《傭兵と壊れた世界》第九十一話:雨に濡れる

渓谷都市シザーランド、その中腹からせり出した丘の上にイヴァンの家がある。妹のジーナと暮らすために建てられたが、ルーロ戦爭によって妹は命を落としたため、広々とした家にイヴァンは一人で暮らしていた。

靜かな晝下がり。わずかに降り注ぐ日を窓際で浴びながら、香りたつ珈琲を優雅に楽しむ。誰にも邪魔されない、イヴァンだけの空間――。

「おいソロモン! せっかく私が直してやったんだ、くんじゃねえぞ!」

「だから無理にれないでください! リンベルは強引です、義足の扱い方をわかっていない!」

「私のやり方にケチをつけるってか? いい度だなソロモンよ。わけが分からんお前のを直してやった恩人に、強引だからるなってか。私はく瞬間を見たいんだ!」

「わ、わかりましたから! 直していただきありがとうございます! ですが離れてください!」

騒々しい。非常に。

イヴァンは不機嫌な表で顔を上げると、ちょうどソロモンが仮面を抑えてうずくまっていた。どうやらリンベルが仮面を剝ごうとしているようだ。

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「やかましいから靜かにしろ」

「助けてくださいイヴァン。私の貞が奪われてしまいます」

「お前は何を言っているんだ?」

イヴァンは深いため息を吐いた。

「やめてやれリンベル。うちの隊員をいじめるな」

「あんたが代わりに相手をしてくれるのか?」

「俺はを持っていない。お前が喜ぶものは一つも無いよ」

「しけた野郎だぜ。あんたもちょっとは面白みのある一面を見せてみろよ。じゃないとつまらんジジィになるぞ」

「余計なお世話だ」

リンベルはナターシャに紹介され、の専門家としてソロモンのを修理するために連日通っている。泊まり込みといっても過言ではない。おかげでイヴァンの生活は平穏と程遠いものになってしまった。

「まさか、今日も泊まるつもりか?」

「もちろんだ。悪いか?」

「悪くはないが、悪びれてくれ」

「じゃあ逆に聞くが、あんたはソロモンの世話ができるのか? こいつのはまだ完全に直っていないんだ。私は同士で問題ないが、あんたが世話するってなると問題があるだろ」

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「待て、ソロモンも泊まるのか?」

「すみません隊長、ここまで通うのは々しんどくて」

「あぁ、いや、責めているのではなくてな、事前に一言しいって話だ」

イヴァンは慌てて言い直す。彼は知っているのだ。鋼鉄の乙は存外、繊細なである。

「泊まるのはわかったが、リンベルは確かナターシャと暮らしているんだよな。勝手に家を空けたら怒られるだろ」

「怒るも何も私が家主だぞ」

「それはそうだが……」

リンベルは未だにソロモンので遊んでいる。仮面を剝ぐのは諦めたようだが、代わりに全の構造を興味深そうに調べていた。

「あんたも獨りで食べるのは寂しいだろ。賑やかに暮らそうぜ。會話は生活をかにするんだ」

「俺は獨りに慣れている」

「悲しい野郎だなあ」

「やかましい」

やがてソロモンの相手は飽きたらしく、彼はイヴァンの向かい側に座った。いつの間にか自分の珈琲を淹(い)れている。

「ナターシャもとんだ厄介……いや、癖のある整備士をよこしたもんだ」

「でも私ならソロモンのを直せるぜ」

「あぁ、非常に複雑な気持ちだよ」

せめてミシャのように大人しければ良いものを。イヴァンの心労は増えるばかりだ。

「とにかく急ぐぜ。さっさと終わらせないとナターシャが帰ってくる」

「隨分と焦っているな」

「何の任務だか知らないが、ナターシャが移都市で頑張っているんだ。だから私も自分の役目を果たすのさ」

そう言われればイヴァンも追い返しづらくなる。そんな彼の心を知ってか知らずか、生意気なはニヤニヤと笑った。一どこまで狙っているのやら。

「おーいソロモン、あんたも突っ立ってないで飲めよ。ついでに仮面を外しな?」

「それは俺の家の珈琲な」

「細かいことを言うな頑固者。ほらソロモン、座れ座れ」

「あなたは仮面を外したいだけでしょう。いいですかリンベル、人には誰しもがあって――」

「いいから外せ……!」

「離れてください……!」

これは丁度、ナターシャが移都市に到著した頃の話である。

雨が降っている。

船から降りると、地面がぬかるんでいてりそうになった。がやけに重いのは結晶銃を擔いでいるからではない。

「おーい嬢ちゃん、本當に大丈夫か? 誰か呼んできたほうが良いんじゃないか?」

ナターシャは首を振った。なおも心配そうな顔をする商人たちに頭を下げて機船に背を向ける。

足取りが重い。肩にのしかかる重圧がを押し潰そうとする。

今まで気にも留めなかったのに、ナバイアで腹抱えの男と再會したせいで、自分が破滅に追いやった人間の末路を知ってしまった。全部、自分が手を下したのだ。ローレンシア兵も。ナバイアに眠る探求者も。進むために食らった命が、今更になっての足を止める。

人の源は悪である。悪人を殺すのもまた傲慢な悪である。

「雨……」

フードを深くかぶった。雨に濡れないように。そして、知人とすれ違ったときに気付かれないように。

渓谷の中にった途端にシザーランドの熱気が広がった。溢れかえるような人混みがナターシャの小さなを飲み込んでいく。

熱に浮かされたような気分だ。視界がやけに滲む。止めどない吐き気に襲われる。なのに、頭は冴え渡っていた。これから向かうべき場所を明確に割り出し、脳が無理やりかそうとする。

「気持ち悪い……」

ふらふらと壁にもたれかかった。家出に見えたのだろうか。飲んだくれ橫丁から二人組の酔っ払いが出てきた。

「おいおい、が潰れているぜ。ここは危険な夜の街。どれ、俺が送ってやろう」

「こりゃあ酔い覚ましに丁度良い。今日はついているな」

「なあに言ってんだ、酔いを覚ましてどうする。酔っているから丁度良いんだろ」

「ハハッ、間違いない!」

「……ぅるさい」

掠れた聲がもれる。弱々しい態度に調子がついたのだろう、男たちはナターシャのフードに手をかけた。

「おっ、別嬪(べっぴん)じゃないか。どれどれ……ッ!」

「どうした?」

「馬鹿ッ、こいつは第二〇小隊のナターシャだ! 逃げろ逃げろ、関わってもろくなことがないぞ」

男達はバタバタと逃げ出した。失禮な態度に不快な表を浮かべつつ、フードを被りなおして足を進める。

かすのはやり場のない憤りだ。なぜ友を救えなかった。なぜもっと早くヌークポウに帰らなかった。とめどなく溢れる後悔と自責。かつて一度味わった絶が、再びの心を焼く。

鋼鉄の炎のように熱く。足地の地下水のように黒く。

下へ、下へ、導かれるまま、どんどん下へ。ナターシャが向かったのは溶鉄場よりもさらに下。地上付近で暮らす傭兵と、地底にを張る狩人の中間に広がる緩衝地帯だ。

ここに正確な名稱はない。暗くった街並みから暗黒街と安直に呼ばれたりもするが、住民にとって名稱なんてどうでもよかった。

降りた途端に腐臭と香水のり混じった匂いが鼻をつく。放置された死の匂いを隠すために、大量の香を焚いて誤魔化しているのだ。まともな人間は絶対に足を踏みれない。傭兵と狩人が生んだ深い軋轢、その象徴がこの暗黒街。

ナターシャはうずくまっている男に聲をかけた。

「ねぇ――」

聲をかけたと同時に痩せた男が襲い掛かった。ナターシャは迷わずに男の顎を蹴り上げると、ガラ空きになった元へ回し蹴りを放った。巖壁に打ちつけられる男。その元にナターシャの足が乗せられる。

「ゲホッ――こ、殺すな、俺が悪かった!」

「この辺りで小太りの傭兵を見なかったかしら。ローレンシア生まれの顔立ちをした若い男よ」

「ひっ、そ、それなら東の橫る姿を見た!」

「そう。ありがとう」

解放された男はそそくさと隠れた。ナターシャを無力なと勘違いしたのだろう。

いつの間にか痩せた住民達がナターシャを囲んでいる。痩せ細ったを地面にこすり、枯れ枝のような指でナターシャにすがろうとする。

「のきなさい」

彼らはすぐに退こうとしない。だが、ナターシャが歩くたびに一歩ずつ、住民達は道を開けた。

東の橫はすぐに見つかった。封晶ランプがり口に下げられ、上部には「シザーランド裏市場」の看板が掲げられている。

封晶ランプの燈りがぼやけて見えた。まるで夢の中にいるみたいだ。がふわふわとし、懸命に走ろうとしても上手くかせない。まだ本能が嫌がっているのだ。敵兵を撃つのとはわけが違う。踏み越えてもいいのかと迷いながら市場の人混みをかき分けた。

だが、やるしかないのだ。自分以外の誰に任せられるだろうか。自らの役目を認知した瞬間に人は責任を背負う。賢い人間ほど逃れられない運命だ。やるぞ、やるぞ。えいやあと気合いをれるぞ。この重圧を誰かに押し付けて後悔するぐらいならば、自らの手を汚したほうが何倍もマシである。

「第二〇小隊は、汚れ仕事の請負人。私の番が來たわけだ」

ナターシャは市場の奧へ消えていく。決意をめて。これから行う「けじめ」の覚悟だ。

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