《視えるのに祓えない、九條尚久の心霊調査事務所》うしろ

サラリと揺れるその髪は紛れもなく九條さんのものなのに、彼の顔面は塗りつぶされている。目の前にそれが降ってきたと同時に、び聲を上げてひっくり返った。

両手がこんななので上手くも取れず、思い切り餅を著いてしまう。

痛みで顔を歪めながら、九條さんを見上げた。

そこに、彼はいなかった。

あったのは靜かな道だった。車が二臺すれ違えるかどうかぐらいの細さ。両脇に古いアパートが建っていた。あまり舗裝がされていない凸凹道。人気はまるでない。

辺りは真っ暗だった。街燈も近くになく、離れたアパートから心もとない明かりがしだけ見えた。それすらも、うまく點燈できておらず何度か點いたり消えたりを繰り返している。

そして、

注意を促す黃と黒の縞縞模様。し先の足元には、線路。

踏切の真前に、自分は一人で立っていた。

「…………え」

聲がれる。事務所にいたはずなのに、いつのまにか見知らぬ場所へ來ている。混する頭を落ち著かせ、すぐに自分の首元をった。

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脈がないことを確認する。

ああ、られてる。気を強く持っていたというのに、あっさりられている。

それと同時に、今脈を見たばかりの腕を見た。五本の指がゆっくりく。布が巻かれていない事実に、サーッとの気が引いた。

これでは、首を絞めることができてしまう。

を覚えた。容易くられてしまい、手も自由になってしまっている。相手が容赦なく私に攻撃してきた証だ。両手が震えて言うことを聞かない。

落ち著け、落ち著くんだ。今までだって、強い相手でもなんとか出できたじゃない。きっと今頃現実では、九條さんと伊藤さんが私を叩いて水責めにでもしている頃だ。早く目を覚さなきゃ。

「いや、それより、これ」

自分の両手を見つめる。手のひらには、傷も伊藤さんがってくれたガーゼも見當たらなかった。そこが現実とは違うなと冷靜に思う。このままではあの時のように首を絞めることができる。自分じゃ絶対に止められない、なんとかならないものか。

「どうしよう……! 何か防ぐ方法を」

そう振り返ったときだった。

カンカンカンカン……

背中から甲高い音が鳴り響く。

再度ゆっくり振り返る。遮斷機が降りてくる様子が見えた。だいぶ年季のったそれは褪せ、し歪んでいる。暗闇の中、赤いランプが左右互に點滅する。そのと音が、自分の恐怖心を一気に煽った。

なぜかは分からない。今まで何度も見たことがあるはずなのに、その景は全ての終わりに思えた。

心が壊れてしまうんじゃないかと思うほどバクバクと音が鳴る。

離れなきゃ。そう強く思った。

それなのに、自分の足は踏切からまるで遠のいてくれない。一歩たりともくことができず、地面に足が張り付いたようになっている。

現実ではないというのに、生々しい空気が頬を掠めた。ぬるい風がやけに気持ち悪い。現実ではないなんて信じられないほどの覚だった。こめかみにじんわりと汗が浮き出てきたことすらじ取れる。

踏切の音以外は何も耳に屆いてこない。必死に自分に言い聞かせた、戻れ、戻れ、戻れ。早く現実に戻らなきゃ。ここにいるのはダメだ。

何度も言っても、まるで目が覚める様子はなかった。そして次第に、踏切の音以外のものが聞こえてくる。

遠くからやってくるのは電車だった。

當然だ、踏切が鳴ったのなら電車が通過する。そんな當たり前のことがやけに恐ろしい。

遠くから聞こえてくる規則的な音。ガタン、ゴトンというそれはこちらに向かってどんどん大きくなってくる。右側をじっと眺めながらそれを待った。待つしかなかった。

夜の世界にふたつ、が見えた。電車のライトだ。眩しいほどの明かりが照らしている。暗闇に明かりが見えれば普通安心を與えるものだろうが、今はただ焦燥しかない。

スピードを緩めることなく電車がくる。

そして自分の目の前を、大きな車が通過した。ごおっと強風を作りながら目的地に向かって走っていく。自分の長い髪がれて風に煽られた。車の明かりが窓かられていた。

私は魅られるようにそれに釘付けになる。一瞬で通り過ぎていくその景が、なぜかハッキリと目に映った。

たくさんの人たちが並んで私を見ていた。ひしめくように電車に乗る人たちは、無表で私を見下ろしているのが分かった。どの車両も人々が同じようにしている。

數多くの目が自分を見ている。視線が中を突き刺しているようだった。私は瞬きもすることなく、ただれ立ち盡くした。

ほんの數秒で電車が通り過ぎる。無風になり、自分の髪もようやく肩に下りた。そして踏切の音も消え、遮斷機がゆっくりと上がった。

靜かな空間が生まれる。

私はそれでもけないでいた。一歩も移することなく、もう役目が終わった踏切の前でただ立つ。

ずっと気づいていた。

電車が通り過ぎていく時から、ずっと。

私の背後すぐ後ろに、誰かが立っている。

人間の溫らしき溫もりが背中に伝わってくる。耳元で、生ぬるい息がかかっていた。ゾワゾワと気持ち悪さが背筋を走る。

耳元にじる息遣いで、相手がひどく喜んでいるのが伝わってきた。今振り返ったら恍惚の表が見えるんだろう、そう確信するほど、この人は楽しんでいる。

震えるを強く噛んだ。きっと今振り返ってもいけない、んでもいけない。無視し続けるのが一番なんだと、強く確信していた。

それでも、

耳に當たる不快な息が、

私の神をおかしくさせる。

「……ふ……ふふ…………」

わずかに男の聲で笑い聲が聞こえたかと思うと、自分の首に誰かの手のひらをじた。私の腕ではなかった、これは他者の手だ。

しいものをでるように首をさすられる。熱い手だった。私の髪を丁寧にはらい、ゆっくりと首を握られた。

じんわりと自分の目に涙が浮かぶ。

ついにダメかもしれない、もう助からないかもしれない。

諦めたくはなかったが、恐怖に押しつぶされてしまう。ここから自分をい立たせることなんてできそうになかった。

ああでも、會いたい人たちがいるのに。もっともっと、そばにいたい人たちがいるのに。

「……はな、して」

微かに聲がれた。だが、それを合図とするかのように手に力がった。一気に呼吸が苦しくなり、頭が真っ白になる。

自分の手でどうにかしようとあばれるも、相手はびくともしなかった。どんどん力が強くなる。息ができない。

走馬燈と呼べるような景が、いくつか浮かんだ。

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