《後は野となれご令嬢!〜悪役令嬢である妹が婚約破棄されたとばっちりをけて我が家が沒落したので、わたしは森でサバイバルすることにしました。〜》全ては夜の森のせいですわ!

それはそれは見事な模様の蝶がいた。

ずっと見つめていたかった。

だがよく見れば飛び方がおかしい。

片方の羽が折れていた。

用にし羽をばたつかせて、そしてすぐに地面に落ちる。

それが哀れだった。

だから。だから……

蝶の死骸を手に持っているのを父に見付かった。

――ヴェロニカ、命というものは。

あの時父はなんと言ったのだろうか。忘れてしまった。

* * *

ヴェロニカが微かな音で目を覚ましたとき、まだ周囲は暗く、朝の気配すらなかった。

確かに音がした気がする。それで懐かしい夢から覚めたのだ。

側に置いていた銃をそっと手に取る。ロスは――いなかった。

(……かしら)

あるいはロスが歩いた音とか。

ゆっくりと、巖場を出る。ぱきり、と自分の足が枝を踏む音がした。

瞬間、

「ばああ!」

「―――――ッ!」

ぼうとした口を背後からものすごい力で塞がれる。正不明の襲撃者を橫目でなんとか確認すると、服裝からして昨日の兵士だと分かった。

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(生きていたの!)

また懲りもせず殺しに來たのだ。任務を全うしようとする厚い忠誠心からか、それとも単純に復讐のためなのか。

ヴェロニカを恐怖たらしめたのは、彼の顔面が不気味に崩れ、まるで人の形には見えなかったためだ。ムースに踏みつけられ、顔の皮が所々欠けている。からは白い骨が覗いていた。

無我夢中で空に向けて銃を放つ。ロスがどこに姿を消したか分からないが、知らせようと思ったのだ。その音に驚いたのか、兵士の手が緩んだ。

(今を逃したら、次はない!)

振り向きざまに、男のに向けてヴェロニカは銃弾を放った。當たったのか不明であるが、男はおおよそ人間らしからぬ恐ろしい悲鳴を放った。

「ヒュグアアアアアア!

「きゃあああああああ!」

間近で二人はび合う。

そして気付く。人間の言葉未満の獣の咆哮のような奇妙な音は、彼のが損傷しが開いているためであると。それが地獄の底から自分を殺すために蘇ってきた亡霊のように、ヴェロニカには思えた。

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恐怖に引きつり何度も撃つが焦った手元では當たらない。男は何かをわめきながらに濡れた手をヴェロニカの首にかけてきた。そのまま力が加えられる。呼吸が苦しくなり、抵抗しようと爪を立てるが効果はない。

(こんなところで、死んでられない!)

ロスはいない。

肝心なときに! ――だから、自分でなんとかするしかない。

ヴェロニカは思い切り男の顔面に両手を添えると持てる力全てを持って自分の顔を近づけ、鼻頭に噛みついた。

(――噛みちぎってやるわ!)

數度毆られたような気がするが、それでも口を離さなかった。

……ブツリ、と脳みそまで屆くような鈍い音が響いた後、またしても恐ろしい悲鳴を上げて男は後ろにのけぞった。

「ぺっ!」

ヴェロニカは口の中からゴムのようなの男の鼻先を地面に捨て、落ちた銃を拾い上げ素早く向ける。

「死に損ないが! わたしを襲ったこと、地獄で後悔するがいいわ!」

自分の命を守るためなら、人命を奪うことも厭わない。

いつか聞いた哲學が、今確かな実を持ってヴェロニカの中に宿る。

迷うことなく引き金を引く。

が。

(弾切れ!!)

空発だった。數回引くが、弾は出ない。

兵士はそれに気がついたようで、頬までも避けたように見える口を歪めて笑ったようである。兵士が再び立ち上がった時である。

――パァン

予期せぬ角度からの発砲。兵士は橫から頭を打ち抜かれ、そして地面に倒れた。正確にこめかみを打ち抜かれたその亡霊未満(死に損ない)は、今度こそ本當に死んだようだ。足先で數回小さく蹴るがく気配はなかった。

それから兵士を殺した男を睨んだ。

「……どこ行ってたのよ!」

「小便だ。悪かったな、大丈夫か」

ロスは悪びれるでもなく言う。手元の拳銃からは白い煙が立ち上る。

「大丈夫なわけないでしょう!?」

ヴェロニカの怒りは収まらない。いつか渡された弾薬を弾倉に込めると、銃をロスに向けた。それは歴戦の兵士の條件反なのか……ロスも即座に拳銃をヴェロニカに構えた。そして自分の行為に驚いたように拳銃を見ると、今度は両手を上に挙げ口の端を上げた。

「おいおい、冗談きついぜ。そんなに怒るなよ」

「怒るわよ。この兵士にわたしをわざと襲わせたの?」

「はあ? そんなわけないだろう」

ヴェロニカを支配するのは猜疑心だ。ついに目前の男とケリをつける時がきた。

銃を向けられているというのに、ロスは余裕だった。それがまた腹立たしい。

ヴェロニカが本気で撃つわけないと思っているのか、あるいはそれでもなお自分が負けるわけないと確信しているのか。

ロスが一歩こちらに踏み出してくる足下を狙って、一発お見舞いする。彼は立ち止まった。

「おいヴェロニカ、いい加減に」

「銃を捨てなさい」

靜かにそう告げると、彼は持っていた銃をゆっくりと地面に置いた。顔では相変わらず薄く笑みを作っているが、その目は厳しくヴェロニカを貫く。反撃の機會を窺う、野生の獣のようだった。

「わたしが何も知らないお嬢様だとでも思ったの? これでも學年主席だったから頭はいいのよ」

「何を疑っている」

怒っている、ではなく疑っていると問うロスに、彼もヴェロニカが何かを察知したことに気がついたらしい。だから、淡々と事実を告げた。

「あなたはやっぱり噓つきだと言う話よ。お父様があなたを雇えるはずないのだわ。だってわたしの馬車が出発してすぐ、お父様は逮捕されたんだもの。

知らなかったでしょう? 逮捕の時あなたはわたしと山にいたものね。わたしはエリザおばさまから聞いたのよ、あなたがいないときに」

そう、エリザおばの話によると、父はすぐに逮捕された。だがずっと山にいたロスは、それを知らない。だからこそ、父に雇われたのだと見えすいた噓を吐いたのだ。

用心深いこの男が見せた隙。ヴェロニカはその違和を見逃さなかった。

ではなぜ“父が自分を雇った”という噓を吐いたのか?

――ロスはヴェロニカが彼の噓に気がついていることに気がついていた。噓、というのは走兵の振りをして、偶然を裝い、ヴェロニカを助けたことだ。誰かの命令によって。その誰かを気取られないために、父を利用した。

「それがエリザの噓だと思わないのか?」

ロスが言う。目線はヴェロニカを捉えたままだ。

「そんな噓、あの場で吐く意味ないもの。正直に話しなさい。あなたはわたしとなぜ行を共にしているの? ……こう聞いた方がいいかしら? 誰に命令されているの?」

「なあ、冷靜になれ」

「言い訳はもうたくさんよ!」

また一歩近づこうとするその足下に一発放った。ヴェロニカはさらに高く銃を抱える。悲しみを悟られないように、強く握った。

「あなたは、わたしが疑っていることに気がついていたわね? エリザおばさまの屋敷を出たとき、だから味方だと言ったんでしょう! それ以上探らせないために。だってあなたを疑ったら、わたしは本當に一人ぼっちになっちゃう。その弱みにつけ込んだのね! 心細さを利用したんだわ。ひどい男ね? わたし、傷ついてるわ」

ロスは黙っている。いまやその表から一切のおどけた雰囲気は消え去っていた。夜の闇が二人を包み込む。

「わたしにキスしたのも、信じさせるためにそうしたんでしょう?」

「そうじゃない」

夜の闇より黒い目が、真っ直ぐに見つめる。

「そうじゃないヴェロニカ。今襲った兵士だって、生きていると知らなかった。脅威は去ったと思っていた。俺のミスだ。怖がらせてすまなかった」

「近寄らないでと言ってるでしょう!!」

ロスがこうとしたため、ヴェロニカはまた地面を撃った。

「……弁明の余地すらないのか」

そう言う彼の表は切実だった。しかし、ヴェロニカにしてももう覚悟を決めていたのだ。

「なら、最後のチャンスをあげるわ」

最初から尋ねようと思っていたこと、ヴェロニカにとってのジョーカーだ。

「……ねえ、ロス。わたしをしている?」

予想外の質問だったのか、ロスは迫した雰囲気にそぐわず間の抜けたような表をした。だがヴェロニカは極めて冷靜だった。

「わたしをしているというなら、全部、許してあげるわ。なにもかも水に流して、あなたを信じてあげる。真実を言うとね、わたしはあなたをしてるの」

ロスは微だにしない。瞳がヴェロニカだけを映している。その真意を測るようにじっくりと見つめてくる。

(全部真実よ。馬鹿なロス)

本気だった。

いつか故郷の話をした彼に、もうヴェロニカはをしていた。――たとえ、それがなにもかも噓だったとしても、彼をしているとじていた。

「わたしを、しているんでしょう?」

なおも尋ねる。

それはもう確信だった。ヴェロニカはロスが自分をしていることを、微塵も疑ってはいない。

「わたしは、あなたをしているわ」

を全てさらけ出し、心は今になって穏やかだ。目の前で呆けたような顔をしている男は、やがて苦痛に顔を歪ませる。

「俺はだめだ。お前を幸せにはできない」

苦しそうにそう吐き出す彼をなおおしいと思った。彼の抱える痛みすら、全てしかった。

「かわいい人ね」

ヴェロニカは微笑んだ。ロスの目が驚いたように見開かれる。その瞳の奧で悲しみが疼くのを見つめながら、一歩、歩み寄る。

呼応するように銃を下ろした。

「わたしをしているんでしょう?」

「……いいや。俺は、お前をしもしてなんていない」

顔と顔がれるほんの寸前まで來たところで、ヴェロニカは勝ち誇ったかのように笑った。

「やっぱり、あなたは噓つきだわ」

わした三度目の口づけは欺きと背徳に満ちる。

朦朧とする意識の中で、自分のが運ばれているのをじた。

「今一度、お前にれるのを許せ」

男の聲が、遠くから聞こえた。

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