《指風鈴連続殺人事件 ~するカナリアと獄の日記帳~》2001年7月17日(火) 後半

「あなたたち、なにをしているの? 調べもの?」

振り向いて、わたしはホッとした。

わたしの肩をつかんだ、っていうかポンと叩いたのは、國語の授業を擔當している工藤桃花《くどうももか》先生だったから。

優しくて穏やかなの先生。怖くないし、授業も冗談とか飛ばして面白いから人気がある。もう30歳くらいのはずだけど、可いから、男子からは工藤ちゃんって呼ばれていてファンも多いし(ハセガワくんが特に大ファンのはず)、子からも桃ちゃん先生って呼ばれていてされているひと。

その桃ちゃん先生は、穏やかに笑いながらわたしたちの前にいる。

國語の授業で使う本を借りるために、やってきたらしい。

「珍しいわね、あなたたちふたりだけなんて。いつも天ヶ瀬くんたちと5人で行してるのに。――なあに、郷土のことを調べているわけ?」

「いえいえ、違いますよ~。あの、M高校の前のことを調べているんです」

「前のこと? どういう意味?」

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「つまり、その」

わたしは、みなもちゃんと顔を合わせながら言った。

「M高校が昔、病院だったんじゃないかって噂があって。……いまもその跡地が、學校の地下にあるんじゃないかって……」

「…………」

桃ちゃん先生は、キョトンとした顔になった。

それから、――くすっと笑って、

「そう、いまでもその噂はあるんだ。ふふ、実はね、先生がM高校に通っていたときもその噂はあったのよ」

「え。先生ってM高校の出だったんですか?」

「そうよ。あれ、言わなかったかな? ……もう12年も前に卒業したけどね。懐かしいなあ。ふふ、M高校のことならなんでも知っているわよ?」

「あ、あのあの。……噂は本當なんですか? M高校ができる前、そこに病院があるのは確認しましたけど、當時の地下室がまだ高校の地下に殘っているって。しかもそれは、戦爭に反対していた人たちを拷問する部屋だったって」

「ああ、その話。……そうね、その話はね」

桃ちゃん先生は、笑っていた。

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それで、わたしはちょっとホッとした。

病院がまだ地下にあるなんて、やっぱり噓なんだ。それも拷問をした部屋があるなんて、ただの噂だったんだ。そう思ったんだ。だって先生、いつもと変わらないニコニコ顔だったから。

でも桃ちゃん先生。

すっごくいい笑顔で――

「事実よ」

ぞっとするような、冷たい聲でそう言いました。

それから立ち話もなんだし、図書室の中で話をするのも他の利用者に迷なので、いったん図書室を出て、館にある自販売機コーナーに行って、3人でジュースを飲みながらしゃべった。

「戦時中、I病院という施設が作られて、その地下で拷問が行われていたのは歴史的事実よ。そしてその地下がまだ殘っているのも本當」

やっぱり本當だったんだ。

薄気味の悪い話を聞かされて、わたしは困した。

拷問が行われた部屋の上で毎日勉強しているなんて、あまりいい気分じゃない。

「どうして、その地下室は埋められなかったんですか?」

みなもちゃんが尋ねると、桃ちゃん先生は微笑を浮かべたまま答えた。

「最初は予算の都合だったらしいわ。それと再利用の計畫があったの。……地下を掘るのって、すごくお金がかかるのよ。それがまだ殘っているんだから、掃除してなんとか使えないかって話があったらしいわ。だけどなかなか使い道も見つからなくて、そのまま……。しばらくはり口に鍵もかけられていなくて、みんな使い放題。不良生徒がタバコを吸ったり、近所の暴走族がり込んだりしていたらしいわ。まあ當時は1970年代。いろいろとおおらかな時代だったのね」

「はあ……。だけどいまは、管理されているんですね?」

「當然よ。だって人が死んだんだもの」

桃ちゃん先生は何気なく言った。

だけど、それは耳を疑う発言。

人が死んだ? 地下室で?

どういうこと……?

「怖い話じゃないのよ。とてもロマンチックな話」

桃ちゃん先生は、うっとりした聲で語りだす。

「1980年。いまからもう21年も前の話ね。ひとりのがいたの。岡部子《おかべあいこ》。このM高校に通う1年生のの子だった。真面目で、優しく、らしいだった。

そのにある日、人ができた。とてもすてきな彼氏だった。子はまじめな子だったから、彼のことを心からした。彼も子を誰より可がってくれた。だけどある日……」

「ある日?」

子の両親に際がバレてしまったの。いまよりも男際についてうるさかった時代よ。両親からは不純異遊だってさんざん叱られたわ。そして子と彼氏は別れるように命令された。

子を遠い親戚の家に預けて、高校を転校させるという話にまでなったらしいわ。だけど子は嫌だった。彼と別れたくなかった。だからこう思ったのよ。転校するくらいなら、別れるくらいなら――死んでやるって」

「まさか、その子っていうの子はそれで……」

「そう。死を選んだの」

先生は、窓ガラス越しに夏の青空を見上げながら言った。

「21年前。誰も來ない學校の地下室で、彼と共に。地下室で、ふたりは毎日のように逢瀬を重ねていたから。思い出の場所で命を絶ったのよ」

そんなことが、あったんだ。

大好きなひとができて、でも別れろって言われて、離れることができなくて。

それが本當なら、なんて悲しい話だろう。怖い話じゃない。悲しい、話。先生はロマンチックなんて言ったけど、わたしはそうは思わない。ただただ悲しかった。

わたしだって、もし佑ちゃんと離れろって言われたら。……どこか遠くに引っ越しさせられて、二度と會えないようにしてやるって言われたら……。

死ぬ、かもしれない。

「そういうことがあって、あの地下室は閉鎖され、いまは誰も中にることができないの。たまに消防署のほうから、防火管理のために人は來るみたいだけど、それは理事長がみずから鍵を開けて立ち會っているらしいわ。……それだけ。それだけよ」

桃ちゃん先生は、遠い目をしながら言った。

「これで話はおしまい。分かった? あの地下室はそういう人たちの語があった場所なの。いわば悲しいの聖地。興味半分で調べたり、中にったりしちゃだめよ? ね。先生と約束」

先生は、念を押すように言ったけれど、わたしは、

「でも、そんなに悲しいことがあった場所なら、逆に一度はってみたいなあ」

わたしはちょっとだけ、21年前に死んじゃった岡部子さんの気持ちが分かっちゃったのです。

だから、その子さんが亡くなった場所ならって、興味が湧いたんだけど。

堂さん」

桃ちゃん先生は、信じられないようなものを見る目でわたしを見て、

「ふざけないで。言っていいこと悪いことがあるわ」

「は、はい……」

「遊び半分で近付いていいところじゃないのよ。……ね、お願いだから。堂さんがそんなことを言ったら、先生は困っちゃう。……堂さん、分かるよね? ……袴田さんも」

「あ……は、はい」

「……分かりました」

桃ちゃん先生が、厳しい目付きになったものだから、あ、これは本當にまずいんだなと思って、わたしとみなもちゃんは、ふたりでうなずいた。

桃ちゃん先生は、その答えに満足したのか、いつものニコニコ顔になって、

「よろしい。……あら、もうこんな時間。お仕事だったのにおしゃべりしちゃったわね! ……先生、學校に戻らないと。それじゃあね!」

手を振って、その場から離れていった。

わたしとみなもちゃんは、そこに殘されたけど、やがてふたりとも家に帰ろうって空気になった。

暑さもやわらいだ夕暮れ時。東の空から、涼しい風が吹き抜ける中、わたしとみなもちゃんは歩いていった。

そして別れ際。

いつもならお互いに「バイバイ」って手を振って、それでサヨナラになるはずのとき。

みなもちゃんは、最後にポツリとつぶやいた。

「工藤先生の報には間違いがあるわ」

それがあまりに自然な聲音だったから、わたしはかえってギョッとした。

実は昨日、みなもちゃんは、インターネットを使ってM高校の地下室のことを調べたらしい。

ネットには噓みたいな報が多いから、あまり信用していないけれど、それでもいちおう調べることは調べた、と。

そうしたら、ネットにはこう書かれてあったそうです。

「M高校の地下室では、過去に3回、ひとが死んでいる。被害者はそれぞれ岡部子、北條凜、三段坂夏

「さ、3回も? 3回もひとが死んでいるの?」

「そうよ。……最初の死。つまり岡部子のことは、工藤先生の言う通りなのかもしれないけれど……。

殘り2回の殺人事件について、先生はしゃべらなかった。それに、岡部子の彼氏だなんて、そんな話、ネットには影も形もなかった。ネットはウソも多いけど、死人がもうひとりいるのなら、さすがにそれについては書かれてあるはず。それなのに――彼氏なんて、どこから出てきた話なのかしら?」

みなもちゃんは、暗い表でそう言った。

「それに工藤先生は、どうして2回目と3回目の死について語らなかったのかしら? 岡部子のことだけ、あんなに楽しそうにおしゃべりしておいて」

「そ、それは……知らなかったんじゃない? 単純に……」

「だといいけれど」

みなもちゃんの目は冷たかった。

それに、まだなにか言いたそうでもある。

「実はね、これはあくまでもネットの報なんだけど。過去にM高校の地下で死となって発見された3人の。……これらは全部、殺人の疑いが濃厚らしいのよ」

「殺人!? 心中でも自殺でもなくて、殺されたの!?」

「そう。……そしてその3回の殺人事件の犯人は、まだ逮捕されていないのよ」

みなもちゃんの目が、鋭くった。

ちょっとだけ茜に染まった空と、海から吹き付けてくる風と、みなもちゃんの靜かな聲とった瞳が、わたしはいまでも忘れられない。

「あの地下室。……やっぱり見てみたいわ。きっとなにか面白いものがある。そんな気がするのよ、わたし……」

なにか、別の世界に迷い込んでしまった気がする。

昨日まで自分がいた世界とは、別の世界に……。

ここまで日記を書いて、急に怖くなってきた。

學校の地下で3回も殺人事件があったって、本當かな。

桃ちゃん先生がしゃべった話は、どこまで本當なのかな。だとしたら、最初の事件で死んだ人、岡部子ってひとの彼氏はどこにいったの?

佑ちゃん。

わたし、なんだか嫌な予がする。……怖いよ、佑ちゃん。

実は今日、みなもちゃんと図書館に行く前、佑ちゃんもったんだよね。

とか野菜の買い出しがあるからって斷られちゃったけど。

でも、無理にでも來てもらえばよかったかな。

もし佑ちゃんが、いっしょに図書館に來てくれていたら、あんなに怖くはなかったと思うから。

わたし、佑ちゃんとの別れ際に、こう言った。

「佑ちゃん。……夏休み、いっぱい楽しもうね」

佑ちゃんは、笑顔で言ってくれた。

「ああ、ふたりでめちゃくちゃ楽しもうぜ!」

ふたりで、だって。

その一言を付け加えてくれたのは、とても嬉しかった。

でもわたし、恥ずかしくて、それについてうまく反応できなかった。

「うん、楽しもうね」

それだけしか言えなかった。

わたしのばか。ばかばかばか。

嬉しいときは、ちゃんと伝えないとダメなのに!

「じゃ、また明日な!」

佑ちゃんが手を振って帰っていっちゃう。

わたしは「待って」って言いたかったけど、やっぱりそれができなくて、

「うん、また明日! じゃーねー!」

それしか言えなかった。

殘念。本當に自分がけない。

桃ちゃん先生から聞かされた話しは怖いし。

佑ちゃんにも、うまく話しはできないし。なんだかとても不安な夜。

……でも。

こうして日記に書いていることで、ちょっとだけ気持ちの整理がついたよ。

これから夏休みなんだ。ふたりで會う時間はきっとたくさんある。それで佑ちゃんと仲良くなれたらいいと思う。好きだって伝えられたら、いいと思う。

桃ちゃん先生の話だって、あれは不気味だったけど……。

でもあれは、もう終わった話。いまのわたしたちに関係のある話じゃない。

そう考えたら、怖がることなんて、なーんにもない!

まずは明日のの冒険。

考えようによっては、佑ちゃんといっしょに肝試しができるチャンスだもんね。

頑張ろう。をもっと頑張ろう! それがいま、わたしの一番やるべきこと!

佑ちゃん。

わたしはいまでも、あのときの言葉を覚えているよ。

「これから先、またいじめられたら、また俺が守ってやるから。だからもう泣くなよ、若菜」

ずっとずっと、きっと一生、この言葉は忘れない。この先なにがあったとしても。

佑ちゃん。堂若菜は、天ヶ瀬佑樹くんのことが、世界で一番大好きだよ!!

(筆者注・この日記が書かれた翌日、すなわち7月18日に、堂若菜はM高校地下にある病院跡地にて、死となって発見された。

當然、日記はここで終了する。

――はずなのだが、しかし。

日記はここからしばらく白紙が続いたあと、9月9日に、明らかに堂若菜と違う筆跡の赤いボールペンで、謎の文章が綴られている。以下、その文章を引用)

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