《視えるのに祓えない、九條尚久の心霊調査事務所》満月を前に
沈黙が流れる。ようやく暖まってきた車は、音楽もラジオもかかっていない。だからこそ、私が鼻を啜る音が響いてしまう。
あれでよかったんだよね。だってもう、信也にはない。多分、が殘ってるだけ。こんな狀態で付き合い出してもうまくいきっこない。
それでも、今まで過ごした思い出がいくつもいくつも転がって出てくる。ああ、あんなことあったな、なんて。思い出そうとしてるわけでもないのに、勝手に脳が引き出しを開けてくるのだ。
初心者はこれだからいけない。別れるのも初めてなんだもの。
開発途中の道は新しく綺麗だった。けれど工事中の土地が多く、燈りがない。暗く空いている道を走らせていると、目の前にコンビニが一軒みえた。
それまで黙って運転していた九條さんは、突然コンビニに車をれた。ガラガラに空いていたが、彼は広い駐車場の端の方に駐車させた。不思議に思っている私が何か言う暇もなく、さっさと一人車を降りてコンビニにって行ってしまう。え、急になに?
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トイレかな。ポッキーでも食べたくなったのか?
彼の変な行は珍しいことではないので、私はそのまま待った。するとほんの一、二分で九條さんはコンビニから出てきて、再び運転席に座り込んだ。
そして、手に持っていたペットボトルを私に差し出した。
「どうぞ」
溫かなミルクティーだった。
「……ありがとうございます」
ありがたくそれをけ取る。手のひらが熱を帯びた。早速封を開けて一口のむ。かなり甘味の強いそれがに染みるようだった。
もしかして、私がけなくも泣いてたから、気を遣ってくれたのかな。
彼も同じを買っていた。無言でミルクティーを飲む音が微かに聞こえる。
両手でペットボトルを包みながら前を見上げると、綺麗な満月が見えていた。周りがあまり明るくないから、やけに幻想的でしい。
「何か言われましたか」
九條さんが言う。私は言おうか一瞬迷ったが、すぐに素直に答えた。
「よりを戻そう、と言われました」
「戻すんですか?」
し驚いたようにこちらを見てくる。私はし笑いながら答えた。
「戻しません。もう一年前に終わったことです。彼は過去の人であり、未來に信也はいないですから。
ただ、未練があるわけでもないのにどうも……寂しくて」
「結婚近くまで行ったのです、仕方ありませんよ」
もう一口飲む。ああ、甘い。甘黨の九條さんが選んできただけのことはある。私は買ったことがないシリーズだった。
目の前の満月を眺めながら、私は目を細める。
「九條さん。あの日、私を止めてくれてありがとうございます」
「……何度も言いました。あれは私の力ではないですよ」
「でも、私に聲をかけて、仕事にってくれた。渋る私に仕事を見せてくれて、心を変えてくれた。
九條さんがいなければ、私はこうして聡や信也と分かり合えることはなかった。死んで、幽霊になって、もしかしたら九條さんに浄霊されてたかも」
一人ふふっと笑う。九條さんは笑いはしなかったが、優しい目で同じように前を向いていた。
「いいえ。恐らく、あの時私が聲を掛けなくても、さんは死んでいなかったと思いますよ。あなたは死ぬ運命じゃなかった、それだけです。
あなたは痛みに敏です。人のに対しても。それが生きにくいとじることもあるでしょう。でも、それがあなたの長所です。この仕事をしていく上でも必要なこと。私としてはいい人材を得られたので、お禮を言いたいのはこちらです」
淡々と、でもどこか溫かな聲でそう言ってくれた。心臓を中心に、私のがどんどん溫かみを増していく。これはきっと、車のエアコンのおかげじゃなくて、ミルクティーのおかげでもない。
一年前、大変だった。
でも私は今、九條さんと伊藤さんに囲まれ、そして不仲だった妹とも関係を修復できた。お互いの誤解も解け、新たな一歩が踏み出せている。
なんて幸運なんだろう。
「今回、初めは心配しましたが、結果さんが言ったように依頼をけて正解でしたね。あなたが決斷しないとこうならなかった。聡さんのことに関しても、飛鳥さんたちのことに関しても。
辛い気持ちもあるでしょうが、きっとまたいいができます」
そう言った言葉を聞いて、私は何かを言いかけたが黙った。
普段マイペースキングのポッキー星人のくせに、この人はしい時に優しさをくれる。ぱっと見は分からないけど、九條さん自が優しさで満ちてる人だからだ。
そんなあなたを、私は好きになった。小さいけど確かなだ。諦めよう、と思っても、結局この気持ちは私を覆い盡くす。
そして……
そんな気持ちはもう、
一人では抱えきれないところまで來ていると、
自覚せずにはいられない。
「私……九條さんが好きです」
決して大きいとは言えない聲で、でもはっきりと言った。狹い車で聞こえないはずがない音だった。
目の前の満月が、私の心を押したのかもしれない。
今まで臆病だった私が一歩を踏み出したいと、そう思える気持ちが溢れて止まらない。
隣を見ると、九條さんが目をまん丸にしてこちらを見ていた。
それは闇に浮かぶ満月のようで、私は見つめ返すのが苦しかった。
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