《視えるのに祓えない、九條尚久の心霊調査事務所》エレベーター
結局、それ以降いくら歩き回っても霊と出會うことはなかった。
疲れ果てた私たちは一旦部屋へ戻り、部屋が揺れた時の様子を録畫で確認してみたが、そこには何も映っていなかったし、び聲も録音されてはいなかった。
夜も更けたので二人してし睡眠をとり、翌朝に持ち越したのだ。
まだ覚醒しきっていない頭でふらふらと洗面室にいく。眠い瞼に必死に命令しながら簡単に支度を整える。
現在朝の八時だ。眠りについたのは結局朝方になった頃だ。九條さんは床でまだ眠っている。私が寢た後も、録畫した映像を何度か見直しているようだった。
霊を探すには、人の出りがない夜が理想的だ。晝間では住民が行きうだろう、そこで不審者扱いされる可能が高いので、できれば夜の間に霊に接したかった。
が、あの一瞬のみであとは空振り。疲労だけが溜まった狀態で朝を迎えることになる。
ざっとシャワーを借りて頭を冴えさせた。歯を磨きながら、近くのコンビニに走って何か買ってこようか、とぼんやり考える。昨日の夕飯は事務所から持ってきたインスタントとかお菓子(主に例のあれ)だったし、今日はもうしまともなものを食べたい。
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九條さんが起きる前に行こうと決意し、私はそのまま外へ出てコンビニに向かった。
確かマンションのすぐそばにコンビニはあった。開発が進んでいる場所ともあって、利便さは文句なさそうだ。コンビニも出來て間もない新しいものだろう。
さてまずは一階に降りようか、と考えた時、エレベーターと階段どちらを使用しようか迷う。どちらも霊の目撃証言がある。ぶっちゃけ両方使いたくない、しかし殘念ながら私には羽がないので一階まで飛び降りることはできない。
「まあ、朝だしなあ。夜より全然安心だよね。面倒だしエレベーター使おう」
私は獨り言を言いながら、エレベーターを呼び出した。
上を見上げると、現在一階に停まっているらしい。私の呼び出しに反応し、こちらに上昇してきてくれるのをランプでぼんやり眺める。三が點燈した時、扉が開いた。
中には誰もいなかった。まずはそれを確認する。ホッとして中に乗り込み、すぐに閉じて一階のボタンを選択する。寒さから逃げるように手をポケットにれた時、下降しているのではなく上昇していることにきがついた。
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(ああ、上で誰かが呼び出したのか)
そう思い深く考えず、る數字たちをぼんやり眺めている。非常にゆっくりした速度でようやく四階に著いたとき、あれっと頭の中に疑問が浮かぶ。
自分のいる階より上の人が呼び出している場合、まずそちらに行くのは普通だ。雙方乗せてから下りた方が効率がいいから。だからさっきも、特に何も思わなかった。
でもだとしたら先ほどの狀況はちょっとだけおかしい。
そういう場合、三階で停止せず素通りし、まずは上の階にいくはずだ。そして下降しながら三階で停止し私を拾う。二人乗せて一階まで下りる。私のいる階で停まるのは変なのだ。
まだ起きて間もないためか回り切らない頭で必死に考える。
私間違えて呼び出す時に上ボタンを押したんだろうか。うん、だとすれば納得がいく。でもそんな間違いするだろうか。眠かったから? だからかもしれない。
そう言い聞かせつつも自分の元はバクバクと音を立て始めた。の中のどこかが警告している。上を見上げると、さっき四階を通ったはずなのに、まだランプは四が點燈している。時間が遅い、何かがおかしい。
私はすぐさま五のボタンを押した。早く降りなきゃ、そう思う焦りの気持ちからか、無駄だと言うのにボタンを連打してしまう。降ろしてほしい、すぐに、今すぐに。
だが、目の前の扉は開いてくれなかった。それどころか、ランプは四のままいていない。はっとすると、そういえばエレベーターがいている覚が消えてしまっていることに気がついた。
「と、止まってる?」
耳を澄ましてもやはりどんな音も聞こえない。なぜ気づかなかったのか疑問だが、エレベーターは停止しているのだ。無音だけが私を包む。広いとは言えない閉鎖的な空間。真っ白な壁がこちらに迫ってくるような錯覚に襲われ、全を悪寒が走った。
「だ、誰か!」
私は目の前の非常ボタンを押す。ただの故障なのだろうか、それならまだいい。でも新築マンションにある新品エレベーターが故障だなんてありえるのか。もし霊障だったら。
非常ボタンを強く押していると、すぐそばにあるスピーカーから何やら音がした。ガサゴソと聞こえるそれは、相手がマイクの側でいている音だとわかる。
「すみません! エレベーターがきません!」
私はマイクに向かってぶ。スピーカーからは音だけが聞こえるがまだ人の聲は屆かない。接が悪いのだろうか、でもこちらの聲は聞こえているかもしれない。
「閉じ込められました、助けてください!」
すがる思いでそう告げると、突然向こうから聲が聞こえた。機械越し特有のどこか無機質な聲だ。
「はあい」
それだけ言った聲はの聲だった。
私は無言でじっとスピーカーを見つめる。相手がの人だった、それだけのこと。警備室か、管理人室かよくわからないが、がいてもおかしくない。
それでも言いようのない不安に包まれた。私はゆっくり後退りをする。
同時に、スピーカーの向こうから先ほどとは違う規則的な音が聞こえてくることに気がついた。
とん、ずるる とん、ずるるる とん、ずるるる
ゆっくりした速度だ。何かが落ちたような音の次に、引きずるような音。それが繰り返し聞こえる。
おかしい。何かが変だ、この不愉快な音は一何?
ガクガクと手が震えてくる。そこではっと、自分が持っている鞄の存在を思い出した。慌ててそこからスマホを取り出し、九條さんを呼び出す。
寢ていたけど、調査中の九條さんはいつもすんなり起きてくれるから。きっと気がついてくれるはず!
祈りながらコール音を聞いていると、すぐに相手が出た。安堵に満ち、頬を緩ませた。
「九條さん! 今私エレベーターに閉じ込められたんです! すぐきてください、なんか様子が変で」
『はあい』
耳に屆いたのは、そんなの聲。
そしてまた聞こえてくるあの不快な音。
とん、ずるる とん、ずるるる
私はんで電話を放り投げた。壁に當たったスマホはそのまま地面に落下していく。立っていられなくなった自分は壁にもたれたままヘナヘナとその場にしゃがみ込んだ。
耳を塞ぐようにしてうずくまる。何なんだろうあの不快な音。
聞こえないようにしているのに、音は私の脳までってくる。気がおかしくなりそうだった。そしてそれが、スピーカー越しだけの音ではなくなっていることに気がついた。
扉の向こうからも同じような音が聞こえる。微かだけれどわかる、私には屆いている。一何の音なの、何を引きずっているの。
そこまで思ってハッとした。昨日のの霊を思い出す。
外傷がひどくて、足も片方は変な方向を向いていた……
「……引きずりながら歩いている音だ」
そう気がついた瞬間、エレベーターのドアがどんどん、と叩かれた。全が跳ね、息すらできないほどに苦しい。
いる。
ここに、
いる。
「來ないで! こっち來ないで!」
そうぶと同時に、これまで一ミリもかなかった扉がしずつ開いていくのが見えた。息をすることすら忘れ、私はただ隙間の向こうに立つ人を見つめた。
眩しいほどの白い背景の中に立っているのは、やはりあの人だった。半袖のブラウスに黒いスカート。関節が折れ曲がった手足。昨晩見たそのままの姿のが何も言わずに立っている。
だが一つ、昨日と違う點があった。昨日は俯いて見えなかった彼の顔がこちらを向いていたのだ。その悲慘な顔を見て私はぶことすらできない。
の右目辺りの顔は完全に陥沒していた。真っ赤ながべっとりとついている。まだ出をしているように、そこからがたらりと垂れて床を汚した。目を閉じたくなるようなグロテスクさに言葉を失う。
彼は私をみている。左目だけでじっとこちらを見ている。
「ここ、來ないで、ください……」
蚊の鳴くような聲をやっと絞り出す。完全に力がらず立ち上がることすらできない。しかし、は私の言うことを聞いてくれたのか近寄ってこなかった。エレベーターに足を踏みれることはせず、ただその場に立ち盡くしている。
ぎょろりと、左目がく。この空間の中をしっかり確認するように、目玉が何度も左右いた。繰り返し繰り返しくその姿を見て、この人の眼中に自分がいないということに気づく。
……もしかして誰かを探している?
そう、その人は必死に何かを探していた。私ではない何かを。ビジュアルの恐ろしさに恐怖心が大きかったが、一度自分を冷靜に落ち著ける。だてに一年もこの仕事をやってきたわけじゃない、しは余裕というものができている。
彼からは攻撃的な思いはじられない。むしろ焦燥と悲しみだ。
その予想が當たっていたというように、次の瞬間その人の左目から大粒の涙が溢れた。真っ赤に充した目から、とめどなく水がこぼれてくる。そしてゆっくりそのを後退させた。
「あ、待って! 何を探してるの!?」
慌てて聲をかけてみるも、霊との會話は九條さんの特技だ。案の定彼は何も反応なくゆっくり方向を変えていく。せっかくこんなに近づけたのに、何も得るものがないなんて。
焦った時、ふと昨晩のことを思い出した。九條さんが言っていたことだ。
「『まこと』?」
揺れがあった時、そうぶの聲が聞こえたと言っていた。もし、あの聲とこの人が同一人ならば、この名前に聞き覚えがあるはず。
ビンゴだった。は分かりやすくびくんと肩を跳ねさせた。そして再び私の方をゆっくり向いたのだ。左目がまんまるに開かれ、こちらを見ている。
この人なんだ。あのび聲の主、この人だったんだ。
私はそう確信し、もう一度聲をかけようとした時だった。
突然の人が口を大きく開け、そのから甲高いび聲を発した。だらりと垂れた真っ赤な舌が揺れる。あまりの音量と耳につん裂くような高い聲に目を反的に閉じた。もはや何かのサイレンのような聲だった。
その聲はやはり、昨晩聞いたあの聲と同じだったのだ。
(興させたかも……! まことが大事なキーワードであることは間違いない)
そう確信し、頭痛のようにガンガン鳴る頭をなんとか回転させ、再びに話しかけた。
「それは……!」
正面を向いた時、目の前にあったのは無機質なシルバーの扉だった。今の今まで耳を突き刺していた悲鳴はいつのまにか消え去り、代わりにエレベーターのく覚が伝わってくる。
あ、あれ? 消えた?
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