當り前のようにあったもの。

いつでも手の屆く距離にいた人ほど、いなくなったときに気付かされる。

自分の一部に、空間の一部になっていたことを。

ポカリと空いてしまったを見て、むなしさと共に後悔する。

「……なんなのよ」

書スレニアは苛立っていた。

理由はハッキリしている。

彼の足取りはせわしなく、彼の元へ向かっていた。

「レイネシアさん！　依頼したものが納品されていません！　すでに期日を三日も過ぎているんですよ！」

ノックもなしに部屋にる。

レイネシアがビクッと反応して、恐る恐る視線を合わせる。

「す、すみません。まだかかりそうで……」

「昨日も同じことをおっしゃっていましたよね？　期日通りに納品して頂かないと困るんです。宮廷で働く者としての責任を果たしてください」

「っ……」

だったらもっと仕事量を考えてほしい。

文句の一つも言いたいレイネシアだったが、ぐっと堪える。

言ったところで反論されるだけだ。

なぜなら滯りなく終わらせていた前例があるから。

フィリス・リールカーン。

彼は現在のレイネシアが請け負う仕事の何倍もの量を、たった一人でしていた。

付與師と魔導師、似て非なる職種故の差？

否、純粋に、彼たちの間には大きく深い実力差があっただけだ。

それを痛させられる。

同じ天才でも、格が違ったという事実を。

「まったく、こんなこともできないのに宮廷で働いているなんて、恥ずかしくはないんですか？」

「……」

言い返せない。

そんな彼を庇うように、扉を開ける音と共に聲が屆く。

「それは君もなんじゃないか？」

「――なっ」

「サレーリオ様！」

サレーリオ・ラトラトス。

ラトラトス家の次期當主であり、現在はレイネシアの婚約者である。

彼は貴族の中でも地位が高く、宮廷への出りが自由にできる數ない人でもあった。

「どういう意味でしょうか？」

「言葉通りだよ。作業が上手く進んでいないのは、君にも問題があると言っているんだ」

「お言葉ですが、私はしっかりと管理しております。適切な仕事量を分擔し、滯りなく――」

「それは何を基準にしているのかな？　そもそも、別職の作業をすでに仕事を持っているものに分散した時點で負擔が増えることは明白だ。君がやるべきことは急かすことではなく、実現可能なスケジュールの再提案じゃないのかい？」

サレーリオが詰め寄る。

尤もらしい言葉を武にして。

書である彼の役割は、宮廷で働く者たち全員のスケジュール管理が主である。

その他にも素材や商品の発注、依頼の領なども含まれる。

彼が現場の狀況を判斷し、けることが可能な依頼かを判斷した上で、現場の者たちに仕事として提示される。

言い換えれば、彼の判斷が間違っていれば、現場は上手く回らない。

何よりスレニアは知っていたはずだ。

かつてここで付與師をしていた彼が、どれだけの仕事量をこなしていたか。

本來一人では難しい量の仕事を、彼に與えていたのはスレニアなのだから。

宮廷を支えていた人が消失したにも関わらず、今までと同じように仕事を回そうなどできるはずもなかった。

サレーリオは書スレニアの怠慢を指摘する。

「こ、この現場の管理は私に一任されています。部外者であるあなたに言われる筋合いはありません」

「部外者ではないよ。ラトラトス家は代々、宮廷で働く者たちの資金を援助している。この意味がわかるかい？」

「そ、それは……」

「さっきの発言は聞かなかったことにしてあげよう。君は今一度、現場の聲をしっかり聞くといい」

スレニアは何も言い返せず、黙ったまま部屋を出て行く。

靜かになった部屋でサレーリオはため息をこぼす。

「ありがとうございます、サレーリオ様」

「レイネシア」

「サレーリオ様がおっしゃった通り、あの人にも問題――」

「君も君だよ、レイネシア」

「え……」

空気が再び重たくなる。

冷たい視線と、冷え切った聲がサレーリオから発せられる。

「立場上庇いはしたけど、君の仕事が遅いのも事実だろう？」

「そ、それは……仕事量があまりにも」

「フィリスはこれを一人でやっていたそうじゃないか。一度も納期を過ぎたことはない。ギリギリというのも……今となっては優秀だったのだと再確認させられたよ」

「っ……サレーリオ様……」

レイネシアはフィリスが気にらなかった。

自分よりも注目される彼が目障りだった。

だからこそ邪魔をした。

サレーリオを奪ったのも、彼を貶めるためでしかない。

彼は別に、サレーリオをしていない。

しかし彼は誤解していた。

サレーリオは自分に惚れたから、フィリスを見限ったのだと。

違った。

「まったく、これじゃフィリスの時と変わらない。選択を間違えたかな」

打算でいていたのは、レイネシアだけではなかった。

最初からサレーリオも彼をしてなどいない。

どちらがマシか。

二択でレイネシアを選んだだけにすぎなかった。

そこに、はない。

彼が真に求めているのは最の人にあらず。

自のためにく手足。

有能な部下であり、自を引き立てる力を持つ者。

もっと簡単に表すなら……。

都合のいい奴隷のような人だった。

「……早めに手を打とうか」

彼が見據える先は遙か彼方。

異國の地に嫁いだ元婚約者の顔。