ここからが連載版の新しい話です！

宮廷から付與師がいなくなった。

王國の歴史上初の宮廷付與師は、突然隣國へと旅立ってしまった。

その知らせは瞬く間に宮廷、王城に広まる。

たかが宮廷で働く職員一人の進退だ。

本來ならば噂にこそなれ、そこまで大きな話にもならない。

……はずだった。

フィリスの場合は、異例中の異例。

誰も予想できなかった出來事が起こったのだから、注目されてしかるべき。

「ねぇ聞いた？　付與師のフィリスさんが隣國へ引き抜かれたって」

「単なる引き抜きじゃないわよあれ。なんたって隣國の王子様と結婚されたんだから」

「すごいわよね～　イストニア王國ってそれなりに大きな國でしょ？　宮廷の職員からいきなり一國のお姫様なんて憧れるわ」

「一どうやったのかしら」

特に宮廷はこの話題で持ちきりだった。

よくも悪くも、彼の名前は有名だった。

たった一人の付與師、しかもバリバリに仕事をこなす実力も持っていた。

実際にはパワハラをけていただけだが、事を知らない周囲からはこう思われていた。

どんな依頼も期日までに必ず終わらせ、要求以上の果をたたき出す責任を持ち、たった一人で他の職業を圧倒する生産力を持つ怪。

まさに時代に、世界に選ばれた大天才である。

……と。

それは事実である。

図らずも彼を追い詰めた者たちは、彼を長させる養分を與えてしまっていた。

もしものびのびと仕事をしていたなら、ここまでの怪は生み出せなかっただろう。

その結果が――

「やっぱりすごいわよね。王子様に見初められたってことは、それだけ彼の名聲が外にまで広まっていたってことでしょう？」

「そうなるわよね。なんだか憧れちゃうわ」

「ねぇー、私もちゃんと話しておけばよかったわ」

「いつかこっちに遊びに來てくれないかしら。その時は盛大に歓迎しちゃうのに」

今や宮廷の誰もが、彼の功績を讃えている。

これまでただの一人もいなかった。

宮廷で働く一職員が、王族になってしまうなんて事例は。

故にこそ、尊敬し憧れる。

普通ならば……。

「……チッ」

大きな舌打ちが廊下に響く。

多くの人が楽し気にフィリスの話題を口にする橫を、書のスレニアは通り過ぎる。

彼の頭によぎるのはたった一言。

どうしてこんなことになった？

何もかもが予想外だった。

まさかめていた彼が、隣國の王子と結婚するなんて思いもよらなかった。

そんな様子は一切なく、予想も立てられなかった。

さらに決定的なことは、結婚の話を申し出たのは隣國の王子からだったというじゃないか。

國同士の親を深める意味合いでも、隣國から申し出があったなら斷る理由はない。

たかが宮廷の役職一人と國の未來。

天秤にかけるまでもなく、先方からの申し出は理され、彼は異國の姫となった。

「ありえないわ……」

本來ならば今日も、彼のことをこき使い憂さ晴らしをするつもりでいた。

彼自、宮廷の職員たちを管理する立場にある。

それなりに忙しく、思い通りにかないことも多いためストレスが溜まる。

たまったストレスの発散相手として、フィリスは格好の的だった。

書スレニアの神を支えていたのはフィリスだったと言っても過言ではないほどに。

ある意味神安定剤だった彼がいなくなり、スレニアの苛立ちは逃げ場をなくす。

加えてフィリスが擔當していた仕事を他に振らなければならない。

今すぐに付與師を集めることは難しい。

必然、他職種にお願いするしかないのだが、代わりになるのは魔導師ぐらいだった。

「仕方がないわね」

彼が向かったのは、もう一人の天才と呼ばれた人。

大天才の影に隠れた彼。

宮廷魔導師レイネシア・ハイベル。

「……え」

「こちらの仕事を引きけてください」

「ちょっ、ちょっと待ってください。何をおっしゃっているのでしょう？　私は魔導師です。これは……」

「ええ、見ての通りフィリスさんが請け負っていた仕事の一部です」

どさっとテーブルに置かれた依頼書。

その山は誰が見ても、ひとりに任せるべき仕事量ではなかった。

レイネシアは唖然とする。

「それをどうして私がやらないといけないんですか？」

「あなたが適任だからです」

「適任って……魔導師は他にもいますよ？」

「もちろん、他の方にもお願いします。先ほど申し上げた通り、これはフィリスさんが擔當していた仕事の一部でしかありません」

「これが……一部？」

レイネシアは知らなかった。

フィリスが今まで、どれほどの仕事量を一人でしていたのか。

天才という肩書だけでは支えきれないほどの重みに耐えていたのか。

毎日毎日、努力し続けた彼の背中を一度も見ていない。

レイネシアが見ていたのは畢竟、鏡に映る自分だった。

「納期は書いてある通りです。お願いしますね」

「待っ――」

バタンと扉が音を立てて閉まる。

初めて聞くような大きな音にびくっとしながら、後にくる靜寂に心が震える。

「なんなのよ……これ……」

山盛りの依頼書を見ながら歯ぎしりする。

こんなはずではなかったと、レイネシアも書と同じことを考えていた。

もはや未來など予想するまでもない。

ここから先は足の引っ張り合いになることは明白だった。

一人の大天才に支えられていた宮廷は、徐々に崩壊していく。