《銀河戦國記ノヴァルナ 第2章:運命の星、摑む者》#15

それは3月22日の夜の出來事であった。

失意から抜け出せずにいたギルターツは、火急の場合に備えて一応、側近達に行き先は告げたものの、誰も連れる事無く城の敷地にある館を出ると、ドゥ・ザンの死以來、封鎖したままにしている、イナヴァーザン城大天守の、ドゥ・ザンの居住區畫へと足を運んだ。そこに向かうための理論的な理由は無く、何かにわれるかのように…何かに呼ばれたかのようにである。

“あそこに行けば、自分の迷いを斷つものが見つかるかもしれない…”

漠然とした思いと共にギルターツは、亡きドゥ・ザンの居住區畫を巡り始めた。隣接する第二執務室では、ミノネリラの統治について意見をわした際の、ドゥ・ザンの厳しい眼が…広大な面積のリビングでは、子供の頃の笑わぬ自分に手を焼いていたドゥ・ザンの苦笑が…城のあるキンカー山からの夜景が一できるテラスでは、実の母ミオーラが病死した夜の、ドゥ・ザンの背中が蘇る………

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すべては夢か、幻か―――

あれほど拒み、認めずにいた父ドゥ・ザン。その父と同じ“マムシの道”を歩んで手にれた、ミノネリラ宙域星大名の座。だがそれも真実を知った今は、虛しいだけだ。

トキ家のリノリラス、そしてドゥ・ザン…そのどちらが本當の父親であったとしても、自分の行いを背負って生きていく覚悟はあった。だが思いも寄らぬ事実に、行き場をなくした覚悟は、空虛な宙を彷徨うばかりである。

そんな時、居住區畫の外周通路を歩いていたギルターツは、見覚えのある後ろ姿を通路の奧に見た。雙眸をしばたかせて呟くギルターツ。

「ド…ドゥ・ザン殿?」

足元を照らす山吹の間接照明だけがらかく輝く、仄暗い通路で一瞬立ちすくんだギルターツの視線の先で、その見覚えのある背中はさらに奧へと進み、扉の一つの前で霧のように消え去った。

“ドゥ・ザン殿…いや、父上!”

その背中を追い、ギルターツは姿の消えた扉の前へ歩み寄る。そこはドゥ・ザンが生前、よく使っていた書斎であった。天然木で作られた自扉は、センサーがギルターツの溫をじ取り、控え目な音を発して開く。自ずと部屋の中へ歩を進めるギルターツだが、自的に點燈した書斎の明かりの下には、やはりドゥ・ザンの姿は無い。

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“まさに夢幻(ゆめまぼろし)であったか………”

心でそう言い捨て、ギルターツは書斎の中を見渡した。調度品はどれも扉と同じく天然木を使用しており、溫かみをじさせる。

書斎には、今の時代にはほとんど見られなくなった、紙製の古い書籍をぎっしりと収めた本棚が幾つも並び、まるでここだけ數百年も昔の世界のようであった。ただその並んだ本棚の中の一つだけは、硝子戸の戸棚となっており、中には數本のウイスキーのボトルとグラスが二個、っているのを見て取れる。

“ここへ來るのも、五年前のあの日以來であろうか…”

五年前のあの日とは、留學先であった皇都星キヨウから帰って來るノア姫を、重臣のドルグ=ホルタに艦隊を率いて迎えに行くよう、ドゥ・ザンが命じた日の事であった。

“あの時は…俺はノアを殺すつもりでいた…”

それはつまりドゥ・ザンが、トキ家のリージュと政略結婚させる腹積もりであったノア姫―――ギルターツにとっては義理の妹となるノア姫を暗殺し、それをもってドゥ・ザンに対し、叛旗を翻す決意の表明とするつもりだったのだ。

そんなギルターツのを知ってか知らずか、ドゥ・ザンはギルターツを“朝酒”にうと、二人はこの書斎でグラスを傾けたのである。

“思えば、ドゥ・ザン殿と二人で酒を飲みわしたのは、あれが最後であった…”

ノアが乗る用船『ルエンシアン』號に、キヨウからの積み荷として紛れ込ませた、殺人ロボットにノアを殺させて船を破する計畫…ところがそれは、いきなり介して來たウォーダ家のノヴァルナによって頓挫。

しかも、どうやって生き延びたか真実は不明だが、およそ一ヵ月後にノヴァルナと共に生還したノアは、事もあろうにサイドゥ家とウォーダ家が戦している戦場の真ん中で、リージュ=トキではなくウォーダ家のノヴァルナとの婚約を発表するという、驚天地の行で事態を収拾してしまった。

“あの酒の場でどのような話をしたか…もう覚えておらん”

ただ、ノアとノヴァルナの生還、そしてトラン=ミストラル星系第二星ロフラクスでのドゥ・ザンとノヴァルナの會見以來、ドゥ・ザンへの憎さが増したようにギルターツは思う。

あの両者の會見から、ドゥ・ザンはすっかりノヴァルナに魅了されて、骨抜きとなってしまった。口を開けば「オ・ワーリの婿殿は…」で、本當にミノネリラの統治権さえ與えかねない惚れ込みように、“マムシのドゥ・ザン”ともあろうものが…と、許せない気持ちが強くなっていったのだ。

“もしや俺は…あの大うつけに、嫉妬していたというのか…”

そこへ思い至ったギルターツは、さらに虛しさが大きくなった気がした。自分がして來た事はとどのつまり、ドゥ・ザンに星大名としての自分の力量を、見せつけたかっただけなのかもしれない。

“教えてくれドゥ・ザン殿…いや父上。俺はこれからどうすればよいのだ…”

ギルターツは、ドゥ・ザンが腰を下ろしていた木製の椅子を見詰め、そこに座るドゥ・ザンの姿を思い浮かべて問いかけた。

歩み始めた道を進むしかないのは、ギルターツにも分かっている。だが今の自分とこの先のイースキー家を想うと、その歩みも重くじられるのだ。

すると不意にギルターツの頭の中で、椅子に座るドゥ・ザンがグラスを片手に、語り掛けて來たような気がした。

“なにを迷うておるのじゃ? ギルターツ…”

「ドゥ・ザン殿…」

“おぬしの父たる儂(わし)も、元はと言えば民間人ではないか。己が出生など、戦國の世においては取るに足らぬ話よ”

「………」

“そのような顔をせずともよい。浮世の事は酒にでも流せ”

ドゥ・ザンの幻影にそう言われ、ギルターツは再びウイスキーのった棚に視線を向けた。すると硝子戸の向こうに並ぶ、ウイスキーボトルの一本に眼を留める。そのボトルには、細い鎖がついた小さな札が掛けてあった。

気になったギルターツは棚に近づき、戸を開けてそのボトルを手に取る。ボトルは未開封であり、札には“ギルターツ用”と記されていた。

「これは…」

ウイスキーは銀河皇國でも有數の名産地、ティルサルガ星系で造られた1525年ものの逸品である。おそらくあの“朝酒”の日以來、自分と再び酌みわそうと考えたドゥ・ザンが、とっておいたものなのだとギルターツは考えた。殘念ながらそのような日が訪れる事は無かったが…

そして何気なく札を指先で摘まみ、裏返してみたギルターツは、「あっ…」と小さな聲を上げる。札の裏にはこう書かれてあったのだ。

“迷いなき日々のために”

それはドゥ・ザンが裏面の空きスペースに、たまたま書いただけの言葉なのかも知れない。だがギルターツはこれを天啓のようにじ取った。

“これは…俺のために“マムシのドゥ・ザン”が…父上が、用意してくれたもの。これは…この酒とこの言葉で英気を取り戻し、自信を取り戻せという父上の計らいに違いあるまい!”

ギルターツは棚の中にあったグラスを一つ取り出すと、ボトルを開封し、琥珀をしたウイスキーを半ばまで注いで、一気に飲み干した。カッ!…と熱のある息が腹の底からこみ上げて來て、勢いよく吐き出す。それと同時に気持ちが高ぶりだすのをじるギルターツ。

“そうだ!…逡巡などは無用であった。俺には迷う事など何も無いはず。俺は父と同じ非なマムシの道を奉じると、覚悟したのではないか!”

そしてドゥ・ザンを虜にした、ノヴァルナへの対抗意識を聲に出し「見ておれ、ノヴァルナ・ダン=ウォーダ!」と、んだその時である。ギルターツは突然、口から大量に吐した。

朦朧とする意識の中でNNLを作し、急事態を通報したギルターツのもとへ警護兵や侍、側近達が駆け付けたのは、それから三分も経たないうちである。

彼等が到著した時、ギルターツは巨軀を書斎の床に俯せにして橫たえており、眼を見開いたまま橫を向けた顔は、自らの吐の中に浸っていた。

「殿!」

「ギルターツ様!!」

一斉に駆け寄ろうとして、それほど広くない書斎に多くの人間がひしめき合う。その直後の事だ。舊サイドゥ家から仕えていた者であれば、誰もが聞き覚えのある「カッカッカッ…」という、乾いた笑い聲がどこからともなく響いて來た。ドゥ・ザン=サイドゥの笑い聲である。

そして唐突にそれは、皆の前に姿を現す………

NNLの出力端末が勝手に作し、等大ホログラムのドゥ・ザンが、僅かに揺らぎながら浮かび上がった。生前と変わらぬままに。薄笑いを浮かべたドゥ・ザンは、床に転がるギルターツをゆっくりと見下ろす。

「きっ!…きゃぁああああああーーー!!!!」

甲高い悲鳴を上げたのは侍達だった。それにつられ、側近達も腰を抜かしてあとずさりを始める。

「ド!…ドゥ・ザン様!!」

「あわわわわ…」

「ひいぃ。ドゥ・ザン様ぁ!!」

ホログラム?…幽霊?…いや、ホログラムのはずだと思おうとするが、誰もが恐怖に凍り付き、思考が停止してしまっていた。そんな中でドゥ・ザンは薄笑いを浮かべたまま、橫たわるギルターツに向け、嘲るように言い放つ。

「このドゥ・ザンがかに用意しておった、取っておきの毒酒。とうとう飲みおったわ、大たわけが!」

禍々しいドゥ・ザンの言葉に、居合わす誰もが顔を青ざめさせる。

「おぬし如きが、儂(わし)に取って代わろうなど笑止千萬。大方(おおかた)己に迷いでも生じてここへ足を踏みれたのであろうが、それが運の盡きよ。けに迷うような者が、儂のように“マムシの道”を求めようなど、フハハハハハ…片腹痛き事この上なし。あとの積もる話は地獄でしようぞ、ギルターツ!」

そう続けたドゥ・ザンのホログラムは、またもや発した乾いた笑い聲を殘して、すぅ…と溶けるように消え去って行った。

茫然としていた側近達が我に返り、ギルターツの狀態を確認するとやはり、すでにこと切れており、背筋の凍るようなこの出來事は、誰かによる暗殺事件という認識を超えて、“ドゥ・ザン様の呪い”として、イースキー家を震撼させる事になったのである………

▶#16につづく

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