《視えるのに祓えない、九條尚久の心霊調査事務所》謝罪

ゆっくりとした歩調だ。片足だけで懸命に進んでいる明穂さんの音だとすぐにわかった。だが聞こえているのは私と九條さんだけらしく、他のみんなはぽかんとしている。

九條さんが険しい顔で言った。

「明穂さんがきます」

「え……」

靜まり返ったエントランスに、音が徐々に大きくなってきた。目を凝らして見つめていると、白い壁に何やらボヤッとしたものが浮かび上がってくる。

紛れもなく明穂さんだった。出まみれのを痛そうにかしながら、ゆっくりと歩いてくる。私たちには目もくれず、何かを必死に探している。

は聡や信也をすうっと通り抜けた。本人たちはまるで気がついていない。そしてしゃがみ込んだままの真琴さんたちの前に來る。その時、九條さんが口を開いた。

「大坪明穂さんですね」

ピタリ、とその足は止まった。自分の名前に反応したのだ。

うつむき気味だった明穂さんがゆっくり顔を上げた。たった今出したかのようにがテカテカとっている。その目がぎょろりといて九條さんを捕らえた。

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「娘である真琴さんを探しているんですね」

真琴という言葉に、彼はびくっと反応した。ワナワナと全を震えさせる。今にもび出しそうに口を開けた時、九條さんがはっきりと言った。

「真琴さんはここにいますよ」

明穂さんが止まる。

「明穂さん。あの事故で、あなたは即死しました。目の前で真琴さんを轢かれたのを目撃した後に亡くなったのは非常に無念でしたでしょう。

ですが、真琴さんは一命を取り留めています。あれから十三年、あなたの目の前にいるのが真琴さんですよ」

はゆっくりと視線を下ろした。奧田さんに抱かれるように、真琴さんは座っていた。やはり母親の姿は見えないらしく、でも目から涙をこぼしながら必死に辺りを見渡して探している。

「お母さん……お母さん」

明穂さんは目を見開いたまま真琴さんを見つめた。時が止まったかのように瞬きすらせず真琴さんを見つめている。目の前で轢かれた小さなが、こんなに立派なになっていることに驚いているのかもしれない。

時が止まったように沈黙が流れ、それを私と九條さんはじっとひたすらに待った。

渇いた明穂さんのく。確かに呼んだ。

『まこと』

ようやくいた。傷だらけの足を曲げてそっと床にを下ろす。真琴さんの正面に座った明穂さんが、何やら小聲で呟いた。私にはよく聞こえなかったが、九條さんには屆いたようだ、明穂さんに代わってはっきりした聲で言う。

「『あの日、お菓子を買いに行こうとってごめんなさい』」

聞いた真琴さんははっとした顔になる。悲痛な言葉に、私は堪えきれず目頭を熱くした。その謝罪が何を言いたいのかわかっているからだ。

ったのは明穂さんだったの。自分がったせいで、あの日事故に遭ったとずっと苦しんでいた。何も悪くないのに自分を責め続けていたんだ。

真琴さんは涙で顔をぐちゃぐちゃにしながらんだ。

「違う、お母さんのせいじゃない、お母さんを恨んだことなんて一度もない!」

「『でも、本當はその前の日に行くはずだったのに、私が風邪を引いてしまったから』」

「そんなの恨んでないよ、お母さんは悪くない」

「『あなたまで事故に巻き込んだ』」

「私はいつでもお母さんと駄菓子屋に行くのが楽しみだったんだよ。あの時間が一番好きだった。それだけはかけがえのない思い出。見て、私今お腹に赤ちゃんがいるの」

さんはハッとしたように真琴さんの腹部を見た。やや膨らんでいるそれを、真琴さんは優しくでる。

「事故の後、思い切り走ったりするのは難しい後癥はあるけど、普通に生活する分には十分だよ。中學から付き合ってた彼氏と結婚して子供も出來た。私この子が生まれたら、駄菓子屋に連れて行くのが夢なんだ。いつも行ってたあそこは潰れちゃったけど、他に探して絶対行く」

真琴さんは必死に笑顔を作った。そんな彼を、明穂さんはただ無言で見つめている。しばらくして、明穂さんは一人、何度か頷いた。

恐る恐る、真琴さんの腹部に手をばした。まみれの手で、れることのできないそれを、たいそうおしそうにでる。

その瞬間、風が吹いたようにじた。

傷だらけだった明穂さんの姿が一瞬にして、生前のように綺麗な狀態に姿を変えた。痛々しい傷が全て消えたその姿ははとても可らしいだった。半分すきとおった形に、神々しささえ覚えた。

優しい顔立ちで、娘のお腹をでる。その目からしい涙が溢れる。嬉しさと、安心と、悲しみの混じった表だった。

娘が幸せに生きてくれている喜び。それを見守ることができない自分への悲しみ。

「お母さん、私は幸せにやってるよ。もう探さなくても大丈夫。お母さんも苦しまないでほしい」

嗚咽をらしながら真琴さんが言った。明穂さんが頷く。一度奧田さんの方を見て頭を下げた。何も見えていないはずの彼が、なぜかしたって自分も返すように頭を垂れた。

「『あまり甘いものばかり、買っちゃだめよ』」

そう言い殘した彼は、すうっと消えた。音もなく、ほんの一瞬で。

九條さんもそれに気づいたらしく、ぼんやり上を見上げる。

真っ白な天井に眩しい照明を見つめながら、九條さんが言った。

「消えました」

「え……」

「明穂さん、消えました」

眠れたかな、今度こそ。

ある日突然命を奪われてしまい、本人が一番戸っただろう。やり殘したことも沢山あった。でも、真琴さんが幸せでいることが何よりの供養だ。

私は涙でいっぱいになった顔面を一度暴に拭くと、真琴さんに先ほどの景について言った。これは私にしか分からないことだ、ちゃんと伝えねば。

「明穂さん、ずっと事故直後の痛々しい姿だったんですけど、真琴さんと話しているうちに、いつのまにか綺麗な姿に戻ってましたよ」

「え」

「真琴さんのお腹を優しくでてました。きっと元気な子が生まれますよ!」

私がそういうと、真琴さんは大聲で泣き出した。それはまるで子供のようで、奧田さんが必死に背中をさすってめている。

お母さん、と泣きじゃくるその姿は、悲しいけれどしかった。お互いにされたこの親子が、最後にこうして會えたことは奇跡だと思う。

ずっと會いたかったんだね、明穂さん。よかった。

ゆっくり目を閉じて、先ほどの明穂さんを思い出す。が溢れている、あれこそが母と思わせる姿だった。

(……どうして)

どうして、あれほどに満ちている母と、子をげる母がいるのだろうか。

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