《視えるのに祓えない、九條尚久の心霊調査事務所》寒い夜、怪しすぎる男

「捨てるなら、私にくれませんか」

時刻は真夜中。真冬の容赦ない寒さがを突き刺す。しでも息を吐けばそれは白く空へと昇る。手先は寒さでかじかんで痛みを覚えるほどだった。空は私の気持ちとは裏腹に星空が綺麗に輝いていた。人気などじなかったのに、背後から突然抑揚のない聲が聞こえた。

冷え切った手で目の前の柵を握っていた私は聲に驚いて一度手放した。すぐに背後を振り返る。

暗闇の中に見えるその顔は真っ白だった。白い、白いトレーナー。羽織っているコートとパンツは黒で、モノトーンな出立だった。

鼻筋がすっとびた顔は日本離れした顔で綺麗だけれどどことなくじさせない恐ろしさもあった。年は20代半ばくらいだろうか。せっかく綺麗な顔立ちなのに無造作にばされた黒髪は彼の嗜みの無頓著さが窺えた。

やや貓背の彼は寒そうに手をコートのポケットにれたままもう一度言った。

「捨てるなら。くれませんか」

男の口元から白い息がれる。

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黒い瞳で私を見つめた。真っ直ぐな目にたじろぐ。

「は、あの、捨て…?」

「捨てるんでしょう」

キッパリとそう斷言したのを聞いてはっとする。彼が言いたいとこが分かったのだ。

私はその視線から目を逸らす。冷え切った手をこすりあわせて平然を保った。

「何のことですか、私にはさっぱり」

「どうせいらないのなら私にください」

ぶっきらぼうな言い方にしむっとして眉を潛めた。

「……いいえ。あなたにあげれるものは何もないので。では。」

「悪いようにはしません」

「だから。何のことか」

「いらないんでしょう?命」

ストレートに言われてが鳴った。つい口籠る。

男はふうと息をついて空を見上げた。

「こんな真夜中にこんな廃墟ビルの屋上で何をするかなんて考えなくても分かりますね」

「……いらないとはいえ見ず知らずの男に差し出して自由に使わせるつもりはないです」

死のうとしてるを手にれてどうする気か。そんなのこのポンコツ頭でも考えりゃ分かる。

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例えば臓売買?風俗に沈めるとか?

冗談じゃない。こちとらもうこれ以上辛い目にあいたくなくて死にたいのに、何で敢えてそんなヤバいことしなきゃならないんだ。ここではいでは、ってついてくはいるのか?いくら男が形でもさすがにそれはない。

「というわけで、帰りますさようなら」

私は口早にそう言い殘すとそそくさと男の橫を通り過ぎた。時間かけて登ってきた階段を今度は降らねばならないのかと思うと憂鬱だ、まさか邪魔がるとは。

半分壊れたような屋上の扉が風にキイキイと靡いてるのを聞きながら、急いでそれを目指して足を進める。

「あなたのその『能力』を有効に使える仕事があります」

背中に投げつけられた言葉につい足を止めた。

男をふりかえる。

彼はまた無表でポケットに手をれたまま、じっと私を見ていた。

「………は」

「邪魔だと思っていたその能力を、あえて活かしてみませんか」

「なん……」

「どうせいらないなら。私に任せてみませんか。悪いようにはしませんよ。」

丁寧な敬語と抑揚のない話し方がアンバランスだった。

……何を言ってるのこの人は。

まさか、『あの』こと?そんな、どこからか調べたんだろうか。だとしたら、一それを使って何を?悪巧みか、金儲けか。

呆然とし返す言葉をなくしている私をよそに、男はポケットからゆっくり手を出し、長い人差し指をゆるくばして右手を指した。

私はそちらに目を向ける。

「例えば、あんな風に永遠にここに居殘るのがあなたのみなんですか」

彼が指差した場所には、がいた。

どくんとが鳴る。

髪の長いはこちらに背を向けたまま俯いている。セミロングの黒髪だった。Tシャツにジーンズを著ている。古びた柵より向こう側に立つその姿が、正常なものではないと語っている。ただただ無言で、は立っていた。

「ま……!」

は飛び降りた。私は短く悲鳴を上げる。

自分の口を両手で押さえながらも、ふと、周りが風の音ぐらいしか聞こえないことに気がついた。

……ああ、まさか。

キイキイと背後から音が聞こえた。屋上の扉が揺れる音だ。

がして息を飲んだ。ゆっくりとそちらに目をやる。

先ほど飛び降りたが、再びってきた。初めて顔が見える。別段変わったではない、そこいらにいそうな平凡なだ。それでもその表は暗く絶そのものを指していた。一點のみ見つめて歩いていく。

そして柵を乗り越え、淵に立ち、また暗闇に飛び込んでいく。

ああ、やはり。

「繰り返すんですよ。永遠に。」

無慈悲な聲が聞こえた。だが今、私の心の中を大きく支配しているはたった一つだった。

目を見開いて男を見る。私をじっと見つめるその瞳はまるでガラスのようだ、と思った。

「あなたも……見えるんですか……?」

私が尋ねても、男は何も答えなかった。

自分でも正気を疑うが、私は男についてきてしまった。

長い階段を無言でゆっくり降り、外にようやく出てみればタクシーが止まっていた。

男は何も言わずにそこに乗り込み、私を呼び込んだ。仕方なしに従い車が発車された。

いやしかし、なぜこんな真夜中にタクシーでわざわざこんなところに來たんだ??

ここは私が調べに調べ抜いた廃屋ビルだ。周りに人気もなし。飛び降りた後誰かにぶつかる心配もなく死ねるかと思ってたのに、私の計算違いだったのか。

恐る恐る隣の男の顔を見た。やはり羨ましいほどすっと高い鼻。ひとつない白い。ハーフとか、クォーターとかかな。でも瞳のは黒だ。

男は何も言わずにぼーっと一點を見ているだけだった。人をっておいてこれからどこに行くのか、名前は何なのかを教えてくれるそぶりもない。

……やっぱりヤバいやつについてきちゃったのかも。

早速後悔し始めた自分は冷や汗を掻きながらソワソワと目を泳がせた。唯一の救いとばかりにタクシーの運転手さんの顔を見てみれば、中年のおじさんは完全に表が固まってた。そらそうか、あんな不気味なビルの前に一人殘されて、客は無想で無言の男だし、きっと彼が誰より後悔してるに違いない。凄い客を乗せてしまった、とな。

小さく息をついて自分のこぶしを見つめた。隣の男に話しかける勇気はなかった。

「黒島さん」

「ひゃっ!」

突如呼ばれて聲がれた。それはしんとした車に急に聲が響いたのもあるけど、なんといっても、

「わた、私名前言ってませんけど?」

教えてもない自分のフルネームを呼ばれた事に対する驚きだった。

男は飄々とした顔でこちらを覗き込んでいる。ああ、やっぱり綺麗な顔なのにどこか摑めない不思議な人だ。

「ああ、すみません。ちょっとしたツテで知りまして」

「ツテ……?」

「まあそれはいずれ分かると思います。それより、今からご案するところは私の事務所です」

「!! 事務所って!」

やっぱりヤがつくような怖いところ…!?びくんと飛び跳ねた私に、彼は言う。

「勘違いしないでください、私が経営してる小さな事務所です。怪しい事は何もしてません」

「…は、はあ…」

ほっとで下ろす。ヤバいところに連れて行かれるのかと思っちゃった。

「えと、どんなお仕事を…?」

「それもすぐに分かります、あなたに向いてるところですよ。ところで黒島さん住む場所もないですね?」

「……あのだからどこでそれを」

辺を綺麗にしてから死にに行くなんて律儀ですね。狹い事務所ですがしばらく寢泊まりに使ってもらっていいですよ、仮眠のためのベッドがありますから。し働いてみて続けるか決めてください。」

「……あの、どうしてそこまでしてくれるんですか?」

「あなたが優秀な能力をお持ちの方だと知ったので」

「だからどこで?」

「いずれ分かります」

全然要領を得ないやつとの會話はそこて途切れた。気がつけば周りは明るいところに出ており、タクシーが一つのビルの前に停車したからだった。

ほっとしたような顔の運転手に男はお金を差し出した。財布ではなく、ポケットからそのまま出したお金だ。

窓から辺りを見回すも、思ったほど怪しそうなビルではない。小さめだが小綺麗なよくあるビル。道はそこそこ車通りのありそうな広さに、周りも似たようなビルが並ぶ。時間が時間だけに街頭のみでひっそりとした道だが、晝間ならなかなか明るい道かもしれない。

隣の男はのそのそとゆっくりきタクシーを降りようとして、最後の最後で頭を打っていた。中々の大きな音が車に響く。運転手さんも思わず振り返った。噓でしょ、そんなところ急いでもないのにぶつける?

唖然とした私には目もくれず、不機嫌そうに眉を潛めたその人はポリポリと頭を掻いた。

「……痛いです」

「………」

「黒島さん、降りないんですか」

そう言われて慌てて続いた。頭は打たないように気を付けた。

タクシーの運転手はほっとしたようにようやく笑顔を見せて、ドアを閉めて発車した。

なんとなくそれを見送っていると、男はそんな私を気にもかけずに階段を登っていくのに気がついて慌てて追った。隨分マイペースな人らしい。

やや狹い階段をなんと5階分も登らされた。なぜエレベーターを使わない?確か階段のすぐ隣にあったはずなのだが。

れてきた息をなんとか沈めながらついていくと、ようやく階段から解放され、一つの扉の前にたどり著いた。

看板もプレートも何もない事務所だった。

「…あの、ここの名前って」

聞こうとしたが男はそそくさと中へっていってしまう。私はまた慌てて追いかける他ない。なんなの、ちょっとマイペースすぎません?

中は確かにさほど広くはない事務所だが、それなりに小綺麗にしてある部屋だった。真ん中には來客用とみられる黒い革のソファにガラスのテーブル。そこには指紋一つついていなかった。

し離れた窓際にはデスクと椅子がある。デスクには何やら山積みの紙類と、ポッキーが置いてあった。ここだけ雑さをじる。

私は辺りをチラチラみながら、気まずさに立ち盡くす。勝手に座るのも何だし。

男はゆっくりとした歩調でソファまで歩み寄ると、ドサリとそこに腰掛けた。

どうぞ。…の一言がようやく出るのかと足を踏み出した瞬間。

「…ふぁ…」

彼は大きな欠を一つかますと、そのままソファにゴロリと橫になった。長がそこそこあるため完全に足がソファからはみ出てる。靴すらいでいないので、履いている黒い革の靴の裏が見えた。あ、ガム踏んでる。

……ってそうじゃない!!

私は!?

「あ、の!!」

慌てて聲をかけると、もうすでに閉じていた目を半分ほど開けた。

「わ、私はどうすれば!」

あなたの名前も! ここが何なのかも! なぜ私に聲を掛けたのかも! 何も聞いていない!!

彼はああ、と小さく聲をらした。そしてめんどくさそうに起き上がる。

「そうでした」

「そうでしたって」

「あなたはこちらへ」

彼は立ち上がって部屋の隅にある白いカーテンへ向かった。シャッとそれを開ける。私もついて覗いてみると、中にはキッチンが見えた。キッチンと言ってもコンロが一つだけの小さなもの。更に奧には簡素なベッド。シーツに薄い布があるだけのものだ。

「あなたはここで寢てください。では。」

「……は!?」

驚いて彼を見上げるも、すでにまたあの黒いソファに戻っていく途中だった。私は慌てて話しかける。

「いや、あの、寢るって!」

「こんな時間なので眠いです。おやすみなさい」

「そりゃ眠いでしょうけど!」

カーテン一枚仕切られただけの部屋に、さっき會ったばかりの男と寢ろってか!

名前も年も知らない能面な男と!

そう抗議しようとしたが、彼がこちらを見てきて目が合った瞬間、言葉が埋もれた。

ガラスみたいな黒い瞳が綺麗だ。吸い込まれそうなほど。

白いは電気のついた明るい部屋ではなお白い。髪は風に靡かれたせいか酷くボサボサなのが殘念でならない。

「何か問題でも?」

薄いがそう告げた。

ぐ、と言葉を飲む。

なんだか意識してるのは私だけと思い知らされる言い方だった。そんな風に言われては何も言えない。

「…いえ、明日、々聞かせて頂けますか」

「ええ、もちろん。おやすみなさい」

彼はそれだけいうと、またソファにゴロリと寢そべり、ものの數十秒で寢息を立て始めた。どう見ても狹くて寢辛そうなソファだけど、それは私がベッドを奪ってしまったからなのか。

(…やっぱり、間違えたかな…)

同じように『視えざるもの』が視えるのだと激してついついてきてしまった。あの人が誰かも分からないのに。

……でももう、しょうがない。

私は無言で白いカーテンをそっと閉めた。どうせ死ぬつもりだったんだから、どうにでもなれ、だ。

し固めのベッドにを沈めると、そのまま眠りに落ちた。

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