《後は野となれご令嬢!〜悪役令嬢である妹が婚約破棄されたとばっちりをけて我が家が沒落したので、わたしは森でサバイバルすることにしました。〜》走兵ですわ!
「クオーレツィオーネ、クオーレツィオーネ。妙な響きの名だな」
地の底から響くかのようなその低い聲が、目の前の黒いものから自分に向けて発せられていることに、ヴェロニカはしばらくの間(ま)の後気がついた。
馬車の向こうの窓から、対面するこちらを覗く顔は、よく見れば人間の男のものだ。
(一、何者なの?)
突然現れた兵士たちと、そしてそれを殺したこの男に、思考はまとまらない。
「ヴェロニカ・クオーレツィオーネ。聞こえているのか? それとも、違う名か?」
なおも話しかけてくるその男にようやく答える。
「なぜわたしの名を?」
「先ほどこいつらにそう呼ばれていただろう」
確かにそうだ。
「あなたは何者?」
「何者か? 何者でもない。……通りすがりの走兵だ」
「走兵ですって?」
この國A國と、隣國B國はただいま戦爭の真っ最中で、時折走兵の話も聞く。走兵の罪は重く、見付かれば厳重な処罰は免れない。
彼らの多くは犯罪で食いつなぐという。強盜、強奪、當たり前に行う。
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やはり、運の盡き。ヴェロニカは、それでもひるむことなく言った。
「走兵がなぜわたしを助けてくださったのかしら?」
「そうだなヴェロニカ、良い質問だ」
そう言うと男は笑ったようだ。
ふ、と窓枠の向こうから姿を消すと、馬車を回り込みヴェロニカの前にその全を現した。
背が高いその男は、兵士というのも納得の大きな軀の持ち主であった。
黒い髪と黒い瞳はA國ではあまり見かけないものだ。長い髪を後ろに結び、無髭を蓄え、よく日に焼けていた。二十代、半ばといったところか。大きくぎょろりとした目が印象的だ。
男はその目をヴェロニカの頭の上から足の先まで見定めるようにかした後、口の端を歪めた。
思わず構える。男の手には長銃が握られていた。下手なことをしたら、撃ってくるかもしれない。
「ヴェロニカ、どっかのご令嬢って雰囲気だ」
肯定も否定もせず、ただ男を睨み付ける。ここで一歩でも引き下がったならば、殺されるかもしれないと思った。
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男はそれをどうけ取ったのか、一歩ヴェロニカに歩み寄る。
「隠れるように森の中を走る質素な馬車。中にはご令嬢。追うのは王國直屬の兵士か。……いかにも訳ありってじだな」
「あなたには関係のないことだわ」
「助けてやったというのに、つれない態度じゃ傷つくぜ。
……ああ、なぜ助けたか、だったな? 簡単さ。俺は走兵、金はないが武力はある。そんな折り、どうやら貴族が乗ってるらしい馬車が襲われていた。ヴェロニカ、お前は力はないが金がある」
――つまり。
ヴェロニカも、その考えに至った。
「助けた分、金を払えと言っているのね?」
「ああそうだ」
「分かりやすい人間は好きよ」
そう言って、につけていたブローチを外しその男に渡そうと手をばした。男もけ取ろうと手を差しだした瞬間、ヴェロニカは手を引っ込めた。
つかみ損なった男が不快そうな表を浮かべる。
「なんのつもりだ?」
「心配しないでもこれはあげるわ。本の寶石だもの、売ればそれなりの額になる。でも、もっとお金がしくない?」
考えていた。
追ってきた兵士たち、それは明らかに、王家が自分を殺すために差し向けた追っ手だ。
なら、これからも來るのだろう。こんな森の中、馬車もなく一人でおばの家までたどり著くのは不可能だ。
であれば、きっとこの辺りを縄張りにしているであろうこの走兵を雇おうとするのはおかしな話ではない。
「取引しましょう。これは前金としてあげる。でも、もしわたしの依頼をけてくれるなら、向こう五年は遊べるほどの財を、即金で払うわ。依頼が終わった後でね。どうかしら? 悪くないでしょう?」
男は驚いたような表を浮かべた。
「俺が前金だけ奪ってお前を殺すかもしれないぞ」
「殺す気ならとっくにやってるはずだわ。あなたは學はなさそうだけど頭は良さそうよ。計算もできるようね? わたしは貴族のご令嬢。殺さずに拐でもすれば、もっと大きな金がるとでも思ったかしら?
だけど、わたしを無事おばの家まで送り屆けてくれたら、もっとまとまった額を払うわ。その方が謝もされて、いいんじゃない? もしわたしを殺しでもしたら、後の額は手にらなくなるから、承知しておいて」
男は、しばし無言になる。
乗ってくるか?
背中に冷たい汗が伝う。心臓は驚くほど熱く脈打っているのに、手足は酷く冷たくじた。
「……震えているな、ヴェロニカ」
沈黙の後で、男は言った。その口は暗い笑みに歪んでいる。
ヴェロニカは思わず両手を握った。確かに、小刻みに震えている。
「……いいだろう、引きけた」
ほっと息をつきそうになった瞬間、男が続けた。
「だが、初めに條件を言っておく。
金を払う限り、仕事はする。食住は任せろ、腐っても兵士だ、森の中での生活は心得ている。
だが俺とヴェロニカ、お前の関係は対等だ。雇い主と使用人ではあるが、俺は、お前の命を全て握っていることを忘れるな。俺に想盡かされちゃ、お前は死ぬ。つまり、俺に対して敬意を払え」
「……いいわ」
もはや條件などどうでもいい。今生き延びて、この先も生き続け、おばの家に著くことだけが重要だった。
男は頷き、片手をばした。
利害は一致した。
ヴェロニカは金を、男は力をそれぞれ提供する。
「俺の名は、“ロス”だ。よろしくどうぞ、お嬢さん」
「ええ。ご承知の通り、わたしはヴェロニカ・クオーレツィオーネ」
手を握り返すと、ロスは眉を顰める。
思い直したヴェロニカがブローチをその手に握らせると、初めて満面の笑みを見せつけられた。
(本當に、金の亡者だわ)
そう思ってロスをまじまじと見つめるヴェロニカのに、なにかふわりとしたものがれた。
「きゃ」と小さく悲鳴を上げてそちらを見ると、白い細の大きな犬が、「クーン」と言って手を舐めてきた。
「やだ! わたしは食べじゃないわよ!」
恐ろしくて手を引っ込めると、ロスが馬鹿にしたように言う。
「お嬢様は犬にったこともないのか。アルテミスは甘えているのさ」
その犬……アルテミスはふさふさとしたしっぽを振りながらヴェロニカの手をもう一度舐めた。おそるおそる頭をでてやるとアルテミスは満足そうに目を閉じる。
「お利口ね、ご主人が商談をしている間、靜かにいい子で待ってるなんて」
「アルテミスは俺の唯一の理解者だ。人に想を振りまくのが欠點だが」
ロスが短く口笛を吹くと、アルテミスは彼の橫にすっと行き、その場に座った。
「こうして爭いの跡が殘っちまったから、すぐに足がつくだろう。だが、なにもしないよりは、多はましだ」
倒れている死を見つめてロスは言った。
「どうするつもり」と尋ねる前に、死を森の中へ引きずっていく。
「森の中へ埋める。時間稼ぎにはなるだろう」
死からはが流れ、すでに顔から生気は失せていた。直視できずに目を背ける。それを見て、ロスは笑った。
「手伝えとは言わん。そこで待ってろ」
ロスが次々に死を森の中へ運び込み、何やらを掘っているような気配がしている間中、ヴェロニカは馬車の中に戻り、ちゃっかり一緒に乗り込んだアルテミスをでていた。
(不思議な男だわ。人を殺して平然としているなんて。それとも、兵士なんて、みんなそんなものかしら?)
軍服にを包んだ彼のような人間に、ヴェロニカは生まれて初めて出會った。
周囲の男は皆、中流階級以上の紳士であり、兵士になる者はない。おまけに婚約者のアルベルトは蟲も殺せないほど優しい人だ。
(アルベルトは、わたしを心配しているかしら?)
手紙を書く間もなく家を出てしまった。心配の婚約者が今どんな心持ちでいるのか、思いを馳せた。溫かい日だまりのようならかな彼。
(おばさまのところに行ったら、一番初めに彼に手紙を書こう)
アルテミスは今やを橫たえ腹をこちらに向けている。
それがどのような意味を持つのか知らなかったが、表から嫌がっているわけではないことは分かった。
夜は更に更けていく。家を出たのは二十三時過ぎだった。夜に紛れた方がいいと、父が言ったのだ。今は一何時なのだろう。
こんな真っ暗な森の中では時間の経過すら分からない。木々は空を覆い、月も星も見えなかった。
「アルテミスはの子ね?」
そう聲をかけると、
「俺の神だ」
木々の間から林道に戻ってきたロスがそう言った。もう兵士たちを埋め終わったらしい。うっすらと汗をかき、土に汚れていた。
ロスの聲を聞いたアルテミスはぱっと彼に駆け寄る。急に手の先の溫かさを失ったヴェロニカはまた孤獨になった。アルテミスも、結局はロスのものだ。
アルテミスをでた後でロスはヴェロニカを見つめる。
「公道も兵士が見張っている。林道も、こうして追ってきている。道を行くのは危険だ」
ヴェロニカは意味を図りかねる。
「じゃあ、どこを行けばいいというの?」
その問いに、ロスはにやりと笑った。
「森の中で、サバイバルだ」
犬のアルテミスですが、犬種はサルーキ、という視覚に特化した猟犬です。
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