆる願ひをの葉の一つとしておけ取りになられ人々の幸福のためにその力をお與へくださります』」

読み進めていると視界の中に黒い塊がふらふらと割り込んだ。それはさっきまで散々に見た文字で、でももう、たった三文字しかない。

《願いを》

こちらの意識の中にどうにか留まりたいと主張するように、文字は俺の眼前に止まる。なけなしの“葉”なのか。今にも掠れて消えてしまいそうな文字を前に、明確に俺の中で葉への同心が芽生えた。

「……葉を落としても、それでも願いを葉えることに括るんだな」

自分への信仰を増すため、そんな自己本位の理由もあるだろうが、でも本來の由縁を読み進めるにそれだけが目的でもないのではと思えるようになっていた。

本來のここの祭神は、葉は、もっと人の幸福を願う存在だったんじゃないかと漠然とそう思うんだ。

だって立て札に書かれている文章は真摯に優しい神である葉を讃えていた。

「……『病を拂ひ除け、福を運ぶ、我々人の生に添ひ、その葉を授けられる慈悲深き神、葉様。とても有り難き神様です』……」

最後まで読み切る。文字は立て札に浮かび上がったまま消えない。絵馬だったらこれが本來書かれていたものだと文章が面に殘るんだが。

「……ああ。そうか」

そこでふと。本當にふと思い至った。なんで葉は突然いきり立ったのか。俺たちが敷地にろうとも沈黙を保っていたのに、なんであそこで急に本わにしたのか。

心當たりは一つある。あの時とそして今。読み上げた由縁が事実だと立て札に殘らない理由。

「……『慈悲深き神、ハヤツリ様』」

そう呟いた瞬間。

ふわりと立て札かららかいが溢れ出す。それは絵馬の時とは違い目を焼くこともない優しいだ。白く小さなる粒が幾つも幾つも立て札から溢れて地に振り落ちる。

雫のような、あるいは鱗のような、そんな不思議なが地面に降ってそれが神木の、ハヤツリのに掛かった。するとそこから黒が抜けていく。真っ黒に染め上げられたような黒から元の焼け焦げた味にどんどんと戻っていく。

「……ご神木が、元に戻っていく……」

俺と朝日が見守る中で、下から黒が払われていく神木はやがて天辺にまで屆くと最後に一つふわりと靜かに発して、元の焼け落ちた姿に戻った。多くの枝をなくし、神木としての姿も失った本來の姿にだ。

目の前をゆっくりと文字の一つが橫切る。《願》。最後の最後に殘るのがその一文字なのか。文字は無言の願いを訴え、でも直ぐに崩れて跡形もなく空に溶けて消えた。

気付けば立て札からもが消えている。焦げあとも殘ってはいるが、それでも書かれた由縁はなんとか読めた。読める形に殘ったようだった。

神社には靜寂が戻っている。大音量の葉れの音も、禍々しく枝葉をばしていた巨木の姿もない。元のように、酷く靜かな境があとには殘された。

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