《視えるのに祓えない、九條尚久の心霊調査事務所》穏やかな別れ
「……うそ」
つい驚きで呟く。さっき名取さんの背後にいた時とはまるで別人だったからだ。悪意のオーラも伝わらない、普通の霊だった。
「どうしました」
「さっき名取さんの後ろにいた時は……恐ろしい顔してたんですが……今は、穏やかになってます。普通の人みたい」
これほど変わるものなのか。恨みの原因が判明しただけで。まるで別となっている。
九條さんは隣で納得したように頷くと、すずさんに向かってゆっくりしゃがみ込んだ。彼からは黒い塊のようにしか見えていないすずさんは、ただ何も反応なく座っていた。
「どうですか。あなたの思い殘したこと、解決しましたか」
丁寧な九條さんのゆっくりとした口調に、ピクリとすずさんが反応した。
息をするのも忘れてそれを見る。
霊という存在と意思疎通がとれるなんて……今まで知らなかった。すずさんは確かに聞こえてる。九條さんの言葉に反応した。
「ここにいてもあなたは辛くなる一方です。そろそろ上へ上がっては。次生まれ変わるがあるかもしれませんよ」
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不思議なことに、九條さんの聲は響いて聞こえた。ただの小さな個室の部屋に、エコーがかかっているよう。
張からいつの間にか手を強く握りしめていた私は、汗をかきながらその景を見守る。
すずさんはしばらく何も反応はなかった。しかし、す、とベッドから立ち上がった。
彼はまるで本當の人間みたいに小さな歩幅で歩み、部屋の出口へと向かった。そして一度だけこちらを見、僅かに微笑む。
あ……いっちゃうんだ。
小さな老人はゆっくり部屋から出て行った。その先はどこへ進んだかは分からないが、きっと溫かな場所であると私は信じたいと思った。
いつの間にか目からは涙が溢れた。どこか切なく、悲しく、神々しい景で、私の心を酷く揺さぶった。
「……出ましたね」
九條さんが呟く。頬に流れた涙を適當に拭い、私は彼を振り返った。
「凄いです九條さん……すずさん、びっくりするくらい穏やかな顔してました、あんなに穏やかな顔をした霊初めてかも……!」
「そうですか。私は向こうの顔は見えないので」
「凄いです……よかった。あんな可らしいが悪いモノに変わるなんて辛いです。今回、すずさんが元のすずさんに戻ってよかった……」
「多分これで怪奇な現象は収まるでしょうね」
正直、不思議な現象がなくなることよりすずさんが穏やかになってくれたことの方がずっと嬉しい。
痛みや孤獨と闘って、彼はようやく安らかな時間を手にれられたのかな。
「……あなたのおかげですよ」
九條さんがぽつんと言ったのを聞いて彼を見上げる。
「黒島さんはられたせいで大変な思いをしたと思いますが。あなたの経験なくては解決できませんでした」
「そ、そんな……」
「あなたをってよかったです」
自分のこの不思議な力が何かの役に立つだなんて思ってもいなかった。邪険に扱われ、変人だと笑われた人生だった。
……それでも、すずさんの最後の優しい顔を見て、しだけこの力があってよかったと思えた。
彼を苦しみの闇から救い出す手助けができたなら。
「あ、そういえば」
「なんです」
「麻薬の金庫の鍵が開かなくなるのはすずさんなりの名取さんへの非難だったと分かりますが、救急カートの鍵はなぜでしょう? 鍵繋がりでついでですか?」
私が尋ねると、九條さんは腕を組んで考えた。
「これは私の憶測ですが。
神谷すずは認知癥もあり、延命治療をしないという判斷は家族がしていたと思います。末期癌ですしその判斷は當然だと思いますが……
本人は、しでも生きたかったのかもしれませんね」
どきっとが鳴る。
九條さんの言葉が、私のに落ちた。
痛みも強く、抑制され、辛かった毎日。でも彼は1日でも長く生きたかったのだろうか。家族がいたり、する者がいたんだろうか。
……私は。
病気でもないしまだ若い。それを自ら放棄しようとした。生きたくても生きられなかった人だっているのに。
心の中がざわめく。後悔と、悲しみと、言いようのない複雑な思いが絡まってほどけない。
自分の拳を握ってそっとに抱いた。九條さんはそれ以上何も言わなかった。
自らの命を斷つ事が愚かな事だと私は知っている。
ただあの時どうしても、もうこの世に味方が一人もいなくなってしまった私にとってこの世界はあまりに辛すぎた。
……でも。
同じ能力を持って気持ちが分かってくれる人がいるならー
九條さんに話しかけようとした時、廊下から慌ただしい足音が聞こえて田中さんが顔を出した。その表はやはり青ざめ焦っている。それだけで、名取さんの罪が明らかになったんだろうなと分かった。
「あ、あの……九條さん」
田中さんが震える聲で呼びかけてくる。見れば背後に、50歳くらいのがいた。その人もまた、顔を悪くしてこちらを見ている。
二人は私たちが返事をする間もなく、部屋にってきて凄い勢いで頭を下げた。
「お願いします! 名取のこと……院長に……後藤には言わないでもらえませんか!?」
「……へ!」
予想外の言葉に私は変な聲が出てしまう。しかし隣の九條さんは、ポケットに手をれたまま無表で二人を見さげていた。
田中さんの隣にいたが頭を下げたまま言う。
「申し遅れました、私師長です。今回はまさか鍵が開かないということからこんなことに……どうかその、名取にはこちらから厳しく言っておきますので、に出來ませんか……!」
「……え、そんな!」
隠蔽するということ!?私は驚いて二人を見る。
田中さんは顔を上げて、言いにくそうに述べた。
「確かに名取のポケットから注が出てきて……本人も認めました、麻薬の點滴を生理食塩水がったとすり替えて盜んでいたようで……」
「ですが彼は魔がさしただけで! 普段は優秀な看護師ですし、そのどうにか…」
必死に言ってくる師長さんに呆れる。麻薬を盜んでいたなんてれっきとした犯罪なのに、それを責任者二人が隠そうとしている。
隣にいた九條さんは眉一つかさず言い捨てた。
「まあ、責任を問われるのは名取看護師だけでなくあなた方もですもんね。ずさんな制管理が公になる。」
二人は言い返せず口籠った。彼はなおも続ける。
「魔がさしたと言いますが名取看護師は初犯ではないでしょう。まあ今までのことに関しては証拠がないと言われればそれまでですが。
殘念ですが今回の事件解決のあらましは依頼者である後藤さんに説明する義務がありますので。その願いはけれられません」
キッパリと言った九條さんにホッとした。ここで名取さんが罪を逃れるような事があれば、同じ事が繰り返されるかもしれないし、何より神谷すずさんが報われない。
田中さんと師長さんはガックリ項垂れた。責任者としての苦悩は私には分からないが、九條さんが言っていた通りずさんな管理が原因の一つなのだから、二人も責任を負うのは仕方ないと思っていた。
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