《高校生男子による怪異探訪》19.Re:階段の怪

最後の怪談。本校舎三階西側の階段までやって來た。

階下から見上げる階段には濃い闇が被っている。窓からる明かりはここでもか細い。

「『夜になると段數の増える階段』……。踴り場に落ちて斃れた生徒が段數として追加される、てオチな怪談な訳だけど」

「そう短く纏められてしまうと々味気がないな」

軽口が飛び出すが踴り場にと向かう視線は酷く真剣だ。

この怪談の恐るるべき點。それは『増えた段數を數えた者はそのまま突き落とされて殺される』という文言だろう。

「ちなみにですけど、この怪談の目撃者というか験者はいるんです?」

「幸いなことに今の所はゼロだ。上階がそう利用される階層でもないことと、七不思議の話は本だと信憑を持って語られているので晝間でも近付く人間はあまりいないようだ。まぁ、怪談に則するならば夜に近付かなければ問題はないのだろうけどな」

それだってどれだけ信じられるかと蘆屋の口振りには言外の含みが込められているように聞こえた。

夜の闇に包まれた階段はまるで別の世界と繫がっているようにも見える。その暗闇から何が飛び出してくるか、話に聞く男子生徒でも、あるいは他の異形であってもなんらおかしくはないと思えた。

「……ここも、検証するんですよね……?」

樹本の意識は完全に怯えに呑まれていた。覚悟はしていたはずなのだが、いざ実際に実を目の當たりにするととても堪えられない恐怖が全を浸していた。

階段に抱くのは二重の恐怖だ。死んだ生徒の霊が出ること。そして遭遇すればその霊に殺されてしまうこと。ベクトルの違う恐怖ではあるが、しかしどちらも人の心膽を寒からしめる本能的な恐怖を煽る事柄であることには違いない。

「そうだな」

「……あの、もし本當に、男子生徒が、出たら……」

どうする、と訊ねそうになって樹本は口を噤んだ。どうするもこうするもないだろう。怪談通りに事が進んだのであれば、それはただ最悪な結末を迎えるだけだ。

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まさかという思いは今でも頭の片隅に殘ってはいる。だが、ここまで見てきた怪談が都合の良い妄想を幻想だと打ち払ってくるのだ。あの踴り場に潛んでいる何かは確かにそこにいると、これまでの事実がそう無言ながらに語り掛けてくる。

焦燥と恐怖がを焼きじっと佇むことも難しい。

今直ぐに部室へと帰りたい。確かな危機に、ここはどうにか諫めて連れて行くべきだと、そう今更ながらに思い返して蘆屋にと進言しようとするも、樹本が何か言う前に蘆屋は厳めしく宣言した。

「私が行く。君たちは階段下で待っていてしい」

迷いの一つもない宣誓であった。流石にこれは黙って聞いてはいられない。

「え!? 危ないです!」

「先輩本気か? 突き落とされるかもしれないって話なんだろ?」

「検証は必要でしょうけど、會長さんが行くのは……」

「ならば君が行くかい?」

「……まぁ、を危険な目に遭わせるくらいなら男がを張った方がいいでしょうね」

冗談だったのだろう軽い問い掛けに嵩原は思いの外真剣なトーンであっさりと肯定を返す。

これには蘆屋も瞬間目を瞬いたが、しかし苦笑を浮かべるとふるふると首を振った。

「有り難い気遣いだが、後輩である君たちを危険と分かっていて送り出す訳にはいかない。私はこの検証會の発起人でもある。危険だと分かっているならば私が責任を持って対応しなければならないだろう」

明瞭に言い切る。ひたりと向けられる目は靜かな覚悟を湛えているように見えて言葉に詰まった。今更、何を言った所でその意思を覆すことは出來ないだろう。

「會長……」

「んー、でも本當に危ないんだろ? 先輩、階段から落ちても平気なのか?」

「二、三段ならば足を捻るくらいで済むだろうが踴り場からとなるとな。そこで、三人にちょっと頼みたいことがあるのだ」

「な、なんですか?」

もしかしたら前言を翻すことが出來るかもと樹本は期待をに耳を傾ける。蘆屋は真面目な表で靜かに告げた。

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「私が階段から突き落とされた際にはどうにかけ止めてもらえないだろうか」

「え」

「何、もし最上段から落とされたとしてが床にと激突するその前にけ止めてもらえたのなら命を拾うことは出來るだろう。あくまでもたらされる死が理的な結果によるものであるなら回避は可能なはずだ」

「おー、なるほど!」

「いや、なるほどではないでしょ。落とされることを前提としないでその場で回避する策をまずは考えてください」

「私はこう見えて運は大の苦手なんだ。己の能力に賭けるよりも君たちの運能力に結果を委ねる方が生存確立は上がるはずだ」

「冷靜ですね。自分の命の行く末が掛かっているというのに」

「君たちを信じているからな」

「……いや、良い話風に纏めてないで、そんな危険だと思うならやっぱり検証するのは止めましょうよ!!」

恐ろしい想定を平然と語る蘆屋に、我慢出來なかった樹本のびが空しく夜の校舎に響いて消えた。

蘆屋のなんとも言えない作戦は、しかし一筋の明をそこに見出すことは出來た。落下するならけ止めれば良い。事後策にも程のある結論であるが、しかしてその理屈は実行のあるものとこの場でさくりと認められた。

作戦としては階段下で男三人が構えて待機。中央に信頼と実績のある檜山を配置し両側から彼の補佐を男二人が行う構図だ。蘆屋の挙に不審な點が見られたのなら直ぐに駆け出して支えるようにと檜山には厳命してある。

この作戦、要は檜山の能力に完全に依存していた。

「檜山君には負擔を掛けることになるが、よろしく頼むよ?」

「任せてくれ! 先輩一人くらい軽いって!」

最悪は人一人の命が失われるかもしれない大役を擔ったというのに檜山には気負った様子は見られない。それが持ち前の鈍さ故なのか、あるいは豪膽さ故なのかは樹本にも判斷は付かなかった。

ふんすとやる気に逸る檜山の姿に過去の記憶が想起される。真夏の最中のひんやりとした夜の校舎でのこと。以前もこうして檜山は大役をけて張り切っていたなと、階段を前に佇む蘆屋にその時の映像を重ねた。

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階段を上る人間は違う。思い出して、樹本は疼くにそっと手を當てた。

「それでは、頼んだよ、皆」

「はい。了解です。落とされたとしてもとにかく頭だけは守ってくださいね。頭を強く打ち付けたりしなければ救急で運ばれるだけの時間は堪えられると思いますので」

「ちゃんとけ止めるから安心してくれ!」

「……會長、気を付けて」

三人に力強い笑みなど見せて蘆屋はくるりと背を向ける。前方に靜かに上にとびる階段、それをしっかりと見上げて蘆屋は一段目に足を掛けた。

たしっと上履きが渇いた段差を叩く音が辺りに響く。もう一度たしっと足音を鳴らして蘆屋は階段を上る。一段、二段。徐々に高く離れていく蘆屋の背中を見守り、樹本は中でその段數を數えていった。

ここの元の段數は十二。一段増えるとなると十三段目を數えた時點で怪談が真実になったと見なすことが出來る。あるいは踴り場に斃れた誰かが出現するのか。

どちらにせよ何かしらの予兆は現れるとそう信じ、些細な変化も見逃さないよう樹本はよくよく意識を集中させて事態の推移を観察し続けた。

五段、六段と中段に差し掛かってもこれといった変化はない。階段は暗闇の中に沈んだまま、懐中電燈の明かりが真っ直ぐに一筋ので闇の一部を払うのみ。

段々と踴り場が近付いてきて嫌でも張が高まっていく。蘆屋の目には踴り場の風景も見え出しているだろうが、特に反応はない。が滴り落ちるなどと言われる階段も艶やかなその表面が懐中電燈のを僅かに反させるに留まっていた。

不穏な気配も今の所は欠片もじられない。これはと、樹本の心の中に小さい安堵が生まれる。もしかしたらここは違うのではないか。そんな呑気な思考の間隙をうようにそっと小さな呟きが隣から溢された。

「……なんか、夏の時のこと思い出すよな。あん時も、俺らこうやって見上げてたんだよな」

ぽそりと懐かしむようにあるいは寂しがるような響きを持った呟き。その聲に込められた、口に出した景、そのどちらも痛いほどに心當たりがあるから樹本は思わずと橫の親友に顔を向けた。

檜山は前方を見上げながら彼にしては珍しい、実に面映ゆそうな表をその顔に浮かべている。視線は蘆屋を追っているのだろうが、その目が見ているのはここではないどこか遠くの景であると樹本は直で理解した。

寂しげに、痛ましげに。ここではない過去に、そこにいた人間に心を飛ばしている檜山に、樹本はなんと言って聲を掛ければ良いのかも分からない。同じように過去の映像を思い出し、不意に、本當に不意にぽこりと頭の上に一つの考えが浮かび上がった。

この場に彼がいたら自分たちはこんなにも怯えずにいられたのかもしれないと、そんなどうしようもない他人頼りな想だ。怯え拒絶したのは自分なのに何を今更。勝手をぶ己の傲慢さを振り払うように、檜山の名前を呟こうとしたその時。

「會長さん!」

嵩原の鋭いびが靜かな空間を揺らし弾かれるように視線が階段上にと向いた。

パッと白が暗闇を裂いて最上段の景を切り出す。気付けば蘆屋は階段を上り終え、踴り場に辿り著いていたようなのだが。

その踴り場がおかしい。もう一段、そこにある。角張った階段のその上に誰かが倒れていた。誰かは制服を著込み、前髪に隠れてはいるがこちらに顔を向けている。見える表は口元のみ。薄く開いたから黒い何かが一筋、真っ直ぐ床に溢れ落ちていた。

あれは誰だ。いつ現れた。頭の中で疑問の聲をねくるが、正などとうに看破している。あれが十三段目だと一目見て理解した。

理解に至ると同時に黒い何かが踴り場から階段にと流れ落ちる。それは水のようにらかに階段を下るが、でもを弾くほどに真っ黒と染め上がっていた。

水ではない。では何か。答えに至るとそれが正解だと言わんばかりに黒いが自分たちの所にまで落ちてきた。途端に、生臭い臭気が鼻先を掠める。

「まっずい……。會長さん逃げて!」

焦りに聲を上らせて嵩原は階上の蘆屋へと指示を飛ばす。だが蘆屋はかない。橫たわる誰かを前に棒立ちとなってしまっている。いや、片足が持ち上げられた。膝を上げて曲がった足の著地する先は、どうやら斃れている彼であるらしい。

「!? なんで!? 會長駄目!」

「出會したら強制的に踏ませるとかそんなのか?! 亨! 會長さんの所まで行ける!?」

「アイサー!」

威勢良く檜山が階段を上る。が、その足はばしゃりと一段目を踏んだそこで何故か止まる。力強く駆け上がる処か足を浮かせることもしない。

「なんで止まるの!?」

「あれ!? 足がかねぇ!?」

「はぁ!?」

見ればぐっぐっと何度も檜山は足を持ち上げようとしてあるようだった。なのにり付いたように檜山の足は階段から離れない。揺れる足元から黒いに波紋が広がり、幾つもの波が生まれる度嗅覚を浸食する生臭ささに嘔吐きが生まれる。

「先輩んとこ行けねぇ!」

「そんなっ!」

「このままじゃ……!」

半ばパニックになり掛けて無意味に上段を見上げる。その瞬間、蘆屋が男子生徒にと足を下ろした。音は何もしなかった。を打つ音も布がれる音も何も。

ただ橫たわる生徒、その前髪に隠れていた目がぎっと見開かれ、自分を踏み付ける蘆屋を憎々しげに睨み上げた。

次の瞬間。蘆屋は空中に浮いていた。足は階段を離れて完全に宙にある。長い黒髪が重力に逆らって四方にと散っている。いつもは髪に隠れている背中が丸見えとなり、それが下になってゆっくりと落ちていく。

一文字さえ聲に出す暇もなかった。唖然と落ちてくる蘆屋を見つめる。ゆっくりと棚引く制服の裾に、これもゆっくりと蘆屋の腕が頭を抱えんと曲げられる様をただ眺めた。

全てがスローモーションに映る。手をばしても屆かない。懐中電燈の明かりに照らされ、まるで舞臺俳優のように視線を一に集める蘆屋の、その落下する脇に古めかしいセーラー服姿の誰かを樹本は確かに見た。

バタドタン!と強かに重いを打ち付ける音が辺りに響く。樹本は思わず目を閉じた。目を逸らした所で悲慘な結末がなくなる訳でもないと理解しているがもう反であった。

目を開けるのが怖い。けれど見ない振りなど出來るはずもなく、況して助けの要る狀況なのに早期にかなかったがために事態がより深刻な結果になったらと想像したら居ても立ってもいられない。勇気を振り絞りパッと目蓋を押し上げた、ら。想像していた地點には何もなく。

「先輩! 大丈夫か!?」

「會長さん無事!?」

二人が聲を上げて階段を駆け上がるのに樹本もそちらにと目を向けた。蘆屋は階段中段、上段に近い位置に座り込んでいるようだった。

呆けていたのは一瞬だった。なんで?と疑問に思う理を押しやり、樹本も慌てて階段を駆け上がった。

「會長!? 怪我は!?」

「……なんとか。々足をぶつけてしまったがな」

聲も弱々しくはあるが返答はしっかりしている。呼吸のれもあるけれどそれも徐々にと落ち著きを見せ出していた。

痛みに耐える様子はある。だが、あの一瞬に覚悟した命を脅かすほどの大怪我といったものはどうやら一つも負ってはいないようであった。

「他には? 頭を打ったりはしていませんか?」

「問題ないよ。足から著地が出來たからね。足もこれは単純な打ち程度だと思うよ」

「本當? 先輩完全に浮いてたぞ。助けに行けなくてごめんなさい」

「気にすることはない。こちらの想定が甘かっただけだ。彼も、もうどこかに行ってしまったな」

言われて踴り場にと目を向ければそこにはもう誰もいない。階段を滝のように濡らしていたも一滴さえその痕跡は見られなかった。しの間目を離していた隙に全てが幻であったように消えてしまっていた。

「男子生徒は現れた。これは確実、ですよね?」

「ああ。間違いなく怪談の彼は踴り場で斃れていたよ」

確かめるように嵩原が問い掛けるのに蘆屋は真剣に頷く。泰然とした蘆屋の返しに羽立った空気も徐々に落ち著きを取り戻していった。

「あの男子を踏んで、それで會長は突き落とされた、んですよね?」

「そうだな。まぁとしては跳ね飛ばされたに近いが。思いの外強い力だったよ」

「ポーンって空中に浮いてたもんなぁ。俺らの所まで先輩降ってくるかなとか思ったぞ。それならけ止められたんだけど」

「その場合は怪我人が増えていたことだろうね。命は失わずに済むかもしれないが下手すれば全員がどこかの骨を折ることにはなっていたかもな」

「でもそうはならなかった。何故會長さんは下まで落ちなかったんでしょうね。踴り場から四、五段下ってどう考えても理的に有り得ないですよね」

嵩原が深く切り込む。蘆屋はそのを踴り場から投げ出していたのだ。落ちる先は中段よりも下になるだろう軌道を描いていたのは間違いない。だから樹本も目を開けて直ぐ己の足元にと視線をやったのだ。

踴り場に程近い所に著地するなど有り得ない。しかし現実に蘆屋は被害もなくそこにある。何が起こっているのか、もう樹本は頭の中が疑問符で一杯だった。

「うむ。まぁ、そうだな」

「會長さんは何があったのか理解してますか?」

濁った答えを返す蘆屋に嵩原は詰問調で迫る。どうやら目の前で起きた現象に並々ならぬ関心を抱いているらしい。あるいは、樹本は見逃したが蘆屋が著地するその瞬間を目撃したための好奇心なのか。

止めるべきかどうか。迷う樹本であったが、仲裁は最後の人からなされた。

「嵩原止めとけって。先輩階段から落ちて足打ったって言ってたじゃん。話聞くより手當てする方が先じゃね?」

「む……」

ひょこりと間から顔を出して檜山が諫める。言っていることは正論だ。嵩原も一言で口を噤んだ。

「そう大した怪我でもないんだがな」

「でも先輩立とうとしてないし。足痛いから立てないんじゃねぇの? 大丈夫?」

かせない訳ではないよ。痛みが引くのを待っていただけだから問題ない。直に立てるさ」

それはつまりはまだ痛みがあって立つのも難しいということか。蘆屋の容態を悟り、樹本も檜山を援護する側にと回る。

「ここで話をするのもどうかと思う。さっきまであんな異常なものがいたんだよ。早く離れた方が良いんじゃない?」

「……まぁ、それもそうか」

二つの理由をぶつけられて嵩原は降參と同意を返してきた。強い執著を宿していた瞳は常の飄々としたものに戻り、蘆屋に向き直るとペコリと頭を下げて己の非を謝罪する。

「すみません。まずは會長さんの容態を優先するべきでした」

「いや、君の疑問も尤もだ。私も答えたくはあるが、何から話せば良いのか々混している。考えを纏めるためにも一度部室には戻りたい。検証もここで最後だしな」

「あ、そうですよね。そうか、これで終わりなんだ……」

の怪談の連続した調査もこれで最後。その事実に遅蒔きながら気付き、樹本はほっと安堵の息を溢した。

「それなら部室に戻ろう。會長の怪我も気になるし落ち著いて話し合いたいし。檜山も良いよね?」

「おうよ。先輩、立てないなら俺が運ぶから無理しなくていいぞ」

「ありがとう。ふふ、ここでのことといい檜山君を頼りにさせてもらって悪いな」

「いいぞー。俺力仕事くらいでしか役に立てないから」

「嵩原も良いでしょ?」

「この流れで駄目です、なんて言えるはずもないよ。俺も手伝うから、會長さん歩ける?」

反対意見が出ることもなく撤収と相った。蘆屋は立ち上がることは出來たが壁に手を著いていないと安定はせず、宣言通りに檜山と嵩原に支えられてどうにか階段を下りた。

そのままゆっくりとした足取りで部室にと引き返す。樹本はふと一度振り返り階段を見上げた。闇の中にある階段は窓から溢れるか細い明かりで以て踴り場がぼんやりと浮かび上がって見える。

そこには男子生徒もセーラー服姿の子生徒も誰も居はしなかった。

「さて……」

明るい部室にて蘆屋は重く息を吐き出す。煌々と電燈の明かりが照る部室はそれだけで樹本の心に深い安心を與えてくれる。

暖房も効いた暖かい部屋の中で一息吐く間も短く、早速と話し合いは始められた。

「この度の検証の総括は行いたいが、まずはさっきの階段での疑問解消から始めた方が良いだろうか?」

「そうしてもらえると嬉しいですね。いろいろと疑問が重なってて辛抱堪らなくなってますから」

「嵩原さっきからうずうずしてるもんな」

珍しく落ち著きをなくしている嵩原の要に応えるという形で階段でのことを振り返る。疑問點はもちろん、何故蘆屋が助かったのかという點だ。

「會長さんの落ちる様子は見てはいたんですけどね、でも肝心などうやって著地したのかという所は一瞬だったのでよく分からないんです。だから俺には何が起こっていたのかは分かりません」

両の手の平を上に掲げて參ったと嵩原は態度で示す。目撃したのに詳細が分からないのも不思議な話だなと樹本は思った。自分は恐怖で見てもいなかったので突っ込んだりはしないが。

「亨はどう? ちゃんと會長さんの挙は見えた?」

「なんか急にガクンと落ちたのは分かったぞ。下から引っ張られたようなじだった」

「引っ張られたって……」

何を言うのかと反論を口に出そうとして、しかし脳裏に濃い紺のスカートが翻った。

はっと言葉に詰まる樹本の代わりを務めるように蘆屋が口を開く。

「うむ。良い考察だ。私は実際、誰かに腕を引っ張られて階段を転げ落ちずに済んだのだよ」

「え?」

「は?」

飛び出したのはそんな突飛もない一言。信じ難い話を蘆屋があっさりと肯定してみせるのに檜山を除く二人が驚愕の聲を上げる。

「あの一瞬のことは私もそうに覚えている訳ではない。が宙に浮き、地面を見失って己が階下に落ちようとしているのだと理解して、それからせめてと頭を守るべく腕を曲げたここまでは自覚している。その曲げた腕を摑まれたのだよ。誰かの両手でしっかりと」

腕、と蘆屋は左腕を三人に見せ付ける。試しに袖を捲ってみせるが生白い腕は理の細かいを曬すだけで痕跡の一つも殘されてはいなかった。

「殘念だ。これが一般的な怪談であるなら手の痕が殘っていただろうに。このように証拠はないが、だが私は誰かの助けにより踴り場から階下まで、頭から落下していた所を僅か數段下、そして足から著地することが出來た。私が無事なのは咄嗟に腕を引いてくれた誰かのおかげなのだ」

はっきりと三人を見返して蘆屋は斷言する。その目は真剣だ。とても冗談も噓も誤魔化しも口にしているとは思えない。

信じ難く唖然と黙り込む樹本たちに、蘆屋は仕方ないと苦笑を浮かべた。

「信じられないのも無理はない。私とて実際に験したであるからこそ斷言はするが、これが誰かに聞かされたものであるなら簡単には信じなかっただろう」

理解を示し、それからすっと瞳を細めた蘆屋は三人を観察するように眺めて訊ねる。

「君たちの中に私の腕を摑んだ者はいないな?」

語尾こそ問う形にあるが、しかしほぼ斷定している。三人共階段下にいた。蘆屋の腕を摑めた人間はいない。

「……僕たちには、無理です」

「そうだろう。だとしたら私を助けてくれたのは一誰だったのだろうな。あの場には君たちの他には橫たわる『彼』しかいなかったはずだ。彼が私を助ける義理はないし、だとすれば誰がどうして私を窮地から救ってくれたのか」

うーんと蘆屋は腕を組んで唸りを上げた。誰、と吐き出されて樹本の脳裏にはセーラー服姿の子の映像が再生された。

まさか。でも。深く思考に沈み行く樹本の耳に懐疑的な嵩原の聲が通り過ぎる。

「不思議な話ですね。會長さんが火事場の馬鹿力でも発揮したとする方が余程説得力はありそうだ」

「ふむ。まぁそうか。君たちの様子からしても私を助けた誰かの姿などは目にしていないようだし、それでは疑うのも」

「助けられたっていうのは俺はあると思うぞ。俺も多分助けられたし」

一瞬の空虛のあとええ?と驚きの聲が重なった。今檜山はなんと言ったのか。瞬間空いた空間を埋めるように揺が頭とを支配していくのを実しつつ、樹本は食って掛からん勢いで檜山にと訊ねた。

「は!? たす、どういうこと!?」

「そのまんま。多分助けてくれたんじゃないかなー?」

「曖昧だねぇ。今日の検証會でのことだよね? 亨はいつ助けてもらったの」

「さっき。あの保管庫。外に出る時背中押された」

「はぁぁ??」

知らない話を暴されて思わずと盛大に裏返った聲で喚く。

なんで言わなかったとか、どうして今になって言うんだと不満なのか文句なのか分からないが思考を占めていくものの、『保管庫』で『られた』とワードが揃ったのに樹本は一転して顔を青冷めた。

「そ、それって捕まったんじゃ!?」

「俺なんともないしそれに押されたって言っただろ? 捕まえるんなら摑むんじゃないか?」

「まぁそうだね。タッチすれば良いって話でもない限りは普通は押すことを捕まえると同義にはしないよね」

「鬼ごっこだとそうだよな」

當人はのほほんとうははなど笑っている。確かにおかしな様子は見られない。よくよく思い出せばあの人影は檜山の肩を摑もうとしていた。背を押す、というのは違うような気がしてきた。

「ふうむ。ということは、正の分からない誰かが我々を助けてくれていたのだろうか?」

「二回も続くと偶然や勘違いで済ませるのは難しくなりますね。どちらも明らかに拙い狀況を回避させるべくいてますし。……ああ。だとしたら図書室のもそうなのかな?」

「図書室?」

「ほら、呪われた本が現れたあと。會長さんが読もうとして、でも直前で臺座になってた本が崩れて読めなくなった」

「あ……」

指摘されて思い出した。あの時も何故かいきなり本が崩れて、その結果呪われた本を見失い危機をしていたのだ。

あの現象も不可思議なものであった。でも立て続けに助けられたことを思うとあれも誰かによる介だったのだろうか。檜山はなんと言っていた? 誰かが蹴飛ばしたのかとそんなことを口にしていたがまさか。

「姿の見えない誰かは、怪談を巡る我々をずっと見守ってくれていたと、そういうことなのか? だとしたら何故守ってくれていたのか……」

全員で首を捻る。結果だけを見るなら幾度もの危機から救い上げてもらったとそうなる。だが理由は。誰が自分たちを助けてくれたのか。どれも怪談という理としての現象ばかりに支配されたりはしないものから。

「心當たりはないですよね……」

「生憎な。この學校の守護者的な怪談があるならまだ分かるが」

「怪談、ですか?」

試しにと聞いた問いになんとも斜め上な解答をされた。どうしていきなり怪談が出て來るのか。目を瞬く樹本におや?と蘆屋は意外なものを見る目を向けた。

「これまでの調査により怪談はどれも実を伴った『本』とり果てていただろう。この結果だけを見れば我が校で語られる怪談は真実になっていると考えるのが自然だ」

そうだろう?と反対に聞かれて樹本は答えに窮する。結果だけを見れば怪談が本になっていることは疑いようがない。自分たちが確認した時はどれも眉唾であったのに、しかし本日回った七不思議は全て明確な現象を生じさせていた。

今年度の七不思議は最後の一つを除いてどれもが本になってしまっている。ならば他の怪談だって同じく実を伴うものになっていても何もおかしくはない。蘆屋はそう言いたいのだろう。

「結局怪談はどれも本でした、か。想像以上の果ではありますよね」

「うむ。私もまさか全てがあれほどまでに明瞭な姿を現すとは思いもしなかった。この変化は一どうして起こったのか」

「パチモンもあったのになんで皆本になったんだろうなぁ? 俺ら調べるの失敗してた?」

「そんな、ことはないと思う。ちゃんと怪談とも照らし合わせて調査は行っていたし、今日取った調査の段取りも以前とそう変わりはないはず」

「もし元から本の怪談であるなら、夏のあの時にも同様に俺たちは今日みたいな目には遭ってないとおかしいよねぇ。……そう考えると、やっぱり今日までの間に學校の怪談に何かしらの変化が起きたとするのが自然かも」

「何か……?」

意味深げに呟きを溢す嵩原の言を繰り返し口にする。直前までの軽薄な気配は消して嵩原は真剣な面持ちで靜かに考にった。

不穏な呟きを殘したため、不安になって蘆屋の方を見れば、その蘆屋もまた張り詰めた気配を纏い嵩原を見つめていた。まるで嵩原の思考を覗くような思慮深く油斷ならない目付きであった。

何故そんな目を向けるのか。疑問をじたが、その答えは結局と明かされはしなかった。

「ま、結論を出すのはまだ早いか。所で他の怪談の調査はどうするんです? まだ校にはたくさんの噂がありますし、街の方にも気になる話はあるようですけど」

パッと顔を上げて嵩原は真っ直ぐに蘆屋に問う。蘆屋の探るような視線など気が付かないはずもないのに問う聲は正に普通だ。そんな対応に毒気を抜かれた訳でもないだろうが、蘆屋もまた平靜にけ答えた。

「一先ず七不思議の報告を上げてしまい対応を練ることが先になる。我々が遭遇したものだけでも生徒の學校生活には多大な悪影響を與える虞があるからな。校長先生とどのように安全への配慮をするかをまずは協議しなければ」

「へー。なんか重要そう」

「いや、誇張でもなんでもないなら學校の運営を話し合うっていう一生徒の領分からはかなり逸した行いであると思うけど」

しれっとした顔で校長と協議するなどと告げる蘆屋に樹本は顔を引き攣らせた。室以外では本當に危機をじたために確かに対策は必要だろうなと思いつつ、果たしてそれは生徒のやることなのかとそんな疑問が頭を過ぎる。単なる零細同好會の主にしては求められている責務が重くはないかと。

今後の検証についての蘆屋の考えも聞かされ、暫くは校への対処に重きを置くとそんな結論で今日の調査は終いとなった。立て続けのこの世ならざりしものとの邂逅に嵩原などは好奇心も大分漲っていたようなのだが、蘆屋が負傷したこともあって素直に解散に応じた。

また落ち著いたら今度は街中の噂の調査も行うとそう蘆屋と約束をわす嵩原と檜山の姿を後目に、樹本はそっと詰めた息を吐き出す。校における影響力の懸念が調査の始まりではあったものの、いやはやどうしてこんな恐ろしい現実を目の當たりにすることになったのか。全くと見通しの甘い己にまた息がれる。

恐怖の連続した検証は樹本に多大なる神負荷を掛けてはくれた。道中何度帰りたいと思ったことか。最後まで同行したのは一人待たされるのも嫌だったし、正規の部員であるにも関わらず放り出すのは無責任だとちっぽけなプライドから踏ん張ったに過ぎない。

その結果、絶対に一週間は夢に見るだろう衝撃の場面を見続けた訳だが、今、樹本の頭の中に殘るのはただ恐怖ばかりでもなかった。

怪談が実化した理由や蘆屋の不審な態度。それにこの街で起こっている異変など數々の疑問が樹本のをぐるぐると回り続けている。結局は現狀に起きている異常をまざまざと見せ付けられ、それがもたらす今後への影響も考えさせられる羽目になった。

永野との問題から目を背ける意図もあっての検証であったはずなのに、更なる懸念など増やしてどうしよう、と胃にずしりとのし掛かる神的負擔にはぁと今度は骨にため息を吐き出した。

まぁ、それでも校の異変に関しては學校長と蘆屋の二人が対応を練ると明言しただけ安心は出來る。己に聲掛けはされなかったし、オカ研會長の蘆屋が代表として解決に當たってくれるのなら面倒もないと、そんな々無責任な計算を勝手に弾いていたりしたのだが。

まさか翌日に己までどっぷりとその対応に浸かることになるとは想像だにしなかった。

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