《後は野となれご令嬢!〜悪役令嬢である妹が婚約破棄されたとばっちりをけて我が家が沒落したので、わたしは森でサバイバルすることにしました。〜》吹雪の夜の邂逅ですわ!

グレイの意識は朦朧としていた。すでに震える力すらなく、冷え切ったはどんなにアルテミスがを寄せても暖まらなかった。

チェチーリアの様子もおかしかった。震えは止まらず、いまにも凍り付きそうだ。

窟の外は今や吹雪と呼んでいい狀態だった。窟のり口にも、白い雪が吹き込んでくる。ヴェロニカはチェチーリアの冷たいを抱くようにして、肩を包んでいた。

「お姉様」

靜かだったチェチーリアが、ふいにぼんやりとした口調で話し始めた。

「グレイがこのまま帰らぬ人となってしまったらと思うと、とても怖いのです。怖くて、たまりません……」

「大丈夫よ、死んだりしないわ」

めの聲は、自分でも驚くほど表面的だ。取り繕うように、抱き締める手に力を込める。

「自分でも不思議です、レオン様のことが好きでしたのに、今は、他の方も好きなのです……。一度に二人の方を好きになってしまうことは、いけないことなのでしょうか?」

レオンとグレイのことなのだろう。ヴェロニカは努めて明るく答える。

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「おかしくなんて、ちっともないわ。そんなのよくあることよ。人間なんて、案外簡単にに落ちるものだわ」

――気がついたときには手遅れなほどに。

チェチーリアはしだけ笑った。安心したようなその表を見て、ヴェロニカの心は溫まる。「ねえ、お姉様」とチェチーリアはそっと言う。

「ずっと謝りたかったんですわ。でもいつもお姉様はアルベルトと一緒にいて、機會が無くって……」

「謝るって、何を?」

心當たりはなかった。

「うさぎのぬいぐるみのことですわ。ほら、小さいとき、お姉様がお父様に貰った……」

「ああ」

思い出した。

それは二人が話さなくなったきっかけの、あのうさぎのぬいぐるみのことだ。ヴェロニカが貰って、チェチーリアがだだをこねて奪ってしまったのだ。當時はそれが許せなくて、以來確執が生まれ、関係も悪化した。

だがもう昔のことだ。ヴェロニカの中では決著が付いていた。それは実際、ロスに斜め上からのめられ方をして、自分が意固地になっていたのだと気がついたためだ。

「そんなこと、今更いいのよ、謝らないで」

「いいえ。今言いたいのです。本當にごめんなさいですわ」

チェチーリアは、再會してから何度目かの謝罪をする。「でも」と、彼はまた続ける。

「あのぬいぐるみ、本當にしかったわけではありませんでした。お姉様の気を、引きたかったんですの。お母様が亡くなって、寂しくて、悲しくて。構ってしくて……」

罪を懺悔するように、チェチーリアは目を伏せた。妹の長いまつげを、ヴェロニカは見つめた。震えている。

「馬鹿です、わたくしは……。ぬいぐるみのこと、今まで向き合わなかったこと、本當にごめんなさい。わたくしが本當にしかったのは、ぬいぐるみではなかったのですわ」

言葉を切って、はっきりと姉妹の目は合った。そっくりな瞳が差する。チェチーリアの瞳は優しく細まった。

「本當は……。しかったのは、お姉様、あなたでした」

ヴェロニカはその目を見開いた。最期の言葉のように思え不安に駆られる。チェチーリアは目を閉じた。

「チェチーリア?」

妹のは――やはり冷たい。恐ろしくなり、何度も揺さぶった。

「チェチーリア、目を開けて! だめよ、お願い……! お願いよ……」

チェチーリアは目を開けない。が氷のように冷たい。そのに、ヴェロニカはすがりつき、すすり泣いた。

「死なせたりしないわ……。絶対に、もう失いたくないのよ……」

心配したアルテミスが、ヴェロニカの頬を舐める。窟の外では風が轟音を立てる。世界は白く覆い盡くされていく。

こんな吹雪の夜は、神に願うほか、ない。

――――ふと、何かの気配をじた。

にいるのはグレイとアルテミス、そしてチェチーリアと自分だった。他に、生きがいるはずがない。

そのはずだったが、窟を塞ぐようにして何かが佇んでいた。

はっとして、見る。

黒い、巨

存在を強く主張するかごとく立派な角。

目を見張った。

鹿の姿は吹雪の外のおぼろげなを背にけ止め、どこか現実的ではない存在を放っていた。

チェチーリアもグレイも意識はない。アルテミスにしても、至近距離にがいるというのに無反応だ。今、この空間にはっきりと存在しているのは、この獣と、ヴェロニカだけだった。

(ああ。この獣は……)

思い出す。あの朝日の中での邂逅を――……いつか會った、あの神のような獣だと確信した。

「……會うのは、二度目ね」

ゆっくりとそう聲をかけてみる。

銃を、手元にたぐり寄せた。

獣は何も答えずにヴェロニカを見つめる。

なぜここに。

どうして再び目の前に現れたのだろうか。

ヴェロニカのに疑問がよぎる。一度目は見定めに、二度目は……。

(わたしの命の終わりを見に來たのか)

他ののように、野生の険しい瞳ではない。

全てをれているかのような、ただ、靜かで穏やかな瞳だった。生と死を見つめてきたその目で、今もきっとそうしにきたのだと思えた。森で命が消えるのを、確かめに。

ヴェロニカにしても、恐怖はない。

驚くほど自然に、それをれた。穏やかな、凪のような気持ちだった。

「いつかあなたは聞いたけど、ようやく答えが出たわ」

――なぜ、殺すのか。

あの日、問われて以來、ずっと考えていた。あの時はただロスを助けるのに必死で、答えなど出なかったが。

今なら解る。今のヴェロニカになら、解る。

「命を奪うのは、向き合う覚悟があるからよ」

今まで殺したどの命だって、その日終わるとは思っていなかったはずだ。それを裏付けるかのように、誰もが最期まで抗い、生きた。

いつかきっとヴェロニカの命も終わるのだろう。でもただで終わる気はない。どの獣たちと同じくして、抗い、生き延びようと、必ず最期まで戦うだろう。

この手で奪ってきた命を、一つとして忘れたことはない。これからも、その死のとともに生きていくのだ。この命の終わりまで。

――それが、ヴェロニカが出した答えだった。

「あなたがわたしの命を奪う死に神なら、わたしはあなたを殺してでも生き延びるわ」

もし、襲ってくるようなきをすれば、撃ち殺す。

ゆっくりと、靜かに、手元の銃を、その神に向けた。弱い者は食われる。だから、ヴェロニカは強くいた。――そして、信じられないことが起きた。

その獣が、ヴェロニカに向かってふいに頭を垂れたのだ。まるで、自ら頭を差し出すようだった。

驚いたのはわずかの間だけで、次の瞬間には、ひどく納得した思いになった。

「ええ。あなたがそう言うなら」

答えてから、引き金を引く。

窟の中に、一発の銃聲が響き渡った。

生き殘ったのは、またしてもヴェロニカだった。

その巨大な獣の腹を割き、蔵を掻き出す。猛烈な匂いが鼻にる。

それから、グレイとチェチーリアをそのの中にすっぽりとれた。寒い國の人たちは、こうして吹雪を凌いだのだと、ずっと前に誰かが言っていた気がする。製の寢袋だ。

魂の抜けた鹿のは熱いほどで、きっと凍り付いた二人のを溫めてくれるだろう。

ヴェロニカは、やり終えてから、奇妙な覚に囚われていた。

(……自然が、わたしたちに生きろと言っている。事をなせ、やるべきことをやれと)

神は自分から命を差しだした。それを天命と捉えずになんと捉える。

(まだ、この命には意味があるはずだ)

取り戻せと、全てを終わらせろと神が言っている。この悲劇を、絶対に繰り返さないために、黒幕を、正しく見つけなければならない。

黒幕について、未だ迷いがあった。本當にその人が、ヴェロニカたちを罠に陥れたのか、という迷いだ。迷いながら、優しい婚約者のことを思った。

(アルベルト……婚約を破棄していないなんて、何を考えているの?)

會いたい。

そんな衝が生まれる。

今すぐ會って不安も疑念も話したい。

あのらかな笑顔で、全ては思い過ごしなんだと言ってしい。溫かな手でヴェロニカの頬にれ、偶然なんだ、たまたまなんだ、夢だったんだよ、悲劇は全部元に戻るよ、と。そうすれば、ヴェロニカは全て忘れて安心して以前の生活に戻ることがきっとできる。

しかし、同時にまた、別の男を思った。

彼ならなんと言うだろうか。

一緒に過ごしたのはほんのわずかな時間だけだった。されど濃で、強烈で、忘れがたい。未だ、思い出すと腹の底からあの熱さが蘇ってくる。

戦え。

逃げるな。

痛みを忘れるな。

真っ直ぐ立ち向かえ。

彼ならそう言う気がした。

(ロス)

ぎょろりとした目で、人相の悪い、異國人のような風貌の、噓つきで、鬼のように強いが、決して鬼ではなかった人。大きな手で、大きな背中で、しかし弱く、小さく、とてもとても脆く……おしい人。

(――あなたは今、どこにいて、何をしているの?)

疑問は吹雪の夜に消える。握る彼の銃は無機質で、何も教えてはくれなかった。

本章でのヴェロニカたちのお話はこれが最後です。あと3話ありますが、違う人たちのお話になります。

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