《視えるのに祓えない、九條尚久の心霊調査事務所》私の居場所

ちょっと久しぶりに、仕事が再開した。

まだまだ寒さの続く中、事務所を目指していく。先日まであの事務所々大変だったんだなあと思うと、なんだか不思議な気分にもなる。

見慣れたビルの五階。銀のエレベーターに乗り込み目指して上がっていく。一年通い続けた場所だというのに、今日はどこか張していた。まるで、初めて出勤する日のよう。

廊下を進んで鍵を開ける。中はまだ誰もきておらず、冷え切っていた。まずコートもがずに暖房をつけて部屋を暖める。

カーテンも開けてみると、明るさが中に差し込んだ。黒い革のソファは、よくみると結構くたびれている。そろそろ買い換えだろうか。

初めてここに來た日も、九條さんはすぐにあのソファに寢転がって私を驚かせたもんだ。來客をもてなすより、圧倒的に彼のベッドとしての役割の方が多い。

微笑みながらコートとマフラーを取った。ハンガーに掛け、さっそく中の掃除から始めていく。

私が憑かれてしまった後は掃除なんてする余裕もなかったので、機を磨くのも隨分久しぶりだ。丁寧にそこを拭いていると、ドアが開く音がした。

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「あ、おはよー! ちゃんの方が早かったね!」

聲に振り返ると伊藤さんが笑っていた。寒さのせいか頬がしだけ赤く染まり、彼の顔を際立てている。私は笑顔で返した。

「おはようございます! ちょっと久しぶりですね」

「ほんとにちょっとじゃない。でもまた元気に働けて嬉しいよ」

ニコニコしながらコートをいでいる。私は布巾を置いて、改めて伊藤さんに頭を下げた。

「今回は本當にありがとうございました」

「やだな、僕何もしてないよ」

「何言ってるんですか! あの寫真がなかったら辿り著けませんでしたよ。々気遣ってもらって、生活の介助まで」

「はは、そういえばそうだったねー。

いやほんとにさ、ちゃんが無事でよかったよ。もうそれだけで十分」

目を細めて言ってくれる伊藤さんに、心が溫かくなる。何度も思うけど、伊藤さんってなんでこんなにいい人なんだろう。

「ちょっとしたお禮ですが、今日は豪華なおかずをれてお弁當作ってきたんです! お晝一緒にどうですか?」

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「わ、やったね! 嬉しいなーちゃんのお弁當久しぶりだもんな、九條さんも喜ぶよ」

ウキウキと言ってくれる伊藤さんに、そういえば九條さんとのことをまだ何も報告していないんだ、と思い出す。

散々私のの相談に乗ってくれたし、振られた後も勵ましてくれたし、言わないといけない。隠そうなんて、九條さんだって思ってないはずだ。

ただ、何か口に出すのがめちゃくちゃ恥ずかしいんだけど……。

「あ、あの、伊藤さん」

「んー?」

「実は、ですね……」

やや小聲で、私は話した。伊藤さんが麗香さんを病院に連れて行ってくれた後、九條さんに際を提案されたこと。一応、付き合うという結果に落ち著いたのだと。

話しながら、未だ夢心地でいることを痛する。がふわふわ浮いてるみたいだ。いけない、仕事とプライベートはきちっと分けなきゃね。

私が説明を終え、ちらりと前の伊藤さんを見た。

彼は目をまん丸にして停止していた。瞬きもせず、言葉も失くしているようだった。思った以上の反応だ、こんなにびっくりさせるなんて。

しして、一瞬眉を下げた。けれど、にこっとあの人懐こい笑顔を見せてくれたのだ。

「そっか! いやーやっとか、うんうん。なるべくしてなったってじだよね」

「え? なるべくして?」

「うん。だって九條さん、前からちゃんのことは特別視してたよね」

サラリと言われて、今度は私が目を見開く番だ。え、前から、私を?

「え!?」

「多分本人無自覚だったんだろうねー鈍いのも罪だよ。僕はわかってたよ。だから、ちゃんが振られたって聞いてびっくりした。絶対九條さんは斷らないと思ってたから」

私はそんなの、まるで気がつかなかった。告白したのも、振られることは分かりきってて、それでも告げたのだ。九條さんが私を特別に見てた? そんな馬鹿な。

でも、この伊藤さんが言うならそうなのかな、と思ってしまう。だって、彼の察力ってすごいんだもん。

そこであっと気がつく。伊藤さんが九條さんに不思議なことを言っていた、あの夜のことだ。

「そっか! 伊藤さん、だからあの夜、あんなこと言ってたんですね……九條さんを焚きつけようとしてたんですか!」

ぱっと言ってしまってすぐに後悔した。

あれは私が盜み聞きしていたんだということ、すっかり忘れてしまっていたのだ。

案の定、伊藤さんは驚いたように言った。

「起きてたの?」

「あっ、えっと、す、すみません……盜み聞きするつもりはなかったんですけど、夜中目が覚めて、聞いちゃって……」

小さくなって答えた。しまった、自分馬鹿にも程がある。でも、どうしてあんなことを言っていたのか気になってたから、その疑問が解決して嬉しくて。

伊藤さんが私を……なんて、やっぱりあるわけないんだって。

彼は困ったように頬をかきながら、笑った。

「あはは! うん、そうだね。九條さんが全然自覚しないもんだから、ちょっと焦らせてやろうと思って。九條さんが素直にならないと、ちゃんは僕が貰いますよーなんてね、ちょっとたちの悪い冗談だったかな」

「あ、やっぱり……!」

「効果あったのかな。だいぶ戸ってたみたいだからね。あ、あの後、冗談ですよって本人にはちゃんとフォローもれておいたから」

事の真相を知り、うるうると泣いてしまいそうだ、伊藤さんがいい人すぎて。私が失して落ち込んでいたのを哀れに思ったんだろう、そんな形で協力してくれてたなんて。全人類に爪の垢でも煎じて飲ませたい。きっと平和が訪れる。

「伊藤さん、本當にいい人すぎます! ありがとうございます。

伊藤さんのおかげです。もう、何でそんなに神さまなんですか」

「神さまって」

笑っている伊藤さんを拝んでおいた。々なことを考えてくれたんだなって、改めて知れたから。

これで全部スッキリした。に殘っていた小さなモヤもいなくなった。全部伊藤さんが仕組んだことで……

あれ、でも、九條さんがいない時に、何だか意味深な発言を私にしていたのは……。

「まあ、あながち冗談でもなかったんだけど」

「え? 何ですか?」

「ううん、なんでもなーい。さて掃除しよっかなー」

そう笑った彼は、私に背を向けて仕事を始めた。聞き取れなかった言葉を確かめることも出來ず、首を傾げる。伊藤さんは大きくびをしながら獨り言を言った。

「そっかそっかー、うん、よかったよほんと。やっとだね」

そう言う彼の表は、こちらからは見えなかった。

しばらく経ち、事務所もピカピカになっていた。伊藤さんと仮眠室の冷蔵庫の在庫を確認し、そろそろ買い出しにでも行こうか、と相談している時、事務所の扉が開いた。

ドキッとして振り返る。やはり、九條さんが立っていた。

會うのはあれ以降初めてだ。やたら張してしまう。でも今は仕事、仕事中だからね。

九條さんがちらりとこちらを見た。

「おはようございます」

「あ、九條さんおはようございまーす」

「おは、おはようございます」

やや聲が震えてしまった、気づかれただろうか。だって、顔を見るだけで苦しくてならない。私ってするとこうだったっけ。

伊藤さんが明るい聲で話しかけている。

ちゃん今日豪華弁當作ってきてくれたんですって!」

「そうなんですか」

「僕にもなんて申し訳ないぐらいですよー」

「あなたの報収集の能力がなければ、いつも解決まで辿り著けてませんよ」

「ええ、そうですかね」

九條さんはいつもとなんら変わりない。変わりなさすぎて拍子抜けするぐらいだ。黒いコートに黒いパンツ、髪は濡れてる。見慣れた姿に、私も気を引き締めた。

ううん、前付き合ってた人も同じ職場だったけど、こんなふうにならなかった。多分、人數が多かったからかな。ここは三人しかいないから、どうしても意識してしまう。

ぐっと背筋をばす。ちゃんとしなきゃ、仕事とプライベートは別。仕事に支障が出るようなら私もまだまだだ。ここは自分を戒めて、なんとか今までの調子を取り戻さなきゃ。

そう考えていた時、九條さんの首元に何かを見つける。不思議に思いながらし近づいてみる。

黒いコートの襟から飛び出す白いもの。

クリーニングのタグだ。

この人、タグつけっぱなしだ。

「九條さん! コートにクリーニングのタグが付いてますよ!」

私は悲痛な聲をあげた。イケメンなのにこの真冬、髪は濡れてるしタグはついてるし、どんだけツッコミどころ満載なんだ。

九條さんは振り返って言った。

「ああ、そういえばクリーニングから取ってきたんでした」

「もう、これで歩くなんて恥ずかしいですよ……ほらいでください、取りますから」

「どうも」

「でも、九條さんってちゃんとクリーニングとか出せるんですね……! そこには激しています」

「私を何だと思ってるんですか」

いやだって素直な想だ。あれだけ生活力ないし、クリーニングに持ってくなんてできないかと思っていた。ちゃんと人間らしい生活してるじゃないか。それにまあ、タグのとり忘れって結構みんなあるよね。

九條さんがいだコートを私に渡した。さて取って……

……ん!?

「く、九條さん! 下のセーターもタグつけっぱなしじゃないですか!!」

コートの下に著ていた白いセーター。なんとそこからも、タグが飛び出して『こんにちは』と顔を出していたのである。

膝から崩れ落ちるかと思った。タグのとり忘れはあるあるだよね、と思ってたが、まさか著ている服二枚ともなんてありえない。そんなことある?

九條さんはああ、と聲をらし、表を変えずに言った。

「そういえばそれも出したんでした」

「著ている服二枚ともって! 心の中で、『タグつけっぱなしはまあよくあるよね』ってフォローしてた私を返してください」

「よくありませんか?」

「普通ないですよ、あ! もしかしてパンツも!」

「安心してください、それはクリーニングに出してません」

「あ、よかった」

「洗濯もせずに一年になります」

「ぎゃあああ!」

「冗談です」

飄々と言ってくる九條さんを睨んだ。ありえるかもって思わせるあなたが問題なんですよ。

すると背後で伊藤さんの大きな笑い聲がした。振り返ると、目に涙を浮かべて笑っている。

「いやあ、さすがいいコンビだよねえ」

「だって伊藤さん、一年履き続けるって、九條さんならあり得るかもって思いませんか!?」

「ああ、信じちゃうよね」

九條さんはなぜか不満げに言う。

「心外です。私は結構綺麗好きだと言ったはずです」

「だってポッキーの袋いつもそこいらに置いておくから……」

「そうでした、タグなんかより見てください。ここに來る途中新発売のポッキー見かけて買ってきたんです」

目をキラッキラ輝かせて、左手にぶら下げていたビニール袋を掲げる。袋にびっしりポッキーが詰められていた。これを會計した店員さんはドン引きしたことだろうと思う。

私と伊藤さんは呆れて九條さんをみる。タグつけっぱなしでポッキーの山を購。イケメン無駄遣い。

九條さんはすぐにソファに腰掛けて封を開けていた。それを合図に、伊藤さんはパソコンを開いて仕事を始める。私もファイルを整理するために棚に移した。

大丈夫そう、九條さんが相手ならどうしてもツッコミになるし、おかげで通常モードだ。仕事は仕事、こうやって今まで通りやっていこう。

そう決意し、ずらっと並んだ今までの調査ファイルを見た。ここに、今回の事件も加わるんだろう。今からける依頼たちも。

それを眺めながら、ぼんやりと思う。いろんな依頼があったなあ、と。

簡単なものから厄介なものまで、多くの依頼をこなしてきた。これからも依頼は絶えないだろう。訶不思議な現象は終わりがない。

考え事をしていると、背後から九條さんの聲がした。

「どうしました」

振り返ると、ソファに座ったままポッキーを齧る九條さんがいる。苦笑して言った。

「いいえ。いろんな依頼があったなーって思い出していたところです」

「嫌になりましたか」

「え?」

「今回、あなたは特に辛かったと思うので。ここにいるのにうんざりしたかと」

九條さんの言葉に、伊藤さんが顔を上げた。二人の視線が私に集まる。それをしっかりけ止めて、微笑んだ。

「ありえないですね。前も言ったと思います、私はこの事務所に一生を捧げるつもりなんですよ。この仕事以外、できることはないと思っています」

心の底からそう思っている。そりゃ仕事は怖いし、散々な目にもあってきた。でもいつだって、大切な人が支えてくれた。

私にとってこの事務所はかけがえのない居場所なんだから。

二人が優しく笑う。

ここに來て一年か。々ありすぎて、全部は思い出せない。

ただ確かなのは、何にも変え難い大事な人たちができたということ。一年前は持っていなかった寶

ほしくてほしくてしょうがなかった、私の理解者で味方の人たち。

(いいとこに來たよ、お母さん。ありがとう)

これからも頑張れる。

何があっても、ここなら乗り越えていける。

もう命の無駄遣いはしない、もがきながら生きていくからね。

私は『幸せ』だよ。

そう心の中で話しかけると、どこからか聲が聞こえた気がした。溫かくてらかなものだった。

が熱くなる。幸せすぎて、大丈夫かなってぐらい。

「あ! そうだった! 依頼の電話がってたんですよ!」

伊藤さんが思い出したように言った。

「留守電にってたんです」

九條さんが顔を上げる。ポッキーを齧りながら言った。

「折り返しかけ直してくれますか」

「オッケーです。確か、住んでる家から、夜になると赤ちゃんの泣き聲がするとかで……」

「近所の子供の夜泣きですかね」

「答え簡単すぎでしょう。

電話掛けてみますね! ちゃん、この資料ファイリングしてくれる?」

「はい!」

次から次へり込む訶不思議な依頼たち。

私たちは今日も忙しい。

最後までお読みいただきありがとうございました!

またお會いする日まで。

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